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第35話「翼」

 

 ゲームカウントは3-1。俺は「王子サーブ」を打った。投げ上げたボールをしゃがみながらラケットの裏で打つ、癖が強いフォームのサーブ。


「――!」


 浜崎は王子サーブに対応できず、これも俺が得点した。ラリーに持ち込まれたら勝ち目はないから、なるべくサーブの段階で潰したい。ラリーよりサーブで点を取る、観客の盛り上がりに欠けるゲームメイクは、何年もやってきた戦法だ。


「すごーい、なにそのフォーム! 孤羽くんって、卓球上手いんだね!」


 すると、突然後ろから話しかけられた。声の主は餅月さん。……王子サーブを打った理由がもうひとつ。すでに女子決勝が終了し、暇を持て余した女子の観客がちらほらいることは把握していたが、餅月さんが俺の近くで観ていたのは嬉しい誤算だった。見た目の癖が強い王子サーブを打つことで、声でもかけてくれたら御の字と思ったが、素直な彼女はまんまとハマってくれた。


「ま、昔ちょっとやってたんでね」


「へぇ、意外だなぁ。孤羽くんも頑張ってね!」


 餅月さんは、ファイト! と拳を握って微笑んだ。


「お、お前……」


 俺たちのやり取りを見て、浜崎は恨めしそうに小さく声を漏らした。そして浜崎。お前が餅月さんを好きなことくらい、俺の人間観察能力で把握済みだ。奴を動揺させるなら何でも使う。そうでもしないと負けちゃうからね。


「……」


 木藻尾も浜崎と同じくらいの憎悪の眼を向けてきたが、お前に構っている余裕はない。俺はまた王子サーブを打つ。今回もあっさりと得点した。


「糞が……」


 浜崎は悪態を吐き、苛立ちを抑えるようにボールをテーブル上で反発させた。


 そして、コイツは面白いくらい挑発に乗る。


 俺の王子サーブに対抗して、浜崎は変なサーブを打ってきた。きっと覚えかけなんだろう。回転が甘くて打ち返すのは難しくない。これも力技で押し込んで得点した。


 ゲームカウントは6-1。これは……案外勝てんじゃね?現役もチョロいな。と、そんな風に楽観していると――


「浜崎ー落ち着けー」


「集中しろー」


「あんなやつに負けんなよー」


 ぱらぱらと、観客から浜崎へ声援が送られた。優勝候補の浜崎がなんかよく分からないやつに負けてるんだから、そりゃ応援したくもなるだろう。応援なんて実力じゃなくて人気投票だ。その点、浜崎は圧倒的に観客を、場の雰囲気を味方につけている。


 それが浜崎にとってプレッシャーになるか心の支えになるか、正直こうなるまでよく分からなかった。だが、観客の声援はいい具合に浜崎の頭を冷やしたようだ。


 浜崎は落ち着きを取り戻した様子で、大きく深呼吸した。なんか嫌な予感がする……と思ったら、浜崎は予想通り普通の天井サーブを打ってきた。いくら【黒の剣士】と呼ばれた最強ソロプレイヤーの俺でも、現役の本気サーブを捌くのはキツい。なにアートオンラインだよなんて言ってる場合じゃねぇ。


「チッ……」


 現役の本気サーブは、卓球から離れた俺がどうこうできる代物ではなく、あっさり俺は得点を許した。観客からは歓声が上がる。いや……授業中のお遊びで、現役卓球部が帰宅部を本気で潰しに掛かるってどうなのよ? 心痛まないの?


