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飢えた町【Ⅲ】

 その少年は、先ほどパンを盗み、大人たちに殴られていたあの少年だった。

「君は……よかった、無事だったのか」

 レオはパンを盗んだ事を責めるよりも、彼が無事だったという安堵の気持ちからそんな言葉が出てしまった。その言葉に、身構えていた少年はニッ、と笑ってみせた。

「さっきはありがとうな。兄ちゃんのおかげでうまくいったよ」

 少年は人懐っこい笑顔でボサボサの頭を掻く。

 着ているボロの隙間から紫紺色の暴力の刻印が見え、レオは言葉を失う。

 かなりの痕だ。よく逃げたものだ。その場で動けなくなってもおかしくない。

「オイラ、ラウルっていうんだ、こっちは……」

 ラウルはそんなレオの心配など気にも留めず、栗色の髪をした色白の男の子をエルノ、ラウルとそれほど年齢が変わらない黒髪の少女をカティと紹介した。

 エルノはラウルの背に隠れながらレオをうかがい、カティはまだ警戒しているのか無言でペコリとお辞儀する。レオは笑顔を見せ、自己紹介をした。

「レオっていうのか! それにしても強いんだな! あんなに大人に囲まれていたのに全然負けていなかった!」

 興奮気味に言うラウルにカティが不思議そうに首を傾げる。

「ラウルが大人をやっつけてきたって言ってなかったっけ?」

「う、うん? ほら、ここにいるレオと一緒にだよ!」

 慌てて手を振るラウルにレオは話しを合わせるように相槌を打つ。

 カティとエルノ、二人にとってラウルは兄貴分といったところなのだろう。二人の前では頼りになる存在でいたいのだろう。大人たちに囲まれ、何度も謝りながらも殴られるようなところは見られたくないし、知られたくないはずだ。

「ああ、ラウルがいなければあぶなかった」

「うんうん、ほら、レオもそう言ってるだろう? その証拠に、今日の成果は大物だったし」

 ラウルは戦利品の前で手を広げて話題をそらす。見れば、三人の真ん中には、さきほどのカビが生え、落とした時に踏まれたパンがあった。

「ふーん、まあいいけどね」

「ほ、ほら、今分けてやるからさ」

 疑いの目を向けるカティの視線から逃れるようにラウルはパンのカビの生えた部分をちぎり、それほど色の変わっていない部分を二人に分け与える。

 分け前を受け取るとエルノもカティも途端に笑顔になった。

 ラウルはパンを手にレオにも視線を向けたがレオは無言で小さく首を振る。そのパンが彼らにとってどれほど貴重なものなのかはカティたちの笑顔から悟ったからだ。

「君たちはこの教会に住んでいるのか?」

「うん、俺たち、孤児なんだ。この教会で世話になっていてね……」

 ラウルは堅いパンのカビと砂を手で払いつつ口に運ぶ。

「前は、もっといたんだけど、今じゃあ三人だけさ」

「そうか……」

 町の外にまで溢れた人や殺気立った大人の姿。思い出してみると町の外も内も、大人ばかり。子どもの姿を見る事はなかった。子どもが育っていくには厳しい環境かもしれない。この町は、砂埃に鉄の匂いが混じりすぎる。

