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飢えた町【Ⅳ】

 いない……

 レオ達はエルノを探して町中を走り回った。酒場前の埃っぽい広場や人の異臭が染みついた崩れかけた門のある町の入口まで足を運んだ。どこにも小さな影を見つける事はできなかった。

 ラウルの話によれば、エルノが行きそうな場所というのはほぼ教会の周辺だけ。そこはすでにラウルとカティによって探しつくされ、今もカティが捜索を続けている。

 レオ達はさらに捜索範囲を広げたが、少しの手がかりもない。

 目撃者はいないのか?

 町を歩いてレオは改めて気がついた。

 この町には驚くほど子どもがいない。それは不自然なほど。

しかし、だからこそ子どもの姿は目立つ。もし、子どもの姿があれば、必ず誰かが目に留めているはずだ。

 そしてもう一点奇妙な点が気になった。町の様子がずいぶんと違うのだ。

 初日に感じたギラギラとした視線で周囲をうかがう人間の姿がない。

 今、町にいる人々は糸の切れた人形ような人ばかり。目を開いてはいるが、会話ができそうな気力を持った人間はいない。

 いなくなっている。ラウルに怒声を浴びせ、殴り、蹴った大人達の姿が見えない。

 みんな家に閉じこもっているのか?

 閉じられた家の中から漏れる奇声は相変わらず聞こえていたが。

 あれほどの緊張感を強いられた通りが今は空っぽの廃墟も同然だった。

 レオは今になって妙な胸騒ぎを覚えた。その胸騒ぎから関わりたくないと思ったオッシの姿を思わず探してしまうほどだった。

 オッシなら、エルノの姿を見ている可能性もある。それに代価さえ払えばまともに会話もできる。

「アラン!」

 広場を見渡すアランの姿にレオは藁をもすがる気持ちで駆け寄った。

「おお、レオか。どうだ、仲間は見つかったか?」

「いや、まだ見つかっていないんだ。それよりも、エルノという少年を見なかったか?」

「エルノ?」

「オイラの友だちで、教会に住んでる……」

「お前の友だちがいなくなったのか!? いついなくなった?」

 血相を変えるアランに戸惑いながらも、ラウルはレオにした説明を繰り返した。

「ラウルの心当たりの場所は探して見たんだが見当たらないんだ。それに町の雰囲気が何だか違う気がする……」

「わかった。エルノの事はこちらに任せろ。部下達にも捜索させる。それから大事な話がある。二人は俺と一緒に来てくれ」

「あ、ああ?」

「オイラも?」

「もちろんだ」

 アランは近くを巡回していた錆色の鎧を着る部下を呼び止め、手短に指示を出す。槍を担いだ部下達は、キビキビとした動作で敬礼をしたあとどこかへ走っていった。 

「エルノ、見つかるよな?」

「安心しろ。俺達が何としても見つけてやるさ」

 アランの自信に満ちた声にレオもラウルもホッと胸を撫で下ろす。二人で闇雲に探すよりもアラン達の協力があった方が確実だ。探す目が多いに越した事はない。 

「しかし、パウリ司祭にも困ったものだ。子どもに目が行き届いていないなんて……」

「司祭様は悪くないぞ! 朝食の用意で忙しかったんだ」

 ラウルの言う通り、あの教会にはパウリ司祭の他に大人はいない。子ども達の世話や食事の支度など、すべてを司祭だけでこなしている。ラウルを含めて三人だけしかいないからいいようなものの、もっと人数がいた時には大変だっただろう。

「はは、悪かった許してくれ。腹が減っていてな、つい愚痴をこぼしてしまった」

 アランは豪快に笑うと鎧の上から自分の腹を何度か叩いて見せた。

 そう言われてみれば、もう昼を回ろうとしている。

 レオは、司祭が作ってくれた野草のスープを思い出し、記憶からよみがえる青臭さと渋みで舌の奥が渇いていくような気がした。

「アラン、俺達はどこへ?」

「ああ、ちょっと相談したい事があってな」

 アランが案内したのは警備隊の詰所だった。簡素な練兵所と馬小屋が併設されていたが、今は馬の姿はなく、本来の用途を果たさなくなってしばらく時間が経っているように思えた。

そのとなりにある詰所は石壁に木製の扉がなんとかしがみついている。外と内とを何とか遮断している。

 なかには小さな暖炉と広間。その奥が隊長室。隊長室の奥には色褪せてしまっているが青と黒を基調としたグルダニアの紋章が刺繍された旗が飾られ、その前には会議用の木製円卓が置かれていた。

