第五十話 ヌゥーーー
「シルビア先生、どうかしましたか?」
「アーノルド君たちは、廃坑に行っていたのですね。それならわからなかったかもしれません。実は、バラバトイの森に『ヌゥーーー』が出たのです」
「ヌゥーーーがですか?」
「はい。ヌゥーーーがです」
『ヌゥーーー』とは、簡単に言うと水牛のような姿形をしたモンスターであった。
その強さは、中級冒険者が一人でなんとか倒せるくらい。
強くもないが弱くもなく、しかも生息地が固定化されていない。
突然ランダムで出現するモンスターであり、初級冒険者たちが運悪く遭遇して全滅したなんて話もたまにあるほどであった。
「ドレイク湖で水を採集したあと、みんなバラバトイの森で素材集めを始めたのですが、ヌゥーーーが出現したので中止となりました」
みんな夜まで、モンスターが出ないキャンプ地で自習をしていたそうだ。
いくら素材集めで冒険者のようにモンスターと戦うこともある錬金術師だが、学生でヌゥーーーに勝てる人は少ない。
講師たちも本職の冒険者とは違うので、プロの冒険者がいなければヌゥーーーと戦うのは危険と判断。
同じくキャンプ地で待機していたそうだ。
ようするに、バラバトイの森で素材採集ができた人はいなかったというわけだ。
「それって大丈夫ですか?」
「いえ、大丈夫ではありません」
この遠足で、生徒たちはドレイク湖の水とバラバトイの森の素材、ベクの廃坑の鉱物などを入手して錬金の練習をする。
この素材がないと生徒たちは存分に錬金の練習ができず、錬金の習熟度に大きな影響が出るわけだ。
「いまだ、ヌゥーーーはバラバトイの森を徘徊していると思われ、かと言ってこのまま成果もなく明日帰るわけにもいかずなのです」
生徒たちは冒険者ではなく、さらに半人前の錬金術師という扱いなので、バラバトイの森での素材探索を続行した結果、ヌゥーーーに殺されると学校の責任問題になってしまう。
しかし、このまま遠足を中止してしまうと生徒たちは素材を集められず、七の月の期末試験に向けての自習錬金ができなくなってしまうので、シルビア先生以下引率の教師たちは困っているというわけだ。
「とにかく今は対策を協議中なので、今日はこのまま就寝してください」
シルビア先生にそう言われたので、俺たちは自分たちのテントが張られた場所へと戻るのであった。
「ヌゥーーーとか、変な名前のモンスターね」
「変だけど、そういう名前だから仕方がないよ」
シルビア先生からは就寝しろと言われたが、まだ時間が早すぎるし、どうも彼女たちは混乱して大切なことを忘れているようだ。
俺は、班の人数分の夕食を調理錬金鍋で作っていた。
メニューは簡単に『味噌チャーシュー麺』となっている。
材料は、小麦、味噌、純水、塩、具材の野菜、ワーボアの肉、卵である。
調理錬金鍋の蓋に開いた穴から湯気が立つと、チャーシューと野菜炒めたっぷりの味噌ラーメンが完成した。
しかも、半熟卵つきである。
「こうやって、半熟卵を割って麺に絡めて食べると美味い」
「(そういえば、ヌーって動物がいたわよね? アフリカかどこかに)」
俺が味噌チャーシュー麺半熟卵トッピングを堪能していると、裕子姉ちゃんが地球上にいる似た名前の動物のことを囁いてきた。
「(それは『ヌー』。今問題になっているのは『ヌゥーーー』だから)」
「(そんなの、どっちでもいいじゃないの)」
「(よくはないよ)」
だって、もし他のモンスターと間違えたら大変じゃないか。
もしかしたら、シャドウクエストの設定に出てこないモンスターだっているかもしれないのだから。
間違って命取りになったら困るじゃないか。
