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ニキタツ! 万葉八番歌を掘り下げろ。

決まり字何字、八番歌。

作者: 村咲 春帆

 八番歌そのものから離れることで、妄想度が増してまいりました。

 『万葉集』巻一に収録されている「八番歌」(=八番目の和歌)。

熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな」

 という「ご都合主義の契沖(けいちゅう)版」で親しまれている「勇壮で華やかな」一首です。


 これを「文法第一主義」で以下のように読みたいと主張したのが以前のお話でした。

(にき)()()()(ふな)(のり)()()()(つき)(まて)()(しほ)()()()()() (いま)()()()(こは)()

熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ()はな」


 今回は「八番歌自身」という狭い世界から殻を破って、「他歌と八番歌」という比較の中で検証してみたいと思います。



 では、問題です。



 『万葉集』の全短歌四二〇〇余首を「百人一首」のように「競技かるた」にするならば、「八番歌」の「決まり字」は何字になるでしょうか?

 ちなみに「競技かるた」の最長は「あさぼらけ」「きみがため」「わたのはら」といった「初句が同じ」の六字決まりです。

 では、八番歌は? ――六文字より多いでしょうか、少ないでしょうか。



 正解は――なんと、十三字!

 十三字決まりなんです、八番歌は。



 十三字決まりということは「初句から二句までが同じ」、具体的に八番歌で言うならば「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと」までが同じだということになります。そこまで同じ歌が、巻は違えど同じ万葉集にはあるんです。

 これって「偶然」なんでしょうか。



 問題の一首は、作者未詳の巻十二・三二〇二番歌。

 現行『万葉集』による万葉仮名ヴァージョンは以下の通り。

「柔田津尓 舟乗将為跡 聞之苗 如何毛君之 所見不来将有」


(にき)()()() (ふな)(のり)()()() (きき)()(なへ) 如何(いかに)()(きみ)() 所(みえ)()()(らむ)(ある)

「柔田津に 舟乗りせむと 聞きしなへ 如何にも君が 見え来ず有るらむ」


 これを品詞分解して文法的に解説するならば、

柔田津(名詞)(格助詞)(名詞)乗り(ラ四動詞(用))(サ変動詞(未))(助動詞(終)意志)(格助詞)聞き(カ四動詞(用))(助動詞(体)直接過去)なへ(接続助詞)如何に(副詞)(係助詞)(名詞)(格助詞)見え来(カ変動詞(未))(助動詞(用)打消)有る(ラ変動詞(体))らむ(助動詞(終)原因推量)

 となります。


 これを直訳すると、

「柔田津で船乗りするつもりだと(あなたから)聞いたとともに、どうしてあなたの姿が見えずにいるのだろうか」

 というような訳になるかと思います。日本語としてはやや不自然ですが。


 ポイントは、「過去の実体験」を表現する「直接過去の助動詞」である「き」の連体形「し」が使われていることと、「事柄の並行した存在や進行を表す接続助詞」である「なへ」が使われていること。


 これを意訳したのが、

柔田津(にきたつ)で船に乗って配所(=流刑地)から抜け出すつもりだと(あなたから)聞いたのに、どうしてあなたの姿が見えずにいるのだろうか」


 「『柔田津に船乗りせむ』という話を(あなたから手紙か使者か何かによって)直接聞かされていたから、その話の広がりと同時進行であなたの姿を目にすることになるはずが、どうしてそうなってはいないのだろうか」という気持ちを詠んだ歌だと解することができます。



 ここで気になるのは、この歌の「詠み手」が待っていた「君」が誰なのか、ということです。

 よく目にする解説は「柔田津=熟田津=斉明天皇による朝鮮半島への出兵の航路」なる理論から「出兵に参加させられた夫の帰りを待ちわびる妻が詠んだ歌である」というものなのですが。



 「柔田津(=熟田津)に船乗りせむ」ですよ?

 十二字かぶりですよ?

 人為的に被せられた可能性ってものは万に一つもないんですか?



 「自らの身を(哀傷歌(=挽歌=鎮魂歌))八番歌の世界に置いて、アンサーソング的に詠まれた歌」。

 『日本書紀』説を採るなら「軽大娘皇女かるのおおいらつめのみこ御霊(ごりょう)を慰めるために、皇女の帰りを待つ木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)に仮託して詠まれた歌」とか。

 『古事記』説を採るなら「木梨軽皇子きなしのかるのみこ御霊(ごりょう)を慰めるために、皇子の帰りを待つ軽大娘皇女かるのおおいらつめのみこに仮託して詠まれた歌」とか。

 そういった解釈は全く成り立たないんでしょうか。


『日本書紀』説ヴァージョン。

熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ()はな」

熟田津(にきたつ)で船に乗って配所(=流刑地)から抜け出そうと、(私が)月の出(=夜)を待っていますと、満ちていた潮も引き始めて船出にふさわしくなりました、さあ、今こそ(貴方の許へと)漕いでくださいませ」


柔田津(にきたつ)に船乗りせむと聞きしなへ如何にも君が見え来ず有るらむ」

柔田津(にきたつ)で船に乗って配所(=流刑地)から抜け出すつもりだと(貴女から)聞いたのに、どうして貴女の姿が見えずにいるのかしら」



『古事記』説ヴァージョン。

熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ()はな」

熟田津(にきたつ)で船に乗って配所(=流刑地)から抜け出そうと、(私が)月の出(=夜)を待っていると、満ちていた潮も引き始めて船出にふさわしくなった、さあ、今こそ(貴女の許へと)漕いでおくれ」


柔田津(にきたつ)に船乗りせむと聞きしなへ如何にも君が見え来ず有るらむ」

柔田津(にきたつ)で船に乗って配所(=流刑地)から抜け出すつもりだと(貴方から)聞きましたのに、どうして貴方の姿が見えずにいるのでしょう」


 どちらのヴァージョンにせよ、素敵な相聞歌(そうもんか)っぽくなりません?

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