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第十四話

 あれっ。

 そういえば。香由花は頭を巡らせた。

 私、頭でぽよ踏んでない!?


 いっしょに寝たぽよは枕元にいたはずだ。枕の左のほうに。香由花は左をふり向いた――いない。


 ちょっと、ぽよどこにいるのっ!?


 あわてて起き上がり、枕の全体を見渡すもいない。ひざ立ちになって枕に手をかけてひっぺがえす。


 ――いない? あれ? ――あ、そっか。


 香由花はすとんと腰を落とした。ぽよと寝たのは夢の中だ。そうだ、ぽよは現実にはまだいないんだった。見ると、枕元に置いたはずの星型ペンダントも消えていた。

 のっそりと起き上がり、ベッドの上に立って窓のカーテンをシャッと開ける。まぶしさがまし、手ぜまな部屋はすぐお昼のように明るくなる。香由花はぼんやりしながらベッドを下りてドアを開け、まだ残っている眠気にふらふらしながら台所へ向かった。廊下に出るとトーストのいいにおいがした。それから、香ばしい甘いにおい。これはたぶんたまごを焼くにおいだ。ぐうっとおながの虫が鳴く。


(あーおなか……すいたなぁ)


 ますますふらふらになりながら、台所のドアを開ける。


「あら、おはよう香由花。早いじゃない」

「……おはよう」


 椅子に横座りしてテレビを見ながらコーヒーを飲んでいるお母さんにあいさつを返し、自分も朝食の用意された席に着いた。テレビの左はしに表示された赤いデジタル時計は、自分が遅刻していないことを示していた。


 なんだか時間がゆっくり流れている気がした。朝食をとるのも、歯をみがくのも、着がえるのも、全部焦ることもなく終える。どこか時間をもてあましながら珠輝を待った。

ようやく呼び出しのベル音が響き、香由花はランドセルを背負う。くつをはきながら、玄関にある全身鏡で服装の最終確認までできてしまうほどの余裕があった。そでがちょうちんになったTシャツに、チェックのミニスカート。寝ぐせはなし。うん、もったいないくらい余裕だ。


 ピンポーンと呼び出し音が鳴り、聞きなれた「香由花ちゃーん……!」という珠輝の声に、今行くと返事をし、お母さんには「行ってきまーす」と声をかけて外へ出る。


 ノースリーブのワンピースが涼しげな珠輝と並んで、学校へ向かう――。


「昨日はドーナツいっしょに行けなくてごめんね……。でもね、清書が少しできたの」

 珠輝は申し訳なさそうにそう言うと、少しあらすじを話してくれて、香由花は学校についてから、その原稿を受け取って読んでみた。


 ――それはそれは、素晴らしかった。いつも上手な珠輝の絵の、その中でも消されて初めて “いらない線 ”だったと気づく細かい線が、きちんと抜かれていて、まるでプロのようにきれいで見やすい絵だった。読み終えた原稿を丁寧に返し、香由花は教室でぼーっとする。となりでは珠輝がゆったり作業している。別に自分が話しかければ、今日はふつうに話にのってくれるだろう気がした。というより、彼女の方からもぽつぽつ話しかけてきた。けれど、なんだか二、三会話が続いたと思うとすぐ途切れてしまう。


 香由花はなんとなく昨日のあの夢を思い返していた。


 体験したことのなかった、ベッドのあの浮遊感。それから、空を飛んだこと。たくさんの小学生といっしょに、塔まで空を飛んだ。塔の中で、口の悪い、でもどこかおもしろくそして少し謎めいた、私のハムスターで私のパートナーであるぽよと、そしてもっともっとミステリアスな優しい店員さんと観戦した熱いレース・ハムⅠレース。おいしくて大量の食べ物と、ゲームセンターばりのにぎやかさの中、選手たちはいろんな姿を見せてくれた。ある者は勇気で、ある者は知能で道を切りひらき、時にある者は涙の友情を見せてくれた。樺さんの絶叫には、とても、驚かされたけど。

 チャイムが鳴り、また今日も授業が始まった。教科書とノートを机上に出すのがおっくうだ。


 学校……早く、終わらないかな……


 始まったばかりだというのに、もうそんなことを思ってしまう。


 早く、ペットショップに行きたい。そうだ私、早くぽよに会いたい。店員さんに会いたい。昨日のことを、みんなで話したい。早く、早く――


 午前の授業、給食、掃除、そしてようやくラストの授業が終わった。いつにもまして、なんだかどれも長く感じられた。


「ごめん珠輝ちゃん、私、今日早く帰りたくて――」


 香由花はげた箱でくつをかえながら、そう口走っていた。ふしぎそうに、珠輝が首をかしげる。


「用事? なにかあるの?」

「うーん、用事って言うか、行きたいとこがあるっていうか――」


 実は今日、珠輝にもハムⅠレースのことを言おうかどうしようかずっと迷っていた。自分が真剣に話しさえすれば、たとえちょっとふしぎな話だって、珠輝ならば信じてくれるだろうと香由花は疑わない。そして、いつでも夢いっぱい希望いっぱいの話が大好きの珠輝なら、きっと摩訶(まか)ふしぎなハムⅠレースに夢中になることもわかっていた。

けれど、香由花は言うのを迷っていた。ちょっとだけ、自分が夢中になれたもの――ハムⅠレース。店員さんが、「あなたに、賭ける」と言ってくれたもの。


 珠輝はどうしたの、とくちびるをすぼめてたずねてくる。香由花が困っていることに気がつくと、それ以上深くは追求しないで、


「じゃ、いっしょに、早く帰ろう!」


 にこっとほほえむと、軽快にタッタッタッタと足踏みしておどけてみせる。「私も漫画、がんばらなくっちゃ」ぴょん、とうさぎのように跳ねて、楽しそうに笑う。


「……うんっ、そうしよう」


 珠輝と二人走り出してから、けっきょくハムⅠレースについてなにも言わなかったことに、香由花は少しだけうしろめたい気持ちになった。

 そうして自分の家についてしまった。珠輝が手をふってくる。

 香由花は思ったのだ。


 ――珠輝ちゃんには漫画があるんだから。


「また明日ね、珠輝ちゃん」


 香由花は逃げるように手をふりかえした――。

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