第十五話 体力上昇青汁
「ここよ」
「うわぁ。凄い設備だね」
「まさに大貴族が持つに相応しい錬金作業場ってやつね。お金がかかるみたいだけど」
「だよねぇ……」
「そういうのを持つのも貴族の見栄、力の誇示ってやつね」
裕子姉ちゃんに案内された錬金作業場は広くて豪華だった。
錬金は危険な薬物を使うこともあるし、時に爆発の危険もある。
そのため、デラージュ公爵邸から離れた石造りの頑丈な建物に中にあった。
「ローザ様、アーノルド様。いかがなされました?」
錬金作業場の中では、一人のメイドが掃除をしていた。
どうやら、今はデラージュ公爵家お抱えの錬金術師は留守のようだ。
「バートン様なら、今はお留守ですよ。お父様が亡くなられたとかで、故郷に向かわれましたので。三週間は戻って来られません」
日本みたいに電車や飛行機もないので、遠い故郷を行き来するのに時間がかかるというわけだ。
掃除の手を止めた中年女性メイドが裕子姉ちゃんに事情を説明した。
バートンという人物が、デラージュ公爵家お抱えの錬金術師のようだ。
「マーサ、アーノルドさんが錬金をしたいそうよ」
「アーノルド様は、錬金ができるのですか?」
「うん、少しだけ」
本当は特技を持っているけど。
錬金は、特技がなくても器用と知力が高ければ、練習次第で中級くらいまでの物は作れる。
ゲームだと、かなり材料を無駄にしてしまうけど。
「それは凄いと思うのですが、勝手に道具や素材を使われてしまうと、あとで私がバートン様に怒られてしまうのです。勿論、旦那様にもです」
それはそうだ。
ここにある器具や素材は、デラージュ公爵家の資産から出ているのだから。
「隅の机を貸してもらえればいいから。基本的な道具と素材は自分で持ってきたんだ」
「そうなのですか。では、向こうの机でどうぞ」
場所を貸してもらえたので、俺はデラージュ公爵邸に一度戻って持参した錬金で使う道具と材料を取りに行った。
「アーノルド君、お勉強かな?」
「はい。錬金の勉強です」
「君は、その年で錬金ができるのか」
「傷薬は作れます」
「それだけでも大したものだよ」
途中顔を合せたデラージュ公爵は、子供の俺が傷薬を作れると聞いてえらく感心していた。
「錬金作業場で作るのだね?」
「はい」
「上手く作れるのが確認できたら、作業場は自由に使って構わないよ」
「ありがとうございます」
俺は、デラージュ公爵にお礼を述べてから作業場へと戻る。
「今日は、傷薬(大)を作るか」
実は、傷薬は(小)も(大)もそう作り方に違いがあるわけではない。使用するヒール草の数が(中)だと(小)の三倍、(大)だと(小)の五倍かかるだけであった。
ただし、混ぜる水の純度、流し込む魔力の量が品質に余計左右されるようになる。
(中)は(小)の五倍、(大)は(小)の十倍失敗する確率が高かった。
失敗すると材料がすべて駄目になるので、(大)はよほどの熟練者しか製造しない。
錬金工房で新人に任せる時には、訓練目的で失敗前提という設定であった。
ゲーム画面中でも、毎回傷薬(大)の製造に失敗して老人錬金術師に怒られている新人錬金術師が登場する。
「手慣れているわね」
傷薬は、すでに何度も作っているからまず失敗はしないはずだ。
必要な量の井戸水を『純化』し、準備していたヒール草を五本分、計りで重さを計って足りないのならもう少しプラスする。
今回は必要ないようだ。
よく刻んでから一回『純化』をかけ、純水と混ぜる。
魔力を少しづつ送るとビーカーの中が眩しく光り、それが終わったあとには薄い緑色の液体が残っていた。
この工程は、他のどの錬金でも同じであった。
傷薬(大)は失敗の危険性があるので、一度に一回分しか作らないくらいだ。
「完成。これを鑑定すると……」
薬品:傷薬(大)
品質:A
