星読師ハシリウス[王都編]13『冥界の使者』を打ち払え(終)
『上の谷』の領主・アレスを『冥界の使者』から救い出したハシリウスたち。
しかし、ナディアの魔の手はヘルヴェティア王国首都シュヴィーツに伸びる。
不死身で剛力の『泥人形』の群れに、ハシリウスたちが立ち向かう!
七の章 『繋ぐ者』の秘密
「では、ハシリウスはナディアの空間に一人で入って行ったというのですね?」
ヘルヴェティカ城の執務室で、星将ベテルギウスの報告を受けたソフィアは、銀色の眼に不安と心配の色を湛えながら訊く。
「はい、敵の空間は我ら星将でも突入不可能な空間です。同様に『日月の乙女たち』でも、魔力を発動したままでは入った途端にトゥバンのようになりかねません。そこで大君主様は単身で突入すると決定されました」
星将ベテルギウスも不本意そうだ。本来、自分たちが守護すべき『大君主』を、敵の罠だと分かっている空間にみすみす一人で突入させねばならなかったことが悔しくてたまらないらしい。
「そこで、星将アークトゥルスが、このことを王女様にお伝えし、『繋ぐ者』の力で大君主様のお守りしていただきたいとのことでした」
星将ベテルギウスが言う。ソフィアはうなずいた。
「分かりました。私の方でもできるだけのことは致します」
ソフィアの応諾を受けて、星将ベテルギウスは喜んでその場から離れた。
けれど、ソフィアは不安だった。それは、
――『繋ぐ者』と言っても、私は具体的に何をしたらいいのだろう?
と言うことだった。
『月の乙女』としてならば、ルナとシンクロし、装備を整えて、ハシリウスの側でその戦闘を補佐すればいい。あるいは様々な状況を判断して、ハシリウスの行動について助言を与えればいい。
しかし、今はハシリウスの側にはいない。ハシリウスがそんな危ない状況に陥っていることすら、星将ベテルギウスから聞くまでは想像すらしていなかった。ハシリウスと直接コンタクトが取れる場所にいないのに、何を、どうやって彼を助けたらいいのだろう。
「ああ、女神アンナ・プルナ様、私は、何をどうすればいいのでしょう? 教えてください、ハシリウスが危ないのです」
ソフィアは、女神に祈ることしか思いつかなかった。
★ ★ ★ ★ ★
ハシリウスは、油断なく目を配りながら洞窟の中を進んだ。今のところ『ミューズ』たちの攻撃はない。もっとも、七人の『ミューズ』は前回ハシリウスたちを襲ったときに全滅していたが、そんなことはハシリウスは知らない。
やがて、前方に大きく広がる空間が見えた。その中央には直立したまま宙に浮かされているアレス・ドーリアクスその人も見える。しかし、ナディアの姿が見えない。
「ナディア、ハシリウスが来たぞ。姿を現したらどうだ」
ハシリウスは広間への入口まで差し掛かると足を止め、そう言った。すると、
「さすがは大君主ハシリウス、人質を見ても騒がず、油断しないところは気に入りましたよ?」
そう笑いながらナディアが姿を現す。やはり、身を隠していたようだ。
けれどハシリウスは笑いながら神剣『ガイアス』の鞘を左手で握り、
「そなたはナディアではない。おおかたオフェリアとか名乗った騎士であろう? 本物のナディアはどこにいる?」
そう詰問した。
「……なるほど、ソフィアが好きになるだけありますね? また、女神アンナ・プルナの召命を受けるほどの戦士ですね?」
ナディアの姿がゆっくりと消え、代わりにアレスの前方に本物のナディアが姿を現す。その時、ハシリウスは目にも止まらぬ速さで神剣『ガイアス』を抜き、自分の肩越しに後ろの空間にピタリと切っ先を向けて言った。
「剣を降ろせ。『ガイアス』に刺されて消滅したいか?」
★ ★ ★ ★ ★
――女神アンナ・プルナ様、どうか私に、『繋ぐ者』としてハシリウスを助ける方法を教えてください。どうしたらいいのか、分からないのです。
ソフィアはひたすら女神に祈った。すると、心の中に、女神アンナ・プルナの優しい声が聞こえて来た。
『ソフィア=オクタヴィア・ヘルヴェティカ、私は最初に言ったはずです。翼を広げれば、あなたはいつでもハシリウスのもとにあると』
『翼、ですか?』
ソフィアが訊くと、女神が優しい顔でうなずいたような気がした。
『そうです。そのために、あなたに翼を与えたのですよ? ただ、大君主ハシリウスのことを念じ、翼を広げなさい』
『分かりました』
ソフィアは、すぐに気持ちを切り替えた。そう言えば、私の背中には神々しいまでの翼が生えていた。その翼を広げることに思い至らなかったとは、私はなんてうっかりしていたの……。
ソフィアは
『ハシリウス、私はあなたの力になりたい。翼よ、神の翼よ、私の心をハシリウスのもとに運び、彼を助けて!』
ソフィアが一心に祈っていた時、急に身体が軽くなり、すとんと何かが落っこちたような気がして、
「ああっ!」
ソフィアは思わず叫んでしまった。しかし、目を開けると、自分が目を閉じ、手を組んで座っているのが見えた。
――あれ、私?