「まあ、掛けてくれ」

 アランはラウルとレオに席をすすめ、素焼きのカップに陶器のポットから葡萄酒を注ぐとそれをレオの前に置いた。

「喉が渇いただろう? ギュルムの風は乾燥しているからな。喉を潤してくれ」

「ああ」

 レオは出された葡萄酒を一口口に含み、思わず顔をしかめそうになった。

 かなりの年代物か、酸味がきつい、口の中を刺すようなクセがある。鼻から抜ける香気にむせそうになるのを何とか我慢した。

「実は今朝から人の動きが激しくてな」

「何かあったのか?」

「ああ、町を見て気がついただろう?」

 レオはその事か、と納得してコクンとうなずいてみせる。

 おそらくアランが言いたい事は、レオが考えていた事と同じ。人が減っているという事実だろう。

 やはり何かがあったのか? もしや、その事にエルノが関係しているのか?

「みんな森に向かったのさ」

「森に?」

「ああ、そうだ。俺達がなんでこの町で長く留まっていると思う?」

「……?」

「あの森は抜けられない」

 アランは独り言のように呟いた。

「あの森に入ればあそこにいる何かの餌食になるか、あの霧の中で永久に迷う事になる。運がよければこちら側には出る事ができるがな」

 何かの餌食……?

 レオはあの森で周囲に感じた不気味な気配を思い出す。

 何かが朽ちたような匂いと乾いた呼吸、周囲を囲む足音は今も耳にへばりついている。

「幾人もの人間が、あの森を抜けようとした。幾人もの人間が、この町を発ち、そして帰らなかった」

「抜けた者もいるかもしれない」

 レオはすぐに反論した。

 抜けたあと戻らなければ、確かめようのない話だ。

「いや、抜けられないんだ」

 アランの言葉は、理由も示していないのに、妙な確信が含まれている。

 アランは息をつき、少し口調を抑え気味に語り始めた。

「今までのあの霧は壁。あの森は鉄格子みたいなものだった、このグルダニアという牢屋に俺達を閉じ込めておくためのな」

 自嘲気味に口を歪め、アランは肩をすくめる。話の内容にそぐわないおどけたような仕草だった。

「今までは?」

「そうだ。しかしどうだ、レオ、お前が森を越えてやってきた。わかるか! 森は抜けられる、それをお前が証明した! ここにいる人間はみんな待っていたんだ。この国を出ていく事を。あの森を抜けていく事を! それが今叶う!」

 アランは声を上げ、手を広げ、目を見開いてレオを見た。酒に酔ったかのように目を輝かせニヤリと笑う。

「だが、俺達も馬鹿じゃない。あの森を簡単に越えられると思っちゃいない。そこでレオ、お前に協力してもらいたい。森の案内をしてもらえないか」

 なるほど、とレオは思った。それを依頼するために、自分をここに呼んだのか、と。

 しかし、レオがここに来た理由は彼らを国外に案内するためではない。アクセリナ姫の病の原因を探る事だ。

 それでも彼らへの協力を断る理由もない。まずは調査が優先だ。任務を果たしたい。それからならアランに協力をできる。

「アラン、実は俺はすぐにでも王都グルダアに向かいたいんだ」

 調査したあとならば、アステリアに彼らを案内する事もできる。

 アランの顔からパタリと表情が消える。感情の消えたその顔にレオはゾクリと寒気を感じた。

「王都へ? 何を言っているんだ? あんな所にはもう何もない」

「何も?」

「ああ、何もない。そこにいる奴らがここまで逃げているんだ。王都からもう誰もやって来ない。そんな所に行ってどうしようっていうんだ」

「隊長!」

 いくつかの足音が扉を勢いよく開け、隊長室に飛び込んできた。

 錆色の鎧を着たアランの部下達だ。

「どうした?」

「子どもを発見しました!」

「よし」

 そこに連れてこられたのは、昨日ラウルを追い、殴り飛ばしていたあの体格のいい男だった。

 その男の姿に思わずレオとラウルが立ち上がる。しかし、それよりも早くアランが男の前に立ちはだかった。

「す、すまねぇ、俺はただ……」

 涙声の男に有無を言わさず、突然アランの蹴りが男の腹に飛んだ。肉を叩く耳障りな音とともに男は転げまわり胃液を吐いて低く呻いた。息もつく暇もなく二発目の蹴りが顔面に叩き込まれ、声を発する間もなく床に突っ伏し、部屋の隅に男の歯が数本転がった。

「浮かれていたか? 勝手な事してんじゃねぇぞ!」

「ああ、すまねぇ、すまねぇ……」

 アランは男の髪を鷲掴みにして顔を上げさせると、鋭い目で青い顔を近づける。男は涙を流し口から血と胃液を飛ばして謝罪する。

 アランは汚物を見るような目で穢れた男を睨みつけ、「で、子どもは?」と部下に一人に訪ねた。すると、部下はピシリと姿勢を正し、はっきりとした口調で

「はっ、すでにバラされていました。一部はすでに失われていましたが残りは回収しました」と言った。

 バラされ、一部を失う……?

