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第五話

店員さんに自分の住所を説明して、家までの道を教えてもらった。


現在地は家からそんなにはなれてはいなかったが、なかなかに入り組んでいて、偶然たどり着いたにしては奇蹟みたいな場所にあるようだった。


それにしても、夢の中で行われているハムⅠレースって、いったい……。


夢の中でレースが開催されて、そこで店員さんとまた会えるだなんて、信じられない。


香由花は疑問と興奮を胸に、今日は早くお風呂をすませようと決めた。


「香由花ー、お父さんが帰ってくる前に、お風呂、入っちゃいなさい」


 リビングで、お母さんがさけんでいる。


「あれ? 香由花?」


 お母さんが、自分を探してどたどたとリビングを歩いているのを感じて、香由花はお風呂場の中からさけびかえした。


「今入ってるよー!」


 そう、まだごはんまえだったが、香由花は自主的にお風呂に入ったのだ。今は湯船につかっている。


お母さんが

「あら早いのね」

とつぶやく声が聞こえた。


お風呂場のくもりガラスの向こうはうす暗い程度で、まだ夕方だ。


 ちゃぽん。入浴剤のいい匂いのするあったかいお風呂に、顔を半分しずめる。


「ハムⅠレース……夢の中……」


 湯船に、ゴム製の黄色いアヒルがぷかぷか浮いている。

香由花が顔をしずめた反動で、近づいたり遠のいたりしていた。


「ハムスターと、力を合わせて……樺さんも、出場者……」


 しゃべると、ぶくぶくーと泡が鳴った。


夜に、会いましょう――お風呂を済ませて――パジャマでいい――。


 偶然きいた店員さんと樺さんの会話。



そうだきっと、私は今日ハムⅠレースの夢を見る……。



 香由花は、急いで体を洗って、お風呂を出た。


「そうだ、お母さん。ハムスター飼いたいんだけど……」


「はあ?」


 お風呂を上がって、髪をふきながらリビングに入る。

お肉とじゃがいもの甘辛いいいにおい。

今日は肉じゃがらしい。

ご飯の準備をしているお母さんは、トントンストトンとリズムを刻む手を止めもせずカウンター越しに呆れた声を上げた。


「なに言ってんの。世話できるわけないでしょ。それに、誕生日でもないのに……」


「できる! 世話できる! それに、ちがうの! もらえたの。しかも、ゲージごと! だから買うのはエサとおがくずくらいでいいのっ!」


「ええ~?」


「ほ、本当なのっ!」


 手が止まり、音がやんだ。

今度はお母さんの顔が、少しけげんそうな、とてもうさんくさいものを見るような表情へと変わった。


「どういうこと?」


「今日、ドーナツ屋さんに行こうとしたらね、道に迷ってペットショップに行っちゃって」


「道に迷ったぁ? あんた、どこのドーナツ屋さん行こうとしたの? あそこなら何度も行ったことあるでしょう」


「うん、それは自分でもふしぎなんだけど……。そ、それでね、そこの店員さんと仲良くなったの! で、えーとえーと、余ってるハムスターがいるからくれるってことになって、でもお金ないって言ったら、ゲージごと持ってっていいよって」


さすがにハムⅠレースのことは言わない方がいいと思った。

店員さんの言うとおり、バカにされるのがオチだろう。


「ええ~……ハムスター? でも……」


お母さんは、包丁を握り直したかと思うと――


「だめよ!」


「ひぅ」


 そのまま突き出した。

刃に張り付いていたきゅうりのカケラが遅れてぽと、と落ちる。


「だめよ! だめだめだめ! 絶対世話できない!」


 お母さんは(はん)(にゃ)のような形相になってつめ寄る。

口から牙がにょきにょきと生えているが、しかし、香由花も負けはしない。

ぐっと意志と拳を固めて、真正面から向かい合う。


「する! するするする、するーっ!」


「いーえっ! アンタ結局しなくなって、仕方なくお母さんがすることになるのよ!」


「そんなことどーしてわかるの!」


「アンタが夏休みの宿題、七月中にぜんぶやるって言って、実際そのとおりにやったことあるとでも思ってんの!?」


「な、夏休みの宿題のことはカンケーないもんっ!!」


 にらみ合う二人。

 緊迫した、はりつめた空気。

 その空気を裂くように――玄関の方から、ただいま~という声が聞こえた。


「お父さ~ん」


 香由花は救世主とばかりにかけ寄った。


 腕に香由花をまとわりつかせて連れ立って台所に入ってきたお父さんに、お母さんがジト目を向ける。


「香由花がハムスターもらったって」


「なんだ、ハムスター?」

 香由花に、ふしぎそうな顔を向けるお父さん。

「ふーん、香由花はハムスター飼いたいのか」


「そうなのっ、飼いたいのっ! ねえ、いいでしょ?」


「はいはい、ご飯にしましょうね」

 カウンターから出てきたお母さんはまるで相手にしないといったように、食卓に食器を並べ始める。

「ほら、香由花も手伝って」


「うん……」


 テーブルにはすぐに、ご飯、みそ汁、肉じゃがの皿、サラダの大皿が並んだ。

「いただきます」と(はし)をとり、みんな食べ始める。


「そういえばこのサラダのキャベツ、おとなりさんからのおすそわけなのよ。今日とれたてだって」

「あー新鮮だと思った」

「それ、ホーント?」

 お母さんとお父さんに、すぐに世間話を開始されるが、


「ハムスター」


もちろん香由花は話題を変えるつもりはなかった。

お母さんがため息をつく。


「だからー、アンタ世話は……」


 香由花が、できるってば! と言い返そうとしたとき、お父さんの、うーんとうなる声が聞こえた。

香由花は何気なしに、向かいに座ったお父さんの方を向いた。


目が、ばちっと合う。


「世話、できるのか?」

 香由花のとなりのお母さんの呆れるような言い方とはちがって、まるで友達に問いかけるような言い方だ。


だから香由花も、誠実な気持ちを込めてうなずいた。

「うん」


「本当にほしいのか?」

「ほしいよ」


 本当かどうかたしかめるようなようなお父さんの目。

でも、なにも隠すものはない。

自分は、ハムスターがほしいのだから。


「そうか……それなら」

 意外にも力強く、そして優しく、


「お父さんは賛成するぞ」

 お父さんがそう言った。


「ほんと?」

「ああ」


「ちょっと~、なに言ってるのよ」

 お母さんが困惑しきったように、二人を交互に見る。

「生き物っていうのは世話が大変なのよ。途中でそれに気づいたって、やめることはできないのよ」


お父さんは

「香由花は、世話すると約束した」

と言うと、肉じゃがをぱくぱく食べ始めた。


それからお母さんは何度かお父さんに

「できなかったらどうするのよ」と抗議したけれど、

お父さんは

「香由花とは約束した」の一点張りで、香由花を守ってくれた。


「ねえ」

「約束だ」

「あなた」

「香由花はそう言った」

「……」

「……」


とうとうしまいにはお母さんも折れて、


「……じゃあ、世話できなかったら、すぐにそのペットショップにお母さんが返しに行くからね! お母さんが、世話できてないって思ったら、すぐにだからね!」


飼うのを認めてくれた。


「や、や、やったあああああっ! わかったよ、世話するもん! だから大丈夫だもん!」


 本当に、今日はなんていう日なんだろう。


信じてくれたお父さんと、認めてくれたお母さんに感謝して、ハムスターを絶対に世話することを香由花は誓った。


ずっと飼いたかったハムスター……。


もっと早く、こうやって言ってみればよかったな。



なんて後悔したりもした。

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