第106話「偽札」
「おう、孤羽……ちょっとツラ貸せや」
部屋の入り口から狼月が顔を出した。照れ隠しのつもりなんだろうけど、言い方が完全にいじめっ子。もうちょっと自分を客観視したほうがいいと思う。
「……」
ほら見ろ、部屋にいる俺以外の全員が息もせずに固まっているじゃないか。せっかくまったりしてたのに。
木藻尾たちが目だけをちらちら動かして動向を見守る中、俺は狼月に連れられて部屋を出ていった。なんとなくずっと持っていたスマホをポケットにしまう。先生に見つかったら没収されるのか分からないけど、警戒して損なことはない。
ホテルの匂いがする階段をぐるぐる降りて、1階のフロントロビーに連れて行かれる。ひとりがけソファがいくつも置いてあり、一般の客に紛れてうちの生徒がたむろしていた。陽キャどもが他クラスの友達と昼休みみたいにはしゃいでいたり、部屋に居場所がないやつらがつるんでいたり、愛に飢えた不純な男女グループが合コンみてえなノリでUNOで遊んだりしている。いや、合コン行ったことないから知らないけど。
「……」
ふたつ続きで空いている端の方のソファに狼月は腰かけ、俺に隣を勧める。ふかふかのソファに身を沈めると、狼月はポケットから1組のトランプを取り出した。
「ポーカーでもやらね?」
トランプを無造作にシャッフルしながら狼月は俺をちらりと見た。なんだこいつ。俺とトランプで遊びたかっただけか。誘い方不器用すぎるだろ。
「いいけど、どうやって勝敗決めるんだよ」
互いの役の強さを競うことはできても、トータルでの勝負はどう決めるのか。そんな疑問をぶつけると、狼月はニヤリと笑ってポケットに手を突っ込んだ。ポケットから手を抜くと、人生ゲームで使う1000ドル札が大量に顔を出した。
「ごっこ遊びなんかするために俺がお前を呼んだと思うか?」
そしてこのキメ顔である。
「……偽札な時点でごっこ遊びだろ」
「ちっ、野暮だな。浪漫だよ浪漫」
悪態をつかれ、二等分された1000ドル札の束を渡される。狼月と賭けポーカーをすることになった。……てかこいつ、さらっとポケットから札出したけど、俺とポーカーするためだけに持ってきたのかよ。どういう心情で人生ゲームから1000ドル札抜き取ってきたんだろう。
「参加料は1000ドルでいいか?」
狼月は洋画のワンシーンみたいにカッコつけた動作で、裏返しの5枚のトランプを俺に配る。俺はたまにネトゲでCPU相手にやる程度のにわかポーカリストなので、アンティとか言われてもカバディの守備すればいいんですねとしか答えられない。詳しいルールや進行は狼月に任せることにする。問題ない。役の強さ関係は理解できているし、ブラフだって、少しは。
「あぁ、カバ……アンティ」
とりあえず1000ドルをそばにあったテーブルに出す。この小さなテーブルが、今だけはラスベガスだ。
初期配布の5枚で3のワンペアができていた。1000ドルコールしてカード交換。3とAのツーペアに成長する。Aは最強の数字。役が被っても判定勝ちできる。2度目のベットは強めに賭けて、ポーカーフェイスを崩さない狼月といざ勝負。
「喰らえAのツーペア!」
「悪いな、開幕スリーカード」
「は? も、もう一回!」
賭けの要素が加わるとゲームの刺激が一気に増す。俺たちは時間を忘れてポーカーに熱中した。全盛期の感覚を取り戻すのに少し手こずったせいで、夕食の時間になる頃には、狼月にごっそりふんだくられていた。
* * *
夕食が終わっても俺たちの戦いが終わることはなかった。風呂上がりの俺と狼月は、さっきと同じソファで再びポーカー対決に身を投じていた。ちなみに、トランプと偽札が映った手元写真に、『違法賭博なう』と双葉にLINEしたら、『はやくつかまれ』と返ってきた。
「……」
なんて言っている場合ではない。これは本気の勝負。10ゲーム終わって所持ドル札が少ない方がジュースを奢ることになっている。現在ラウンド9、均衡は保たれたまま。
配られた手札に手を付ける前に、気まぐれに狼月の顔をちらっと見る。
「――!」
ともすれば見逃してしまいそうなほんの一瞬。
手札を見た狼月は目を見張った。
「……」
どうする。ブラフの可能性もなくはないが、俺がたまたま奴の顔を見ていなければ気づかなかったほどの、ほんの小さな仕草だった。そんな不確実な演技、やる意味あるか?
