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私の自己本位

作者: ゆいなぴー

なぜなりたい職業を聞くんですか

 小学校時代の将来の夢がイコールで職業を指していたことがずっと疑問でした。中学のときには職業調べのような授業はありましたが、実感などありません。それこそ夢です。思えば親が働く姿さえ知りません。身近で働いている姿を見るのは学校の先生か近所のコンビニ・アルバイターくらいです。学校生活でお利口に勉強していて、世の中については全く知らない。それは自然な流れであって、私は誰にも責めらせたくありません。たとえどんなに筋道だった説教でも、ひどく悲しい気持ちになるだけで、建設的ではありません。

 確かに中学生になればある程度の興味、趣向、適性などが自ずとわかってくるので、大まかな進路の分野は決められます。私は公民の授業に興味を持ち、また自分の意見を発言することが好きだったので将来の夢を問われたら検察官だと答えていました。それは全くの便宜的回答であると自認していたのですが、周りの大人はそれを聞いて納得し大いに喜びましたし、夢を問われ答えられない友人には羨まれました。だから便宜的だったはずの検察官という職業は、いつの間にか本当の自分の夢であると盲信するに至りました。

 そして高校の現代社会の授業を受け、司法制度のつまらなさに愕然としました。私は本当に無知であって、自分自身を欺いて視野狭窄に陥っていました。自分が就きたい職業など、そう簡単に決められるはずがなかったのです。しかしその時に私が感じたのは、将来の夢を問われた際のフリーパスをなくしちゃったなあ、くらいでした。周りの大人、特に教師はことごとくなりたい職業を聞いてきます。それを上手くかわし、自分でも納得できる職業名さえ見繕えられれば、それでよかったのです。

 学生、学問に生きる人たちは実際的な社会を理解することなどありません。それなのになりたい職業を聞くというのは、一体私たちに何を求めているのでしょうか。確かに本当の将来の夢を持っている人もいますが、多くの人が持っているのはフリーパスです。それが自分の本当の夢だと固く盲信し続けられれば、きっと幸福なのかもしれませんが。


自分の華麗なるタテマエに、戦慄します

 大学の推薦入試で面接を受けるので、志望動機を頑張ってきれいな言葉で書きました。それと同時に問われるのが、将来の理想像、なりたい職業です。商学部という選択はベストなものだと確信していますが、正直あいまいな部分もあり、深い部分を突っ込まれると意外に弱いのです。何せ今まで培った学校教育内、狭い生活範囲内でのひ弱な経験則が通用しないわけですから、足りない分は他から補うしかありません。ですが所詮はその程度の気持ちだったのだと、なじられたくはないです。それが私のそれまでの人生の精一杯で、安易に否定される筋合いはありません。とにかく、大幅な嘘はつかず必要に応じて加筆修正をして出来上がった建前を、私は大学の面接官に一生懸命語りました。

 面接官の質問は本当に深く鋭く、事前に練った建前よりもアドリブを多用しなければならず、私は彼らを納得させるためにとにかく必死に話しました。その時に出た言葉は自分でも驚くほど筋が通っており、熱意あふれる力強いものでした。私はそれが完全なる本心であったならばどんなに良いだろうかと思いますが、そこには確かに少しずつ違和感が存在しました。しかし話していると、あたかもそれが本心であると思い込みそうになるのです。

 将来の夢を話す機会はもちろん面接に限ったことではなく、それなりに聞かれ、それなりに答えます。そしてそれは言葉にすればするほど自分の本心と少しずつずれていくような気がして、それでも全くの嘘ではないわけですから、次第に自分の本心がどれなのかわからなくなってしまいます。この混乱は、恐怖です。また、後ろめたさのような気持ちもあります。私の本心は混沌としていてもっと不確定なものなのに、あたかも自信ありげな言葉で飾るという、自分のずるさ、虚栄心への嫌悪感です。本当にそれが恥ずかしくて、いたたまれない気持ちになります。今の私には、この恐怖と自己嫌悪がいちばん堪えます。


それでも語らなくてはいけません

 私は自分の将来を考えるととてもわくわくして楽しい気持ちになります。しかしその中から自分の道を絞り他の選択肢を捨てていくというのが、怖いのです。きっと私はとても臆病で優柔不断な人間なのだと思います。自分の進むべき道など誰もわからない、なるようになる、と心地の良い文句を謳われても、薬になりません。

 ですがこのような甘えたことばかりを言っていても仕方がなく、大学で主体的に勉強をするならば自分の将来の展望は自分の言葉で語らなければなりません。たとえ本心が混沌としていても、道を絞ることが怖くても、自分の意志は言葉として求められ、その言葉がどんなに拙くて本心とずれていたとしても、それが私の意志であると周囲に理解されるのです。だから、建前によって本心がわからなくなるならその都度考え直して、不安だからといって立ち止まらずに積極的に発信していかなくてはいけません。自分の言葉に納得できず周囲に誤解されて傷ついても、涙を呑んで語らなくてはいけません。それが、私の将来の夢を叶える唯一の方法だからです。

 私の本当の将来の夢は今も昔も変わりません。それは、幸せになることです。

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