第十三話 ローザVSアーノルド、裕子VS弘樹
「それにしても、私がローザって……どういう罰ゲームなのよ」
外で見張っている二人に聞こえないように、俺と裕子姉ちゃんは顔を近づけて話を続ける。
ローザは美少女なのだが、所詮は八歳の子供でしかない。
あまり興奮はしないが、さすがは大貴族のご令嬢、いい匂いがするな……って、俺は変態か!
「でもさ、裕子姉ちゃんに主人公役の人は似合わないから」
裕子姉ちゃん、綺麗だけど正統派ヒロインの性格はしていないと思う。
それは長い付き合いだから、俺が一番よくわかっていた。
「悪かったわね!」
「ギブギブ!」
裕子姉ちゃんに首を絞められ、俺は気が遠くなりかけてしまう。
外の二人に気がつかれるので、大声は出さないように努力をした。
「でも、ローザのように意地悪ではないけどね」
変わり者ではあったけどね。
過去形じゃなくて、今も変わり者か。
「まあいいわ。弘樹は、なぜアーノルド様なの?」
「知らないよ」
朝起きたらこうなっていたのだから。
理由がわかったら、まずは俺に教えてもらいたい気分だ。
「その件はいいわ。考えても仕方がないし」
もうこの世界に飛ばされてから五年以上だ。
元の世界に戻れる可能性は少ないと思う。
「あのさ、なんで裕子姉ちゃんは、アーノルドの中身が俺だってわかったの?」
外見は勿論、今の俺は声もイケボだからな。
裕子姉ちゃんが好きな声優さんと同じ声だ。
まだかなり幼いけど。
「私がゲームを何周したと思っているのよ。いくら幼いアーノルドでも、本物と全然動作や喋り方が違うから」
それだけなのか。
というか裕子姉ちゃん、どれだけあのゲームをやり込んだんだ?
「私は、幼いアーノルドと会うのを楽しみにしていたの。ところが、実際に話をしてみると違和感があった」
悪かったな。
偽物のイケメンで。
俺はゲームに出てくるイケメンみたいに、スマートな言動はできないんだよ。
「決定的だったのは、あのプレゼントよ」
シルク製のハンカチ。
特におかしな点はないはずだ。
値段もちゃんと慣習に従った価格にして、序列を乱すような真似はしていない。
「弘樹は、本当に女性にハンカチを贈るのが好きね。去年のホワイトデーを覚えている?」
去年のバレンタインデー、俺は『義理』と大きくペイントされたチョコケーキを裕子姉ちゃんから貰ったので、そのお返しにハンカチを贈ったというわけだ。
そのハンカチの柄は……。
「あれ? 薔薇とスミレだったかな?」
無意識とはいえ、裕子姉ちゃんに贈ったハンカチと同じ柄を選んでしまっている。
「でも、それだけで?」
偶然、同じ柄のハンカチを選んだ可能性だってある。
それだけでアーノルド=俺と断定するには弱いような気がした。
「弘樹、あんたワイングラスの持ち方が間違ってる。グラスの脚の方を持ってた」
「あれ? またやってたかな?」
裕子姉ちゃんの誕生日に、俺も伯母さんに招待されてワイングラスで乾杯するようなお店に招待された。
俺と裕子姉ちゃんはジュースだったけどね。
その時に、『あんた、それおかしい』と言われたのを思い出した。
ワイングラスを持つ時には、ボウルの部分を持つのがマナーとして正しい。
脚を持つ人が日本人に多いのは、ソムリエが脚の部分を持ってワインの粘性や色を観察するのを見る機会が増えたために広まってしまったらしい。
脚を持った方がワインの温度変化が少なくてワインの味を落とさないというのは、日本人にしか通じないルールなのだそうだ。
「あのパーティーで、ワイングラスの脚を持っていたのは弘樹だけよ。この世界では、勘違いした日本人なんていないから」
それにしても、もの凄い観察眼だな。
裕子姉ちゃん、能力は素晴らしいんだよな。
若干変わり者だけど。
「私が、弘樹を見逃すはずないじゃない」
「数少ない同朋だからってか?」
「そんなところね」
このゲームの世界において、もう一人俺と同じように登場キャラに憑依してしまった人がいたわけだ。
しかもその人は、俺の知り合いであった。
「それにしても、ローザってどういうことよ」
「確かに、悪役お邪魔虫キャラだものな」
典型的な嫌味なお嬢様で、父親の地位を傘に威張っている。
媚びへつらう取り巻きたちと共に実家が没落した主人公を下賤だと言って苛め、主人公と攻略キャラが仲良くなってくると嫌がらせに拍車がかかる。
主人公と攻略キャラが結ばれると、必ず最後に報いを受けて庶民に落とされてしまうのだから。
「でも、主人公を苛めなければいいじゃん」
「弘樹は甘い」
「甘いの?」
主人公に嫌われる=攻略キャラとその家族、周囲の人たちからも嫌われるわけで、苛めないで嫌われなければローザ様は安泰なのではないか?