 町とは対照的に教会は穏やかだった。子どもが保護されるには適しているのだろう。

「北の方から黒い雲がバァーって広がってから、たくさん人が来て、それからずっと雲が晴れないんだ」

「ずっと?」

「ああ、ずっとさ」

 ラウルは興奮気味にパンを口に押し込むとむせながらその時の事を語った。

 王都の方角から広がりを見せた雲は早馬よりも早く走り、光を飲み込み、渇いた風が鎌のように作物をなぎ倒した。

 空を覆う厚い雲はわずかにも割れる事もなく、雨をこぼして地を濡らす事もない。荒れた風はいよいよ渇き、収穫前の葡萄の香りを消し飛ばし、柔らかな大地を割った。

 太陽も月も星も、三人が最後に見たのがいつだったのか覚えていないという。

「食べ物ができなくて、みんな腹を空かせているんだ」

 レオはうなずく。

 こんなパンを食べなくてはならない子どもたちに、ラウルを殴った大人たち。この国の状態はかなり困窮しているようだ。

「レオはどうしてここ?」

 重くなってしまった空気を振り払うようにラウルが話題を変えた。

「ああ、俺は……」

 素直に言うべきか? レオは少しだけ戸惑いを感じ、間をおいてから「ある病気の治療法を探していてね」と言った。

「病気? 誰か病気になったの?」

「それって、レオの大事な人?」

「うん? まあ……そう、だな」

 大事な人という言葉にドキリとした。

 騎士団に所属するレオにとってアクセリナ姫は大事な存在だ。レオはそれ以上のいけないと思いつつもそれ以上の感情を抱いている。その気持ちが口を重くする。

レオのその様子から何かを察したのか、カティは女の子らしく目を輝かせる。

「どんな人? どんな病気なの?」

 カティが身を乗り出す。

 レオは苦笑いしながら「セシリア様みたいに美しい人だよ……体が動かなくなって、眠りについて起きなくなってしまう病気なんだ」と言うと、今度はラウルが、

「体が動かなくなって眠りに? 本当にセシリア様みたいだ」

「セシリア様……? 教会で眠っている?」

 結界を張って眠っている……というが、とても人間とは思えない神々しさを思い出す。身体から漏れ出る淡い光は、そばにいるだけで清浄な気持ちにさせてくれる。アクセリナもレオにとってはそういう存在ではある。だが……

「セシリア様みたいに眠ったまま生きているんじゃなくて、眠ったまま、そのまま死んでしまう病気なんだ」

 セシリア姫は自分の意志で結界を張り、眠りについたのだろう。

それはストーンハートとは違う。

「うん、それ、セシリア様が前にかかっていた病気に似ているよ」

「……?」

「セシリア様はこの村に来る前、体が動かなくなって眠り続ける病気にかかったって、オイラ聞いた事があるよ。原因はわからないんだって、噂話で聞いたんだ。亡くなった王妃さまも同じ病気だったんだって。胸の中が石になる病気だって司祭様は言っていたっけ」

 ラウルのたどたどしい記憶の断片に、レオは思わず目を見開く。 

胸の中が石? それは……。

「じゃあ、セシリア様はそんな状態でありながらここまでやって来たのか? それとも誰かに連れられて?」

「セシリア様が来た時の事、私、覚えているわ。あのね、馬に乗ってやってきたの。すごくカッコよかった!」

 カティが手綱を引くマネをしながら言った。

 馬に乗って? 一度病に倒れたあとに?

 ラウルの話が本当ならばセシリア姫の病気というのはアクセリナ姫と同じストーンハートの可能性が高い。

 しかし、今までアステリアで発見されたストーンハートの症状からすれば、眠りが増え始めてから馬に乗って遠出をする事など不可能なはず。病気の進行は地を這い獲物に忍び寄る蛇のようにゆっくりとしたものだが、一度進行した病が元に戻る事は確認されていない。

 眠るのが長くなり始めたら最後、自力でベッドから立つのも難しいのだ。

 なのに、王都からここまで馬を走らせ、この教会に辿り着いた?

「もしも……」

 それが本当だとしたら……。

 ストーンハートに罹患したセシリア姫は、何らかの治療法が見つかって治癒をしたという事だ。だからここに来る事が出来た。

 つまり、ストーンハートを治療する手段は存在する……。

 レオの頭はグルグルと回り始めた。思考が目まぐるしくまわり、自分自身でも冷静さを保つのに手を焼くほどだ。高鳴る胸を押さえ、頭の中を整理する。

 セシリア姫は王都にいたはず。

 自力でここに来たとなれば身体の不調が取り除かれたはず。

 治療法がある……!

