第三十三話 リルルの料理(後編)
「食材の切り方よし! 調味料の分量もよし!」
その日の夕方、早速リルルは引っ越してきたばかりの家のキッチンで夕食を作っていた。
これまでレミーから酷評され続けたのであろう。
リルルは慎重に食材を包丁で切り、調味料の分量なども何度も細かく計っていた。
「アーノルド、どうなの?」
「見た感じ、普通に料理しているけど」
レミーが言うほど酷くは見えないんだよなぁ……。
包丁裁きも普通どころか、野菜の均等な切り方とか、かなり上手な部類に入るであろう。
きっと母親であるレミーが、小さい頃から厳しく教育したのだと思う。
火加減が強すぎて焦げることもなく、調味料も入れすぎとか、入れなさすぎという風にも見えない。
このまま調理すれば大丈夫だと思う。
「本当に、普通に作っているわね」
裕子姉ちゃんは、リルルによるとんでもない調理風景が見られると思っていたようだが、誰が見ても手際のいい調理作業にしか見えなかった。
裕子姉ちゃんの場合、それは漫画とアニメの見過ぎだと思うけど。
「これで、レミーが言うほど酷い料理になるかな?」
「ならないと思うわ」
そうだよな。
きっとレミーの基準が厳しすぎるだけなんだ。
俺と裕子姉ちゃんは、安心してキッチンをあとにするのであった。
「……リルル、これはなにかな?」
「ワイルドカウを使ったシチューです」
「シチューなんだ……」
調理の手際を見た限りでは完璧だったのに、なぜか完成したシチューは紫色だった。
しかも、コポコポと泡を立て、白い煙が立ち昇っている。
均等に切っていたはずの野菜も、よく食材として使われる牛型のモンスターの肉も、どうやら紫色の液体のせいで溶けてしまったようで、スプーンで探っても具材はまったく見つからなかった。
代わりに、紫色の液体をかき混ぜたせいであろう。
酸っぱい臭いが辺りを漂い始めていた。
「シチューなのか?」
ビックスも、この紫色の危険液体に驚きを隠せないようだ。
「ええと、ビックスが最初にリルルの料理を食べたいって言ったのよね」
「そうだったな」
「確かに言いましたけど……」
そのセリフのあと、ビックスは『酷いですよ! アーノルド様! ローザ様!』で心の中で叫んだと思う。
それでも、言い出しっぺの責任として最初にそのシチューを食べてもらわなければ。
「実は、紅イモのシチューかもしれない」
そんな材料、使ってるところを見ていないけど。
牛型モンスターの肉を使ったシチューなので、実は茶色っぽい色が正解だ。
レミーが作ると、実際そういう色のシチューになる。
どういう仕組みで紫色のシチューになるのか、本当にこの世界は不思議に満ち溢れているなぁ。
「(弘樹、これはどういうことなの? ゲームの設定で説明できないの?)」
「(裕子姉ちゃんこそ)」
恋愛シミュレーションゲームのイベントで、主人公が攻略キャラに料理を作ったらこうなった……とかないのであろうか?
「(これを作って食べさせたら、攻略キャラの親密度がダダ下がりよ!)」
「(それもそうか)」
となると、やはりシャドウクエストの設定か?
飯マズイベント……そうだ、思い出した!
