第八十八話 魔王退治が進まない
「このタンクに純水が入っています」
「ここに『純化』した薬草もあります。焦らずに作業しましょう」
バルト王国は崩壊した。
後継者のいなかった若い王の死で、人間が抑えているバルト王国領では、我こそが王だといくつも反乱軍が発生しており、ロッテ伯爵は主力を率いて反乱を鎮圧に向かった。
治安維持のため、バルト王国はホルト王国に併合されることになった。
他国は、先の魔王軍との野戦で派遣軍が壊滅し、国内のモンスターたちが暴れて援軍も送れない状態なので、ホルト王国によるマカー大陸併合を止められる国は存在しなかった。
ロッテ伯爵による反乱鎮圧は順調らしい。
元々バルト王国軍は壊滅しており、さらに反乱軍は正確な数もわからないほど分散している。
魔王軍との野戦に参加せず、まったく犠牲者を出していないホルト王国派遣軍がマカー大陸における最大戦力のため、内乱平定は順調に進んでいるそうだ。
港の確保にも成功し、ヒンブルクに食料が補給された。
犠牲者も非常に少ないそうだ。
バルト王家の権威と力は内乱で地に落ち、貴族たちの多くはホルト王国に降っていた。
所属する国を変えれば家が保てるのなら、所属する国を変えることを厭わないのが貴族というものらしい。
他にも、派遣軍は人気取りのため、占領した地域の住民の怪我や病気を無料で治したり、食料を配給したりしていると聞いた。
おかげで、ますますホルト王国支持の人たちが増えていく。
それはいいことなのだけど……。
「傷薬も! 回復薬も! 作っても作ってもキリがないじゃないか!」
「確かにな。訓練にはちょうどいいんだろうけど、ちょっと数が多いよな。それは錬金術師を俺たちの応援に寄越すわけだ」
ホルト王国軍の人気取りで使われる傷薬と、病を治す回復薬は、俺たちとその下につけられた多くの錬金術師たちで作られていた。
俺たちだけでは到底需要を満たせないと、ロッテ伯爵が手配したのだ。
こういう抜け目のなさは、彼が優れた軍官僚である証拠であった。
俺たちの下で働く錬金術師たちは、全員がバルト王国の人間だそうだ。
内乱で錬金どころではないのと、難民としてヒンブルクに逃げてきたと言っていた。
こんな子供の下で働かされて不満がないのか心配だったが、錬金術師は腕が重要である。
俺が品質AとSの傷薬ばかり錬金しているのを見たら、ちゃんと指示に従ってくれていた。
彼らでもBやC品質の傷薬が量産できるよう、純水タンクや材料から『純化』で不純物を取り除く作業も忘れない。
簡単な分業制を行い、ロッテ伯爵からの無理な要請に応えていた。
なお、報酬は全部ツケということになった。
債務者はホルト王国軍及び王国そのものなので、さすがに踏み倒しはないと思いたい。
「ご苦労様です。アーノルド殿」
「デルクスさん」
主力を率いて出陣したロッテ伯爵に代わり、この城塞都市の防衛と統治を任されているのは、なぜか副官のデルクスさんであった。
なんでも若いのにとても優秀な人物だそうで、非常時なのを理由にロッテ伯爵に抜擢されたそうだ。
本国から人員の派遣がない以上、優れた人を抜擢するしか指揮官の数を増やせないから当然か。
「ロッテ伯爵ですが、もうすぐ戻ってきます。無事、バルト王国領内の反乱を鎮圧したようです」
王族たちは討たれてしまったのかな?
生かしておいてもろくなことをしないのは明白か。
「港が使えるようになったので、本国から補給が来るそうです。これでひと安心です」
「そうですか」
じゃあ、もう俺たちは錬金三昧をしなくもいいよね?