「私も苛めるつもりなんてないけど、ここはゲームの世界よ。私が意地悪役にならなければ、そういう風に持って行こうとする可能性がある」
大まかな話の流れを変えないように、俺たちがどうしようもできない神の領域から修正が入る。
歴史の修正力と同じような理論というわけだ。
本当にそんなものは存在するのかはわからないけど。
「必ずしもそういう保証もないのでは? だって……」
混じっているシャドウクエストの方もあるから、これから大分話は変わっていくと俺は思うのだ。
俺の知識もいつまで通用するか。
「俺は恋愛シミュレーションゲームをプレイしていないからわからないけど、このゲームってRPG要素あるの?」
「あるわけないじゃない」
ああ、やっぱりなかったんだ。
「そうなんだ。てっきり、イベントでモンスター退治とかあって、成功すると親密度とかが上がるのかもって思ってた」
「そんなシステムやイベントはないわよ。こんなクソシステムがなぜ混じるのよ?」
そんなことを聞かれてもなぁ……。
俺が知りたいくらいだっての。
「とにかく、私は今ピンチなのよ」
「えっそう?」
実家は金持ちの公爵家だし、ようは主人公に関わらなければいいだけのことだ。
「そっちもあるけど、なによこのわけのわからないカードは?」
裕子姉ちゃんは、シャドウクエストをやったことがない。
ネットで酷評されていた以外の知識も少なく、どうすればいいのかわからないのであろう。
「でもさ、裕子姉ちゃんは強くなる必要ないじゃん」
別に冒険者になるわけでもないし。
娘をモンスター退治に出すほど、デラージュ公爵も切羽詰まっていない。
周囲も止めるだろう。
だから、無理に強くなる必要などないのだ。
「必要あるわよ」
「あるの?」
「決まっているじゃない。もし私が運命に抗えずに没落してしまった場合、力が必要じゃない。職なんて選んでいられないわ」
裕子姉ちゃんが没落したら、外国に行かなければ駄目だろう。
いきなり余所者に安定した仕事があるはずもなく、冒険者なら稼げるという結論に至ったわけだ。
だから強くなりたいと。
「ねっ? 詰んでいるでしょう? 私」
断定できるほど詰んでいるとは思えないが、没落の可能性はあるわけだ。
でも、それに俺が巻き込まれるのもあれだな。
俺も子爵の跡取りとして安定した生活を送りたいし。
もし裕子姉ちゃんに手を差し伸べた罪で、俺まで一緒に没落すると思うと……。
でも、裕子姉ちゃんは俺に優しかった。
この世界に来る前も、勉強サボってアホになっていた俺に親身になって勉強を教えてくれた。
ちょっと変わり者だけど、ガチじゃなくて二次元のイケメンが好きなだけだから、ちょっと趣味人なだけなのだ。
「できれば没落したくないけど、もしそうなった時に強くなっていないといけないのよ」
「そんな無茶な……」
ご覧のとおり、俺はプリンくらいは沢山いる田舎に住んでいて、シャドウクエストの知識もあるから効率よく強くなれる。
でも、裕子姉ちゃんがモンスターを倒す機会なんてないんじゃないのか?
父親であるデラージュ公爵が認めるとも思わない。
「弘樹、シャドウクエストを極めた時の知識を生かしているわね? あと、なにか特技は?」
「それは言えないよ」
特技やステータスは、親にも話さないのが常識なのだから。
いくら裕子姉ちゃんでも、それは話せません。
「冷たいじゃないの」
「それがこの世界の常識だから。郷に入れば郷に従えだよ。裕子姉ちゃんは、貴族のご令嬢として生きていかないと」
主人公を苛めなければ、まず没落する心配はないと思うんだよなぁ……。
公爵令嬢なんだから、生活で苦労することもないと思うし。
「というわけで」
「私、政略結婚とか嫌よ」
「嫌って言われても……」
それが貴族のルールだし、例外は学園で攻略キャラと結ばれるくらいだ。
でも、彼らはみんな家柄がいいか金持ちだから、親も納得するんだよな。
となると、主人公が攻略キャラと結ばれるのは例外?