 薬? 研究文献……。

 術? 治療師の存在……。

 でも、アランはグルダニア王都にはもう人はいないと言っていた……。

 とすれば、治療師はもういないかもしれない。けれど、ストーンハートの事を研究した文献などが見つかればどうか? 薬そのものが見つからなくても、ヒントになるようなものが見つかればどうか?

 いやもしかしたら、王都ではなく、どこか別の場所で療養していた可能性もある……

 もっと情報を集めなくてはいけない。

 病の原因とされる魔力の調査が目的だったが、治療法が見つかるのであれば、これ以上の事はない。

 少しでも早く隊長らと合流し、調査に向かわなくては……!

「レオ?」

「ああ、ごめん」

 急に無言になったレオにラウルが心配そうに声をかける。

「今、大事な人の事を思い出していたんでしょ?」

 カティが好奇心に満ちた笑みを浮かべると「レオの大事な人ってどんな人? どんな関係? 恋人? 婚約者?」と矢継ぎ早に聞きかれた。カティの期待のこもった視線にレオが困っていると教会の方からパウリの声。

「みんな、夕食の時間ですよ」

 ラウル達は慌てて、広げていたパンを包む。

「それはどうするんだ?」

「隠しておくんだ、司祭様に見つかったら怒られちゃうしね。レオも夕食一緒に食べるだろ? 司祭様のハーブのスープ、すごくまずいんだ、覚悟しておいた方がいいよ」

「そうなのか」

 彼らはパンを隠してから、四人で教会の食堂に向かった。

 食堂では、木製の食器にラウルの言っていた通りのハーブのスープが盛られていた。ハーブは先ほど司祭が摘んでいたものでそれを煮込んだだけのスープ。

 味はほんの微かに塩味がつけられているが、レオには塩味よりも野草の青臭い匂いの方が喉から鼻にまとわりつき、しばらくその独特のクセに付き合う事になった。

 その夜の教会の食事は、ハーブのスープだけだった。


   ★


 森を抜けた者が現れた

 霧を越えた者が現れた


 小柄な商人はボロの袋を揺らし、町を、裏道を、歌いながら踊るように歩いていく。


 お前も見ただろう、町での騒ぎを

 子どもを助けた見慣れぬ男を

 キレイな鎧に、キレイな剣

 キレイな肌に、キレイな髪


 奇声が混じる下品な道化師の甘い言葉に、道で微睡む者も顔を上げる。


 異邦の者が抜けて来た

 異邦の者が越えて来た

 その姿を見れば誰が疑う?

 我らと違うその姿

 輝く姿は遠目に見てもすぐわかる 

 

 枯れ木に似た人は立ち上がり、言葉を発しなくなって長い喉で、木枯らしのような声で問う。

 それは、本当なのか?


