2曲目:担任
「おーい、皆座れよー」
少し眠そうな声を発しながら、先生が教室へ入ってくると、いつもならだらだらするはずの生徒も、素直に自分の席に戻った。
きっと、まだ慣れていないからなんだろうな。実際、私もまだ紗知としか話してないし……。
「えーっと、まぁ何人かは去年も先生のクラスだったやつもいるし、全クラスに音楽は教えていたから、皆知ってると思うけど。一応自己紹介。坂本悠、23歳、音楽担当!ついでに今日から二年二組の担任です」
少し冗談っぽく先生が言うと、去年も私と同じクラスだった蒼井琢磨が声を上げる。
「先生、一応って何だよ。一年間、しっかり俺らを頼むよなぁ!」
お調子者の琢磨の言いそうなことだ。本当しょうもないけど、まぁ実際「一応」って何だか嫌だしね。
「そうだよ先生。俺らをよっろしく〜」
琢磨に便乗して三谷までにやりと笑う。何だかこのクラス、にぎやかになりそうだなぁ……。
「おう、お前らこそ先生を困らすようなことするなよ?先生は平和主義者だからな」
琢磨と三谷の言い草に、先生まで冗談をかえす。ま、あながち冗談でもないだろうけど。
「んじゃ、早速だけど集会だからな。体育館行ってくれー」
先生の言葉に皆が立ち上がる。私も遅れまいと、紗知のもとへ向かった。
「紗知、一緒に行こうよ」
「ん。いーよ」
きっと紗知は体育館に行くくらい、一人でも全然平気だと思うけど、当然のことながら慣れないクラスに、慣れないクラスメート。今は紗知だけが頼りだし、私が紗知の嫌いな「女の子!」って感じの性格ではないにしても、一人で移動は苦手。
「ごめんね紗知。何だかドキドキしちゃってさ。一匹狼の紗知さんですけど、今日は二匹狼になることをお許し願います」
わざと敬語で、真剣な顔で紗知にそう言えば。
「よぅし、許そう。ちこうよれ」
と冗談を返してくれる。
普段一緒にいないタイプだからかな。紗知といる時間や会話は、ひどく心地いい。
「加夜、どうしたの?行くよ」
いつの間にか紗知は少し先まで歩いていて、私を呼んだ。ぼーっとしていたみたい。
「あ。今行く」
そう答えると、私も体育館へと急いだ。
「今日から皆さんは一つ大人になります。三年生は受験生になり、二年生は先輩になり、そして一年生は中学生になります。皆さん、学業や部活。様々なことに挑戦して下さいね」
「校長先生のお話でした。姿勢を正して、礼」
60歳にしてはスタイルのいい校長先生のあいさつが終わると、周りは一気に静寂を崩した。
「皆さん、静かにして下さい。これから各教室に戻ってもらいます。ショートホームルームが終わったら、速やかに下校して下さい」
当然ながら、まだ今年の生徒会選挙は行われていないから、去年の生徒会長が指示を出すと、周りの先生が一斉に立ち上がって、坂本先生もうーん、と伸びをしながらこちらに向かってくる。
「おーい、二年二組。行くぞー」
他の先生はしゃきっとした声で指示を出しているのに、坂本先生は眠たそうな声。
昨日は一応まだ春休みだったのに、寝不足なのかな。私たちと違って大人だもんなぁ。やっぱり忙しいのかな。
「加夜、どうしたの? 今日はぼーっとする日?」
ぼんやりと一年生の方を見ていたら、紗知の声ではっと我に返る。あ……。私またぼーっとしてた……。
「うん……ごめん。そうみたい」
私がまだ少しうつろな声で返事をすると、紗知はくすっと笑って向こうを向いた。
「ま、加夜が坂本先生を見つめていたのはあたしの心の中にしまっておく」
いたずらっぽくもう一度私を見ると、紗知は今度こそ体育館を出て行ってしまった。
「え、紗知っ? 待ってよぉ」
今さっき紗知に何を言われたのか、まだ少し動きの鈍い脳では理解できないけど、何だかからかわれたことだけは分かった。坂本先生が……何とか?
