05話 最も野蛮な種族Ⅱ
次の瞬間、土煙からはじき出されたのは、ゴム鞠のように地面を跳ねるケイトだった。
「がはっ…………!」
吹き飛んだケイトは、広場の周りの樹木に激突し動きを止める。
「そんなでけェモーションの攻撃が当たるかよォ」
ケイトへ歩み寄る、地精種の男。
甚大なダメージを負ったケイトは、必死に立ち上がろうとするが体に力が入らず、生まれたての小鹿のように震えるだけだった。
先ほどの全身全霊を賭けた蹴りは、簡単には避けられるものではないはずだ。
正面からとはいえ、視界外からの攻撃。
それを、気付くと同時に避けることのできた地精種の男は、ただ者ではない。
――実際に彼は、地精種の街の闘技場では名の知れた兵であり、財産を使い尽くすと、小遣い稼ぎのようにふらっと現れては闘技場を荒らしていた。
そんな彼が人さらいに身を落としたのは、六年前のある事件の余波を受け、地精種の街が作り変えられてしまったからである。
強制的に、人さらいの街に作り変えられた忌まわしき事件。
だが、忌まわしかろうが、忌まわしくなかろうが、働かないことには食っていけない。
男は、息も絶え絶えなケイトに手を伸ばす。
瞬間、男の視界が奪われる。
ケイトが掴んだ砂で目潰しをしたのだ。
(この女、やられた振りを……!)
視界が奪われると同時に、アッパー気味のボディーブローが炸裂する。
ノーガードで食らってしまったが、大した威力ではない。
すぐさま、伸びてきた腕を掴もうとするが、そこには腕はもうなかった。
だが、追撃もない。
視界が回復するには十分な時間が取れた。
視界が晴れると、そこにはあったのは懲りずに走り回る兎獣人の姿。
しかし、息は乱れ、走るスピードは落ち、時々膝から崩れ落ちそうになっている。
(そのダメージで動き回るのはキツイだろうなぁ)
相手に決定打がない限り、男の勝利は揺るぎない。
先ほどの蹴りは、確かに威力は絶大だった。
しかし、助走を必要とする分、攻撃の予測は簡単で避けるのは容易い。
男の両手の鎖分銅が放たれた瞬間、ケイトは再度仕掛ける。
真後ろからの、突撃。
ケイトは分かっていた。
有効打はこれしか無いと。
地精種の男は先ほどと同じように、横薙ぎで迎え撃つ。
これにケイトは跳躍で答える。
「同じ手が通用するかよォ!!」
地精種の男はケイトの跳躍先を予測し、残りの鎖分銅を弾丸のように放つ。
「いねェ!?」
――しかし、そこには茜色の夕焼けが、攻撃を空ぶった男を嘲るように広がっているだけだった。
では、ケイトはどこへ消えたのか。
答えは、地精種の男の少し後ろの、樹木の上部側面である。
『月への憧れ』それが、ケイトの保有する変異魔法だ。
特性は空間転移。
いかなる体制、状況からでも視界の届く範囲に移動ができる。
ケイトはこれを用い、フェイント攻撃をフェイントとし、地精種の男の真後ろに空間転移した。
そしてケイトは樹木の側面を足場とし、ばねのように樹木を蹴って地精種の男に襲い掛かる。
完全な不意打ち、この距離では気付いたところで防御も、避けることもできない。
いくら巨漢だとはいえ、頭部に拳を叩き込まれれば無事ではないだろう。
先ほどの無謀な蹴りも、この攻撃への伏線である。
避けられることなんて、初めから分かっていた。
大事なのは油断させること。
地精種の男に、自分は狩る側であると認識させること。
兎では決して、獅子には敵わないと思わせること。
もし、男が野蛮な狼ではなく、全力を尽くす獅子だったならば、こうはいかなかったかも知れない。
「この……っ!!」
ケイトは地精種の男の頭部目掛けて、右の拳を振り下ろす――
「――え?」
ケイトは理解できなかった。
地精種の男の頭部を殴りつけた瞬間、自分の二の腕の下側以降が水風船みたいに弾けて、血が、肉までもが粉々に爆ぜて辺りを赤く染めていることに。
理解できたのは、新鮮な肉を見せつける腕の断面から、血が思い出したかのように遅れて噴き出し、激痛に浸食された時だった。
そして、勢いをつけて特攻した体は、地精種の男を殴ることができず頭から地面にのめり込む。
「ぁあああああ! 腕ッ! 腕がぁあああ!!」
耐え難い激痛に、残った二の腕を思い切り握りしめ、地面でもがき苦しむ。
その腕を奪い去った地精種の男は、自分の隙を完全に突き、攻撃を仕掛けるも無駄に終わった兎獣人を、理解できないモノを見る目で見降ろす。