「(思い出したの?)」
「(思い出したけど……)」
シャドウクエストで、主人公パーティに入れられる女性キャラがいて、その人のイベントで不味い飯を作るというものがあった。
特技なのにマイナス的な性質を持つ、それでいてレアなる『飯マズ』を持っている設定なのだ。
実は『鑑定』並にレアな特技なのだが、効果がマイナスなので当然人気はなかった。
「(飯が不味い特技って……嫌な特技ね。というか、特技なの? それ)」
どんなに上手に調理しても、できあがった料理は殺人級に不味い。
確かに特技かと言われると、返答に困ってしまうな。
「(デメリットばかりじゃないんだよ)」
一つマイナスの特技を持っていると、実はその人は二つ特技を持てた。
リルルは、飯マズの他に二つ特技を持っているはずだ。
まあ、教えてはくれないだろうけど。
「うっ……」
俺たちが小声で話をしている間に、リルルの縋るような視線に耐えられなかったのであろう。
ビックスが紫色のシチュー?を、一口分スプーンで掬って口に入れ、予想どおりに今にも死にそうな表情を浮かべていた。
顔色もどんどん悪くなっているような……。
「(ええいっ! 覚悟を決めるんだ!)」
俺もリルルによる調理を許可した以上、いくら廃棄物に見えても紫色の液体を口にしなければいけない。
覚悟を決めてひと口食べてみるが、次の瞬間、口の中を苦み、酸味、辛さ、生臭さなどが広がっていく。
とにかく負の要素が折り重なった味が、今にも俺を三途の川の向こう側に送り込んでしまいそうだ。
「(こんなに不味いシチューは……シチューなのかな? これ)」
「(怖いことを言わないでよ!)」
裕子姉ちゃんが俺に苦情を言うが、彼女もリルルの調理を認めたんだ。
責任を持って食べてもらわないと。
「(うっ!)」
ようやく覚悟を決めて紫色の液体を口に入れる裕子姉ちゃんであったが、誰が食べてもシチューが美味しくなるわけではない。
この世の終わりのような表情を浮かべていた。
若干、顔にチアノーゼが浮かんでいるようにも見える。
俺は急ぎ、『治癒魔法』を裕子姉ちゃんにかけた。
「(凄い味ね。モンスターの毒殺に使えるかも)」
随分と大げさな言い方であったが、必ずしも嘘とまでは言えない印象を俺は持ってしまう。
「やっぱり駄目ですか? お母さんは、もう料理は諦めなさいって言うんです」
それは正解……可哀想だけど、いくら包丁裁きを上達させても、絶妙な味加減を覚えても、特技のせいで料理が完成すると産業廃棄物ができあがる。
これこそが、特技の面倒臭さでもあったのだ。
「リルル」
「はい」
「確かに、リルルは料理には向かないかもしれない。でも、その代わりになにか特技があるはずだ」
「よくご存じですね。アーノルド様」
シャドウクエストの設定だからな。
「料理以外で得意なことは? お茶を淹れるのが上手とか?」
「あのぅ……私、料理は駄目なんですけど、どうしてかデザートは上手に作れるんです」
そう言うと、リルルは事前に作っていたショートケーキを俺たちの前に置いた。
見た目は、まるでお店で売っているかのような素晴らしさだ。
「これは美味そうだな」
試しに試食してみると、生クリームの上品な甘さとイチゴの酸味が絶妙なバランスを保っていて、とても美味しいショートケーキであった。
「美味しぃ」
「俺は甘いものがそんなに好きじゃないんですけど、これはいいですね」
裕子姉ちゃんもビックスも、リルルが作ったショートケーキに舌鼓を打っていた。
とても幸せそうな表情をしながらショートケーキを食べている。
「なるほど。リルルは、『パティシエ』の特技持ちか」
これだけ美味しいケーキを作れるのだから、間違いなく『パティシエ』の特技を持っているはずだ。
ここまでデザートが美味しいと、特技を隠すのも難しいな。
「はい、私はデザートなら得意なんです」
不思議な話だが、シャドウクエストだと特技のせいで料理は上手だけど、デザートは不味い。
またその逆もよくある話だった。
すべて特技のせいである。
「じゃあ、明日からはリルルにデザートだけ作ってもらえばいいのね」
「それがいいな」