 レオはその言葉の意味がわからず、何が起きているのか理解するまでに少し時間を要した。朧気ながら頭の中で選択されていく言葉の意味に、腹の奥がズシリと嫌な感覚がのしかかりる。

 錆色の鎧を着た部下の報告に、ひざまずいた男は裸のまま真冬の空の下に投げ出されたかのようにガタガタと体を震えている。アランは大きな体を縮こませる男を一瞥して、露骨に舌打ちをした。

「ちっ、こいつは始末しろ。仲間も同罪だ、見せしめに広場で斬れ」

「そんなっ! 頼む、許してくれ! なんなら俺の腕をくれてやる! だから命だけは!」

 アランに縋り付こうとした男だったが、それはアランの部下の手により阻まれ、部屋を引きづり出されていった。

 男が引きずられていく後方、ドアの隙間からアランの赤く部下が濡れたズタ袋を運んでいくのが見える。

 いや、そんなはずはない。

「アラン、エルノは……?」

 嫌な予感が胸を締め付け、吐き気がこみ上げる。

アランの言葉は何を意味していたのか?

問わないわけにはいかない。

レオは自分の中に浮かぶ考えに抑え込みながら、希望を託して言葉を絞り出した。

「すまねぇな、レオ。エルノは戻らねぇ。奴らが先に口をつけちまった」

 ……先に?

 今、そう言ったか? 口をつける、と。

「どういう事だ、アラン? 今なんて?」

 声が震えた。

 アランは「そうか」と察したように諭すように表情を緩る。 

「レオ、わかるだろう? 生きていくためには腹を満たさなくちゃならん。旅をするなら食料の確保は絶対だ」

「アラン……まさか……?」

「この時を待っていたんだ」

 アランがレオの言葉を遮る。

「この時のために、どれほど我慢したか。我慢できずに食っちまった時もあったからな。おかげでずいぶん数が減っちまった。正直、苦しかったぜ」

 アランは恍惚とした顔で口からこぼれるよだれを拭う。

「数が減った……まさか、それじゃあ!?」

 ラウルが青ざめ思わず声を上げた。

 子どもが突然いなくなる。友達が、仲間が、次の日には消えている。それはまさに消えたのだ。文字通り、彼らの胃の中へ。

 ラウルの脳裏に居なくなった仲間達の顔が何人も思い浮かんでは消える。

 レオはようやく腑に落ちた。

 パンを盗んだラウルを殴った大人達の行動、それはまさに自分達の欲を満たすための狩りだったのだ。

「ダルガに犯された肉は人をも穢す。ヤツの腕も、足も、何の価値もない。今この町にいる人間で一度もダルガに触れた事のない人間、それはお前ら子どもしかいない」

「だから食うってのか?」

「ああ、そうだ。生きるためにな。弱き者は強き者の糧になる、それが自然の法則ってもんだろう?」

 アランの目に戸惑いや迷いはない。この地では、そうでもしなければ生きていけないのだとしても、レオには受け入れられない。

「ラウル! カティの所に戻るぞ!」

「あ、ああ……」

 呆けた顔でラウルはやっとレオの言葉に反応をしたがすぐに動く事ができなかった。

「レオ、お前には俺達の案内をしてもらう。少々予定は狂ったが、エルノをバラす手間は省けた。このまま俺達に協力をしてもらう」

 頭の中で扉の隙間から垣間見えた濡れたずた袋が何度も何度も繰り返し想い出される。

 あんな小さな袋の中に。エルノの零れた命で袋は濡れていた。

「断ると言ったら?」

 レオは湧き上がる数多の言葉を噛み殺す。

「断れないさ」

「……」

 アランが一歩間合いを詰めた。

 腰に剣。

 周囲に壁。

 後ろに扉。

 その先にはアランの部下が控えている。

 ラウルを守りながらこの場を凌げるか?