「(これだから弘樹は……どうでもいいことばかりよく覚えて勉強が駄目だから、私は叔母さんに頼まれて勉強見ていたのよ)」
「(それはもういいじゃん!)」
今はちゃんと、錬金術師と貴族としての勉強をしているのだから。
それに、その無駄知識が今の俺の生活と評価を支えているのだ。
この世に役に立たない知識はないということの証明であった。
「アーノルド、どうなるだろうな」
「このまま帰ると大変なことになると思うから、プロの冒険者でも呼ぶんじゃない?」
遠足が何日か長引いて多少カリキュラムが遅れても取り戻せるが、ここで生徒たちがバラバトイの森の素材を手に入れないと、生徒たちが自習でできる錬金の回数が減ってしまう。
遠足で採取できなかった分の素材を学校で負担するとなると、財政的に色々と厳しいような気がするのだ。
つまり、今はこのまま待機でプロの冒険者を呼び寄せる。
プロの冒険者なら、ヌゥーーーの討伐はそんなに難しくない。
「俺の姉貴がいればな」
「エリーさんは忙しいんじゃないの?」
実力のある冒険者だと聞いているので、そんな急に、しかもヌゥーーーの退治依頼は引き受けてくれないと思う。
「実は、遠征していていないけど」
「ほらね、やっぱり」
裕子姉ちゃん、それは俺のセリフなんだけど。
「実際のところ、俺、アーノルド、ローザで倒せないかな?」
「倒せるね」
「倒せるんだ」
「凄いね、アーノルド君」
アンナさんとエステルさんがえらく褒めてくれるけど、ヌゥーーーは中級冒険者なら一人でも倒せるからな。
学校の講師たちは戦闘馴れしていないので、ヌゥーーーとの戦闘に躊躇しているというのもあると思う。
「倒してしまわないか? 明日も廃坑に行きたいじゃないか」
「シリル、もう収納カバンの中は鉱石で一杯よ」
アンナさんは、ここで無理にモンスターを倒さなくても、どうせ収納カバンは鉱石で一杯。
もう採集は難しいとシリルの考えに否定的な発言をした。
「それは、『純化』で嵩を減らせるから」
『純化』があるシリルと裕子姉ちゃんが使える鉱石の金属成分のみを取り出し、金属のインゴットにしてしまえば、嵩が減って収納カバンには大分空きが出るはずであった。
あと、ハズレ扱いのクズ鉱石も、俺が錬金してチタンのインゴットにしてしまえば、これも嵩を減らせる。
「アーノルド君、魔石はどうするの?」
ロックスライムの魔石も大量に確保してあり、これも収納カバンの場所をかなり埋めているとエステルさんが指摘した。
「これも、魔石の『統合』を行うから」
「アーノルド君、魔石の『統合』なんてできるんだ」
シャドウクエストにおいて、ゲームも後半になると品質の低い魔石の使い道が少なくなり、無駄に貯め込んでしまうケースが多かった。
ところが、暫くして魔石は『統合』できるという事実が判明した。
品質の低い魔石を複数統合し、より高品位の魔石にしてしまう。
そうすることで荷物を減らし、高度な錬金の素材として、高く売れる換金アイテムとし、利益率を上げるというわけだ。
この『統合』はシャドウクエスト初期からできる錬金であったが、成功率があまり高くないのが使いにくい理由となっていた。
低品位の魔石でもゴミになれば損をするので、よほど腕のいい錬金術師でなければ、やるだけ損なのでやらないというわけだ。
俺は錬金の特技を持ち、運の基礎ステータス値もカンストしているので、ほぼ100パーセント成功するので問題ないのだが。
「鉱石の『精錬』と、魔石の『統合』をやってから先のことを考えましょう」
「それもそうだな」
夕食が終わると、俺たちは鉱石から金属成分を取り出してインゴットにし、魔石を『統合』していく。