でも、主人公は没落したとはいえ貴族の娘だからなぁ……。
「弘樹、ここで王子を狙って主人公と取り合いになったら、私が詰むじゃないの」
「そうかな? 陰湿な方法を使わないで、正々堂々と取り合えば?」
「弘樹、あんた……女をわかっていないわね」
「わかっていないさ」
彼女なんていた試しもないし。
でもそれを、彼氏がいたこともない裕子姉ちゃんに言われたくないな。
「正々堂々と好きな男性を取り合う? そんなの創作の世界だけよ」
「かもしれないけど、裕子姉ちゃん、ゲーム攻略キャラたちが大好きじゃん」
俺も実際に会ったけど、イケメンだし、性格が悪そうなのもいなかった。
世間の女性たちが惚れて当然だ。
「弘樹、あれはね。ゲーム画面だからいいのよ!」
「いや、そこで堂々とそう言われても……」
せっかく目の前に三次元があるってのに、二次元の方がいいと抜かすか。
しかも、この世界に来て何年経つよ?
「親に言われた相手との結婚なんて嫌! 幸い私は三女だから、上の姉様たちよりは束縛が少ない。強くなって自立した女を目指す! 強くなっておけば、もし没落した時でも対応できるもの」
「なるほど」
いいアイデアだな。
でも、残念だ。
俺如きでは、ローザ様のお手伝いはできないなぁ……。
裕子姉ちゃん、俺は密かに応援しているから頑張ってね。
「弘樹、面倒なことになりそうだから、私を避けようとしているわね?」
はい、正解です。
その本音は絶対に口にしないけどね。
「公爵令嬢たるローザ様が、お父君であるデラージュ公爵の意向に逆らって、あちこち出歩くわけにもいきますまい。学園入学まで大人しくなされていた方が」
俺が、裕子姉ちゃんを外に連れまわすなんて不可能。
今だって、レミーやビックスに護衛されながらあちこち出歩いているのに。
これに加えて、裕子姉ちゃんの世話までは不可能だよ。
「というわけです。残念だけど」
俺は、裕子姉ちゃんの頼みを断った。
だって、デラージュ公爵に逆らってまで裕子姉ちゃんの行動の自由を確保するなんて不可能だ。
最悪デラージュ公爵の怒りを買い、ゲーム開始までに俺が没落しかねない。
「俺は正論を言っているんだけどなぁ……」
「弘樹、あんた自分だけ強くなるつもり?」
クソっ!
裕子姉ちゃんもシャドウクエストなんてプレイしたことはないけど、俺がキャラ育成を極めていた事実は知っている。
自分も強くなりたいと思っているんだな。
「ほら、この世界は恋愛シミュレーションの世界だから関係ないもの」
裕子姉ちゃんは、上手く主人公と被らない攻略キャラを落とせばいいじゃないか。
俺も、できる限り協力するから。
「没落の危険性がある以上、強くなっておいた方がいいに決まっているじゃないの」
「だから、それは不可能なんだって」
そうそう裕子姉ちゃんが、この屋敷に来れるはずがない。
つまり、俺は手を貸しようがないのだ。
「またの機会がありましたら。素直に花嫁修業でもしたら? 俺にはどうにもできないよ」
この世界では、俺はしがない法衣貴族の息子でしかないのだから。
「弘樹、妙に知恵が回るようになったわね? 知力が高いのかしら?」
「ステータスも、他人に教えるようなものじゃないからね。ノーコメントです」
「なにか上げる手段があるのね?」
「能力値のタネがあれば上がるよ」
「あんな貴重品、私でも手に入らないわよ!」
平均取引額が一億シグだものな。
公爵令嬢でも、そう気軽に入手できるはずがない。
俺も隠れ能力値のタネは沢山見つけたけど、隠れじゃない方の能力値のタネは二回しか拝んだ経験もなかった。
二回拝めれば十分か。
運のよさ万歳だな。
「弘樹、あんた絶対に強力なアドバンテージを得ているわね?」
「さあ? どうかなぁ?」
これは、普通の人である俺の唯一特技なのだ。
そう簡単に人にバラすわけにはいかない。
「その態度を見れば一目瞭然よ。まあいいわ。こんな誰も頼れる者がいない世界に来てしまった以上、自らの特技を隠そうとする姿勢は理解できる」
そうなんだよ。
これは、小心者の俺が生き延びるために仕方なくやっているんだ。
「もの凄く、気にくわないけど」
「裕子姉ちゃん、公爵の娘で超セレブじゃないか」
「ローザって時点でオワコンよ! あなたが私への協力を頑なに拒むのなら、私にも考えがあるわ」
「考え?」
「今日、屋敷に戻ったらお父様に報告しましょう。弘樹が、私を部屋の中で裸にして、それはもう口には言い表せないようなことを……」
「卑怯な……」
「残念でした。私は生き延びるためなら、こういう卑怯な手も使うのよ」
今思ったんだが、俺は裕子姉ちゃんがローザでもなんの違和感を感じなくなっていた。