 浜崎は、この1点で完全に調子を取り戻した。俺の心理戦術に惑わされることもなく、4点ほどあった点差アドバンテージはあれよあれよと巻き返され、今や6-8でこっちが押されている。怒涛の7連続失点は流石に笑うしかない。いや、だから、マトモにやりあったら勝てる相手じゃないんだって……ったく、覚醒する前に徹底的にメンタルを潰しておくべきだったぜ。


 当の浜崎は観客に「手加減してたんだよー」などと言い出す始末。ナメやがって。思いっきり押されてたくせに。その鼻っ柱今に叩き砕いてやるよ。


「……」


 軽口を叩き虚勢を張ってみるが、心臓の動悸が早まり、呼吸もいつの間にか浅くなってきて息苦しい。思うようにラケットを操れないのは、拭っても拭っても無限に湧き続ける手汗のせいだ。苛立ちのあまり口の中の皮を噛み切ったせいで、さっきから生唾が血の味がする。


 ――情けねぇ、なに動揺してんだよ。


「チッ……」


 無様な自分に対して小さく舌打ちする。飴宮さんの前では、見栄を張ってクールな姿を演じているが、俺の本性此臆病だ。失敗して傷つきたくないがための無気力ぼっちなのだ。……チッ、こんなやつと戦ったばっかりに、すっかり自己嫌悪に陥ってしまった。


「……」


 今から1年以上は経過したことだが、俺は高校受験に失敗した。アニメとゲームの時間を削って勉強に時間を費やし、模試で一喜一憂しながら精神をすり減らし、時にはプレッシャーで病みそうになりながらも、合格を夢見てがむしゃらに勉強した。夢に向かってどこまでも高く飛んでいった。


 でも、本気で努力しても、必死で手を伸ばしても、合格は、俺の夢は、俺を嘲笑い手中から滑り落ちた。


 背中にあった翼はその時に腐り堕ちた。


 夢に裏切られた傷が癒えた頃には、もう何に対しても情熱を注げなくなっていた。何かしようとしても、信じて裏切られたあの時の記憶が脳裏にチラついて……いや、これ以上はよそう。こんなネガティヴシンキングでは、勝利の女神も逃げ出してしまう。


「……」


 あれこれ考えていると、浜崎のスマッシュが炸裂した。ゲームカウント6-9。11点マッチ……あと2点で、この公開処刑も終わりだな。


 後方に飛んでいったボールを追いかけると、進行方向に偶然居合わせた飴宮さんが、ボールを拾ってくれた。……そんな眼で見ないでほしい。生憎だがその期待には応えられない。追い風に煽られて羽ばたいたが、強い逆風に吹かれて目が醒めた。こんな腐った翼では、どこにも行けやしないんだ。


「孤羽くん……」


 俺にボールを手渡しながら、飴宮さんは不安げな声をあげる。


「悪い。やっぱ俺には――」


 自嘲気味に吐き捨てかけると、背後から「孤羽」と誰かに声をかけられた。振り向くと、さっき倒した木藻尾御一行だった。何の用だよ……無様な俺を笑いに来たのか?


「810年ROMって、どうぞ。ヒーローに弱音は似合わないゾ」


「……は?」


「お前は俺たち非リアの希望だからよ……止まるんじゃねぇぞ……」


 突然ヒーローとか言い出した淫夢厨もどきに戸惑っていると、もうひとりの奴がどこぞの団長のような台詞を言った。ご丁寧にポーズまで決めて何やってんだよ。声真似地味に上手いの笑いそうになるからやめろ。「キボウノハナー」とかいらねえんだよ笑うだろ。


「孤羽氏、貴様は拙者が倒す男でござる。あんないけ好かない野郎に負けてくれるなでござるよ、デュフフ」


 木藻尾は、バトル漫画のライバルあるあるで五本の指に入るレベルの、ベタベタにありがちな台詞を吐いてきた。バカか……好敵手キャラってのは、目つきが悪いM字ハゲと相場が決まってんだよ。気色悪い決めポーズ取ってるお前なんかに務まるか。


「諦めたらそこで試合終了、ですよ。私は……私たちは、ずっと影ながら応援しています」


 飴宮さんまで、とある監督の台詞をパクって応援してきた。人の気持ちも知らないで、勝手な願望ばかり押し付けやがって。


 ちょっと元気出ちゃっただろ。


「ったく……どいつもこいつも」


 苦笑混じりにため息を吐くと、その様子を遠くで見ていた狼月に軽く笑われ、親指を立てられた。


 なんかよく分からんが、俺はこいつらに応援されたらしい。余計な真似を……あと2点で終われたってのに。


 仕切り直して卓球台に戻ると、浜崎は「オタクの馴れ合いか」とでも言いたげに冷笑してサーブを打った。相変わらず容赦がない。なんとか返せはしたものの、ラリーの主導権は完全に浜崎が握っている。


