第25話「左眼」
完璧に計算された遅刻寸前の時間で教室に着く。隣の席の飴宮さんに、逸部と餅月さんが絡んでいた。なーんか既視感を覚えるこの光景。仲のいい友達と絡むのは勝手なんだが、俺の席に座るのはやめてくれないかな……逸部お前に言ってんだよ。
彼女たちにかまうことなく自席に向かう。たった数回喋ったことがあるだけなのに、下手になれなれしく接して「なんだこいつ……」みたいな雰囲気にはもうなりたくない。中学時代の俺の失敗を無駄にはしない。
「どけよ」
「うわっ⁉︎ こ、孤羽、いつからいた⁉︎ 存在感なさすぎて気づかなかったわ! 怖っ!」
どいてくれないから一声掛けただけなのに、逸部はまるで幽霊でも見るような視線で俺を見上げた。存在感の薄さに定評のある俺だが、逸部なんぞにそんな視線を向けられる覚えはない。
「お前、無自覚に人を傷つけるのはやめろよ……え、なに、わざと? いやどうでもいいからどけ」
シッシッと逸部を追いやると、餅月さんが微笑んで片手を上げた。
「孤羽くんおはよう! 相変わらず遅刻ギリギリだね」
「最終的に間に合えばよかろうなのだよ」
適当に返して席に着く。そうでもしないと、距離感を見誤ってしまいそうだったから。男ってのは単純なもので、女の子に笑顔で挨拶されるだけで色々と意識ちゃうんでね。
席に着くと、うつむいていた飴宮さんが顔を上げて、こっちを見た。すると、眼が合った。
「……」
飴宮さんの前髪は片眼隠しヘアになっていた。ピンで長い前髪を留めて、大きく開かれた左眼で俺の眼をまっすぐに見ていた。
「……」
驚きのあまり、数瞬、飴宮さんの眼から視線が離せなかった。そのせいで眼をそらすタイミングを逃した。だが、だったらずっと見ていたいとさえ思ってしまった。
「……」
飴宮さんも気張って眼を合わせ続けていたが、どちらからもなくお互い眼をそらした。
「どうも……」
飴宮さんはちらっと遠慮がちに見てきた。自分から眼を合わせるのはやはり得意ではないらしい。
「お、おう……」
「あの……へ、変、ですか?」
この状況を整理するためにとりあえず生返事をしたら、飴宮さんは自信なさげに訊いてきた。俺の提案なのに俺がなにも感想を言わないから、不安にさせてしまったんだろう。
「いや……いんじゃね」
「ありがとう、ございます……あれ。鬼太郎は、右眼でしたっけ?」
「確かそうだったけど……そこは忠実になる必要ないだろ」
「いえ……気にするタイプかな、と思ったので」
飴宮さんは、安心したようにふっと微笑んだ。目元の涙袋が浮き出て顔の印象がより可愛らしくなる。飴宮さんの笑った眼を見るのは初めてだ。
「おい孤羽ーやるじゃーん! 昨日、飴宮ちゃんと遊び行ったんだって? そこでなんかあったんでしょ?」
逸部に肩をうりうりと小突かれる。ええい鬱陶しい。その軽率にボディタッチする癖やめろよ。勘違いしても知らないぞ。
「俺はなにもしてない」
「そんなことないって。ハッちゃんが変われたのは、孤羽くんのおかげもあると思うよ」
逸部の手を払いながら答えると、餅月さんが口を挟んできた。相変わらず誰にも優しい、みんなの女神だ。逸部とのやりとりで乾き切った心にわずかな潤いが戻るようだ。
「あんまり買い被るなよ……」
「またまた、謙遜しちゃって。ふふ」
「いや、そういうのいいから。その純粋な瞳で見るのやめて」
居心地か悪くなって視線をそらすと、教室の端で固まっているオタク集団となぜか目が合った。なに見てんだよお前ら。ぼっちの俺が人間と会話するのがそんなに珍しいか。
「――ケッ!」
すると、全員に物凄い悪態を吐かれた。なんだろう、視線からものすごくドス黒いものを感じる……嫉妬か? カースト的にお前らと同等のポジションにいる俺が女子と会話しているのがそんなに気にくわないのか?
「孤羽くんは自己評価が低いからね。でも私は、孤羽くんが良い人なの、ちゃんと知ってるから……」
さらりと、餅月さんは心に沁みる台詞を言った。だから、その気遣いが、その優しさが余計だって言ってんだよ。俺のこと好きなんじゃないかって、うっかり勘違いしそうになるだろ。
「なんでもいいけど、褒められるとつけ上がるタイプだぞ、俺は」
「そうなの? でも――」
「――さくらー、先生が呼んでるよー」
餅月さんの言葉を遮って、クラスの女子が彼女の肩を叩く。学級委員長ともなると、こうも先生に呼び出されるものなのだろうか。人望があるのも大変だな。やっぱり誰にもアテにされないぼっちは最高だぜ。
「あー……ごめん。私、行くね。じゃね、ハッちゃん、と逸部ちゃん。ああ、あと孤羽くんも」
餅月さんは丁寧に挨拶して、ぱたぱたとどこかに駆けていった。
「あたしももう行くわ。宿題、写さないといけないし。ばーい、飴宮ちゃん」
逸部も、飴宮さんに片手を上げた。俺はいなかったことにされていた。おっかしいなー、俺も結構絡まれたのになー。どうでもいいけど。
ふたりが去って、一気に静かになった。いつもの平穏を取り戻したと思っていたら、なんか変なやつがこっちに近づいてきた。
不健康なピザデブ体型に、これまた不健康な猫背。太い黒縁眼鏡が乗っかっている脂ぎったブサイクな顔面。正直、あまり関わりたくない部類の人間。同族嫌悪のあまり今にもぶっ刺してしまいそうだ。
「デュフフ、孤羽氏貴様、何ゆえあのような女子たちとなれなれしく話しておるのだ? 非リアの風上にも置けぬこの裏切り者め。処すぞ?」
「……なんだお前、誰だ」