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妄想論

異世界で楽しむ

作者: とびうお君

 何度も書いてるけど、評価のために物語に触れるなって書いてる。目的が摩り替わってるって奴。と言いつつ、今の私は半分は評価が目的になってる。でないと明らかに矛盾だなって行動を取ってる。なろうアニメの感想を見まくった。すごい量のデータがインプットされてしまった。こんなの評価が目的になってないと無い。


 考察ではないんだ。集団の行動の論理見たいのを探ってるのが大きい。考察するポイントが物語自体じゃない。


 そこで改めて纏めてみたのは、新しい発見ではない。より何が嫌われてるか?で優先順位の高いものを調べていた。一番多いのは似たようなものばかりだから。で、これは他のジャンルでも批判があってなろうにおいて顕著な特徴じゃない。私も理解できる。もっと根本的にずれてるって部分を調べていた。


 そこでこれだと分かった。自己投影なんだけど、これじゃ分かりにくい。取りあえずアニメなので転生で好き勝手やって楽しく上手く行くってのが面白くないようだ。結局の所上手く行かないんで欲しいようだ。これって根本の部分でそもそも楽しみがずれすぎて無いか?って点。


 何故なら、これストレス展開そのものじゃないか?と見れるからだ。


 結局、ストーリーって奴なんだと思う。このストーリーって言葉嫌いなんだけどね。多くの人に合わせるとそうなるが、根本的に作画や音楽とは違う中身そのものと言うか、アニメになる前に原作ですでになろう作品アニメで批判的な人嫌いだと断言できる。だって楽しみが分かってないってすぐ分かるから。


 なろうの読者が楽しいと思う中身が、全く楽しい中身と思ってない。そういったものともっとずれてる人はそれを普通にストーリーとして面白く無いと見ている。だから私はストーリーって言葉嫌いなんだ。良く分からなくなってしまうんだ。楽しめればストーリーがどうたらなんてどうでも良いから。


 そんな分析的に見るほどストーリーっての物を分かってるのか?と言いたくなる。多くの人間に伝えやすいつぼを書くとストーリーってのは、ストーリー展開に尽きる。1枚の絵画を比喩として出すと、古いCMでミレーの落穂拾いを時間経過とともに動かすってのがあったと思う。これこそがストーリー展開となる。1枚の絵ではなくその後の動いていく流れがストーリーとなる。


 だがそうだろうか?私は、1枚の絵にすでにストーリーの土台はあると見てるんだ。だから意図的にストーリー展開と展開をつけたんだ。でも多くの人はこのストーリー展開を漠然とストーリーそのものとして言ってしまってると思う。これじゃ分かりにくいんだ。


 もっとシンプルに中身ってのが一番良い。文字で表現するものだと思う。そういったものがなろう外も含めた物語からすると多分つまらないストーリーだと言われてしまうんだと思う。ただストーリーって表現は合ってるのか?が怪しいので、もっと曖昧に中身と書いてる。この楽しみ方を多分知らない。


 楽しいと感じないんだ。ドラえもんの歌詞であんな事良いな、出来たら良いなってのがある。私は以前からなろうファンタジーはドラえもんの道具を使って好き勝手やるものだと思ってる。これをストーリーと言う事がなろう嫌いには出来ないようだ。どらえもんは、そうなってない。いつものび太が失敗して終了になる。これはストーリーとして分かりやすいと思う。


 好き勝手やってのび太ほど馬鹿じゃなくて失敗して楽しんだらストーリーとして認識してくれないようだ。本当に楽しみ方が分かって無いんだ。多分こういうストーリーって無いんだと思う。


 いつも取り立てて珍しい話じゃないとは書いてる。それは大きなものでは冒険譚、小単位では勧善懲悪のヒーロー者などになってるからになる。ただそれは長く続けるための小技に過ぎなくて、根本的になろうファンタジーのツボって私の言う部分じゃないかな?と思うんだ。ドラえもんの道具とチート能力って無茶苦茶似てるんだ。神様=どらえもんとするとより似てる部分が分かる。


 だがドラえもんはそういうストーリーが皆無なのでなろうファンタジーがドラえもんとストーリーが似てると思う人はほとんど居ないんだ。だからストーリーじゃなくて、ドラえもんの構造自体を話すと、ミレーの落穂拾いの一枚の絵画に戻ってくる。のび太が失敗して落ちをつけるからドラえもんのストーリーは違うのだが、根本的な道具を出すその時までなろうファンタジーはドラえもんと良く似てるんだ。


 私はアホが有用な道具を使って失敗するほうが面白くないんだがね…。


 全体のストーリーから言えば違うのだが、前半だけ取り出すと実は映画ドラえもんがなろうファンタジーにかなり似てると私は見てるんだ。映画ドラえもんは道具を有効に使う。正直そこをもっとメインに見たいなってのがあるのだが、映画どらえもんは、そこからは良くあるストーリー展開になっていくので、良いものは良いとしてなろうと似てると言う人はほとんど居ないだろう。


 何故非現実的道具を使って他人より優位にたったりして、楽しんではいけないのか?確かにご都合主義やなんでもありに限度はあるのだが、その辺りの匙加減さえ間違えなければ私は別に苦労せず楽しめるのだが。


 逆に言えばこんな単純な楽しさが感じ取れないって方が理解に苦しむと思ってる。何が楽しいか?で楽しんでる側が伝えられてないのも大きな問題だが、これ簡単すぎて何か難しいか?となる。だからこそ、何故楽しめないのか?の心理が正直言うとさっぱり分からない。


 自己投影とかそんな言葉で片付けるのもどうも嫌なんだ。自己投影とか抽象的過ぎて良く分からないでしょ。私も分かりやすく2項対立にするために自己投影型と観客型って対比させただけで、何故分からない?って部分を強調するには弱いとずっと思ってきた。楽しさが感じ取れない人間がわけも分からずに抽象的な自己投影とか連呼してるのを見るとアホナのか?と見えてくるから。


 私は分かった上で使ってるんだ。


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