第38話「コーヒー」
日曜日、コメダ珈琲店にて。俺は、白い粉(砂糖)をたっぷり仕込んだ激甘コーヒー片手に化学の教科書とにらめっこしていた。1週間後に迫った中間試験の勉強に追われているのだ。
「……」
ひとつ勘違いしないで頂きたいのだが、超絶無気力症候群な俺は、定期考査ごときでいい点を取るために勉強を頑張るような人間ではない。学校という狭い井戸の中で背比べする為に貴重な日曜日をお勉強に費やすような真似はしないのだが、化学に限っては深刻に赤点の危機なのだ。
適当に生きることを良しとする俺にとって、赤点は平穏を乱す暗雲に他ならない。そこで、ダルい身体に鞭打って無理やりコメダ珈琲店まで勉強しに足を運んだというわけだ。
「……」
コーヒーを一口飲んで、静かに白い粉と薬物をキメる。言うまでもなくお一人様だ。だから行き詰まっているし永遠にやる気がしない。
飴宮さんを頼るという選択肢は、残念ながら無い。飴宮さん文系だから化学取ってないし……そ、それにほら、科目に限らず、学校内ならともかくプライベートで勉強教えてもらうのは、ちょっと……誘い文句とか分かんないし、飴宮さんの休日を俺のために浪費させるのは厚かましいよなぁーとか気使っちゃうじゃん。
「……」
ふと周囲を見回すと、にわかに店内が客で混んできている。考査前で勉強に追われている腐れ学生どもがテーブルを占領しているせいで、店が回らなくなってきているのだ。喫茶店の利用法としては間違っていないが、どいつもこいつもバカみたいに殺到するからシステムが成立していない。毎度、日本人の右に倣えの精神にはうんざりだ。
「……」
空気を読まない男として定評のある俺でも、流石にこの混雑で4人席を独占したままは気が引ける。集団のせいでぼっちが肩身の狭い思いをすることに多少の反感は覚えるが、生憎今はその理不尽に対して抗議活動をするだけのエネルギーが足りない。なんなら勉強するエネルギーは尽きた。まぁなんであれ、昼下がりのこの時間帯は客が増えるようだ。俺もコーヒー一杯で充分いさせてもらったよな。潮時か。
化学教師のオヤジが心臓麻痺で死亡する呪いでもかけながら教科書類を片付けていく。オヤジあの野郎……ゴミみたいな性格しやがって。教育実習生の方がまだマシだったぞ。
どっちかと言うと俺は化学というよりあのオヤジが苦手なのだが、俺が苦手なオヤジが布教する化学を好きになれないのは、三段論法的になんとなく察して欲しい。三段論法が何なのか知らないけど。
レジスターはどこだったかしら、と席を立つ前にキョロキョロしていると、ちょうど店に入ってきた2人組が視界に入ってきた。どこかで見たような顔だと思ったら、私服姿の飴宮さんと逸部だ。え、何この偶然? 運命の神様性格悪すぎね?
学校の外でクラスメイトとなんとなく顔を合わせたくないからさりげなく避けるのはきっと人間嫌いあるある。かの2人組が順番待ちを諦めて店を出て行くまで息を潜めることにした。いたずらに外出するのは危険だ……テスト前に喫茶店とかファミレスに行くのは止めよう。
「……?」
少し目を離した隙に、ふたりともいなくなっていた。入り口周辺を見回しても、彼女達の姿はどこにもなかった。もう帰ったのか……あっさりしてるな。
「――何してんの?」
いつのまにか隣に立っていた逸部が話しかけてきた。
「――!」
叫びたい衝動を抑えて、俺は代わりに眼を大きく見開いた。やめろよ……いないと思って気を抜いたらすぐ隣にいるってそれホラー映画じゃねぇか。超ビビったわ。
「……それはこっちの台詞だ。順番待ちならちゃんと所定の場所で待ってろよ。奔放だな」
内心ビビっていることを悟られまいと適当な軽口を挨拶代わりに飛ばす。休日なので当然飴宮さんも逸部も私服だ。リュックを背負った飴宮さんは、お父さんのを借りてきたの? と突っ込みたくなるようなダブダブの緑パーカーに身を包み、逸部も逸部で街を歩いていたら確実に見かけるような、どこぞの女子大生みたいな格好をしている。
学校では見せない新たな一面に新鮮さを覚えるが、いやはや……ファッションに疎い俺にはさっぱりである。最近はこういうのが流行っているらしい。ついでに俺の服は……まぁどうでも良いか。お察しの通り漆黒の一張羅だ。
「いえ、そのことなのですが……この混みようなので、相席……させてもらって良い、ですか?」
常時萌え袖が発動中の飴宮さんは、控えめに両手を合わせてお願いしてきた。
「……相席?」