おかげで、五人の収納カバン一杯に詰まっていた鉱石は俺の収納カバン一杯程度にまで嵩を減らすことに成功した。
「これで明日以降も、四人分の収納カバン一杯に鉱石を集められるわね」
「小娘、明日どうなるかなんてわからないぞ」
「ヌゥーーーが出るバラバトイの森は入れないけど、ベクの廃坑なら入れるじゃない。そういう方向で行くんじゃないの?」
確かに、そういう方針になりそうな気がする。
ヌゥーーーを倒せる中級冒険者を呼べなければ、みんなでベクの廃坑に入って残った鉱石を採掘するか、ロックスライムを倒してドロップアイテムを手に入れるしかない。
バラバトイの森で採れる素材は、得た鉱石や金属を売って手に入れればいいのだから。
「しかしだな。ベクの廃坑の奥まで行くのは大変だぞ。ロックスライムは武器が壊れやすいから、学生ではそんなに鉱石を集められない。俺たちは、アーノルドのおかげでこんなに上手く行っているんだ。それと、俺は姉貴のおかげでそこそこレベルが高い。アンナさんとエステルさんも、アーノルドの作戦をこなせる能力は十分にある。だが、学生全員がそれをできるわけではないんだ」
そうか。
シリルは元々、俺たちがいなければ主席、アンナさんとエステルさんは次席、第三位の成績優秀者だ。
当然基礎ステータスの数値は高めのはずで、ロックスライム相手なら、チタン製のツルハシを使えば苦戦などしないというわけだ。
「じゃあ、どうなるっていうの? とっちゃん坊や」
裕子姉ちゃん、いまだにシリルが小娘呼ばわりするから反撃したな。
「誰がとっちゃん坊やだ!」
「シリル君が、ローザさんを小娘なんて呼ぶからよ」
「シリル君は、レディーに対する礼儀が欠けていますね」
「くっ……正論すぎて言い返せない……」
この件に関しては、アンナさんもエステルさんも裕子姉ちゃんの味方だった。
確かに、この学校では身分差は関係ないとはいえ、陛下の姪を小娘呼ばわりはよくないよな。
裕子姉ちゃん本人にそんな気はなくても、あとで貴族たちがシリルを罰しようとするかもしれないのだから。
シリルもいい年なんだから……そうだった。
彼は見た目が二十歳すぎでも、まだ十五歳だったんだ。
「わかったよ……それで、ローザはなにか手を打ちたいって思っているのか?」
「アーノルドなら、なんとかできるんじゃないの?」
「できそうな気はするな。で、どうなんだ? アーノルド」
「倒せるよ」
今の俺は、基礎ステータスがカンストしていて、さらに暇を見てはレイス狩りを続けてレベルも上げていた。
現時点でレベル73なので、数字だけ見ると中級冒険者には届かないが、実はその辺の中級冒険者よりも遥かに強いというのが現実だった。
ただ、ヌゥーーーとの戦闘経験がないので油断は禁物だけど。
「俺もレベルはそこそこあるから、手を貸せるぞ。アンナさんとエステルさんはやめた方がいいな。ローザは知らん」
「私も手を貸すけど」
「じゃあ、頼もうかな」
このまま放置していると明日以降も待機と言われて時間を無駄にしそうなので、ヌゥーーーを倒してしまうか。
ただ、やはり実戦経験のなさが不安要素なので、ここは安全策で行こう。
「ローザさん、モンスターとの戦闘に参加して大丈夫なの?」
「アンナさん、アーノルドがいるから大丈夫ですよ」
俺、随分と信用されているみたいだな。
「アンナさん、ローザは戦闘に参加しますけど、直接ヌゥーーーと戦うわけではないので」
「戦闘には参加するけど、戦うわけじゃない。それはトンチ?」
「いえ、直接戦わないという意味です。あと、アンナさんとエステルさんにも協力はしてもらいます」
以上のような経緯から、俺たちは密かにヌゥーーーを倒してしまうことにするのであった。