 槍と剣。

 間合いなら槍が遥かに有利。

 身体の厚み、佇まい、アランはかなりの使い手だろう。相手にしては逃げられない。

 背後に待ち構えているだろうアランの部下の包囲網を何とか突破しなくては脱出は不可能だ。

 レオは腰に下げた自分の剣に手をかけようとして、手の感覚に違和感を覚えた。

「噂によれば、アステリア剣術は一対一のみならず一対多数でも無類の強さを発揮するのだそうだな?」

「……」

 腕が震える。指先に力が入らない。 

「だが、その痺れた腕であってもその強さを発揮できるかな?」

 アランがニヤリと笑う。

 レオはサアッと血の気が引いた。ハッとしてレオは素焼きのカップに入れられた葡萄酒を見た。よく見れば、アランは自分に注いだ分に口をつけていない。

 視界がグラリを傾き、意識がドロリと歪む。

「……!?」 

「安心しろ、ダルガじゃない。案内役に幻覚の中を歩かれたのではたまらないからな」

「レオっ!」

 ラウルの手が肩に触れているはずなのに、その声は遠い。遠ざかる声を頼りに目を向け、痺れ始めた口でやっとの事で言葉を繋ぐ。

「逃げろ、ラウル……」

 カティを連れて……そこまで言おうとしたが言葉にならなかった。ラウルが肩を揺さぶっている。体がゆすられるが触れられている感覚がどんどん鈍くなる。

 抗っても抗っても声が遠ざかる。匂いも、色も、身体に接しているはずの床の感覚すらも飲み込まれていく。

「安心しろ、すぐにバラしはしない。荷物は持ち歩くより、自分で歩いてくれた方が楽だからな」

 懸命にしがみついていた意識の糸がプツリと切れた。闇に飲まれながらレオはかすかにアランの言葉を聞いた。


   ★


 レオはゆっくりと目を開けた。

 数種の色の違う絵具をぐちゃぐちゃに混ぜたような混濁した微睡みを引きずりながらようやく気がついた。

 ……俺は……?

 目だけを動かし周囲を見る。悪夢にうなされ、真夜中に突然目を覚ました時みたいにこれが現実の世界なのだと理解するまでにしばらく時を要した。

 壁。石壁が見える。石壁には幾度となく繰り返されたであろう赤茶けた掻き傷が悲鳴のように残っていた。

 床。地面を感じる。

 背中にはゴツゴツとした埃っぽい乾いた地面を感じる。

 天井。石の天井。弱々しい外の明かりが差し込んでいる。

 目は開いたものの、強張った身体はまるで他人の身体のようだった。

 わずかに頭を傾けると錆びた鉄格子が見える。

 格子? ここは牢屋……? そうか、俺は……アランに毒を盛られて……

 ゆっくりとバラバラだった記憶がつながり、形を取り戻していく。

 不用意だった。

 こんな場所で出されたものを素直に口にするなんて。アランが口をつけるまで待つべきだった。

 いや、口をつけたとしても口をつけるべきではなかったか……。

 森での出来事。

 街での喧騒や視線。

 そのあとでアランや司祭に温かな言葉をかけられ歓迎され、レオは心を許してしまっていた。彼らを協力者であると判断してしまっていた。。

 唇をかんだ。。レオは自分の未熟さを悔やむ。

「レオっ! 気がついた!」

「……!?」

 その声に驚いたが、咄嗟に起き上る事が出来ない。

 起き上がる事はできなかったが、その声の主はわかる。ラウルだ。「逃げる事はできなかったか」という落胆と「無事だったか」という安堵が交錯してレオは言葉に詰まった。

 ラウルがレオのそばに駆け寄り顔を覗き込む。その泣きそうな顔にレオの心は安堵が増した。

「動ける?」

「ああ……」

 ラウルを安心させるためにも身体を起こしたかった。レオは苦心しながらゆっくりと身体を起こす。

 拘束はされていない。が、完全に武装を解かれていた。

 レオは首まで浸かった泥沼の中を歩かされているような重さを感じながら、ゆっくりと手を動かし、握っては開く。

 動く……だが、これでは……

 剣はおろかスプーンすら落としかねない。

「ラウル、そっちは……?」

 喉が開かず声が掠れた。

 レオは自分で驚き顔をしかめた。

「うん……オイラは平気さ。アランの奴、バカ丁寧にここに放り込んでくれたよ。お前を守るためだってね……」

 ラウルはいつもの調子で言ってみせたが、その瞳は暗い。

「俺はどれくらい気を失っていた?」

「半日くらいかな」

 ラウルはレオが眠っている間の事を話した。

 耳にしたアランの計画の事、町の事、レオの飲んだ毒はすぐに命を奪うものはないという事やエルノを略奪したあの男がその仲間達とともに処刑された事……。

 ラウルの話によれば、アラン達の計画は夜明けに決行されるという。

「夜明け?」

「うん、アランの仲間が言っていたから間違いないよ。アラン達は森に向かうんだろ? だったら、夜にはいかないだろうし」

 ラウルの言葉にレオは頷く。森を越えてきたレオならわかる。夜に森に向かうような危険な事をこの町の住人がするはずがない。アラン達は確実に抜けるために「機会を待っていた」と言っていた。周到な準備をして望むに違いない。眠りから覚め始めた頭の中でレオは慎重に記憶を反芻する。

