第四十四話 アンナとエステル
「同じ錬金ばかりで退屈だな」
「そうだね」
「本当にね」
最初の課題を初日でクリアーしてしまった俺たち三人は、今日も午前中は義務となっている傷薬(小)の錬金を行っていた。
他のクラスメイトも同じだが、成功率が50パーセントを超えないと課題はクリアーできず、こちらの教室に移動できないわけだ。
「シリル、そろそろ課題をクリアーした人はいないのかしら?」
「さっきシルビア先生に聞いてみたんだが、もうそろそろ成績優秀者はこちらの教室に来る時期らしいぞ」
最初は激しく口喧嘩したシリルと裕子姉ちゃんであったが、今は普通に話せるようになっていた。
別に、双方野獣というわけでもないから当たり前なんだけど……。
「今日で二十日目だから、期間の三分の二かぁ」
「俺たちのような例外は別として、普通の成績優秀者はこの頃には最初の課題をクリアーしているそうだ」
「なるほどね」
午前中の義務が終わり、午後になったので自由に錬金できる時間になった。
早速、昨日得た素材で錬金でもしようかと思っていたら、ついに課題をクリアーできたクラスメイトが現れたようだ。
教室に二人の女子生徒の姿があり、見覚えもあった。
「こんにちは」
「よろしくお願いします」
二人とも女子だったが、錬金術師の才能に性別は関係ないから偶然であろう。
俺たちは男子二名女子一名なので、まあ確率の範囲内というやつだ。
二人は共に十八歳だと、初日の自己紹介で聞いた。
錬金学校に入学する平均的な年齢だ。
錬金術は、色々と学ぶ基礎知識が多い。
ある程度の学力があった方がいいので、大体入学がこの年齢になってしまうのだ。
入学が早い人は、貴族の出で幼少の頃から家庭教師や家臣に教育を受けていたり、優秀な錬金術師は勉学にも優れている人が多かった。
そういう人が必ず錬金術師になれるわけではないが、基礎学力があった方が大成しやすいのも事実であった。
「確か、アンナさんとエステルさんですよね?」
「百年に一度と謳われる天才錬金術師君に、私たちの名前を覚えてもらえていたなんて光栄ですね」
などとアンナさんが言っているが、この二人は綺麗なお姉さんたちなので記憶に残っただけだ。
男子生徒……シリル以外印象が薄いなぁ……。
一つ気になるのが、俺が『百年に一度の天才錬金術師』と呼ばれている点か。
否定はしないけど、俺の場合、ただ事前にゲームの知識で知っていただけだからな。
頭の出来は、至って普通だと思う。
それにしても、天才甲子園球児や、ボジョレーヌーボーの出来でもあるまいし、『○○年に一度』なんて呼ばれ方、案外あてにならないと思うのは俺だけであろうか?
「改めて自己紹介を。アンナ・アンドレです」
「エステル・フランソワーズ・ユメルです」
アンナさんは、この世界の人にしては背が低い。
百五十五センチほどしかないであろう。
緑の髪を無造作に後ろで束ね、眼鏡をかけている。
もの凄く綺麗な人なのだが、身嗜みは最低限といった感じだ。
研究者肌のように見える。
エステルさんは……胸がデカいな。
つい男性としての本能で胸に目が行ってしまう。
「ふんっ!」
「痛っ!」
それに気がつかれてしまい、再び裕子姉ちゃんに蹴りを入れられた。
いきなり蹴りを入れるのはやめてほしいな。
「失礼でしょう!」
「つい本能で……「シリルも!」」
「ローザ、お前! もっと手加減して蹴れよ!」
いや、シリル。
裕子姉ちゃんの今のステータス値から考えると、それでも手加減しているんだ。
「胸なんて大きくても錬金には関係ないですし、むしろ肩が凝りやすいのでいいことなんてありませんよ」
なんというか、アンナさんと比べるとこの人は泰然としているというか……。
フワっとした、腰まで伸ばしたピンクの髪に、服の上から着るローブの上からでもわかる大きな胸。
そして、胸の大きさを指摘されても気にしない精神力の強さというか……この人にセクハラ発言しても気がつかれないかもしれない。
あと、アンナさんとは違って、この人を見て錬金術師だと思う人は少ないと思う。
「シリル君には勝てないだろうなと思っていたけど、さらに二人。錬金の世界は厳しいですね」
「最年少入学者にして、すでに新しい錬金のレシピを発見した天才君だからね」
「そうなの? アンナ」
「ゴミを素材に戻す還元錬金を見つけたそうよ。入学して一か月と経たずにね」
「へえ、凄いんだ」
俺は、エステルさんに褒められた。
ちょっと天然の気もありそうなエステルさんだが、笑顔で綺麗なお姉さんに褒められると嬉しいものだ。
あと、胸も大きいし。
こういう時、制服扱いのローブが邪魔だな。
「ふんっ!」
「痛っ!」
裕子姉ちゃん、自分はまだペッタンコだからって、持てる者への嫉妬とは情けない。
「二人は仲良しさんなんですね」
「はい、とっても仲良しです」
「婚約者同士なんでしょう。この学校では身分は関係ないと言うけれど、卒業後には関係あるわけだから、エステルはアーノルド君に手を出さないように」
「アンナ、私は年上が好みだから」
中身はともかく外見は八歳下なので、俺もエステルさんに野心とかはないけど、面と向かって好みの男性ではないと言われるとかなりショックであった。
恥ずかしい天才錬金少年のあだ名だが、これがモテに利用できれば素直に甘受しようと思っていたのに。
そういえば、デボラさんもシリルにしか興味なかったよな。
「アンナさんって、色々と詳しいみたいね」
そう言われると確かに、アンナさんは俺たちのこともよく知っていたな。
得意技は、情報収集なのであろうか?