 道化師は頷く。

 淀んだ瞳と醜悪な口元を歪めながら。


 抜けられる

 越えられる

 我らはここを出ていける

 我らはここを出ていける


 歓喜。ある者は泣き、

 狂喜。ある者は狂気する


 彼らは求めた。

 旅立つために金を出した。

 道化師は笑いながら金を得た。


 旅立つ人は列をなす。

 光を得るべく異邦の地へ

 旅人はただ前だけを見て列をなす。

 前だけ見る旅人は、その列に道化師の姿がない事には気がつかない。


   ★


 グルダニア三日目。

 ダンやシェル、カイ、ハッセの姿がギュルムに現れる事はなかった。

 レオ自身もアラン達に任せるだけでなく昼間は町に出てダン達の姿を探した。酒場にも顔を出したが、状況の進展はなかった。

 騎士団でも酒と女に目がない事で有名なハッセが酒場に立ち寄らないはずがない。

 町についたら、一番に酒場を探してもおかしくない。

 手練れの四人が、簡単にあの森でやられてしまうとはレオにはどうしても考えられなかった。特にダン隊長ならば、必ず森を越えてくるはずだ。

「もう一度、あの森の入口まで戻ってみるか?」

 レオが町の外れでそんな事を考えているといきなり声をかけられた。

「お、おい、あんた!」

 その男は震える声と手でいきなりレオを問い詰めた

「あんたが森を抜けてきた人か?」

 男のただならぬ勢いにレオは思わず頷く。

「抜けられるのか?」

「……?」

「霧を抜けられるのか!?」

 男の目が期待に濁る。

 その目にレオは圧倒される。

「……俺は、抜けて来た」

 男は稲妻にでも打たれたかのように体を震わせた。そして改めてレオの着るアステリア製の精錬された鎧とレオの首に巻かれたアステリアルベルのスカーフを見た。そのどれもが今のグルダニアにはないものだ。

「おお、おお……!」

 男は嗚咽を漏らし涙をこぼした。

「お、おい……」

「ああ、信じられなかった。信じられなかったんだ。あの霧の向こうから人が来るなんて、あの霧を抜ける事ができるようになっていたなんて……」

 男の目を希望が覆う。

「……?」

「ああ、こうしちゃいられない!」

 男はレオに礼を言うと走り去った。レオはその場に取り残され、呆然とその姿を見送るだけだった。

「レオ!」

「ラウル? どうしたんだ、そんなに慌てて」

 息を切らし走ってきたラウルはレオの前までやってくると息つく間もなく言った。

「エルノが見当たらないんだ? レオ、エルノを見なかった?」

 エルノ、三人でいる時にはほとんどしゃべらなかった一番下の男の子だ。そういえば朝食の時にも姿が見えなかったと思い出す。てっきりまだ起きてこないものだと思っていた。

「朝起きた時に眠いからって言ってて、それで放っておいたんだ、だけど、そのあと部屋に戻ったらいなくなってて……」

 早口に言うラウルはキョロキョロと視線が定まらず、呼吸が整えばもう今にも走り出して行ってしまいそうだ。

「少し落ち着け、ラウル。まさか、この町を出ていったりはしていないはずだろう?」

「うん、わかっているんだ。けど、あいつまでいなくなっちまうなんて……」

「あいつまで?」

「ああ、昨日話したろ、オイラたちは他にもあの教会には子どもいたんだ。だけど、みんなある日突然いなくなるんだ」

「突然?」

「そうなんだ、一度姿が見えなくなったら帰ってこないんだ……それで、オイラたち三人だけが残っていたのに……」

 ラウルは不安と焦りの色を顔に浮かべ、肩を落とす。エルノとカティ、二人の兄貴分として彼らを守りたい、という気持ちがラウルにはある。彼の焦りからいなくなった事がどれほどのことなのかレオは察した。

 しかし、子どもがいなくなるとはどういう事だ? この環境でみんな死んでいったわけではないのか?

 レオはギュルムにやってきた時に見た大人たちを思い出す。皆、大人ばかり、子どもはいなかった。

 子どもが消える? どこへ?

「レオ……」

 ラウルが弱気な声を出す。レオは

「わかった、俺もエルノを探そう。一先ず、どこかエルノが行きそうな場所はないのか?」そう言った。


   ★


 女はシュキと名乗った。 

 シュキの摩訶不思議な秘術に魅せられた我々は、すぐに姫様の元へと連れて行った。彼女は戸惑う事もなく、寝台に横たわるセシリア様に触れた。慎重に、そして丁寧に。姫様の体を擦るようにその白い手はゆっくり動く。その技は我々の知るものではない。

 我らは固唾を飲んでその時を待った。

 シュキがどのような判断を下すのか、シュキがどのようにセシリア様を救うのか、どんな奇跡を起こすのか……。

 彼女の存在は我々の希望になっていた。彼女のなら、セシリア様を救う事ができる。

 我々は確信にも似た感情をこれでもかというほど抱き、その想いに身を委ねていた。

 シュキが姫様の部屋に入ってから一時間が過ぎようとした頃。

 おもむろに彼女は顔を上げ、そして見守る私たちの方を向いて言った……


 聖暦864年7月 書記官グスタフの日記より



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