ソフィアがそう思った時、急に身体が何かに引っ張られるように、凄いスピードでアールベルク山へと飛び始めた。ソフィアは、今ハシリウスがどこにいるのか、詳しいことは何も知らない。けれど、ソフィアは
「きっと、翼が私をハシリウスのもとへと連れて行ってくれるのだわ」
と信じていた。
★ ★ ★ ★ ★
「剣を降ろせ。『ガイアス』に刺されて消滅したいか?」
ハシリウスは、後ろを振り向きもせずに静かに言う。
『ガイアス』の先には、剣を振り上げたオフェリアが、喉元に切っ先を突き付けられて固まっていた。それを見て、ナディアが笑って言う。
「オフェリア、こちらにおいでなさい。私が言ったとおりだったでしょう?」
それを聞いてオフェリアは、ナディアの後ろに戻る。剣は鞘に戻していた。
ハシリウスは、『ガイアス』を右手に持ったまま、ゆっくりと広場に入って立ち止まり、ナディアに言う。
「そちらは二人だ。しかもどちらも腕が立つ。用心のために『ガイアス』は鞘に戻さぬぞ? それでもいいなら話をしよう」
ナディアはうなずいて言う。
「構いませんよ? むしろ戦士たる者、そのくらいの用心はあってしかるべきです」
そして、ナディアはハシリウスを真っ向から見て言う。
「大君主ハシリウス、私はもう一度だけあなたにお願いしたい。私と共に冥界にきて、女神デーメーテール様にお仕えいただけませんか?」
「ちなみに訊こう。私が女神デーメーテール様にお仕えして、そなたは何をするつもりなのだ?」
ハシリウスが訊くと、ナディアは少し頬を染めて言う。
「私は、あなたを婿に迎え、永遠の園で二人で暮らしたいのです」
ハシリウスは、ナディアに畳みかける。
「そなたの気持ちの中に、ソフィアへの復讐がないと言えるのか? 前回会った時は、そなたはソフィアへの憎しみをむき出しにしていたではないか。私を得るのは、ソフィアに不幸と絶望を味わわせるため……そうではないのか?」
「それは副次的なものです。私の本心は、ソフィアと同じ。そしてソフィア以上に、あなたが好きです」
ハシリウスは目を閉じた。けれど、決して周囲への警戒をおろそかにしているのではないことは、ナディアにもオフェリアにも分かった。
「ソフィアと私の立場が逆だったら、あなたは私のものでした。私は幸せになりたいのです。命が尽きた者が自らの幸せを望むのは良くないことでしょうか?」
ハシリウスは動かない。そして、何も答えずにナディアの話に耳を傾けていた。
「私は一人でした。色のない世界で、迷い込んでくる者たちの命を吸い続けて……話し相手はこのオフェリアだけ。彼女も、こちらの世界に背を向けられた一人です」
動かないハシリウスに、ナディアは少しずつ近づきながら言う。
「ハシリウス、私は光がほしい。そして、愛するという気持ちを知りたい。だから、あなたに側にいてほしい……私の願いは、いけないことでしょうか?」
★ ★ ★ ★ ★
『ハシリウス!』
ソフィアが洞窟に到着した時、ハシリウスは『ガイアス』を肩に担ぎ、目を閉じてナディアの話を聞いていた。そのハシリウスにナディアはゆっくりと近づいて行く。ハシリウスには隙が無いように見えるが、傍から見ていてハラハラする状況だった。
『ハシリウス、私がいます。私はいつも、あなたを見ています』
ソフィアは、ハシリウスの側に駆け寄り、思わず抱き着いてしまった。けれど、ハシリウスもナディアも、ソフィアには気付かないようだった。
『ハシリウス、私は、あなたをずっと守ります!』
ソフィアがそう言うと、その翼が閉じ、ハシリウスを包んで輝き始めた。
★ ★ ★ ★ ★
『ハシリウス、私は、あなたをずっと守ります!』
ハシリウスの心の中に、ふいにソフィアの声が聞こえて来た。
『ソフィア』
『ハシリウス、私の愛しいひと……キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ、28神人よ、女神アンナ・プルナ様、正義神ヴィダール様と我をつなぎ、『大君主』に星の護りと力を与えたまえ!』
ハシリウスは、身体中に星の力が凝縮するような、熱くしかし爽やかな鼓動を感じ、心の中でつぶやいた。
『ノウキシャタラ・ニリソダニエイ……』
その瞬間、『繋ぐ者』はハシリウスの『魂』を大宇宙の意識に拡散させた。拡散したハシリウスの意識は、やがて宇宙を駆け巡り、再びハシリウスの『魂』に収斂する。
ハシリウスは、ただ一瞬で様々なものを見た。産まれてくるもの、生きているもの、死んでいくもの、けれど、それらはすべて『大宇宙』の意思とつながっていた。
ハシリウスは、その碧の瞳に強い意志を込めた目を開けて言った。
「光と闇は、響き合うものだ。しかしそれは、時に哀しいほどすれ違う。ナディア、そなたの願いは分かった。けれど、そなたの願いを聞き入れた時、どのようなことが起こるか想像したことはあるか?」
ナディアはハシリウスの眼光に射すくめられたように立ち止まった。そして、ハシリウスの問いにゆっくりと首を振った。
「そなたの私を思う気持ちは本当だと信じよう。けれど、私がそなたを選んだ時、この世界は闇に包まれる」
「でも、ハシリウス様は最初におっしゃいました。生きとし生けるものはいつかは私たちのもとを訪れると。私たちの世界は闇の世界、違いはないではなりませんか?」
ナディアの言葉に、ハシリウスは首を振った。
「大きく違うのだ。そなたたちの闇は、すべての終わりであり、始まりでもある。包摂し、安らぎを与え、次なる光を待つための世界だ。けれど、私がそなたを選んだ時に訪れる闇は、もっと圧倒的で、冷たく、そして慈悲のない闇だ」
そしてハシリウスは、神剣『ガイアス』をアレスに向けて言った。
「ナディアよ、女神デーメーテール様にお仕えする者なら、『冥界で満足し、クロイツェンに利用されるような愚は避けよ』と伝えてほしい。クロイツェンは真の闇だ。女神とて気を抜けばクロイツェンに捕らわれるぞと」
そして、ハシリウスは突然、アレスのもとに跳躍し、神剣『ガイアス』でアレスの戒めを斬り放ちながら、ポケットに手を入れて言う。
「時空結晶よ、この者をわが仲間のもとに連れて行け!」
そして、ハシリウスがアレスのロングコートのポケットに時空結晶を入れると、アレスは光と共に姿を消した。
「ハシリウスっ! 貴様!」
激高したオフェリアがハシリウスに斬りかかるが、
「そなたも、平穏の中に逝け!」
ズバン!