俺は、一刻も早く魔王を討ちたいのだけど。
「ロッテ伯爵から聞いています。魔王ですか……。偵察を入れましたが、向こうも苦しいみたいですね。大分支配領域を縮めました。ですが……」
暗黒魔導師は、野良モンスターたちを狂暴化させられる。
ゲームでもそうだった。
世界中の野良モンスターたちを暴れさせているのだが、当然弱点はある。
統制がまったく利かないので、たとえ暗黒魔導師でも、暴れている野良モンスターに近寄ると攻撃されてしまうのだ。
世界中の野良モンスターを狂暴化させているので、そのくらいの弱点はあって当然か。
それでも世界中の国々を混乱させてはいるのだから、時間稼ぎという目的は達しているわけだが。
「狂暴化している野良モンスターたちをどうにかしないと、魔王の城に辿り着かないのでは?」
「そうですね……」
どうやらデルクスさんは、モンスターの狂暴化に対抗できるものを俺が錬金できると確信しているようだ。
実は作れるけど。
「それは、僕が効果のあるアイテムを錬金してみます。あちこちに配置できれば、効果範囲内にモンスターは近寄らなくなりますから」
「それは凄い! 材料に関しては協力させていただきます」
デルクスさんは協力を申し出たが、実はもうすでに材料は揃っていた。
ただ単に傷薬と回復薬が最優先で、俺に作る余裕がなかっただけだ。
「では、ロッテ伯爵が戻ってきたら早速錬金をお願いします」
「わかりました」
そして数日後、無事にロッテ伯爵は戻ってきた。
ちゃんと、バルト王国領の平定に成功したようだ。
「本国と交渉して、多少の人員は派遣してもらえることになった。新しい領地を得たからであろうが……」
ゲームではあり得ない展開だったが、バルト王国は滅亡してしまった。
その領地を併合したのはホルト王国であり、獲得した以上はちゃんと統治するしかない。
いつ黒字化するか……俺は知らないけど……。
「聞けば、狂暴化したモンスターを抑える錬金物があると聞いた」
「はい」
材料もあるし、俺が傷薬のノルマから解放されれば作れる。
俺は、ロッテ伯爵にそう説明した。
「それはよかった。それで、その錬金物は人手が必要かな?」
「いえ、一人で作れますけど……」
多少魔力を使うが、正確なレシピさえ知っていれば簡単に作れる。
実は、そこまで難しい錬金ではないのだ。
「ならば、アーノルド殿以外は傷薬の錬金を続けられるか」
「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」
再び、俺以外の錬金術師たちを傷薬錬金地獄へと叩き込むロッテ伯爵。
やはり彼は、大変いい性格をしていると思う俺であった。
「『ゾンビの骨』なの? そのモンスターの狂暴化を抑える錬金物の材料って……」
「実はそうなんだ」
「だから、あとで使うって言っていたのね」
「一個持ち歩けば、狂暴化したモンスターには襲われないという設定。普通のモンスターは……運次第かな?」
設定だと、暗黒魔導師が狂暴化させたモンスターを引き寄せないということになっている。
ゲームだと再現が難しいので、大幅にエンカウント率が低下するのだ。
弱いモンスターがエンカウントしなくなる。
強いモンスターは普通にエンカウントするのだけど、フィールドやダンジョンなどを歩いていて、あまりイライラすることはなくなるアイテムであった。
「なによそれ。法則がよくわからないわ」
「そこはゲームと現実の差としか……。デラージュ公爵領の畑にプリンが湧くのと同じで、自然発生的なモンスターを完全に排除する方法はないもの。自然の摂理に反した暗黒魔導師の秘術だからこそ、これで防げるわけだ。狂暴化したモンスターは寄ってこなくなるよ」
「そうなんだ。材料がゾンビの骨なのは?」
「負に負をぶつける感覚かな? まあ見てなって」
錬金物の名前は、『回避の水晶』という。
材料は、ゾンビの骨、水晶、水、プリン玉だ。
さすがに一人だと時間がかかるので、裕子姉ちゃんに手伝ってもらうことにする。
「ゾンビの骨と水晶を擂粉木で粉々にすりおろす」
「簡単ね」
俺たちは基礎ステータスがカンストしてるから、骨も水晶も簡単に粉末にできるさ。
むしろ力を入れ過ぎて、大切な道具を壊さないようにしてほしい。
「終わったわ」
「これに、水とプリン玉を入れて錬金するだけだよ」
レシピさえ間違えなければ、回避の水晶は滅多に失敗しない。
