第二十七話 アーノルド、バカな子
「裕子姉ちゃん、まだレベルは上げないの?」
「運がカンストしていない以上、勿体ないからまだしないわ」
夜にレイスの大量討伐で経験値を稼ぎ始めて一週間、俺はすでにレベルが30を超えていた。
100を超えると中盤をクリアー可能なのだが、元々俺はマカー大陸に魔王退治に行く予定はない。
そういう勇ましいことは功名心と血の気の多い連中に任せ、ホッフェンハイム子爵としての生をまっとうしていこうと思う。
人間にはそれぞれ、適材適所、生まれ持った役割というものが存在するからな。
一方、将来の悪役令嬢に転生というか憑依してしまった裕子姉ちゃんだが、人生への危機感を口にする割にはレベルを上げず、経験値を貯めたままだ。
運の数値を100にするまで、勿体ないからレベルは上げない方針らしい。
運がよければ没落しないような気もするけど、もしここがゲームの世界だと強制イベントで没落してしまうかもしれない。
もし没落しても運がよければ第二の人生が上手くいくかもしれず、そのためにも必死で運の基礎ステータス値を上げているのであろう。
「裕子姉ちゃん、今運はいくつ?」
「87よ。あと少しで運もカンストするわ」
「頑張ったなぁ……俺もだけど……」
隠れ能力値のタネは種子の中にあるので、朝レイス退治を終えて家に戻る前に王都中の穀物倉庫を見回って、『鑑定』で反応を探した成果であった。
さすがに穀物の袋に入った一粒を取り出すのは困難なので、裕子姉ちゃんは穀物を袋ごと、もしくは倉庫ごと購入して強引に隠れ能力値のタネを入手している。
しかも、怪しまれないように必要のない穀物は孤児院などに寄付していた。
運の数値を上げるために、実家の財力まで利用する。
もっとも裕子姉ちゃんの真意が見えない人たちは、裕子姉ちゃんを善意の人だと噂しているけど。
偽善だけど、孤児院に食料が渡っているからいいことはしているんだよな。
没落を防ぐ効果もあるのかな?
「経験値は貯められるからいいじゃない。でも、このゲームっておかしくない?」
「どこが?」
「レベル1から2に上がるのに必要な経験値が一万って、頭がおかしいわよ! 普通は10とかじゃないの?」
「普通のRPGならねぇ……しかしながら、これはシャドウクエストなのでした」
「そう言われると納得できてしまう自分が怖いわ……」
シャドウクエストは、妙な部分がリアルに作られている。
子供でも簡単に殺せるプリンを10匹程度倒したところで強くなるわけがなく、だからレベルが上がるわけがないという設定なのだ。
それを忠実に再現すべく、経験値を一万貯めないとレベルは上がらなかった。
もっとも、毎日根気よくプリンを何万体も倒せば、レベルは上がらなくても基礎ステータスの力や速度、器用などは上がっていくけど。
レベル100までは、経験値が一万ずつあればレベルが上がる。
最初は辛いけど、あとで楽に……はならないな。
レベル100だと、中盤もクリアーがやっとだから。
実はこのゲーム、バランスが崩壊している。
根気よくキャラを強くできる人じゃないと、最初で投げ出すのがオチなのだ。
真にキャラを強くしたい俺のような人間だと、基礎ステータスを先に上げるから余計に根気ゲーと化してしまうのだ。
「裕子姉ちゃん、根気あるね」
「根気はないけど、将来がかかっているからよ」
もし没落した時に、力がないと辛いからか。
「最悪、マカー大陸でモンスター退治をすれば生きていけるじゃない。お父様から聞いたわ。あそこには、凄腕の冒険者たちが一杯いるって」
魔王軍の南下とマカー大陸完全制圧を防ぐため、世界中の国家が、名を挙げんとする貴族が、交替で軍勢も送り、有志冒険者たちも日々死闘を繰り広げている。
魔王軍が操るモンスターは強力で、落とす魔石の質も高く、ドロップアイテムも素材として高く売れた。
レアアイテムの中には一獲千金のものもある。