ハシリウスの神剣『ガイアス』が銀色の帯を引き、オフェリアの右肩から左わき腹を存分に斬り裂いた。
「ぐっ!」
オフェリアは、自分の傷を検める。ぱっくりと開いた傷口からは、キラキラとした光のチリが立ち上り、少しずつそこから身体が消えて行く。
「なぜ? 傷が塞がらない」
オフェリアは魔力を込めた手を必死に傷口にあてがうが、光のチリはますます多くなっていく。
「あっ、あっ」
オフェリアは、もうなすすべもなく、ナディアを見つめて複雑な笑みを浮かべている。
「オフェリア! 私を一人ぼっちにしないで!」
ナディアがそう叫ぶが、オフェリアは恍惚とした表情を浮かべて、
「やっと……還れる……気持ちいい……」
そうつぶやくように言うと、最後の光が消えるとともに、跡形もなくなった。
「これが、『繋ぐ者』の力か……」
ハシリウスはつぶやいた。『28神人呪』を唱えなくても、『星々の剣』が使えるようになっていたのだ。
「……ハシリウス、あなたはどこまでも、私を不幸の沼に蹴落としたいのですね?」
オフェリアが消えて行った空間を眺めながら、ナディアがそう言う。その瞳にはもはや憎悪しかなかった。ハシリウスは神剣『ガイアス』を肩に担いで言う。
「オフェリアの最期の言葉を聞かなかったか? やはりそなたたちは、『命あるもの』ではなかったようだな」
「先ほども訊いたわ、命が尽きた者が自らの幸せを望むのは良くないことでしょうか?と。ハシリウス、あなたは私が悪いというのですね?」
ナディアがその魔力を解放した。身体中を瘴気の煙が覆い、その剣にすら瘴気がまとわりついていた。
「『魂』あるものなら、幸せを望むのは当然。しかし、その幸せが何を犠牲にするかは、考えるべきではないか? そなたの幸せは、クロイツェンに利用されるだけだ。そうでなければ、私もそなたの気持ちを止めることはしないだろう。たとえ、そなたが『繋ぎ留められた命』だとしてもな?」
ハシリウスが言うと、ナディアは激しくかぶりを振った。そして、絶叫と共に剣を叩きつけて来た。
「私は一人は嫌なのっ!」
ブン!
ハシリウスは剣を受けることはせず、ただかわした。
「なぜ、私は愛されてはいけないの!?」
ブン!
次の斬撃も、ハシリウスはただ避けるだけだった。
「あなたを好きな気持ちは……」
ナディアはハシリウスを睨みつけながら、肩で息をして再び襲い掛かる。
「嘘じゃないのにっ!」
ハシリウスは見た。大きく振り上げたナディアの胸元に、青く輝く宝石のような『何か』を。ハシリウスは摺り上げるようにして神剣『ガイアス』を揮った。
ズバン! キーン!
神剣『ガイアス』が肉を断つ鈍い響きと、『何か』を両断する鋭い音が同時に響いた。すると、
「ああ……ああーーっ!」
ナディアは、オフェリアがそうだったように、傷口から光のチリをまき散らし始める。しかし、ナディアは、傷口を治すのではなく、
「くっ……大君主ハシリウスよ、次会った時はもう話し合いではない。覚悟しておきなさい!」
そう叫ぶと、ハシリウスの二の太刀を外して、闇の中に吸い込まれるように消えて行った。
★ ★ ★ ★ ★
「ハシリウス殿、今回はたいへんお世話になった」
ナディアが去った翌日、ハシリウスたちはアレス・ドーリアクスから招待されて、『上の谷』の首府であるザンクトガレンを訪ねていた。
「いえ、首魁のナディアを取り逃がしました。またここに現れるかもしれませんから、十分にご注意ください」
ハシリウスが言うと、アレスは豪快に笑って言う。
「わっはっはっ、あの者が王家の者ではないとはっきりしたからには、今度は私も遠慮はしない。『大地賛歌』で葬り去ってやる」
そして、真剣な表情に戻って
「しかし、それも刃が立たなかった場合は、また『大君主』にお世話になると思いますゆえ、よろしくお願いいたします」
そう頭を下げた。
ハシリウスは慌てて言う。
「あ、アレス卿、僕はこの国のためであれば、動くのは当然のことです」
それをジョゼが混ぜっ返す。
「そうですよ、アレス卿。ハシリウスは王女様のためなら何でもする奴ですから、わざわざお礼なんて言われなくてもいいですよ」
「こ、こら、ジョゼ」
ハシリウスが慌てるのがよっぽど可笑しかったのか、アレスはいつまでも笑い続けていた。
やがて、ハシリウスたちが乗ったホーキが、遠くシュビーツ方面に見えなくなると、アレスは臣下に感心したように言った。
「私は大君主ハシリウスの認識を改めた。ベレロフォンやアルテミスの言葉は真実だった。あれほど魔力が強く、真っ直ぐな男を見たことがない」
★ ★ ★ ★ ★
ソフィアは、ヘルヴェティカ城の執務室で身を震わせていた。それは、感激と、そして恐怖からの身の震えであった。
感激と言うのは言うまでもない。ハシリウスを『繋ぐ者』としてサポートできたという喜びと、その時に見せたハシリウスの魔力の高さであった。特に、『28神人呪』を唱えずとも『星々の剣』を使えるようになったのは、これからのハシリウスにとっては大きなメリットになるだろう。
恐怖とは、初めてナディアの魔力を近くで感じた恐怖であった。ナディアは、自分の双子の妹だけあって、確かに恐ろしいほどの魔力を秘めていた。それだけでなく、ナディアの並々ならぬハシリウスへの執着を感じ、恐ろしくなったのである。
また、もう一つソフィアが恐ろしく感じたことがある。それは、『神の翼』によってハシリウスの想念と一つになれた時、身体中に痺れるような恍惚感が走ったことである。それは、甘く、切なく、そして気持ちが離れるときは身を切るような切なさがソフィアの感情を支配した。それはいっそ官能的ですらあった。事実、ハシリウスを翼で抱きしめたとき、ソフィアの身体の芯が熱くなり、その余熱というか身体のほてりは、今もなお続いていた。椅子から立てなくなるほどの快感であった。
――いけない、こんなことじゃ、私は女神さまの代わりをしなければならないのに……こんなことで快楽を感じるなんて……。
ソフィアは、激しく自分を責めた。けれど、その謎は『月の乙女』が解いてくれた。
『王女様、そんなことでご自分を責めないでください』
「その声は、『月の乙女』ですね? いいえ、私はハシリウスを助けられたという喜びよりも、彼と一つになれたことに心地よさを感じている自分を軽蔑してしまいます。私はなんてふしだらな女だろうって」
ソフィアが恥ずかしそうに言うと、『月の乙女』はくすくす笑いながらソフィアに語りかける。
「可愛らしい王女様ですね? その心地よさは『繋ぐ者』なら誰でも感じてしまうものだと女神さまから聞いています。むしろ、その気持ちが『大君主』様と天上の神々をつなぐ際の感覚だと。その感覚が深まれば深まるほど、『大君主』様の能力を引き出すことになるのだそうです」
「え? も、もっと、ですか? でも、私は……」
顔を真っ赤にして戸惑うソフィアに、『月の乙女』はニコニコしながら意地悪く言う。
「今回は、本当にお疲れさまでした。初回からあれだけハシリウス様の心にぴったりと沿えるなんて素晴らしいと、女神さまも仰っています。ご自分を責めないでください。むしろ、さすがにいつもいろいろと想像されているだけありますね?」
「もう、言わないでくださ~い!」
顔を真っ赤にしながらも、からかうような『月の乙女』の言葉に、ソフィアはホッとしていた。そうか、これって普通なんだ。むしろもっともっと、ハシリウスを感じてもいいんだ……そう思うと、ソフィアはジョゼに対して少しの背徳感を覚えた。
「そう言えば、ルナ、一つお聞きしていいですか?」
ソフィアがハッとしたように『月の乙女』に問いかける。けれど、『月の乙女』は、急にそわそわして
『では王女様、私は女神さまのもとに戻ります。ご自分を責めてなくてもいいってことだけは、忘れないでくださいね? 『大君主』様のために』
そう言って消えてしまった。
「ジョゼのことを聞こうと思ったのに……」
ソフィアはそうつぶやいて、ぽつねんと立ち尽くした。
終章 『冥界の使者』を打ち払え
「おのれハシリウス……」
『死の国』では、ナディアが『死の泉』に浸かりながら、ハシリウスから受けた傷を癒していた。たった一人の仲間であったオフェリアも、ハシリウスによって討ち取られた。その悔しさとともに、
『やっと……還れる……気持ちいい』
あの恍惚とした表情で消えて行ったオフェリアの言葉が忘れられないでいるナディアだった。
――オフェリアは、ハシリウスに斬られて幸せそうに消えて行った。彼女はその最後の意識の中で何を見たのだろう?