効果:かなりの重症でも傷が治る
価値:75000シグ
上手くいったようだ。
品質もAだから悪くない。
Sは俺の運があってもなかなか出ないし、初めて作ってAなら上等であろう。
傷薬(小)と(中)で練習しておいてよかった。
「本当に成功したわ! 傷薬(大)ってもの凄く高いわよ」
標準価格が七万五千シグだからな。
重症が完治するのだから、これでも安い方だと思うけど。
上級冒険者なら、必ず複数を携帯するのが常識だと聞いた。
多少高くても、命には代えられないのだから。
「錬金工房を貸してもらえるかの瀬戸際なので、もっと作るか」
その日は、持参した材料をすべて使って傷薬(大)、毒消しを作った。
今はプリン相手なので必要ないと思うが、一応いくつか持っていた方がいい。
余った物は売ってしまう予定だが。
「凄いわ。この技術を生かして他のものを錬金するのね」
「そういうこと。まあ、材料がないけど」
体力を上げる『体力上昇青汁』を作るには、一個につきプリン玉が千個必要であった。
なおこのレアアイテム、実はゲームだと中盤以降にしか作れない。
なぜなら、ゲームだと中盤で手に入る大袋がないと、アイテムを九百九十九個までしか持てないからだ。
勿論、今はゲームではないのでそういう制限は存在しなかったが。
「プリン玉を沢山ね」
今の俺は体力が55、あと45上げるのにプリン玉が四万五千個必要になる。
裕子姉ちゃんの場合は……。
「八万七千個ね……気が遠くなる数だわ」
今の裕子姉ちゃんの体力が13。
87上げるとなると、八万七千個か。
自分で集めるとなると、とてつもない時間と手間がかかるな。
「プリン玉って、一個いくらくらいなのかな?」
「一個五~十シグがいいところね」
基本的には錬金の素材、食品や生活用品の材料にしかならないし、その気になれば誰でも大量に入手できる。
そんなに高値で売れるはずもないか。
ゲーム中だと、購入する奴がいないというか、基本的に販売していないアイテムだったからなぁ……。
「一個十シグで計算すると、僕の分だけで四十五万シグか」
「私は八十七万シグね」
手に入れた骨董品を売れば入手できるな。
集めてくる商人との交渉が必要だけど。
「弘樹、プリン玉の入手は私に任せなさい」
「大丈夫?」
いくら公爵令嬢でも、そう簡単に百万シグ超えの金を準備できるものなのだろうか?
「そのくらいなら大丈夫だし、大量購入だから価格交渉するに決まっているじゃないの」
「なるほど」
裕子姉ちゃん、『交渉』の特技持ちなのかな?
などと思っている間に、裕子姉ちゃんはデラージュ公爵邸に出入りしている商人と交渉して、プリン玉の購入取引を纏めてしまった。
「また随分と大量に必要なのですね」
「この子が、傷薬を飲みやすくする研究で使うんですって。プリン玉の核が大量に必要だそうよ」
「プリン玉の核がですか?」
「効果を保ちつつ、飲みやすい傷薬の研究をしているんだ。色々と試したくてね」
「なるほど」
勿論、これは裕子姉ちゃんと口裏を合わせた大嘘であった。
大量のプリン玉を用いた体力上昇青汁の製造方法は、シャドウクエストが発売されてから大分後になって見つかった錬金の秘密配合であり、この世界で知っている人はいないはず。
いても、そう簡単に他人に教えるはずがない。
俺もできる限りレシピは隠すつもりであった。
「なるほど。これだけの品質の傷薬(大)が作れるアーノルド様ですから、絶えず研究も行っているのでしょうな」
プリン玉の代金は裕子姉ちゃんが自腹で出すが、俺も商人を誤魔化すために自分で作った傷薬(大)と毒消しを彼に見せていた。
俺が将来有望な錬金術師だという印象を植え付け、研究のために大量のプリン玉がほしいのだと思わせる作戦だ。
「この毒消しも品質が高いですな。おい」
さすがは、大貴族家に出入りする御用商人だ。