マカー大陸で活躍する者たちは世界中で称賛され、ついでにモンスターの魔石とアイテムは倒した者のものになる。
名誉と金を求め、彼らは最前線へと旅立つのだ。
ホルト王国だって交替で軍勢を送り出し、貴族や冒険者個人で参加している者も多い。
裕子姉ちゃんは、最悪そこに行くと言っているのだ。
「危ないでしょう」
「もしゲームどおりに私が悪役令嬢して処罰されたら、そこしか居場所はないわよ。だから、何が何でも強くなる。運の数値は、弘樹が懸命に上げただけあって、高ければ高いほど有利なのは確実ね」
「まあ、それはそうだね」
運を100にしておけば、レアアイテムの出現頻度が常人の10倍以上になる。
レベルアップでわずかながらも増える可能性があるので、できれば運は100にしておいた方がいい。
もっとも、とても大変なので普通の人は途中で諦めるけど。
今回の俺の場合、『鑑定』があって本当に助かった。
隠れ能力値のタネが使えたのだから。
あれがなければ、カジノで死ぬほど稼いで通常の能力値の種を入手するしかないのだ。
「霊糸も随分と溜まったわね」
一日に最低一個、多い日は二個得られるので、今の時点では十七個持っている。
リルルのメイド服と裕子姉ちゃんの皮のドレスの『置換』で二個使い、あとは死蔵している状態だ。
実は、今の時点でこの世界では霊糸が見つかっていないことになっている。
下手にその存在を世間に公表してしまうと、色々と面倒なので死蔵しているというわけだ。
正確には、いくつか霊糸を使った装備品が伝わっている。
ただ、どうやって霊糸なるアイテムを入手すればいいのか?
錬金で作れるのか?
その辺が現時点ではまったく不明なアイテムとなっており、現存品の価値はとてつもなく高かった。
リルルもビックスも、霊糸の存在については口を噤んでいる。
二人は代々うちに仕える家の出だから、守秘義務が完璧なわけだ。
この世界では口が軽い使用人など、いつ雇い主から追い出されても文句は言えないので当然か。
「あと数日で、錬金学校に入学ね」
「レイス退治は、休みの前の日とかにするしかないね」
レイスは纏めて簡単に倒せて経験値が美味しい。
レアドロップアイテムである霊糸もあり、暫くは続けたいところだ。
「でも、ふと思ったんだけど……」
「なにをかしら?」
「ここ恋愛シミュレーションゲームの世界だよね? 俺、錬金とレベル、ステータス上げしかしてない」
確かにシャドウクエストのシステムと世界も混じっているけど、この世界の大元は恋愛シミュレーションのはず。
俺の見た目はまだ十歳くらいだけど、そろそろ可愛い女の子が登場してほしいところだな。
リルルも結構可愛いけど、ちょっと幼い……ああ、リルルはアーノルドよりも年上なんだ。
「……いい弘樹」
「はい?」
裕子姉ちゃん、突然なんだろう?
「弘樹って、今までに彼女とかいたことがある?」
「……ないです……」
アーノルドになる前は普通の高校生だったけど、彼女とかいた試しがない。
俺が一番長く接している女子が裕子姉ちゃんの時点でお察しだよな。
でも、俺はイケメンアーノルドになったのだ。
ステータスとレベルも上げているから、きっとこの世界ではモテモテ街道を驀進できるはず。
主人公キャラに攻略キャラの友好度を知らせる役目は、ゲームじゃないから必要ないはずだ。
上手く距離を置いてつきあえば、きっとゲームに出てこない可愛い女の子とかが沢山いるはずなのだ。
「大丈夫、俺は頑張ってモテモテキャラになるからさ!」
「このアンポンタン! アーノルド様をナンパキャラにするな!」
「ゲームのアーノルドと今の俺は違う」
「その前に、あんたは私の婚約者なの! 私は今も可愛いでしょう? 大きくなったらもっと綺麗になるから、あんたは私で満足していなさい」
「それ、なんて告白?」
「王子様とかの攻略キャラは、主人公に任せるから。私と弘樹は高みの見物。あんたは私の物よ!」
「酷い! そんな強引な理屈!」
というか、裕子姉ちゃんって俺のことが好きなのか?