これは、ナディアにとって最大の疑問であった。すでに自分たちは死んでいる。その自分たちに待ち受けている『死より先のもの』とは何だろうか、という疑問である。
「くっ!」
ナディアは、ハシリウスから斬られた跡を指でなぞってみる。思っていたよりも回復が遅い。ナディアは思い出したように泉から上がると、身体も拭かずに自分の部屋に駆け込み、机の引き出しから青く澄んだ宝石のような物を取り出すと傷口に当てた。傷口はみるみるうちに塞がっていく。
「やっぱり生命力の結晶があると、回復が早いわね」
ナディアはそう言うと、その青い『生命力の結晶』を、自分の喉にグイッと押し付ける。結晶は青く澄んだ光と共にナディアの喉の部分に埋まっていった。
「ハシリウス、あなたを倒すためなら、私はもう手段を選びません」
ナディアは、命の息吹が全く感じられない庭を眺めつつ、そう言って笑った。
★ ★ ★ ★ ★
「なにこれなにこれ、ぷよぷよして柔らかくて美味し~い! 首都にはこんな美味しいものがあるのね。ティアラさん感激です☆」
ティアラが感激で耳としっぽをピンと立て、スプーンをくわえたまましゃべっている。
「ふふっ、確かにここのお汁粉は絶品ですものね?」
ソフィアが同じお汁粉を食べながら言う。
「でもさぁ、同じあんこなら、粒あんの方が美味しくない? ボクは粒あんの方が豆の味がしっかりと感じられて好きだな」
ジョゼはぜんざいを食べながら言う。
「そうね、その意見には全面的に賛成するわ」
学年一の秀才、アンナ・ソールズベリーもあんこを口に運びながら言う。
「ワタシはあんこよりもみつまめなのですぅ~」
そう、空気を読まないのはライム・グリーンだ。
「ねえハシリウス、キミは粒あんとこしあん、どっちが好きなの? やっぱり、豆の味がしっかり主張してくる粒あんだよね?」
ジョゼがハシリウスに訊くと、ソフィアも負けていない。
「あら、上品さを感じられるこしあんだって、捨てたものじゃないですよ? ねえハシリウス?」
ハシリウスは左右から詰め寄られてちょっと困ってしまう。これは、どちらを選んでも選ばなかった方から『敵認定』されるパターンだ。
「え? ど、どっちも好きだけれど」
ハシリウスは、みつまめを食べながら答えた。ジョゼやソフィアから甘味処に誘われたとき、こうなることを予想してあんこ系を頼まなかったのは正解だった。ライムが同じものを頼むとは予想外だったが。
「どっちも好きって、そんな二股は許さないからね? 強いて言えばどっちが好きなのさ?」
ジョゼがハシリウスに詰め寄る。すると困っていたハシリウスにアンナが助け舟を出した。
「まあ、ハシリウス君に粒あんとこしあんを選ばせるのは、ジョゼとソフィア姫を選ばせるようなものよね? どっちも好きってことでいいんじゃない?」
そこに、ライムが嬉しそうに話に乱入してくる。
「違うのですぅ~。ハシリウス君はライムのことが好きなのですぅ~。だって同じあんみつなのですぅ~」
「あ、そう言えばそうですね。ハシリウス様、あなたにはジョゼって方がいらっしゃるのに、他の女の子に目移りされるなんて……ティアラさんショックです」
ティアラが言うと、それを耳ざとく聞きつけたアンナが
「え? ハシリウスくんってジョゼと付き合っていたの? 私の裸を見たり、胸を触ったり、一晩泊まって行ったりしたくせに、どう責任取ってくれるのかしら?」
と言い出す。
「ええっ! ハシリウス様って何股かけられているんですか? ハシリウス様って女好きでケモ耳好きでロリ〇ンで……ティアラさんの中でハシリウス様のイメージが音を立てて崩れます。ティアラさん哀しいです」
耳としっぽを垂れてがっくりとするティアラに、ジョゼが
「そうなんだ。ハシリウスって先天性の女ったらしなんだ。あいつの言うことを信じたら、女の子のことでいつも心配しなくちゃいけなくなるんだ」
「こらっ! さっきから聞いていたら、えらい言いようじゃないか? 僕のどこが先天性女ったらしだよ?」
「女の子の気持ちに鈍いところとか?」(ジョゼ)
「同情が横滑りするところもありますよね?」(ソフィア)
「女の子に勘違いさせるような優しい言動もあったわ」(アンナ)
「普段とカッコいい時の落差が素敵ですぅ~」(ライム)
「……聞いていると、いちいちうなずけます。危なくティアラさんもハシリウス様の毒牙にかかるところでした。おお、怖い怖い(棒)」
ティアラが言うと、ハシリウスはがっくりとうなだれた。
「みんなで甘味処って久しぶりだったよね? ギムナジウムを卒業しても、月に何回かはこうやって集まれればいいよね?」
ジョゼが言うと、アンナが
「摂政のソフィア姫や王宮騎士団のあなたは別として、私もライムもティアラさんもシュビーツにはいるから、あなたたちの時間さえ取れればそれもいいかもね?」
と言う。アンナは賢者ソロンの『治癒魔法研究室』に、ティアラはとりあえずギムナジウムの図書館司書に、そしてライムは作家にと、それぞれの進路は決定していた。
「じゃ、時間が取れた時はみんなに連絡するよ。代金はハシリウス持ちだから、遠慮しないでいいよ」
「「「「ごちそうさま、ハシリウス」」」」
ソフィアたちは笑ってそう言った。
「さて、私はもうお城に帰らないと」
ちょうど迎えに来た馬車を見て、ソフィアがそう言う。
「ソフィアもなかなかハードなスケジュールだよなぁ」
馬車に乗ったソフィアに手を振って、ハシリウスが言うと、
「ホントだね。でも、ボクたちと同い年で責任ある立場に立っているソフィアを見ると、偉いなあって思うよ。ボクたちも負けちゃいられないね?」
ジョゼがそう言う。
「うん、私も本当は弟の政治を手伝わないといけないんだけれど、首都でいろいろな経験をさせてもらっているし、ソフィア王女様には本当に感心するわ」
ティアラも同じ王女としてソフィアに対しては尊敬の念が強かった。
★ ★ ★ ★ ★
「ふふっ、出来上がったわ」
『死の国』では、ナディアが目の前に整列した泥人形たちを眺めて、満足そうに微笑んでいた。七人の『ミューズ』を失い、信頼していたオフェリアまでハシリウスに討ち取られたナディアだったが、