狼月のベットに応じて場にドル札を出す。手札はKのワンペア。交換カードによっては大きく化ける。それこそ、あれがブラフではなかったとしても――
「俺は、このままでいい」
「!」
テーブルの上の手札にはもはや目もくれず、狼月は手札の交換を拒否した。交換が不要なほど強い役……スリーカード、いや、ストレートやフルハウスが初期配布で出来上がっていたということだろうか。いや、そんなのは確率的にありえない。
カードを交換して、Kと6のツーペア。これは流石に勝った――
「ベット」
狼月は、自信に溢れた顔で賭け金を上乗せしてきやがった。いやいや、カードの交換してないんだぞ? ふざけちゃいけないよ、空条承太郎じゃあるまいし。その非現実さは今までの戦いで経験的に理解できる。
どうせブラフだ。
「……」
頭ではそう思っているが、震える右手はどうしてもドル札を場に上乗せすることができずにいた。ほら、どうしたよ。Kのツーペアだ。現実的な役では最強格だぞ。
「どうするんだ? 賭ける? 賭けない?」
狼月が俺を煽る。どこまでも落ちていってしまいそうな、底が見えない瞳にずっと見つめられ、追い詰められるように逃げ場を奪われる。だが、何をされようと答えは決まっている。コールだ。
「コー……」
コールと言いかけても、表情どころか顔の筋肉ひとつ動かさない狼月。いや、だから、ブラフなんだって。ネトゲや漫画の世界じゃあるまいし、Kのツーペアが負けるわけが――
――喰らえAのツーペア!
――悪いな、開幕スリーカード
「……ドロップ」
初戦の敗北が頭をよぎる。負けた。長く息をついて手札をテーブルに投げ出す。狼月は俺の賭け金をふんだくり、ご満悦。
「手札、見せろ」
札を数えてニヤニヤしている狼月に言うと、奴は手元のカードをくるりと裏返す。ハートの3、クラブの8、ダイヤのA……ストレートやフルハウスはおろか、ひとつも組ができていない。いわゆる――
「ブタじゃねーか!」
「まさに賭けポーカーの醍醐味だよなー。騙せたとき脳汁やばかったわ。ありがとな。俺今めちゃくちゃ気分良いわ」
ものすごい爽やかな顔で感謝された。クソ、まだ勝負はついてないのに完全に勝った気でいやがる。
軽く深呼吸して精神集中のために遠くを眺めていたら、きょろきょろと何かを探しているような様子の餅月さんが目についた。なにしてるんだろう、と遠巻きに様子を伺っていると、彼女は唐突にこちらを向き、ばっちりと目が合う。
「あぁー、孤羽くんと狼月くんじゃん! ちょうどいいところに!」
餅月さんがこちらに歩いてきた。遠くからなのと餅月さんに隠れて見えなかったが、飴宮さんも一緒だった。部屋着で、良い匂いして、なんかつやつやしている。風呂上がりっぽい。
「なになに、なにしてんの?」
「真剣勝負。用があるならこの戦いが終わってから聞くよ」
餅月さんに距離を詰められ、良い匂いがふわっと鼻腔をくすぐる。ラフな部屋着姿のギャップも相まって平常心ではいられないが、あくまでポーカーフェイス。
「ふたりトランプ、真剣勝負、人生ゲームの1000ドル札……?」
「もしかして、賭けポーカー……ですか?」
微妙に韻を踏んだ餅月さんの呟きから、飴宮さんは推理を披露する。
「……」
