第113話「夢」
道の途中に、バスの停留所みたいな感じで足湯があった。街ブラで怠惰に時間を潰していた班員たちのもとに出現したオアシス。入らない理由など、どこにもなかった。
靴下を脱ぎ捨てて、白い湯気が立つ湯に足を踏み入れる。1日歩き続けた足の疲れがお湯に溶けて消えていくようで、思わずジジくさいため息なんかが出てしまう。
「混浴なんだな」
疲れているのか、狼月が変なことをほざいた。
「なに当たり前のこと言ってんだよ」
すると今度は、木藻尾が小さな声で「混浴……?」と呟いた。
「混浴……足湯……されど足湯……ファッ!? せ、拙者が餅月氏とこ、ここここんよ――」
木藻尾は鼻血を出して後ろにぶっ倒れた。
「き、木藻尾くん!? 大変! 木藻尾くんがのぼせちゃった!」
気絶した木藻尾を餅月さんが介抱しているさまを冷ややかに見守る。ここまでくると逆にすごい。百瀬に翻弄されてた昨日のお前はなんだったんだ。
「ったく……あいつ、どうかしてるよ。な、飴宮さん?」
隣の飴宮さんに同意を求めるも、返事がなかった。
「飴宮さん……?」
聞き返すと、返事の代わりに、こてん、と飴宮さんの頭が俺の肩にぶつかってきた。突然の衝撃に思わず隣を見ると、飴宮さんは目を閉じて静かに寝息を立てていた。
「すぅ……すぅ……」
さらさらの髪の感触や、呼吸に合わせて上下する、熱を持った頭の感触。微動だにできない分、余計彼女の感触に意識を向けざるを得なくなる。
狼月に視線で助けを求めるが、奴は
「爆発しろ……!」
とだけ吐き捨て、ぷいっとそっぽを向いてしまった。なに急にキレてんだ。使えねーな。
微動だにできぬまま今度は餅月さんに視線で助けを訴るが、餅月さんは飴宮さんの寝顔を愛おしげに見つめているだけで、俺のことなんか気にしちゃいなかった。
「疲れちゃったのかなー、ハッちゃん」
「言ってる場合か!」
「しっ……静かに。ハッちゃん起きちゃうでしょ」
「……」
* * *
「んっ……」
肩に乗った頭がぴくりと動いたと思うと、飴宮さんはうめき声を上げた。
「ふわぁ……ん? ――ひゃあ! ご、ごめんなさい! 完全に寝てました!」
俺の肩に頭を預けていることに気づいた飴宮さんは、悲鳴を上げながら慌てて跳ね起きた。長時間の足湯ですっかりのぼせたのか、顔中汗だくで耳まで真っ赤になっている。
「……あ、あれ、他のみんなは」
「先にどっか行っちゃったよ。飴宮さん全然起きないから」
「はわわ……私のせいで孤羽くんを待たせてしまいました……叩き起こしてもらってよかったのに……」
「いいよいいよ。今から探し行こう。どうせまだ街ぶらぶらしてるでしょ」
「なんかすみません、余計な手間を……」
俺たちは足湯を出て再び街に繰り出す。
「寝ている間、夢を見ちゃいました……教室で、孤羽くんと話している夢……」
「地味すぎてリアクションに困るな」
「とてもいい気持ちで、安らかに眠れました……」
どうでもいい話をしながら街を歩く。変わらぬ街並みはずっと続いていく。
「静かで、落ち着いてて、なんもないな」
「でも、それが心地よいというか」
ずっと歩いていると、年季の入った、ボロボロの駄菓子屋が見えた。ヨレヨレで薄汚れたのぼりには、アイスキャンディの文字が。
「アイス売ってるって。食べるしかないな」
「え、えぇ……仮にも自主研修中ですよ」
「さっきまで寝てた人がカタいこと言わない」
飴宮さんを強引に押し切り、アイスキャンディぶどう味を購入。ガラクタ同然のベンチに腰かけ、人工着色料をそのまま固めたような、ビビッドな固形物に齧りつく。
「やれやれ……」
飴宮さんも後ろめたげではあるが、緑色のアイスを手に俺の隣に座る。
「なに、その緑のアイス、ミント味? なに、共食い?」
「メロンです! メロン! ミント味のアイスキャンディなんて、見たこともないですよ」
「言われてみればないな。あったら買うのに」
「……も、もの好きですね」
「……」
「……」
「そういえばさっきの会話、前にもどっかでしたような」
「そうだったっけ」
「たしか……」
「……」
会話が途切れる。お互い黙っていると、余計なことを考えてしまいそうになる。
誰もいない、ふたりだけの街。
「……」
餅月さんあたりが変な気を使ってお膳立てしてくれたんだろう。俺にだってそれくらいわかる。
――俺たち別にそういうんじゃないから。
友情とは別の感覚が芽生えそうになるたびに、自分に言い聞かせてきた。そうやってこの関係を続けてきた。
アイス食べてて間が持ってるからこのまま黙っていてもいいんだけど、何か適当に喋っていないと余計なことばかり考えてしまう。適当な話題、何がいいかな。
「孤羽くんって、夢とかありますか?」
飴宮さんはぽつりと呟いた。秋風が俺たちの間を通り抜けて、空っぽの街に飛んでいく。
それはノーガードのボディを貫くように、不意をついたカウンターは一瞬俺の思考を停止させた。
夢……?
