# 1
何も知らずに権威に傾倒する人々は、時として身の破滅を招いている。
気だるげに回る置物用の扇風機の羽の向こうで、テレビが細々と雑音の様な番組を流す。
全世界に知れ渡る無数のニュースの中で多くを占める、他愛もない、不要とも言える情報を差し置いて、一つの見出しが前面に躍り出た。朝刊の一面を飾り、ネットニュースでピックアップされ、テレビのワイドショーはこぞってそれを祝福したがった。コーヒーを啜る見知らぬ男が眼鏡越しの目をくぎ付けにさせられた、お堅い文章。
『軌道発電プラント、5000機目の軌道投入成功』
21世紀最大の電力革命とも言えるこの計画が、遂に完了した。予定された全ての発電プラントが宇宙に打ち上げられ、月周回軌道以内にその周回路を確保した。これによりついに全世界、余すところなく、発展途上国の片田舎にまでこの革命の恩恵がもたらされたのだった。洋服を着たアフリカの部族の長がインタビューに答える様子を字幕付きでちらりと見つつ、オーランドは腕時計を見やった。用事まではあと一時間。丁度いい頃合いだ。ごちそうさん、とマスターに声をかけ、コインを落としてコーヒーハウスを後にした。
喧噪がない生活など考えられないような、都会のど真ん中。
ここはニューヨーク、世界一の都市だ。
街を歩けばあちこちで見かける大型モニター、煌びやかな装飾を施したデコレーションカー、頭の中に殴り込んでくるかの如く会社名を連呼する広告が環境音を演出する。勿論車も、電車も、セグウェイだってそう、すべてが電気で動いている。もう何十年も前のように、電気を節約しなくては未来が危ない、などと警鐘を鳴らすものもいなくなった。地球温暖化、大気汚染などの問題も、かなり解決へと進んでいる。
街路樹から落ちる葉を頭から払い落し、子供用電動スクーターで遊ぶ子供たちに手を振る。平穏な毎日は、科学の力によって支えられている。高層ビルの角を曲がり、地下鉄の出口に歩み寄る。仕事のパートナーは、もうすぐこちらに到着する。
今日は彼にとって仕事と言っても、ほとんどパーティーにお呼ばれしただけのようなものだ。国連主催の、電力関係の有力者が集まるパーティー。それは言うまでもなく、軌道発電監理センターの人類史上に残る功績を讃えるためのものだ。オーランドは有力者本人ではなく、少し早めのインフルエンザで出席できなくなった責任者の代理だ。彼の勤務先はアメリカ統合発電機構。この時代では最高級のエリート階級だ。
「おまたせ、遅くなってごめんなさい」
小ぶりの黒いスーツケースを持ち上げ、階段を駆け上がる女性。オーランドの仕事上のパートナーのアンナは、今回も彼の事を心配してついて来てくれた。
「電車が遅れてるって聞いた。まぁいつものことか」
「律儀な電車が走ってるのなんてトウキョウだけよ?さ、行きましょう」
彼女の長い茶色の髪が棚引く後ろを、軽く急ぎ足で追いかけた。
大きく"UN"の旗を掲げる職員を遠巻きに眺め、オーランドは彼女の隣に並ぶ。
「スピーチすら必要ないっていうのに、君は何を心配してるんだい?」
「あなたの酒癖の悪さをちゃーんと知ってるからよ」
「まさか!さすがにあの時みたいに次から次へとアルコールが出てきたりなんかしないだろう?」
「今回はもっとタチが悪いわ…」
今回のパーティーはブッフェ形式だということは、彼女も既に知っている。彼はアンナの顔を見て肩をすくめた。もう十年来の付き合いがある彼女との間では、最後の一言は返さなくても了解できてしまったりもする。
国連本部の館内に用意された会場の前で、二人分の参加証を提示する。
「アメリカ統合発電機構、代理責任者のオーランド・ポートマン様と、その同伴者のアンナ・レイトン様で間違いはありませんね?」
「はい」
「ええ」
「確認いたしました。ようこそ、ごゆっくりとお楽しみくださいませ」
体格のいい紳士に軽く礼を告げ、会食の席へと入っていく。
既に多くの人々が着席していた。地球の裏側からやってきている人もいる。国籍は勿論人種、肌の色、宗教、そういったあらゆるアイデンティティが集結した、喜びに満ちたパーティーだ。
隣にいたドイツ人と目が合い、自然と会話が生まれた。
「そんな美人をついて来させられるなんて、君は幸せ者だよ」
「ドイツにも美しい方はたくさん居るでしょうに」
「居たって俺みたいなのじゃあついて来てくれませんよ」
自虐的な笑い話を三人で笑っているうち、演壇にスポットライトが向けられた。軌道発電監理センター最高責任者が、赤いネクタイを軽く直しつつマイクの前に立つ。青い縁の丸眼鏡の奥で、細い目がさらに細まっている。