自分である程度品質を見極めてから、後ろにいた眼鏡の中年男性に声をかけた。
「鑑定させていただきます」
中年男性は、眼鏡を外してから薬液の色を確認したり、瓶の蓋を外して匂いを嗅いでいる。
鑑定の特技がない人は、こうやって五感を駆使して錬金物の鑑定を行うのだ。
「間違いなく品質はAですね。アーノルド様は優れた錬金術師になられるでしょう。いや、もうなっていますね」
俺が錬金したものは、プロの鑑定士からも高品質品と認められた。
「納得いたしました。その若さでこのレベル。新しい研究にも手を出したいようですな。ご協力させていただきますとも。他の錬金材料も、どうぞ私にご用命くださいませ。ところで、錬金した傷薬なども売っていただけるとありがたいのですが……」
「余っている分だけでしたら」
「これからも、錬金した品は私に卸していただけるとありがたいですな」
無事に交渉が纏まり、数日後、頼んでいた大量のプリン玉が届いた。
十万個を超えるプリン玉がわずか数日で届く。
さすがは、デラージュ公爵家の御用商人である。
「それで、これを間違いなく千個ずつに分ける。九百九十九個でも、千一個でも、数え間違えて錬金した時点で失敗です」
ゲームだと、使用するアイテム数はゲージを上げ下げすればいいだけだけど、現実ではちゃんと数えないといけないのが面倒だ。
「一日あれば終わるはずよ。頑張るわ」
俺と裕子姉ちゃんは、主不在の錬金作業場で黙々とプリン玉を数え、千個ずつに纏める作業に没頭した。
絶対に間違えられないために何度も確認し、それだけで一日が終わってしまう。
「目を瞑っても、プリン玉が瞼の裏に浮かんでくるわ」
「裕子姉ちゃん、慣れだよ。慣れ」
俺はすでに何十回も経験していたので、そこまで大変じゃなかった。
それでも、十万個を超えるプリン玉は圧巻だったと思う。
「でも、デラージュ公爵はなにも言わないんだね」
「だって、私は三女だからそこまで拘束がキツクないもの。政略結婚の駒として重要なのは上の姉様たちだけよ」
「そうなの?」
それでも陛下の姪だから、政略結婚の引き合いが強いと思っていた。
「どうでもいいじゃない。なにも言ってこないんだから」
「まあ、そうだけど……」
無事に材料の数分けが終わり、俺は体力上昇青汁の錬金を始める。
ただ、百三十二個を失敗しないように作らないといけないので、体力上昇青汁だけで二日を要してしまった。
それでも失敗なく完成したので、俺はほっと肩を撫で下ろす。
「これが、体力上昇青汁なのね。不味そう……」
「不味いよ」
体力上昇青汁は、とにかく不味い。
青臭い、土臭い、どろっとして舌触りも最悪、苦みも酷い。
これを飲み干せた褒美で体力が上がるのだろうと、実際に飲んだ人たちに思わせてしまうほどだ。
「うげぇ、本当に不味いわね」
裕子姉ちゃんは、体力上昇青汁を半分ほど飲み干してから顔を歪めた。
「全部飲まないと体力が1上がらないからね」
「わかっているわ。こういうことは、早く終わらせるに限るわ!」
裕子姉ちゃんは、残りの体力上昇青汁を一気に飲み干した。
そして……。
「アーノルド君、ローザは君が試作した苦みの薄い傷薬の試飲をしすぎて、お腹が一杯で夕食が食べられないそうだね?」
「申し訳ありません。そこまで試飲する必要はないって言ったんですけど……」
「まあ、毒じゃないからいいと思うけどね」
その日の夕食の席に、裕子姉ちゃんの姿はなかった。
彼女は嫌なことは一度で済ますと、八十七個の体力上昇青汁を一気に飲み干し、お腹が膨れて食事を食べられなくなってしまったのだ。
俺は何日かに分けて飲む予定だったので、普通にローザ以外のデラージュ公爵家の方々と夕食を共にするのであった。
それにしても、裕子姉ちゃん。
少しは加減というものを考えようよ。