「――っらァ!」


 俺を左に引きつけておいて、浜崎はコートの右端スレスレにスマッシュを叩き込んだ。


 スッと、世界から音が消える。


 今から戻っても、打ち返すどころか無様に空振りする可能性の方が高い。どうせあと2点。俺の勝利なんて誰も望んでない――


「……チッ」


 いくらでも思いつく言い訳を振り切って、俺はボールに飛びついた。腐った翼で空は飛べない? 知ったことか。俺は、俺なんかを応援しやがったやつらのために、もう一度だけ飛ばないといけないんだ。


 端ギリギリに着地し浜崎の得点となるべく落ちゆくボールに食らいつき、全盛期並みの体捌きで打ち返した。ラケットがボールを捉えた感覚をこれほど嬉しく感じたことはない。


 勢い余ってすっ転んだが、急いで体勢を立て直す。浜崎なら、俺が転んでいようと容赦なく第2のスマッシュを叩き込む。そういうやつだ。が――


「!」


 台を見て俺は、観客は、浜崎は驚愕していた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。


 ……あれは、ボールが跳ねることなく盤上を転がる奇跡の技「ゼロバウンド」。勝利の女神様はずいぶんと浮気性だな。


「やった!」


 思い切りと幸運が招いたスーパープレイに、木藻尾軍団はどっと湧いた。ゲームカウント7-9。


「騒ぐなよ……」


 俺のサーブで始まった次のラリーは、浜崎のコースを突いた打球に、一歩も動けず失点した。


「ど、どうしたのでござるか、孤羽氏⁉︎ あの疾風のようなステップをもう一度……」


 後ろの方で、木藻尾が動揺した声をあげる。確かに、あれよりはコースは甘かったな。だが。


「いや……実は、さっきの転倒で……足首をやられた」


 あっさりもう1点取られて、俺は敗北した。




 * * *




「惜しかった、ですね」


 トーナメント終了後、台の片付けをしていると、飴宮さんがネットをたたみながら話しかけてきた。


「どうだったかな」


「浜崎くんもあの後、孤羽くんが負傷しなかったら危なかった、って友達に話してました、よ」


「なにあいつ、俺が怪我したの知っててあんないやらしいコース攻めてきやがったのか⁉︎ 俺並みの勝てばよかろうマンだな」


「い、言われてみれば確かに……」


 俺の悪態に、飴宮さんも苦笑混じりに同意した。ま、俺もあんまり人のこと言えないんだけど。


 敗北し、勝利はまたしても俺の手から滑り落ちたにもかかわらず、俺は割と満足していた。勝利を収めることより、試合を通して過去の呪縛を振り切れたことが、一瞬でも何かに本気で向き合えたことが、俺の心を満たしていた。


 背中にあった翼は、狼月との戦闘を通して片方だけ既に生えかわっていた。不安定な片翼の俺を、もう一度空に解き放ってくれたのは、背中を押してくれたのは、俺の勝利を期待した飴宮さんであり、俺の闘志を揺り起した狼月であり、俺を応援した木藻尾達であり、強大な敵として立ちはだかった浜崎だった。


 別に、だからどうってことではない。相変わらず俺の本性はぼっちのままだし、木藻尾はキモいし、浜崎はカスだ。それは変わらないし、そのままでいい。過去を乗り越える機会をくれたやつらに、自分勝手に感謝したいだけだから。


「孤羽氏ー、何で負けたのでござるか? 絶体絶命の状況から、ライバルの鼓舞で逆転勝利を収めるという流れはもはやテンプレでござろう? 孤羽氏、そういうとこでござるよ」


 心地よく敗北の余韻に浸っていると、木藻尾がなれなれしく話しかけてきた。今まで感じていた感謝の気持ちがスッと消え失せる……前言撤回、特に木藻尾テメーはダメだ。


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