 その中でレオはアランの部下が手にしたあの濡れた革袋とアランの言葉を思い出した。

「ちっ……」

「勝手に食料を独り占めするような事があれば厳重な罰が必要となる」とはパンを盗もうとしたラウルの事ではなかったのだ。むしろ、ラウルを殴っていた大人達に向けられた言葉だった。

 アランが現れた時の彼らの怯えようも今なら納得がいく。アランはこの飢えた町で貴重な食料を誰かが抜け駆けして口をつけないように管理、保護していたのだ。

「な、なあ、レオ、あいつ、アランはエルノを食うって言っていただろう?」

 ラウルは震えた声でレオを覗き見る。

「ああ……」

「レオも、腹が減ったら……腹が減ったら、オイラを喰うかい!?」

 ラウルの訴えにレオは面をくらい、その言葉が自分の脳に浸透するまでに少しだけ時間がかかった。

「馬鹿言うな、俺はお前を喰ったりはしない。友達を喰う奴がいるか?」

 レオの言葉にラウルは安心したような照れたような顔をして「う、うん、ごめん、変な事聞いちゃって。そうだ!」と言ってポケットの中を探る。

「レオ、これ食べて」

「……?」

 ラウルが自分のポケットから出したのは、教会の裏に生えていた野草だった。パウリ司祭が摘んでいたあのハーブだ。

「ハーブ?」

「非常食さ、オイラ達はいつも腹ペコだから持ち歩いているんだ。これ、毒消しにもなるって聞いた事あるから」

「ああ……」

 そのハーブに解毒作用がある事はレオも知っていた。アステリアで似た植物を見た事がある。

「生だとキツイかもしれないけどね」

 ラウルはそう言ってレオに手渡す。

 アステリアではこの葉を葉を煮出し、それを煮詰めた汁を飲む。

 このまま口にしても、本来の効果があるかは定かではない。

 それでもレオはラウルに礼を言ってハーブを口に含み噛んだ。噛むほどに草特有の青臭さと苦みが口に溢れたる。吐き出したくなるほどのアクの強さを我慢しながら何とか喉を通す。

「どう? 効きそう?」

 まとわりつくような苦さに閉口しながらも、レオは強がって笑顔を作って見せた。

「ああ、たぶん効くさ」

 腕や体の感覚は思うようにいかないが、頭の方は徐々に冴えてきていた。ハーブの苦みが気つけになったのかもしれない。

 思考が混濁しなかった事が救いだが、これもアランが道案内をさせるために意図的に仕組んだ可能性もあると思い当たると口惜しさとイラつきが胸を締めつける。

「そう言えば、カティは……?」

 アラン達はカティも旅の糧とするだろう。アラン達の凶行をパウリ司祭だけで凌ぎきれるとは思えない。

「わからないんだ。でも、奴らは教会に行くって言ってた」

「そうか……」

 異変を察して、うまく逃げてくれていればいいが……

 司祭が自分やエルノ、ラウルがいなくなった事で異常事態と察してくれるのを祈るしかない。

 アランのあの言葉はおそらくカティも含まれているだろう。

 ……荷物を歩かせる方が楽……

 その言葉をそのまま解釈するならば、今すぐにカティに手を下す事はないだろう。手を下すとすれば、それは旅の途中のはず。

 つまり、奴らの腹の虫次第って事だ。

 出発してしまえば、遅かれ早かれ手を下す事になる。エルノの残りがなくなれば、次はカティかラウルのどちらかが犠牲となる。

 捕まってくれるな……。

 そう祈るしかない。

 ラウルもカティの身を案じて、そわそわと落ち着かない。しかし、何か言葉をかけてやろうにも、何と声をかければよいのかわからなかった。。

 牢屋の天窓から吹き込冷えた風と忍び込むように静かに伸びる影が夜の訪れを告げる。月も星もないグルダニアの牢の中は完全に黒く染まろうとしていた。

 黒闇に姿が飲み込まれ、お互いの姿が見えなくなっていく。

 ラウルは闇の中で訴えた。

「レオ、もしもカティが捕まっていたら……」

「ああ、わかっている……」

 レオは訪れた闇の中で何度も何度も問いかけた。

 考えるんだ。

 ダン隊長なら……ダン隊長ならこんな時どうする……?


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