「これで憎きハシリウスに一泡吹かせてやれるわ」
と、ご満悦だった。ナディアはつぶやく。
「七人の『エリニュス』は『闇の使徒』たちとの決戦用に温存しなければならない。けれど私一人ではまだ回復が完全ではないから勝利はおぼつかない。とすれば、ハシリウスたちの力を少しでも削りながら完全な回復を待つしかない」
そこで、ナディアは『死の泉』に積もった泥を使い、泥人形を製作した。この泉の泥には、ナディアに命を吸い取られた者たちの恐怖や憎悪、怒りや復讐心がいっぱい詰まっている。それをナディアは利用したのだ。
「この泥人形たちは、生きているものを見ればその命を吸い取ろうとどこまでも追いかける。崩しても崩しても元に戻る。さて、『大君主』ハシリウス、あなたがこの泥人形にどう対処するのか、じっくりと観察させていただくわね?」
そしてナディアは、泥人形たちに命令した。
「行け、我が忠実なしもべたちよ! ヘルヴェティア王国を蹂躙し、ハシリウスとソフィアを恐怖と絶望の淵に叩き込め!」
その命令を受け、泥人形たちはゆっくりと『時空の門』を使ってシュビーツへと移動し始めた。
★ ★ ★ ★ ★
新暦824年光の月23日深夜、首都シュビーツを守る第1軍団の兵士たちは、深夜の見回りを行っていた。
見回りと言っても、ヘルヴェティア王国は至極平和な国で、特に女王が住んでいる『風の谷』は、夜間に戸締りをしなくても大丈夫なくらい犯罪や怪異が少なかった。
当然、警邏の兵士たちものんびりしたもので、この任務は兵士たちにとって月に一度やってくるレクリエーションみたいなものだった。
「きれいな夜空だ」
見回りの隊長は、そうつぶやいて空に昇る半月を見つめる。決まったルートを巡回し、兵舎まではあと少し、今夜も何事もなく任務を終われそうだ。隊長がそう思った時、闇の中で不審な物音がした。
ビチャ、ビチャ、グチャッ……
それは、濡れたぞうきんを床に落とすような音を立て、闇の中に響き渡る。
「? 隊長殿、何の音でしょうか?」
耳ざとい一人の兵士が、真っ先に物音に気付く。
「何か聞こえるのか?」
隊長が訊くと、その兵士は真剣な顔をして闇を見つめて言う。
「はい、濡れたものが落ちるような音がします」
それを聞いて、隊長や他の兵士たちも耳を澄ませる。
ビチャ、ビチャ、ピチャッ……
「……確かに聞こえるな、面妖な音だ」
隊長は、念のために5人の部下に抜剣を命じた。王都を守る誇り高き第1軍団の兵士たちは、恐怖よりも興味が先に立ち、全員が抜剣する。
「俺が『ファイア・ストーム』で辺りを照らす。不審な者がいたら迷わず始末しろ」
隊長がそう言うと、部下たちはうなずく。
「よしっ、『ファイア・ストーム』!」
隊長は、自分の右前方、約10メートルのところに魔力を開放する。すると高さ1メートルほどの火柱が渦を巻いて立ち上がり、辺り一面を照らした。
「うっ!」
「何だあれは?」
隊長も、部下たちも、光の中に照らし出された『それ』を見て、まずそう言った。それが泥人形であることを理解するのに、2秒ほどかかった。
泥人形たちは、群れをなしてゆっくりと歩いてくる。ファイア・ストームの熱などは気にならないように、進路を変えることなく隊長たちに迫って来た。
「誰かのいたずらか? それにしてはたちが悪いな」
隊長が言うと、兵士の一人が
「やっ!」
と泥人形に斬りかかる。泥人形の首が地面に落ちる。
しかし泥人形たちはひるむことなく、兵士たちに向かって歩いてくる。そして、最初に攻撃した兵士に、首のない泥人形が抱き着いてきた。
「ぐほっ!」
泥人形は意外な力を持っているらしい、抱き着かれた兵士の身体から、バキバキ、ポキッと嫌な音がして、兵士は叫び声と共に多量の血を噴いた。それでも泥人形は力を入れて兵士を抱きしめている。
「いかん、コイツを叩き斬れ!」
兵士を助けるために、隊長自ら剣を掲げて泥人形に斬りかかるが、隊長も横から現れた別の泥人形にしっかりと抱き着かれてしまう。
「ぐおっ!」
やはり、隊長も身体中の骨を抱き潰され、叫び声と共に多量の血が口や鼻、目や耳からも噴き出した。
「た、退却して報告せよ」
隊長は、最後の力を振り絞ってそう命令すると、泥人形から首を引き千切られ果てた。
「た、退却っ!」
残った4人の中の最先任者が、震える声でそう命令する。4人は這う這うの体でその場を逃げ出し、別のルートを取って兵舎に逃げ込んだ。
兵士たちの報告を聞いた当直の最先任者、軍団副官のシーシアスは、アキレウス軍団長、パトロクロス副軍団長に急を知らせるとともに、自ら駐屯地にいた500人を率いて現場に急行した。兵士たちが言う『泥人形』は発見できなかったが、犠牲になった隊長とその部下一人の遺体が転がっていたため、それを収容した。
「二人とも、生命力と魔力を完全に吸い取られていました。直接の死因は圧迫死ですが、胴体の骨も内臓も、元の形が分からなくなるほどに潰されていました」
シーシアス軍団副官が言う。
「二人の制服は、泥にまみれていました。逃げ帰った兵士たちが言っていた『泥人形』が存在したことは、確かなようです」
パトロクロス副軍団長が付け加える。
「その泥からは、何も手掛かりは見つからなかったのか?」
アキレウス軍団長が訊くと、シーシアスは
「現在、調べています」
と答える。
「市中にそのようなモノが徘徊するとなると、由々しき事態だな。早く泥と魔力の解析を終わらせろ。相手が何者なのかを知ることが先決だ。それまでは、巡回時に泥人形と出会っても手出しをするんじゃない」
アキレウスはとりあえずそう命令すると、この不可思議な事件の報告ともう一つの目的をもって登城した。
「……と、昨夜そう言う事件が起こった。ただ、相手の正体が分からないため、何の目的で、どうやって、どこに出現するのかがはっきりしない。念のため、城内でも警戒を厳にしておいてほしいのだ」