「おい源、遅いぞ」
走って紗知を追いかけたのに、悲しいかな。足の長さの関係で紗知はもうとっくに教室に入っていて。私が教室に入ったときには、もう皆席に座っていた。
は、恥ずかしい……。しかも先生に怒られちゃった。
「す、すいません」
「ん。じゃあプリント配るからなー」
どうやら皆は私待ちだったみたいで、少し申し訳なく思いながら、窓際の席に座った。
「これがこのクラスの学級通信な。俺が一生懸命書いてんだから、しっかり見て読んで、親にもちゃんと見せるんだぞ」
学級通信の名前は『Andante』音楽用語らしいのは分かるけど、どういう意味だろう?
「はい、ここで問題。この学級通信の名前『Andante』の意味はなんでしょーう?」
先生の言葉に、皆が一斉に眉を寄せる。きっと皆、私と一緒で分かんないんだろうなぁ。あ、でも紗知なら分かるかも。
「シンキングタイム終了〜分かるやつ手ぇ上げてっ」
手上げるだけかぁ。先生の指名制じゃなくてよかった。私、絶対分かんないもん。でも何人か手上げてるなぁ。宇海くんとか。頭いいもんね。
「うーん、少ねぇなぁ……。俺は悲しいよ。じゃあ、宇海。答えをどーぞ」
「速度記号アンダンテ。意味は、ゆっくり歩くような速さで。です」
合ってるのかどうかは分かんないけど、何だか完璧っぽい答え。こういうのをさらっと答えられるのって、かっこいい。同じ二年生なのに……大人って感じ。
「正解。完璧な答えだな」
先生が感心したように手を叩くと、周りからも拍手が起こる。さっきも思ったけど、宇海くん、かっこいいっ!
「でもさ、先生。これってこの間の試験範囲だよね? 俺らをバカにしてない?」
宇海くんを褒めた先生に向かって、宇海くんは不敵な笑みを浮かべる。
え、試験範囲だったの? あー……何かテストにたくさん意味の分からない英語が並んでいたような気もしないではない……かも。
「やっぱり宇海にはバレたか。そうだな。この間のテスト範囲だな、ここは。しかも俺はテストにも出したぞー? 一体何人がそのことにまで気付いていたのだろうかね、宇海くん」
最初は笑っていた先生も、最後の方は肩をがっくり落としている。そんなに平均点低かったっけ? まぁ、私は50点だったから……。足引っ張ってる側だけどね……。
「あ、先生。もう一組帰ってんじゃん。俺らも早く終わろーぜ。もう勉強の話は聞きたくありませーんっ」
また登場した琢磨の声に、先生はキッと琢磨をにらんだ。
「うるさいっ! 13点だってお前が言うなっ! お前に言われなくてももう終わりだよっ」
「な、何だよ先生っ! 点数公開することないだろー!!」
うわぁ……。琢磨、13点だったんだ。それは……いくら何でもヤバイよね?先生がその点数知ってるの分かってて、よく文句言えたなぁ。
「はぁ……。何だか俺悲しくなってきたから終わろうか。琢磨の野郎もうるさいしな。じゃあきりーつ」
先生の言葉に皆がカバンを持って立ち上がる。
「はい、礼。さよーなら」
各自がつぶやくように「さようなら」と言う。私も小さな声で「さようなら」とつぶやくと同時に、廊下へ出る扉の前から、紗知の声が響いた。
「加夜、また明日ね。ぼーっとしすぎて事故に合わないようにね」
綺麗な顔でにこっと私に笑いかけて出て行った紗知に、少し顔を赤らめている男子がいるなんて、私は知らなかったけど。本当にこのときの紗知は可愛かった――。