錬金は成功し、錬金鍋の中にはひと抱えほどもある灰色玉が入っていた。
「色が暗いわね。灰色だからかしら?」
「それもあるけど。裕子姉ちゃん、これに魔力を篭めて」
「わかったわ」
裕子姉ちゃんが回避の水晶に魔力を篭めると、わずかに明るくなった。
素人でも、魔力が篭っている状態は判別可能なくらいだと思う。
「これでいいの?」
「これを設置すると、狂暴なモンスターや弱いモンスターは寄ってこなくなる……はず」
「はずってなによ? 弘樹、もっとはっきり言いなさい」
「ゲームのアイテムの効果と、この世界での効果は違うことがあるから断言できないんだよ」
多分、今暗黒魔導師が暴れさせているモンスターは寄ってこなくなる。
他は試してみないと断言できない。
「まあいいわ。ロッテ伯爵に使い方を説明して丸投げすればいいじゃない」
「それもそうか」
俺たちは、それから回避の水晶を二十個作ってロッテ伯爵に渡した。
これだけあれば、ヒンブルク周辺に配置して試験できるはずだ。
「ほうほう、設置できて魔力を篭めれば再利用できるのがいいですね」
補給で苦労しているプロの軍官僚のため、ロッテ伯爵は回避の水晶を珍しく評価していた。
「魔力は、必要魔力量があれば誰でも篭められます」
ゲームでも、一定歩数を過ぎたらパーティキャラの誰かが魔力を篭めていた。
魔力が切れると、エンカウントの嵐が復活するからすぐにわかるのだ。
「デルクス、早速ヒンブルクの周辺に設置して試してみよう。定期的に魔力を注ぐ必要があるので、ローテーション表の作製も頼む」
「はっ、了解しました」
再びロッテ伯爵の副官……ではなく副将に昇格したデルクスさんに、ロッテ伯爵は回避の水晶を渡して試験を命じていた。
ゲームと現実。
効果にどのくらい差があるのかは、俺にもわからないので試験してもらうしかないのだ。
「では、錬金に戻ってくれ」
「はい……」
俺は気がついた。
戦争ほど無駄な消費はないのだと。
だって、もうそろそろ夏休みも終わるというのに俺たちは魔王を倒せず、なぜかホルト王国の占領地で補給活動に勤しんでいるのだから。
「俺たち、留年かな?」
「えーーーっ! 留年は困るわ」
「そうだよね」
傷薬と、占領地の復興だとかでコンクリートの需要が増え、俺たちがロッテ伯爵から任されている……実質指揮下に入っている……錬金工房ではフル生産が進んでいた。
材料は送られてくるので問題ないのだが、モンスターを倒せないのでレベルが上がらないのが困る。
本当なら、夏休みが終わる前に魔王を倒していたはずなのだが、やはりゲームと現実とでは大きな差があるというわけだ。
ゲームで、旧バルト王国の復興なんてイベントはなかったのだから。
そもそもバルト王国が滅ぶなんて予想外であった。
「留年はないと思うよ」
「アーノルドは断言するな」
「だって、すでに錬金学校を卒業したプロの錬金術師ならともかく、長期休暇が終わりつつある学生をたとえ貴族といえど拘束する権限はないもの」
錬金学校とは、そのくらい独立性が高いのだ。
卒業したら、実力がある人ほどもれなく、大商人、貴族、王族などの思惑に踊らされるけど。
「レブラント校長がなにも言ってこないってことは、なにか合意があるんだろうなと思う」
「その可能性は高いか……」
「よくそこに思い至るものだ。そのレブラント校長から手紙だぞ」
「ロッテ伯爵、タイミングいいですね」
「説明する手間が省ける。素晴らしく効率的ではないか」
まるで計ったように……本当に計ったのだろうが、ロッテ伯爵が姿を見せて俺に一通の手紙を渡した。
差し出し人はレブラント校長である。
封を切って手紙を読むと、そこにはこう書かれていた。
「『回避の水晶のレシピ開発。傷薬の大量生産による実技。すでに進級条件に達しているので、戻ってきたら後期の試験を受けるように』だって」
「錬金学校の一年生など、使える傷薬がどれだけの歩留まりで錬金できるかというところであろう。わざわざ学校に戻る必要はない。このままここで頑張ってくれ。なお、回避の水晶の効果が確認された。マカー大陸の占領地、ホルト王国本国からも注文が殺到している。傷薬の錬金は他の錬金術師たちに任せて、アーノルド殿は回避の水晶の錬金を頼む」
「はい……」
まさか断るわけにいかず。しかも材料であるゾンビの骨を大量に提供されたとあっては、俺は暫く回避の水晶の錬金を続ける羽目になったのであった。