「健全な高校生にそんなもんあるかよ。ずっとこのままがいい。あーもう、大人になんてなりたくないなー、働きたくねえなー」
「将来の夢に限らず、たとえば、友達100人作る……みたいな」
「いらん。てか俺もともとぼっちだし」
「あとは、その、こ……恋人、とか」
「……」
「私に気を使っている……とかなら、そんなのはやめてください」
「そんなんじゃないって。ただ、俺の嫁はシャイだから、画面から出てきてくれないんだよ」
「あはは。そういうことなら、しょうがないですね」
「今のこの日常はさ……夢とか変化とか新たな一歩とか、わけわかんねーギャンブルのチップとして差し出すには、あまりに惜しいんだ。変化も刺激もいらない。いつまでもこのままでいたい……いや、ダメだよなこんなの。結局、変わることが怖いだけなんだ」
「変わっていくものを、変わらず守り続けてきたことで、それを拠り所にして救われた人も、この世界のどこかにはいるんじゃないですか」
「――それって」
飴宮さんの言葉に深い意味を感じずにはいられなくなっていると、制服姿の男女二人組が道を歩いてくるのが視界に入った。それを見てふっと我に帰る。俺、なんか色々変なこと言ってたな……。
あの男女二人組も、俺たちと同じような修学旅行生だろうか……なんてことを頭の片隅で考えていると、男の方が俺たちのことを指差して隣の女子に何やら話しかけた。
「げ……あれって昨日の」
風に乗ってかろうじて声が聞こえた。知ってる人だっけ、とその男女をよく見てみると、見覚えのある顔だったことに気づく。何の因果か、昨日、木藻尾電車男騒動を引き起こした、灰島と百瀬だった。
「よかった、木藻尾クンはいないんだ」
俺たちに気づいた百瀬は辺りを一瞥して安堵する。さっきからやたら見てくる灰島が声をひそめて百瀬に何やらささやく。
「それより、ほら……あのふたりって、昨日もずっと一緒にいたし……付き合ってんのかな」
「ははっ、ないない。あんなのと友達のやつが、女の子と付き合えるわけないじゃん」
百瀬が失礼な発言をして通り過ぎていく。聞こえてる聞こえてる。噂に違わず腹黒い奴だな。てか、木藻尾のせいで俺に飛び火してんだけど。マジで許さねえ木藻尾。
「よかった、木藻尾と別行動で」
「……」
面倒くさいので気づかないふりをしてやり過ごそうと思ったら、急に飴宮さんに腕を掴まれた。驚いて声を上げるより先に、そのまま俺を引っ張り上げるようにして立ち上がった。
「つ、つつ……つ、付き合って……ますけど?」
は!?
「ななななななななにやってんだよ」
「えーと、その、えへへ……孤羽くんのこと悪く言われたので、つい……」
飴宮さんは済まなそうに目を伏したが、急にぐいっと俺を見上げる。
「でも、このままでいいんですか。木藻尾くんを侮辱されて、悔しくないんですか」
「いや別に……」
「とにかく! あのいけすかない女狐にナメられたままじゃ嫌なんです」
「えぇー……」
まぁ立ち上がってしまった以上は覆水盆に返らずってことで、不本意ながら飴宮さんに合わせて一芝居打つことにした。
「まぁ、そういうことだ。残念だったな」
「ふーん……ふふ、そうかそうかー」
何か含みのある視線で蛇のように睨めあげてくる。もういいだろ。ボロが出る前に早く帰ってくれ。
「そうだ、せっかくだしちょっと一緒に歩いてかない?」
百瀬は人差し指をあざとくピンと立て、悪魔みたいな提案をしてきた。
「はぁ? どんな神経してんだよ。俺たちはまだお前らのこと――」
「あれー? てゆーか、ふたりともホントに付き合ってる? なーんか怪しいなぁー。もしかして、私にナメられたくないからって嘘ついてるんじゃないー?」
ギクッ! という擬音が飴宮さんから発せられたのがはっきりとわかった。自分から張り合いに行った以上、ここで嘘だとバレるのはカッコ悪すぎる。飴宮さん大ピンチ!
「そ……そんなわけがないでしょうが。そこまで言われたら仕方ありませんね。ほら、行きましょ、孤羽くん♡」
飴宮さんが芝居がかった明るい口調でそう言い、俺の手を取り、その……端的に言うと、恋人繋ぎとかいうやつをしてきやがった。
飴宮さんの手は小さくて、柔らかくて、温かくて、そして引くほどぬめっていた。
「大丈夫? ……手汗すっごいけど」
「それはこっちの台詞です。ちょっとだけ我慢してください。これは、木藻尾くんの名誉を取り戻すための、仕方のないことなんです」
「あんなクズに名誉などあるものか……」
何の間違いか分からないが、俺は灰島たちとダブルデートすることになった。