飴宮さん、なんか雰囲気違うな……『風呂上がりに鏡で見る自分、3割増しでイケメン現象』とも違う。……そうだ、髪おろしてるからだ。後ろでまとめている姿を見慣れたせいで、初めて見るストレートヘアのギャップがすごい。いつもに増してお上品というかいやはや……なんか、ずっと見ていると後戻りできなくなりそうだ。
「そ……そうそう。あと、これ狼月のアイデアなんだ。ドル札もこいつが用意してきて」
「へぇー、そうなんだ! 狼月くんって、意外と面白い人なんだね!」
餅月さんがにこにことした目で狼月を見やる。
「許さねぇ……」
さっきは表情ひとつ変えずに俺を騙した狼月が、顔を羞恥に染めて思いっきり睨みつけてきた。さっきの仕返しだ。
「……」
だがまぁ流石は狼月といったところか、カードを配る頃にはいつものポーカーフェイスに切り替えていた。そりゃそうだよな。これが最終ラウンド。僅かな緩みが命取りだ。
カード交換を経て、できた役は6のスリーカード。並べると666、悪魔の数字。最後の最後にギャンブルの悪魔が俺に微笑んだということだろう。
狼月にはおよそ1勝ぶん負けているから、この回で狼月に賭け金を上乗せさせた上で勝つのが、長きに渡ったこの戦いの勝利条件。
「ベット」
俺が仕掛けると、狼月は不敵に笑ってそれを受けた。
悪いな狼月、悪魔の札で地獄に墜ちろ。
満を持してカードオープン。俺の美しいスリーカードがテーブルの上で輝くようだ。どれどれ、狼月くんの役は……9、10、J、Q、K……なんだ、ひとつも揃ってないじゃな――
「――は⁉︎」
揃っていないどころか、絵柄統一の連番、スペードのストレートフラッシュだった。
「うわぁー、なんかすごいやつ!」
餅月さんが素人なりの無邪気な感想を口にするが、この俺を2度も誤魔化せると思うなよ。
「こんなのイカサマだ! ストレートフラッシュなんて実際にできるわけないだろ!」
「はぁーあ、孤羽くんは情けないなぁ……いくら負けた方がジュースおごることになってるからって」
イカサマを指摘されても全く動揺しない狼月は、肩をすくめてため息をついた。飴宮さんたちに聞かせているかのような説明口調やめろ。俺がダサい奴みたいになってるだろ。
「認めない……なんか、やっただろ?」
「証拠はあるのか? バレなきゃイカサマじゃないんだよ」
「その台詞が何よりの証拠だよ……ちっ、このクソ外道め」
とはいえ不正を暴く方法も見つからず、飴宮さんたちが見ている手前、いつまでもゴネるのもダサい。
まぁいい。そこそこ楽しかったからそれでチャラだ。財布を持って席を立つと、狼月が「ドクターペッパー」と注文をつけた。偉そうに。
「おふたりは?」
飴宮さんと餅月さんに視線を向けると、ふたりともふるふると首を横に振った。
「い、いいよぉ私たちは」
「別に、ついでだよ。なんか話あるんだろ?」
「えぇー……」
結局、餅月さんはお茶、飴宮さんは「一番安いやつでいいです……」とのことなのでなっちゃんオレンジ。自販機に金を入れて冷えた缶と交換する。
俺は、売店に売っていたご当地瓶サイダーをヤケ買い。
戻ってそれぞれに渡す。飴宮さんと餅月さんはちゃんとお礼を言ってくれたが、狼月はドクターペッパーとサイダーを見比べてこう言った。
「売店行ったのに柿ピー買ってきてないのか?」
俺は拳を固めて、明日までにポーカーのあらゆるイカサマを極める決意をした。