アキレウスは、旧知の魔剣士で、今は御林軍に所属しソフィアの護衛を兼ねているクリムゾン・グローリィを訪ねてそう頼んだ。クリムゾンは数年前に辺境で赫々たる武名を轟かし、辺境の人々やモンスターたちは彼のいでたちから『緋色の悪魔』との二つ名を奉っていた。
「分かった。同じような事件の報告が司隷庁からも挙がっている。市民20人が犠牲者だ。しかし話を聞いているとそれは『闇の使徒』か『冥界の使者』が絡んでいる可能性が高い。私からハシリウス卿に報告しておこう」
クリムゾンがそう言うと、アキレウスは
「それは助かる。頼んだぞ」
そう、喜んで駐屯地に帰って行った。
クリムゾンは、アキレウスを見送ると、その足でハシリウスに会いにギムナジウムへと向かった。
ギムナジウムはちょうど卒業試験が終わったところだった。前にも話したが、ギムナジウムの試験は『教養試験』と『魔法考査』に分かれ、1000点満点の合計2000点である。どちらかが500点未満か、合計が1400点未満で落第だ。
「あ~あ、終わった~」
思いっきり背伸びをするハシリウスに、アマデウスが
「よっ、ハシリウス。出来はどうだった?」
と訊いてくる。ハシリウスは親指を立てて、
「ふっ、ギムナジウム最後の試験だからね。有終の美を飾らせてもらうぜ」
という。
「えっ、マジかよ。お前あんなに忙しいくせに、いつの間に勉強とかしているんだ?」
アマデウスが言うと、
「アマデウス、時間は作るものだよ? まあ、このハシリウス様にかかったら、毎日1時間や2時間くらいの勉強時間は簡単に確保できるってものさ」
という。そのハシリウスの後ろで、ジョゼが腕を組んでジト目で見つめて言った。
「ふう~ん、1時間や2時間ねぇ」
「わっ! ジョゼ、いたのか」
慌てるハシリウスに、ジョゼはジト目のまま腰に手を当てて言う。
「その1時間や2時間を確保するために、どれだけボクが苦労したと思ってんの? まったく、『大君主』様が落第してギムナジウムを卒業できないって前代未聞の事態を招きそうだったのは、どこのどなた様でしたっけ?」
「なになに、どゆこと?」
アマデウスが瞳を輝かせて食いついてくる。
ジョゼは、ハシリウスを困ったように見つめて、ため息とともに言う。
「ハシリウスってば卒業試験のこと、アールベルク山から帰ってくるまですっかり忘れてたんだよ。だからハシリウスにはちょっと夜更かししてもらって、一緒に勉強したんだけど、眠らせないようにするのは大変だったよ」
するとアマデウスは、ポツリと言った。
「ふふ……結局のろけか、あ~あ、聞かなきゃよかった」
傷心のアマデウスが、ハシリウスたちの側を離れた時、校内放送が流れる。
『3年生のハシリウス・ペンドラゴンくん、至急、校長室に来てください。繰り返します、3年生のハシリウス・ペンドラゴンくん、至急、校長室に来てください』
それを聞いて、ジョゼがハシリウスに向かって言う。
「ハシリウス、キミ、何か悪いことした?」
ハシリウスは首を振って答える。
「いや、何も心当たりはない。とにかく行ってみるよ」
ハシリウスが校長室のドアをノックすると、
「ハシリウスくん、どうぞお入り」
と、案外優しげなポッター校長の声が聞こえた。ハシリウスは勇を鼓してドアを開き、
「失礼します」
と挨拶して部屋に入る。この瞬間はやっぱりいつになっても緊張する。
けれど、ハシリウスは校長と共に座っている人物を見て、今回の呼び出しの中身がおおよそ分かった。
「久しぶりです。ハシリウス卿」
そこには、クリムゾン・グローリィが座っていたのだ。ハシリウスはうなずいて、クリムゾンの向かいに腰を下ろす。
「どんな事件ですか?」
ハシリウスがそう言うと、クリムゾンはニコリと笑って
「私がハシリウス卿のところに来るときは、不思議な事件ばかり持ってきてしまいますね。けれど、今回はちょっと厄介なのです」
そう言うと、アキレウスから報告があった『泥人形』の事件について話し始めた。
「……ということです。なお、司隷庁からも同様の事件の報告が挙がってきています。被害者は一般市民で、20人に上っているようです」
「20人も……とにかく、現場に行ってみていいですか?」
ハシリウスはクリムゾンの話を注意深く聞いていたが、話し終わるとすぐにそう言った。クリムゾンはうなずき、現場へと案内してくれることになった。
「ハシリウス、また事件?」
校長室から出ると、ハシリウスはさっそくジョゼに捕まった。ジョゼはクリムゾンの姿を見て、また何らかの事件が起こり、クリムゾンが出馬を乞いに来たと見抜き、ティアラと共にここで待っていたのである。
「うん、ティアラもついてきてくれればありがたいけれど」
ハシリウスは、ジョゼの後ろに隠れるようにして立っているティアラにも真剣な顔を向けて言う。ティアラはおずおずとしながらも、パッと顔を輝かせてうなずいた。
「ここが、問題の場所です」
クリムゾンが現場を指し示す。そこには第1軍団が非常線を張り、市民の出入りを制限していた。まだ現場でいろいろと調べているらしい。ハシリウスの眼にも、確かに禍々しい魔力の残滓が見えた。
「……ナディアの魔力だな」
ハシリウスは、現場に残る魔力の残滓を見てそうつぶやく。魔力の色や性質が、ナディアのものと酷似していたのだ。また、事件が発生してからもう12時間以上が経過している。それでもそこには恐ろしいほど強力な魔力が揺蕩っていた。
「そうみたいだね。とても背中がぞくぞくする」
ジョゼが身体をブルっと震わせて言う。
「確かに、これは『闇』の魔力ですね。私はまだ一度しかそのナディアと言う人と会ったことがありませんが、恐ろしいほど強い魔力です。けれど……」
ティアラが言いよどむ。ハシリウスはティアラに
「けれど?」
そう言葉をかけた。ティアラは首を振って言う。
「すみません、失礼な言い方ですけれど……魔力のパターンが、そう、ソフィア王女にとても良く似ています」
ハシリウスはそれを聞いて、この事件の黒幕がナディアであることを確信した。相手がナディアであれば、狙いは僕だ。
「ティアラ、今度の事件について、どんな魔法をそいつが使ったのか分かるかい?」