それもつかの間、急に頭を抱えて怒鳴り散らし始める。
「あーあ、あーあーあーあーあ。テメェ、よくもやってくれたなクソがッ! 血の匂いを嗅ぎつけて魔獣共がくんだろうがよォ! テメェの所為だぞクソが! テメェが中途半端に強い所為でよぉ!」
地精種の男を守ったのは殴られる瞬間に顕現した、燃え盛る炎を思わせる真紅の棘。
短剣程度の大きさだが、強烈な破壊力を持っている。
この真紅の棘は傷を付けたモノを、無機物だろうが、有機物だろうが、傷口から直径三十センチ程の範囲を爆発四散させる必殺の変異魔法。
名前を『裂殺の茨』という。
普段は自動反撃する『裂殺の茨』を、大事な商品を殺さないように、意図的に抑えていた地精種の男だったが、意識外の攻撃に対し、生存本能が勝り発動してしまったらしい。
「チッ……さすがに、魔獣と追い駆けっこするのはごめんだぜェ。今持って帰れる商品だけ馬車に乗せてとっととずらかるか」
地精種の男は、森に隠していた馬車を広場へ移動させようと――
瞬間、響き渡る絶叫。
ケイトは残りの力を振り絞り、地精種の男へ突進していた。
血を流しすぎた。
痛みが全身を駆け巡り、意識が朦朧として声もよく聞こえない。
体力は底を尽き、体もうまく動かなくなった。
それでも……。
それでも、私の大切な人達を。
私の生きている意味を、人生を奪わせはしない。
しかしそんな想いも虚しく、片腕を無くした体はバランスを崩し、勢いよく転倒する。
「まだ……ですっ!」
倒れた体を『月への憧れ』で無理やり地精種の男へ近接させ、残りの拳を叩きつける。
考えも何も無い感情任せの攻撃。
当然通用するはずもなく、叩きつけた腕も無慈悲に『裂殺の茨』で吹き飛ばされ、受け身を取ることもできずケイトは顔面で地面を抉った。
だが、まだケイトは諦めない。
腕が無いなら足で、立つことができないなら牙で戦う。
必死に地精種の男のズボンに噛みつく。
しかし、あっさりと一蹴されてしまう。
「しつけぇよテメェ、テメェはもういらねェ、そこで囮になって魔獣共に喰われとけ」
ケイトに割く時間も惜しそうに、再び地精種の男は歩き始める。
もう起き上がることもできない。
既に感覚の無い体。
腕を吹き飛ばされたにも関わらず、痛みは全く無かった。
意識が混濁し闇へ溶けていく。
離れていく地精種の男に腕を伸ばすが、既に腕は二の腕以降影も形もない。
せめて子供達だけでも助けたかった。
自分達が助かっても、私が死んでいたら悲しむかも知れないけれど、そうだとしても生きていてほしい。
薄れゆく意識の中、思い出すのは子供達の笑顔。
ずっと、笑っていて欲しかったな……
「誰……か……」
不意に零れた言葉。
夕暮れの森に人なんているはずもないのに。
「――手を貸そうか? 猫の手だがな」
突然、地精種の男の進行方向に人影が現れる。
視界に靄がかかって良く見えない。
幻覚だろうか、愛しい人が重なって見えた。
「マ、マ……?」
ケイトの意識はここで完全に闇に落ちる。
でも、なぜかあの人ならどうにかしてくれると安心できた。
「誰だァ、テメェ? まあいいや、今は構ってる暇はねェんでな、見逃してやるからさっさとお家に帰りな」
新しい獲物の登場に、これ以上を望まない地精種の男はぶっきらぼうに言う。
対し、Tシャツにホットパンツと身軽な服装に身を包んだ子猫は、白銀の尻尾を振って答える。
「生憎、帰る家が無くてな。今はそこの兎獣人の家に世話になってる。だからそいつは助ける。子供達がいなくなったらそいつが悲しむだろうから子供達も返して貰う」
「……あァ? そこの兎は好きにしろ、だがガキ共はダメだ、俺の商品だからなァ」
苛立ちを隠せない地精種の男に対し、シルバーブロンドの子猫は眉一つ動かさない。
「そうか、それなら力尽くで奪い返すまでだ」
「できると思ってんのか? 返り討ちにしてやんよォ」
子猫は腕を組み、鼻で笑う。
「できる、後丁度いいから色々実践させろよ。実戦で実践ってな」
「テメェになにができんだよガキィ、馬鹿にしてんのかァ? テメェもラインナップに加えてやるよォ!」
小馬鹿にする子猫の態度に、地精種の男はその喧嘩買ったと言わんばかりに指の関節を鳴らす。
子猫は余裕の表情を浮かべ、手招きで挑発する。
「どうだろうな? 外見は子猫だが、中身は猛虎だ。油断せず全力で来い」
ようやく主人公登場です