「女には色々とあるのよ」
その色々が知りたかったのだが、誤魔化されてしまったな。
「あと数日もすれば、課題をクリアーできたクラスメイトの数も増えると思います」
「傷薬(小)の成功率五割まで、あと少しっていう人も多いからね」
俺たちのクラスは成績優秀者が集められたA組である。
課題をクリアーできない人は少ないのか。
「それで、私たちも『四の月』が終わるまで、ここでアーノルド君たちと一緒に傷薬(小)の錬金をしまくるというわけ」
来月になったら、少しでも高度な錬金に挑戦できるよう、今のうちに実績を積んでおくわけだ。
傷薬(小)の錬金を続けてさらに成功率をあげ、黒字評価を増やせば、もっと高度な錬金に挑戦できる。
錬金は失敗しながら覚えるのが普通なので、普通は傷薬(小)から順番に、失敗を重ねながらステップしていくわけだ。
俺はちょっと例外だけど。
「早速また、傷薬(小)の錬金が始まるわね」
アンナさんは、早速この教室での自習……傷薬(小)の錬金だが…を始めた。
「傷薬(小)は、いくらあってもすぐに売れてしまうから、学校の先生たちも『作れ! 作れ!』とうるさいくらいね」
「冒険者のモンスター退治に、マカー大陸への補給もあるからだと思う」
魔王軍によるマカー大陸の完全制圧を防ぐため、各国から軍人・貴族・冒険者有志による派遣軍が送り込まれている。
激戦が続き、負傷者が続出しているので、怪我人の治療に使う傷薬はいくらあっても足りないわけだ。
もう一つ、傷薬はアンデッドにダメージを与えられるので、そちらの需要もあるんだよな。
マカー大陸にはアンデッドも多いので、聖水だけだと足りないのだ。
「というわけで、私も頑張ります」
そう宣言すると、エステルさんはローブの上からエプロンを着けて作業に入った。
この学校の生徒は、学年ごとに決められた色のローブを着るのが必須なのだが、その上にエプロンを着ける人はエステルさん以外いないはず。
汚れる作業もあるのでエプロンを着けても構わないと思うけど、その柄がヒヨコなのはどうかと思う。
エステルさんは、もう十八歳なのだから。
本人はやはり天然の気があるようで、あまり他人からの視線を気にしていないようだけど。
「この学校に入学する前から、このエプロンを着けて錬金の練習をしていたので、これを着けると集中できるんです。ローブだけだと気分が乗らないので」
なるほど。
錬金には集中力も必要なので、エプロンを着けることで錬金の成功率が上がれば、それは間違っていないというわけだ。
絵柄がヒヨコなのは、これはスルーしてあげた方がいいと思うけど。
この人、ほんわかふんわりしていてとても可愛らしいのだが、やっぱり天然な人だよな。
「私と正反対でしょう? これでも錬金の腕前は悪くないのよ」
「情報重視で理論派のアンナさん、感性派のエステルさんですか?」
「そんな感じね」
しかもこの二人、家が隣同士で幼馴染の関係なのだという。
「最初は私だけが錬金をしていたのよ。そこにエステルが『私もやってみる』って始めたら、この学校の試験にも受かったってわけ」
「運がよかったのね」
残念ながら、錬金学校の入学試験は運で受かるようなものではない。
エステルさんには本物の才能があるのだ。
「年上が同級生でやりにくいとは思うけど、よろしくね」
「よろしくね、みんな」
これでようやく五人になったが、アンナさんとエステルさんは他の錬金に挑戦する実績作りのために、午後からも傷薬(小)ばかり作っていた。
二人は、現時点で七割ほどの成功率であった。
『錬金術』と『純化』の特技はなく、知力と器用の数値が高いのだと思われる。
「失敗、成功率が八割を超えるように頑張らないと」
「私も失敗しちゃったわ。次、頑張ろうっと」
二人は本当に幼馴染なのかと疑うほどタイプが違った。
時おりメモを取りながら、理論的に成功率が高い錬金方法を模索していくアンナさんに、一見大雑把に見えるが、成功率はアンナさんとほぼ同じのエステルさん。
どちらが正しいということではなく、錬金は成功すればそれが正しいのだ。
強いて言えば、アンナさんのようなタイプの人の方が講師には向いているであろう。
エステルさんだと、教わる生徒が混乱してしまう。
「ゴミはこちらにください」
「ゴミの『還元』ね。アーノルド君って凄いわね。でも、錬金の方法は堅実ね」
それは、俺が裏設定の方法を用いて錬金をしているからだ。