ハシリウスの問いに、現場の魔力をじっと見つめていたティアラは、しばらくして自信持って言った。
「はい、『闇の転移魔法』『闇の強化魔法』『闇の自律魔法』『闇の復元魔法』そして『シュバルツ・ドレイン・バースト』でしょう。相手は傷つけられても復元し、こちらの生命力も魔力も、『生きている証拠』になるものはすべて吸い取ってしまいます」
それを聞いて、ハシリウスはさらに
「その場合の弱点は?」
と訊く。ティアラはニコリと笑って言った。
「復元魔法の解除です。けれど、相手の復元魔法はかなり厳重な編み込みをしてあります。だから、先に自律魔法を解除して動けなくしてから復元魔法を解除すればいいと思います」
「君にそれらの魔法の解除はできるか?」
「できます」
ティアラの答えを聞くと、ハシリウスはニコリと笑ってティアラの頭をなでて言う。
「じゃ、今回はティアラに活躍してもらおう。よろしく頼むよ、ティアラ?」
ハシリウスはそう言うと、照れてしっぽをぴくぴくさせているティアラと、うらやましそうにしているジョゼを残し、クリムゾンと何かを話し始めた。
★ ★ ★ ★ ★
「諸君、昨夜の敵の正体が分かった。今宵は市民の犠牲者や我が戦友であった二人の弔い合戦だ。総員、各部隊長の指揮のもと、一糸乱れぬ連携で、見事敵を罠にかけてやれ」
国軍第1軍団長のアキレウス・オストラコンは、軍団の将兵を集めて訓示している。ハシリウスやクリムゾンと練り上げた作戦で、『冥界の使者』の奴らを叩きのめしてやる……アキレウスの表情には、そう言った決意があふれていた。
「今回の相手は、『冥界の使者』と呼ばれる輩だ。この国に『大いなる災い』をもたらすと言われている『闇の使徒』に勝るとも劣らぬ奴らだ、気を抜くな」
アキレウスはそう注意すると、すぐに
「今回、我々には御林軍のクリムゾン・グローリィ卿とハシリウス・ペンドラゴン卿が協力してくださる。我らの連携がうまく行きさえすれば、勝利は疑いない。みな、自信をもって指揮官の指示通りに行動せよ。かかれっ!」
アキレウスの指揮のもと、第1軍団は行動を開始する。
作戦は簡単である。いつもどおりの巡回中に『泥人形』と出会ったら、近づきすぎず、遠ざかりもせずに『泥人形』たちを牽制し、一か所へと誘導するというものだった。誘導が終了したら、全軍でもって『逆鏡面魔法』を張り、『泥人形』を1体たりとも逃がさないようにする……それが第1軍団に与えられた任務だった。
けれど、言うは易しで行うには多大の困難が予想された。コース上に出てくるのは1体とは限らない。コース上のどこで出会うかも分からない。コースから外れて出る『取りこぼし』があるかもしれない。
そこでアキレウスは、軍団兵を5人ずつに分け、シュビーツの通りすべてにコースを引き、できるだけコースを重複させ、同じコースを複数の班で巡回させた。もちろん各隊長には、敵にコースのどこで出会ったとしても自然に敵を誘導できるようなシミュレーションをさせていた。
★ ★ ★ ★ ★
『死の国』では、ナディアがほくそ笑んでいた。昨夜は初回にしてはいい戦果だった。自分もたっぷりと『生命力』を手に入れたし、『生命力の結晶』もかなりの数作ることができたからだ。
「今頃ハシリウスも事件を知って、動き始めているころだろうね。今夜はハシリウスにとどめを刺して上げられればいいけれど」
そう言うと、『泥人形』の軍団200体を、10体ずつに分けてシュビーツのあちこちへと転送し始めた。
「来たぞっ!」
「こちらもだ」
「皆、任務にかかれ」
「西の平野まで、敵を逃がすな」
第1軍団兵たちは、あちこちに現れた『泥人形』たちをあしらいながら、少しずつ敵をハシリウスから指定された『西の平野』へと誘導していく。
「ハシリウス、『ローテン・トイフェル』もこの平野に入った。星将たちも指示通りスタンバイしたぞ」
平野を見下ろす丘の上に、アキレウスたちと共に立っているハシリウスに、星将シリウスからそう報告が入る。ハシリウスは各分隊から入る現状報告を聞きながら、罠のばねを弾くタイミングを見計らっていた。
「大君主様、お見込みのとおり、あの『泥人形』たちは、最も近くにいる最も生命力が高い者をロックオンするような仕組みになっているようです」
星将ベテルギウスが言う。だったら、『泥人形』は目の前の獲物しか見ていない。周りを見て不審を感じることはないはずだ。けれど、念には念を入れた方がいい。
「星将シリウス、星将デネブ、星将アークトゥルス、星将ベテルギウス。それぞれ東西南北の入口付近にいて、『泥人形』たちが逃げ出すようなそぶりを見せたら、適宜始末してくれないか」
ハシリウスが言うと、星将シリウスたちはすぐさま持ち場につく。
やがて、あちらこちらから、軍団兵に誘導された『泥人形』たちが現れた。軍団兵たちは『泥人形』に捕まらないようにしつつ、適当な攻撃をして気を引き続けている。やがて彼らは、東西南北に作られた『罠の入口』から入ると、壁に沿って時計回りに歩き出す。
そして最後の『泥人形』の集団が『罠』に入ると、軍団兵たちは壁を登って『罠』の外に出る。入口はとっくに締め切っていた。
「よし、『鏡面魔法』だ!」
アキレウスの号令で、全軍が『罠』を取り囲み、総員の魔力で『逆鏡面魔法』の結界を張った。これで中から外には出られない。
『逆鏡面魔法』の結界が張られる直前、ハシリウスはすっくと立ちあがり、左右にスタンバイしていた『太陽の乙女』ゾンネと『月の乙女』ルナに呼び掛けた。
「ゾンネ、ルナ、行くぞ」
「はい、大君主様」
「はい、ハシリウス様」
三人は一斉に丘から『罠』の中央までジャンプした。
「まず私が奴らの動きを止める。その間にルナが『自律魔法』を解除せよ。ゾンネは私たちを守ってくれ」
『泥人形』たちのど真ん中で、神剣『ガイアス』を構えてハシリウスが言う。
「分かりました」
「まっかせて」
ハシリウスは、二人の声を聞くと、すぐさま星に祈り始めた。
「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」