そんなこと、考えもしなかった。
「いいじゃないの。お互い外見は違うから、結構新鮮じゃない。ほら、私たちって顔を合せる機会が多かったから」
確かに、家が近いからよく一緒に遊んでいたからな。
あまりに遠慮がない関係のため、裕子姉ちゃん、俺の前でも平気でBL系のゲームとかもするし……。
そういう関係になるには親しすぎるような気もするけど、今の時点でお互いこれ以上は幻滅しないで済むって利点はあるよな。
ただし、俺は新しい女の子と知り合いたいです。
「へへんだ。無駄よ。お父様が弘樹を気に入っているから。私は三女だから子爵家に嫁いでも全然構わないし、優秀な錬金術師である弘樹は必ず昇爵するだろうからね。しかも、私の伯父である陛下も了承済み」
「なんだってぇーーー!」
別に裕子姉ちゃんが嫌なわけじゃないけど、俺の淡い恋愛体験は?
まだ十歳なのに許嫁がいるなんて、そんな人生面白くないじゃないか!
「残念。この国で貴族として生きるのなら、陛下のご意向に逆らっては駄目よ」
「ずるいぞ! 裕子姉ちゃん!」
「いいじゃない。私なら、ローザと違っていい奥さんになるからね。ちゃんと夫を立てるいい妻になるわよ」
「絶対に、俺が〇スオさんみたいになるんだぁーーー!」
「そんなことはないって。それに、私はこう思うのよ」
「どう思うって? 裕子姉ちゃん」
「実はこの世界、アーノルド様が攻略可能な、最新型かもしれないって」
そういえば、前にそんなことを言っていたな。
主人公と攻略キャラとの親密度を教えてくれるアーノルドもイケメンなのに、彼を攻略できないのはおかしいと。
でも、今度発売される最新版では、ファンの要望に応えてアーノルドも攻略可能になっている。
この世界は、その最新バージョンの世界なのではないかと。
「シャドウクエストの世界観や設定が混じっているのに? 第一、アーノルドを攻略できるのは、ローザが苛めている主人公なんでしょう? ローザじゃない……」
ていうか、ローザって誰の攻略ルートでもどのキャラとも親密になれず、最後には必ず主人公を苛めた報いを受けて没落するんじゃなかったっけ?
「世界観はそうでも、現時点でまったく恋愛シミュレーションゲームが始まっていないし、もうこのまま永遠に始まらないかもしれない。ローザとアーノルドがくっつくシナリオなのよ、きっと」
「それはちょっと強引な解釈のような……」
「大丈夫だって。王子様とか、他にイケメンが沢山いるから、主人公が出てきても、選び放題じゃない」
「もの凄い強引な解釈……」
とはいえ、ローザの誕生日パーティーで知り合ったイケメンたちを見たら、さすがの主人公もわざわざ俺を選ぶなんてないはず。
確率としてはかなり低いはずだ。
「とにかく! お父様も陛下も認めてくれている! 私と弘樹が将来結婚しても問題なし! いいわね?」
「そういうことになってるの?」
「あれだけ色々と錬金していれば当たり前じゃない。嫌なら自重すればよかったのに」
「それは無理」
だってこの世界、本当に娯楽の類が少なくて暇だったから。
だって、漫画もアニメもゲームもないんだからさ!
大体そんな環境でなければ、俺が真面目に貴族としての教育なんて受けるわけないじゃないか!
それにしても、いつの間にか勝手に外堀を埋められ、俺は外見悪役令嬢、中身従姉の裕子姉ちゃんの婚約者にされてしまうとは。
貴族社会、恐るべしだな。