第11話「誤解」
「……ご、ごめん。なれなれしかった、よね」
逸部は慌てて手を引っ込め、おずおずと一歩退がった。確かに、必ずしも彼女の友好的な態度が歓迎されるとは限らないし、飴宮さんに受け入れられなくてもそれは当然の報いだ。そう理解してはいるものの、素で傷ついている逸部の表情はちょっと可哀想だった。
「……あっ、いえ、あの、ごめんなさい、こ、これは違うんです……」
飴宮さんは、挙動不審になりながらも必死で弁解した。どうやら、逸部に触れられて肩が震えたのは何かの誤解らしい。
「何が違うんですかね……」
「それは、あの……ご、ごめんなさいっ」
短く言い捨て、飴宮さんは脱兎の如く走り去っていってしまった。みるみる遠ざかり、廊下の人の波に紛れて見えなくなる。
「……ドンマイ」
振られた男のように呆然としている逸部に同情の声をかけた。
「うぅ……孤羽ー……」
涙目の逸部が力なく俺の名を呼んだ。そんな縋るように言われても、俺に慰めとかそういうの求められても困る。どうしたものか。
首の裏をかき、とりあえず逸部に微笑みかけた。
「ま……飴宮さんも誤解って言ってたし、最悪、時間が経ってこの記憶が風化するのを待てばなんとかなるだろ」
「いや、投げやりかよ」
「俺の座右の銘は『明日は明日の風が吹く』だ」
「アンタが言うと後ろ向きに聞こえるんだけど……」
逸部は肩をすくめて呆れたように笑った。せっかく励ましてやったのに失礼な奴。
「まぁその誤解とやらは後で訊いとくよ……だからアレ、いらん心配するなよ」
投げやりな俺が適当に呟くと、逸部はポカンとした顔を向けてきた。なんだよ、と視線で訴えると、逸部はハッとした様子で視線を外す。なんだその無防備な仕草。言動はあんななのに顔だけは可愛いことに改めて気づかされる。
「いや……なに、頼もしいじゃんアンタ。見直したよ」
「やめとけって。過大評価もいいとこだ」
「まー確かにそんなこともないか。なんかヘタレ臭いし……いや、今気づいたけどヘタレ臭いってめっちゃ字ヅラ汚くね?」
「……お前、喋らなきゃいいのにな」
「は? アンタにげ……げ……ナントカの人権を侵害されたくないんだけど?」
「言論の自由な。中学校で習わなかった?」
「なにそのドヤ顔うっざ。殴ってもいい? 答えは聞いてないけど!」
「わ、ばっかやめろ」
逸部にカバンで殴られつつ、俺たちは教室に向かうのだった。
* * *
「と、トイレ我慢してただけ……?」
HRが終わり、1時間目までの休み時間。飴宮さんは意外にもあっさり喋ってくれた。拍子抜けして椅子からずり落ちそうになってしまった。
「は、はい……乗っていた電車が、遅延していたので……」
まぎらわしくて、本当にごめんなさい、と飴宮さんは申し訳なさそうに深々と頭を下げた。なんだ、そんな理由だったのか……肩透かしを食らった気分だ。
言われてみれば、いつも早く来る飴宮さんが遅刻ギリギリの時間に来たことも、遅刻しないことを俺が言っても歩調が緩まらなかったことも、俺や逸部に驚かされて過剰に震えたことも、飴宮さんの不自然な行動の全てに説明がつく。
一気に肩の力が抜けて、フッと微笑がもれる。
「なんだよ、そんなことなら言ってくれれば――」
「い、言えませんよ! 私だって、恥ずかしい、です……」
飴宮さんは白い頰を赤らめて、恥じらうようにうつむた。そういえば、飴宮さんはお年頃の女の子だった。
「……悪い」
「あっ、そ、そんな、孤羽くんが、謝ることないです……逸部さんにも、悪いこと、しちゃいました……。せっかく仲良くしてくれたのに、今頃、呆れてますよね……」
飴宮さんは乾いた声で小さく笑った。底なしの自己嫌悪を具現化したような、自虐的な笑み。
「それはどうかな」
俺は顎をしゃくって飴宮さんの背後を指した。
「――!」
振り向いた飴宮さんの視線の先には、逸部が立っていた。こちらに背を向けているから分からないが、大方、驚きに眼を見張っていることだろう。
「飴宮さん……」
「逸部、さん……あ、あの、私」
「今日の昼空いてる? 一緒にご飯食べようよ!」
飴宮さんの弁解を遮り、逸部は彼女に満面の笑みを向けた。
「え、そ、そんな……」
こんな自分を受け入れてくれた逸部の思いがけない優しさに、飴宮さんは言葉を詰まらせていた。
「それとも……や、やっぱ、ダメかな?」
混乱して言葉を発していない飴宮さんに、逸部は自信なさそうに指を組む。飴宮さんは、あわわと手を振ってとりあえず意志表示した。二度と、誤解させまいと。
「いえ、喜んで!」
「よし、それじゃ決まり! あ、孤羽は誘ってないから来ないでねっ♡」
「誘われても行かねぇよ……」
営業スマイルで拒絶する逸部。相変わらずだなコイツは。いや、俺結構貢献したよね? 何この扱い……二度とてめえは助けねえ。