「皆様、本日は軌道発電監理センター主催の祝賀会にご臨席いただきまして、誠にありがとうございます。全世界、あらゆる国と地域からお集まりいただきました皆様の国土、その全てを遂に、我々の技術が隅々まで照らすことができるようになりました…この輝かしき功績も、各地でプラント建造をはじめとして、様々な分野で私たちを支えてくださった皆様のお力添えがあってこそと考えております。本日は世界で腕を振るう有名シェフによる、世界各地の料理をご提供させて頂きます。後ほどショーなどの演目も予定されておりますので、是非皆様、本日は最後までお楽しみくださいませ」
喝采が沸き起こる会場で、ブッフェの大皿たちが登場する。各々の国の料理を見つけて懐かしがる者や、他国の珍しい料理を興味津々で見つめる者の歓声が小さくどよめきを形作る。皿が到着したところでそれぞれの食器を持ち、はやる心に身を任せて色とりどりのテーブルに向かって歩いて行った。
マグロの赤身を口に入れつつ、先ほどのドイツ人男性と、その隣にいた日本人の男性も交えて雑談に興じた。
「世界も大分変わってしまったものですよね。私たちが子供の頃は、こんなことはアニメの中の設定だったのに」
「全く同感ですよ…いまや地上に発電所はなし、燃料問題や環境問題も順調に解決に向かって、人類はまたしばらくは安泰ですね」
「きっと産業革命の頃も誰かが同じことを言ってたに違いない」
談笑の中で、大人たちはさらに深い話にまで進んでいく。このような場においては業界人がよくするような、堅苦しい世間話に似た会話に変遷した。
「最近はやはり、各業界も大分焦ってるんじゃないですか?こんな夢みたいな世界になってしまって」
ドイツ人-名前はフリードリヒというらしい―は、今度は薄く切られたハムを口にして話題を振った。確かに、近年の科学の発展は目覚ましいものだった。2020年代前半に人工知能分野での大革新、30年代には疑似的な反重力が構想され、近年は宇宙開発に中小企業も中心的に携わることができるようになった。携帯電話はもう手のひらに投影されるホログラムに移り変わろうとしており、スマートフォンすら時代遅れになりかけている。
「その夢を叶えたのが我がドイツと盟友日本さ」
「まったくですよ、君たちの国の技術にはいつも驚かされます」
得意げに笑うフリードリヒの隣で、ヤマモト氏は照れたように控えめに笑っている。
「本当ですよね。私の身の周りもほとんどドイツや日本の企業の製品ですし」
アンナは腕時計を見せて言う。彼女はとりわけドイツ製品を好む性分で、時計もドイツ製だ。その腕を見つつ、フリードリヒはにやりと笑った。
「アメリカと言ったら、今は航空やら、コンピューターやらでしょう?」
「パソコンはいまでもシェア1位ですよ。半世紀前の天才のおかげでね」
「『ユークリッド』なんかはどうなんです、あそこは航空ツアーの最大手でしょう?」
「ああ、あそこも大分強いですよ。突然出てきてどこまでやるかと思ったら、まさかここまで成長するなんて!」
「ここに来るまでにもユークリッドを使いました。時々変なツアールートを出すけど、サービスの質もよくて快適でしたよ」
「是非、帰りもご利用を」
冗談めかして言うオーランドに、テーブルが笑い声で沸く。
談笑が続き、ショー開演まで5分ほどになった頃、オーランドは給仕の青年に声を掛けられた。
「お客様がお呼び出しを…」
「私に?」
「はい、軌道発電監理センターの方のようです」
「わかった、すぐ行くよ。ありがとう」
彼が深く礼をして去っていき、オーランドはアンナについて来るように要請した。
「どうかなさいましたか?」
ヤマモトが戸惑った顔をして問いかけるも、彼は軽く愛想笑いをして、なんでもありません、すぐ戻ります、と言い残すことしか出来なかった。食器の音の中、カーペットを踏み固めるように端へと向かう。会場入口のカウンターに、スーツ姿の男性が待ち構えていた。
「アメリカ統合発電機構の臨席責任者の方でよろしいですね?」
「ええ、代理ですが…あなたは?」
「私は軌道発電監理センター、プラント監視室の者です」
手渡された名刺には、確かにそのように書かれている。やや地位は高い人間のように見受けられた。
「一つ、緊急の連絡を」
男は会場の外に二人を誘導した。その言葉の端々から、どこか不穏な雰囲気を醸し出していた。
廊下に出て、近くに誰もいないことを確認する。統合発電機構に関する話なのだろうが、その内容については全く想像がつかなかった。困惑するアンナの方を向くことなく、オーランドは話を促した。
「実は、こちらで監視していた4115号機についてなのですが」
軌道発電プラント第4115号機は、アメリカ統合発電機構の管轄下にある発電プラントだ。先日常駐スタッフを向こうに送ったばかりだった。
「緊急と言うからには、事故か何かですか…?」
口を開いたアンナに、メッセンジャーはおそるおそる首を縦に振った。
「4115号機に搭乗していた乗務員10人全員が、プラント内で死亡しました」