これだけ美味しいデザートを作れるのであれば、毎日だって食べたいくらいだ。
「レミーさんは、どうしてリルルの特技を隠していたのでしょうか?」
料理が駄目なら得意なデザート作りをさせればいいのにと、ビックスは思ったようだ。
「それは、毎日ケーキだと俺が太るからかな?」
「えっ! そんな理由ですか?」
そんなとは言うが、貴族の跡取りが食事管理もできずに太れば、それは他の貴族たちの物笑いの種になってしまうからな。
優れた上級メイドというのは、そういうところまで気にする……人もいると聞いた。
全員ではないのは、太った貴族というのも一定数存在するのが証拠となっているわけだが。
いくら注意されても、貴族の方が偉いので節制しないで太る貴族もいたからだ。
「料理はレミーに任せるということで」
「ですが、私のお仕事がなくなってしまいます」
まだ半人前のメイドであるリルルは、俺の傍に控えて雑用をするばかりでなく、レミーのようにテキパキと仕事をこなしたいようだ。
随分と真面目なんだな。
「学校に入って暫くすると、成績優秀者は錬金工房を営むことができると聞いた。リルルの仕事は一杯あるさ」
間違いなく、今の俺の成績なら錬金工房を営む許可を貰えるはずだ。
錬金学校は四年間と長いので、卒業までに実務を積んでもらおうという意図らしい。
決して、某〇トリエ系のゲームと似ているなんて思ってはいない。
ただ、錬金工房を開けるのは成績優秀者だけである。
学校の実技でろくな錬金ができない奴が工房を営んでも、借金を増やすだけだからだ。
学校の授業だと無料の材料費も、工房を営むとなれば自己負担だ。
高価なものを錬金できれば儲かるが、錬金に失敗すれば、それはそのまま工房の赤字となる。
在校中から評判のいい錬金工房を営んで世間から評価される者もいれば、学校に入学したところで限界がきてなにもできず、退学してしまったり、卒業だけはどうにかさせてもらえた。
なんて生徒が、必ず毎年少なくない数出るのだそうだ。
「工房には色々な仕事があるから、リルルも忙しくなると思う」
「本当ですか?」
「本当だ」
色々と試したい錬金物もあるし、仕事はいくらでもあるはずだ。
「アーノルド様、入学式が楽しみですね」
「ああ」
前の世界にいた頃は学校なんてないに越したことはないと思っていたが、この世界はとにかく暇すぎる。
娯楽が少ないので、シャドウクエストの錬金レシピを色々と試すのが俺の趣味みたいなものになっていたのだ。
「(弘樹、私たちって、体験しているゲームのジャンルが違わなくない?)」
「(そんなことはないっていうか、裕子姉ちゃん、この世界はゲームじゃないんだからさ)」
別に、必ず魔王を倒さなければいけないという法もなく、十五歳になって学園に通うようになったら、恋愛シミュレーションゲームが始まる保証もないのだから。
ただ、俺たちはこの世界で生きて行かなければならない。
そのために、生きる糧となる技術の習得は必要だ。
まさしく『芸は身を助ける』だ。
ましてや裕子姉ちゃんは、将来本当に没落するするかもしれないんだから。
「(それもそうか。錬金ができれば、将来沢山稼げて左団扇よね)」
「(そういうこと)」
錬金なら、もし外国に追放されても使えるからな。
貴族としての地位は、主人公を苛めた報いで取り上げられるかもしれないんだから。
俺も巻き添え食らうかな?
まあ、そうなったらしょうがない。
裕子姉ちゃんとは、物心つく頃からの腐れ縁だ。
一緒にこの国を出ていくとするか。
「(魔王とモンスター軍団もいるから、強くならないとね)」
「(だから、裕子姉ちゃんは早くレベル上げろって)」
「(運の数値……カンストさせたい……)」
「アーノルド様、ローザ様、そういえば私、『裁縫』は得意なのです。学校の制服のサイズ直しをしますから、試しに着てみてください」
「そうか。アーノルド様もローザ様もまだ小さいから、制服のローブが大きすぎるのですね」
俺と裕子姉ちゃんは、錬金学校の制服であるローブを着てみることにした。
はたして、ゲームではセリフ一行しか出ない錬金学校とはどんなところなのか。
ちょっと楽しみになってきた、俺と裕子姉ちゃんなのであった。