『純化』で材料から不純物を取り除き、必ず必要量を計ってから錬金を行う。
知力、器用、運の数値がカンストしているので、これを守ればまず失敗などしないのだ。
「素材の配合量と質は、成功率に大きな差を出しますので。特に水の質は重要ですね」
『純化』で水を純水にできる者とできない者との差は、無視できないほど大きいといっても過言ではないであろう。
だが、すべての錬金術師たちに純水を支給することは不可能であった。
生産性を考慮するなら、『純化』が使える錬金術師が他の錬金術師に供給する純水を作るという手がある。
ところが、純水の価格はかなり低い。
失敗が減るのだからもっと高く供給してもいいと思うが、失敗分も原価に折り込めるので買い手の錬金術師側がお金を出さないのだ。
それに、綺麗な湧き水や井戸水でも成功率が上がるので、むしろそういう水を得られる場所の権利の方が高かったりした。
『純化』がある錬金術師も、他の錬金術師に純水を提供するよりも、自分の錬金に使った方がはるかに儲かる。
そして今の錬金ギルドや学校の幹部たちに、その辺の利害調整をする余裕はなかった。
上にいる錬金術師たちは自分も実力者なので、その辺の配慮が及ばないのだ。
「私は『純化』が使えないけど、家の庭にある井戸の水質がいいのよ。これを使っているわ」
「私も」
二人の住むエリアは、庶民が住む町ながらも綺麗な井戸水が出ることで有名な地域であった。
錬金術師も多く住んでおり、二人の両親は錬金術師ではないそうだが、それに関連した仕事をしているそうだ。
「他にも細かな配合比の試行錯誤などもあるわね。その辺は、各錬金術師の極秘事項ってわけ。当然、アーノルド君は知っているだろうけど」
「ええ」
「アンナ、新しい錬金レシピを発見したアーノルド君が知らないはずがないよ」
「それもそうね。アーノルド君は新入生の中で一番才能があるって言われているからね」
「私たちも、もっと錬金の成功率を上げないとね」
一般的な錬金物の基本的な配合比率などは、錬金学校で本を読めば簡単にわかる。
だが、それをそのまま実行しても、必ず錬金が成功するわけではないのだ。
素材の品質、使用する器具、細かな配合比など、個人個人で試行錯誤を繰り返す。
そこで得られた情報は秘匿されることが多く、まあその人にとっては効率的な錬金でも、他人が試すとそうでもなかったりするので、必ずしも他人に錬金のコツを教えないことが悪というわけでもない。
新しい錬金レシピも同じで、これも秘匿する者と、レシピを販売する者がいた。
この世界では著作権など存在しないので商人側が無茶をするケースが多く、俺のようにレシピを販売するケースの方が稀であった。
俺の場合、デラージュ公爵がいるから権利が守られているので特殊な例かもしれない。
多分、今までに新しいレシピを見つけた錬金術師は多いはずだ。
だが、それが後世まで伝えられた例は少ない。
だから、シャドウクエストのゲーム内で次々に新しい錬金レシピが発見されるイベントが発生するわけだ。
裏設定では、そういうことになっていた。
「アーノルド君は、毒消し薬を作っているの?」
「昨日、素材を採集したのです」
俺は、アンナさんの問いに答える。
素材は持ち込みなので、これの販売益は自分のものとなる。
必ず校内の購買で売却し、錬金学校側にも利益供与する必要があったが。
「外で販売すればもっと儲かるけど、学生の間は仕方がないわね」
「そうですね」
エステルさんはいつもニコニコしているので、俺も思わず笑顔で答えてしまう。
それにしても、年上なのに可愛らしい人だな。
恋愛シミュレーションなら、間違いなく攻略対象キャラになるはずだ。
「我々が損ばかり、というわけでもないですけどね」
その代わり、貢献度に応じて難しい錬金にも挑戦できるから一方的に損というわけでもない。
優秀な生徒から得た利益で、普通の生徒やそうでもない生徒を鍛える。
これがこの学校の決まりだから仕方がないのだ。
学生時代だけであるし、校外において自分の素材で錬金する分には、自分で使おうが、どこに販売しようが自由であった。
「お疲れ」
「またね」
五人は夕方まで錬金を続け、今日も放課後となった。
なぜか錬金ばかりしているように思えるが、早く他のクラスメイトたちが課題に合格しないと座学の講義がおこなわれないので仕方がなかった。