第14話「前髪」
HR終了後、俺はダルい体に鞭打ってカバンを逸部のところまで届けに行った。……かばんに付けられたキーホルダーから女モノと一目で分かるからか、すれ違った数人の女子から変な目で見られた気がしてならない。自意識過剰なのは分かっているが。朝から泣きそうだ。
「ごっめーん、忘れてたわ。……中身見てないよね?」
バツが悪そうに頭をかいてから一転、逸部はカバンを抱きしめて俺に訝しげな視線を向けた。偏見は良くないぞ偏見は。
「お前は俺を変態かなんかだと思ってんの? 最低限の常識っていうかお前のカバンなんか何の興味も湧かないわ」
「それもそれでなんかうざい! あたしは孤羽のカバンとか超漁っちゃうね!」
「冗談でもやめてくれ。俺のカバンなんて面白くもなんともないから」
「冗談に決まってんでしょ。それよりどう? 飴宮ちゃんイメチェン計画。その、男子目線から見て、どんな感じ?」
逸部は唐突に身を乗り出した。どうやら奴はこの話をしたかったらしい。……そう考えると、逸部がカバンを忘れたことすら俺を呼び出すための計算に思えてくる。まぁ考えすぎだろうけど、コイツ変なところで計算高そうだからな……。
「え……いいんじゃないの。知らんけど」
「ごまかすなし。はっきり答えなさいよ」
俺は逸部から視線を外した。面と向かって人間を褒めるのは慣れていない。
「ま……流石は逸部プロデューサーって感じだな」
そう言い、ちらっと視線を戻すと、逸部は満面の笑みを浮かべていた。
「ふふん。まー、飴宮ちゃんは元の素材が良いからね。前髪切ったらもっと可愛くなるのに、もったいないよねぇ」
逸部は自席で読書している飴宮さんを見て、残念そうにため息をついた。いつも適当な奴だが、流石はクラスで孤立しようともギャルを貫く女と言ったところか。逸部の美的な感覚は中々のものと言っていいだろう。確かに、飴宮さんの容姿には俺も同感だが、逸部は一つ見落としている。
「……飴宮さんは自分を守ってるんだよ、あの前髪で」
俺はそう言い、飴宮さんほどではないが十分鬱陶しい自分の前髪を指で払った。
俺にも心当たりがあるから、飴宮さんの心理は手に取るように分かる。あの長い前髪で、外界に壁を作って刺激から自身を防御しているのだろう。マスクをしていると少し気が大きくなる現象と同じだ。
「ふーん……じゃあ、飴宮ちゃんが、自分を守る必要がなくなった、って思ったら切るのかな?」
「さぁ?」
飴宮さんがそう思えるような優しい世界が訪れるのかなんて俺には分からない。あくまで彼女の問題だ。あと、前髪を切る必要性も分からない。ミステリアスな雰囲気、俺は嫌いじゃないけど……。
「守ってあげなよ、あんたが。飴宮ちゃんに一番近いのは、あたしでも餅月ちゃんでもなくて、あんたなんだから」
不意に、逸部はそんなことを言った。口調こそいつも通りだが、声色は冗談を言うときのそれとは明らかに違った。メイクで縁取られた大きな目から放たれる視線が、真っすぐに俺を射抜く。
俺はその真剣な視線から目を逸らしてしまう。すみませんね、卑屈なダメ男なもんで。
「……こんなぼっちにどうしろと? 俺はそんなに強い人間じゃないよ」
肩をすくめ、自嘲気味に吐き捨てた。自然と声のトーンが落ちてしまう。俺の返答は最悪かもしれないが、少なくとも誠実だろう。口先だけの安請け合いも、その場しのぎの優しい嘘も、俺が吐く毒にしては少しタチが悪い。
「強いよ、孤羽は」
そんな俺を許容するように、逸部は優しく言い放ち、すがるように俺の袖口を掴んだ。だがそれもつかの間で、すぐに手を放してしまう。
「……」
こんなことなら、いつものように罵倒してほしかった。不甲斐ない俺を斬り捨てて欲しかった。
そんな泣きそうな微笑みは、卑怯だ。
「変に期待するのはやめろよ……」
どうすれば良いか分からず、逃げるように場を後にした。今の俺にはそれしかできなかった。