唱えているハシリウスの身体が、金色に光りだし、それが虚空と連動して、鼓動を響かせる。ハシリウスの鼓動は、だんだんと強く響き、その鼓動は大宇宙の波動と共鳴して、心地よい響きを奏で始めた。
「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をハシリウスに貸し、悪しき、禍々しきこの『冥界の使者』の魔力を破砕させしめ給え……」
ハシリウスが構える神剣『ガイアス』には、星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、剣が輝く。
やがてハシリウスは澄んだ声で叫んだ。
「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、アドラダ神は南東へ、ダニシュダ神は北東へ、バラニ神は南へ動きたまえ!」
ハシリウスが神剣『ガイアス』を南東に、北東に、そして南にと振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。宇宙が、神剣『ガイアス』の鼓動と同じ波動で輝きだす。
「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」
神剣『ガイアス』に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。ハシリウスは、十分に星の力が集まったとみるや、澄み切った声で叫ぶ。
「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣、大地の刃”!」
そして二人に、
「二人とも、跳べっ!」
ハシリウスはそう言うと、星々の力を限界までため込んだ神剣『ガイアス』をぶうんと振り回した。その衝撃波はハシリウスの魔力を乗せて、『泥人形』たちを1体残らずその場に縛り付けた。
「忌まわしき泥人形よ、その穢れた魔力を払い、その動きを封じて人々の恐怖を取り除くため、女神アンナ・プルナの名において『月の乙女』が命じます。『シュバルツ・ペイン』!」
ティアラのルナがそう力を開放すると、『泥人形』たちの背中が次々に弾け始め、黒い煙が上がり始める。『自律魔法』が解除されたのだ
続いて、ルナは『ムーン・スピア』を高く天に掲げ
「死に使役されし泥人形よ、その道に外れた魔力を糾し、その力を散じて人々の安寧と生命を守護するため、女神アンナ・プルナの名において『月の乙女』が命じます。『蒼き斬月波』!」
すると、月から一条の青い光が、『ムーン・スピア』に届く。『ムーン・スピア』は月の力を閉じ込めながら、蒼い輝きを増していく。その輝きと鼓動が頂点に達した時、ルナは空中に跳び上がり、
「波ッ!」
そう裂帛の気合と共に『ムーン・スピア』を虚空で突き出した。すると、
ズドドド……ドン!
すべての『泥人形』たちに『ムーン・スピア』の衝撃波が届き、泥人形たちは蒼い輝きの中で一体残らず崩れ去った。
「……終わりましたぁ」
ティアラのルナが、猫耳としっぽをだらりとさせて言う。随分と力を使ったらしい。
「ご苦労だった、ルナ。もういいぞ」
ハシリウスが言うと、ルナは首を振って
「今シンクロを解いたら、猫耳の姫は気を失ってしまいます。もう少し魔力が回復したらシンクロを解きます」
そう言う。いつもなら魔力がなくなればシンクロが切れるのに、これは新しいパターンだった。
「そなたの一存でシンクロしたり、解いたりできるのか? 『月の乙女』よ」
ハシリウスが訊くと、ルナはうなずいて言う。
「猫耳の姫はとても素直で、シンクロ中は自分の意識を閉じています。ですから、私は自分の意思で猫耳の姫の意識すら操作できます。非常に珍しいですね、こんな娘さんは」
そこに、アキレウスやクリムゾンが現れて言う。
「ハシリウス卿、いつもながら見事な手腕でした。おかげで王都の平和が守れました」
「いや、そなたの軍団の見事な練度と、『緋色の悪魔』の知力を込めた『罠』がなければ、これほどの戦果は挙げられなかっただろう。さすがはヘルヴェティア王国の双璧と言われる魔剣士たちだと感心した」
ハシリウスはまだ『大君主』モードだ。おかしい、いつもならもうハシリウスモードに戻っているはずなのに……ジョゼはそう不審を感じていた。その時である。
「さすがは大君主、私の大切な人形たちを一網打尽にしてくれるとはね」
そう、黒い瘴気の渦を巻いてナディアが現れる。
「来ると思っていた。ここで決着をつけるか?」
ハシリウスが神剣『ガイアス』の鞘を左手で握って言う。しかし、ナディアはくすりと笑って首を振った。
「今はよしておきます。私の方も体調が万全ではありませんから……しかしハシリウス、木の月の半ば、月が顔を隠す時、私は必ずあなたの命をこの手で奪って見せます」
「勝手なこと言うなっ! ハシリウスは僕が守るっ!」
ゾンネが斬りつけるが、その『コロナ・ソード』はむなしく空を切った。手ごたえを感じなかったゾンネは、振り返って言う。
「ホログラム……卑怯だぞ、ここに出てこい!」
しかし、ナディアはゾンネを完全に無視してハシリウスに語りかけた。
「では、楽しみにしておきなさい。大君主ハシリウス。あなたの命は私のものになり、あなたも私のものになるの」
ハシリウスは不敵に笑って答えた。
「面白い、死の意味にも気づかぬそなたが、私を死へと招待できるかどうか、やってみるとよい。ただし、私も手加減はしない。そなたを必ず呪縛から解放し、優しき『闇』の腕へと引き渡して見せよう」
ハシリウスとナディアは、互いを鋭い眼で睨みつけながら、いつまでもその場に立ち尽くしていた。
(『冥界の使者』を打ち払え 完)
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
いよいよ次の話で『星読師ハシリウス[王都編]』は最終エピソードとなります。
次回『旅立ちの歌を口ずさめ(前編)』は、1週間後の投稿予定です。
お楽しみに。