第20話「眼」
「……ご迷惑を、おかけしました。もう、大丈夫です」
飴宮さんはホットココアの入ったマグカップを手のひらで包んだまま、ぺこりと頭を下げた。さっきに比べて血色もだいぶ良いし、どうやら落ち着いたようだ。前髪も両眼を隠すいつものセットに戻っている。
「そうか、だったら安心だ……」
「……」
「うん……」
「……」
飴宮さんとの間に流れる重苦しい沈黙。手持ち無沙汰になった俺は、目の前のコーヒーカップに角砂糖を放り込んでひたすら撹拌した。何度もこれを繰り返したから、今頃俺のコーヒーは砂糖の激甘飽和溶液と化しているだろう。コーヒーの温度降下によって砂糖が析出する前になんとかしたいところではある。
冗談はさておき、対人経験の少ない俺はこういうときにどんな話をすればいいのか分からない。どうしようか。
「あっ、ご、ごめんなさい。こんな陰気じゃ、つまらないですよね。な、何か話しましょうか、あはは」
俺の息苦しさが伝染したのか、飴宮さんは我に返ったように喋りかけた。自分の感情を殺して作った愛想笑いは、俺には頬の筋肉が引きつっているだけにしか見えない。傷ついた飴宮さんに気まで使わせる自分が情けない。
「悪い……気の利いた話できなくて」
くそつまらないことしか言えない俺はとりあえず謝り、コーヒーを一口啜る。成分的には激甘のはずだが、この空気のせいで味なんか分かりやしない。
「ちょっと、孤羽くんまでテンション低くなる必要ないじゃないですか」
飴宮さんはまた頰の筋肉を引きつらせる。この人は本当に愛想笑いが下手だ。逆に言うと、それだけ俺が飴宮さんの笑顔を見てきたという意味で、それに関しては少し誇らしい。だからこそ、無理して笑っている彼女をこれ以上見たくはなかった。
「辛いならそう言ってくれると助かる。これでも、今日一日遊んだ仲だろ。俺の前でくらいは、ありのままでいてほしい」
つい、柄でもない台詞を吐いてしまった。アニメの主人公みたいな気の利いた名言なんか出てこない。人付き合いの経験が極端に少ない俺のリアルはこんなものだ。
「……ありのままでいてほしい、だなんて軽々しく言うものではない、ですよ」
飴宮さんはぽつりと呟いた。口調は穏やかだが、棘のある物言いだった。だが、そうやって虚勢を張るほどに、怯えた本心が透けて見える。きっと飴宮さんは恐れているのだろう。今まで俺に見せてきたポジティブな面ばかりではない、後ろめたくて隠してきた自分の闇の姿を見たら、俺が愛想を尽かして離れていってしまわないかと。
「別に、軽々しくはないさ……ただ、俺も飴宮さんも似た者同士だから、どんな姿も受け入れられると思ったんだよ」
底なしの闇の中に生きてきた俺だから、どんな闇にも目を背けずに受け入れられる自信だけはある。たとえ、知らない方が間違いなく幸せで、知ることが苦痛でしかない闇だとしても。そんなことは承知の上だ。
「ごめんなさい。荒んでましたね、私」
飴宮さんは頭をかいて俺に謝ってきた。何も謝らなくても、俺にもっと感情をぶつけてくれてよかったんだけどな。
「別に。それもありのままの飴宮さんってことで」
俺がそんな事を言うと、こわばっていた飴宮さんの顔がほっと緩んだ。俺の顔を伺っていた視線は手元のマグカップに落ちる。
「……私、視線恐怖症というやつで、人と眼を合わせたり、人に顔を見られたりするのが、苦手なんです。自分なんかと眼を合わせたせいで、相手が不快に思わないか、とか考えたり……剥き出しの負の感情が、眼を通して流れ込んでくる感覚が、どうも苦手で」
だから、こんな貞子みたいな髪型してるんですよ、と飴宮さんは自虐的に笑った。俺は笑う代わりに言葉を投げた。
「俺は怖くないのか? 最近よく眼が合う……ような気がするけど」
「平気です。最初はまぁ、その、かなり怖かったですけど、話していくうちに、孤羽くんが良い人だと、分かったので」
そう言い、飴宮さんは恥ずかしそうに微笑んだ。実は今も怖いとか言われたらどうしようと思っていたが、俺には心を開いてくれていたらしい。
「嬉しいこと言ってくれるねぇ」
それを改めて本人の口から聞いたので、俺は思わず顔が綻んでしまう。照れ笑いなんてしたのは何年ぶりだろう。生まれて初めてかも知れない。
「…………」
すると、飴宮さんは唖然とした様子で俺の顔をまじまじと見つめた。飴宮さんほどではないが、至近距離から視線を浴びるのは俺もあまり得意ではない。
「なにか?」
「い、いえ、孤羽くんもそんな風に笑うんだなぁって。大体いつも無表情なので、ギャップにちょっと、あの、アレしました」
飴宮さんは頰を赤らめて口ごもり、ココアをぐいっと呷った。
「げほげほっ!」
「……大丈夫?」
「大丈夫、です……」
俺の問いかけに、飴宮さんは口元を押さえながら頷いた。その様子は、もういつもの飴宮さんだ。
「大丈夫そう、だな……」
なにげなく独り言を呟くと、それを拾った飴宮さんはぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、ございました。孤羽くんには、助けてもらってばかりですね。いつか、お返しが出来れば良いんですが……」
飴宮さんに丁重にお礼を言われた。俺は誰も助けてないし、守れてもいない。だから本来、そんな言葉は受け取るべきじゃない。
「俺は何もしてないけど……」
――だが、その相手が、社畜育成系バトルアクションアプリ『スレイブドール』ガチ勢の薄荷様なら話は別だ。
「……よかったら、スレイブドールの攻略手伝ってくれない? 最近追加された協力プレイがくそ難しくてさぁ……ミント様の力を借りたい訳よ」
「ふふ、そんな事で良ければ、いくらでも付き合いますよ」
飴宮さんは笑って、鞄からスマホを取り出した。この店にWi-fiが飛んでいることは確認済みなので、通信量的な意味で負担は掛けさせない。ま、飴宮さん家のパケット事情知らないけど。
「よし、じゃ決まり。スタミナが尽きるまでやりまくるぜ」
「おー」