旅人よ、汝の名は?
「はっ!」
気合い一閃。
レオの剣が対戦者の盾を弾き、二の太刀で相手の剣が宙を舞った。
二人から離れた所に木製の模擬剣が石畳と衝突する甲高い音を立てて転がった。
対戦者のアルトは尻餅をついたまま視線を上げると、眼前に気迫のこもる剣先が向けられる。
「勝負あり、勝者レオ=レクセル!」
男達の歓声がわき上がる。声を上げるのはアステリア王国騎士団の屈強な騎士団員達。彼らが囲む試合場の真ん中に試合の勝者レオの姿があった。
黒髪に黒い瞳というアステリアでも珍しい特徴を持つ彼は、歳のわりには童顔で彫りの深い端正な顔立ちをしていた。厳しい訓練の中で練られた引き締まった体をしていた。
団員の中で一際小柄で、少年を思わせるレオの勝利は、実力、体格で勝る剛腕のアルトを前にして、下馬評を大きく裏切るものであった。
その実力差はレオ自身も理解していた。本当の実力で試合を行えば、いくら良い展開になろうとも、多少の相手がミスをしようとも自分がアルトに勝つことなどありえない、と。そしてそれはおそらくこの場にいる誰もが理解していたはずだった。
歓喜と嘲笑。そして憐れみが入りまじる歓声に包まれながら、レオは息を整え、自分を見つめる審査員達に目を向け頭を下げた。
点々とブロックが置かれただけの試合場を離れる事十メートル。天蓋付きの席には装飾も豊かな豪奢な鎧を身にまとった男達が腰かけていた。
その中央に座る男は、四十半ばを過ぎた今でも体に力強い厚みを残す現騎士団長ランヴァルト。その右手には一線を退いた英傑から選ばれ結成された十三人会の長シモンが並ぶ。
ランヴァルトの左手側に各隊隊長達が横一列に立ち、シモンの右手側には数名の十三人会のメンバーが席に腰を下ろし、それぞれに意見を交わす。
シモンは両端を釣り針のように上向きに整えた口髭を太い指で撫でつつ、手で口元を隠してランヴァルトに耳打ちをする。
★
グルダニアとの国境付近の村人に見られたその病は、犠牲者を出して初めて発見された。
王国医士会の報告書によれば、その病は四肢の冷えとともに軽い風邪のような症状から始まる。
数週間のうちに身体の鈍重感が強くなり、動く事が億劫に感じるようになり、やがて、わずかに動いただけでも息切れや不快な胸に痛みに悩まされるようになるという。
その頃には、極端な血行不良をともなうようになり、末端の感覚が鈍磨となり、四肢は血色を失い動く事そのものが困難になっていく。
不思議な事に血行不良による壊疽などを引き起こす事はないが、患者は横になった状態を余儀なくされ、睡眠時間の極端な増加が見られるようになる。
睡眠時間の増加と覚醒時間の減少。やがて正常なバランスを失い、一日のほとんどを寝て過ごすようになっていったある日、その者は眠りの中で息絶える。
苦しむ事もなく、過剰な身体的な変化も見られない事がこの病の発見が遅れた原因の一つとなった。この病に侵された者達を解剖し調べると、胸、特に心臓が固く変質していた。
まるで骨のような硬質な殻が心臓そのものを閉じ込めるようになっていたのだ。
そのため、この病は王国医士会により「ストーンハート」と名付けられた。
原因、治療法とも不明瞭な奇病拡散を恐れた王は、病が最初に発見された村を全面的に閉鎖。当時その場所にいた罹患していない村民もその場所から出す事を禁じ、一切の交通が断たれた。この事によって、事態は平穏を取り戻すかのように思えた。しかし、この選択が意味のない事だったと王と医士会はすぐに知る事になる。
奇病は地を這う蛇の如く音もなく忍び寄り、アステリアの民を蝕んだのだ。
女を好むこの奇病は王都を覆い犯していった。そしてあろう事かアステリア王ニルスの娘、王女アクセリナの体内に穢れたその身を潜り込ませていったのだった。
王国医士会は早急にその治療法、原因解明に追われる事となった。
薬草学の優れるアステリア医学ではあったが、有効な薬草も、配合も見つからないまま無力に二週間が過ぎた。
それまでの経験から発病から三カ月ほどで患者は死を迎える。
病の経過はわかっていてもは少しの改善策がないまま時間ばかりが過ぎていく。
焦燥と不安の中、王国医士会に所属する星詠み士達が病の原因に一縷の可能性を見出した。それは、病から帯びる微かな特異な魔力の発見だった。
石化した心臓に微かに魔力が帯び、病の根本には呪術的な要素が含まれていた事事を突き止めたのだ。しかも、それは初めてストーンハートが発見された村の先、隣国グルダニアから漏れ出る魔力によるものではないかという事まで判明した。
「すぐさま調査団の編成を!」
星詠み士長ベルタ女史は王に進言する。しかしアステリア王ニルスはこの提案に難色を示めしたのであった。
★
「お前も物好きだな」
屋外だというのに汗と砂埃の臭い立ち込める試合場のわき、桃色の石造りの通路を抜けると、汗を拭うさわやかな風があった。
騎士団訓練場の裏手となる開けたその場所はアステリアの国花であるバラの香りがする。
「薔薇、剣、盾」の重なる紋章が肩に描かれた鎧を着た同期のエリオットは、試合直後だというのに剣の素振りを繰り返すレオにあきれたように言った。
「相手はあのアルトだ、お前が負けたとしてもなんら問題はないぜ?」
幼い頃は美しい金髪だったのだろう、黒髪のレオとは違い、後ろで束ねた長髪は流れるような明るいブラウン。エリオットは、サファイアのような緑色の瞳で、単調な動作を正確に繰り返すレオの背中を見ていた。
「……」
レオは、エリオットの嫌味に一瞥もくれる事もなく、真っすぐに前を見たまま、ただただ剣を振りつづける。
その様子は普段のレオと変わらない。
剣を振り上げ、剣の重みとともに振り下ろす。振り下ろされるたびに、ヒュッと剣が鳴る。何度も、何度も。
この素振りはアステリア剣術の中の基礎中の基礎。
騎士団に入るための訓練生時代の最初に教授される。騎士団に所属するものならば間違いなく気が遠くなるほど延々と振らされた記憶を持つ。
驚くほど単純な動作の繰り返しと長い練習時間に、多くの者が根をあげ、二度とやりたくないとトラウマを抱える事になるが、アステリア剣術を大成させたと言われる剣聖ダナンは、この稽古の重要性を幾度も説いたと言われている。
騎士団員になったあとでもこの単調極まりない稽古を毎日欠かさず行っている物好きはいない。唯一レオを除いては。
雨の日も風の日も、祭りの日も、自身の体調が優れない時でさえ、休まない。
だからと言って体格に恵まれないレオが勝負の場面で必ずしも上手になるかと言えばそうではない。そのため、レオの行為は「生真面目」というレッテルのもと嘲笑の的になっていた。
親友であるエリオットですら真面目や実直という言葉を聞くと、すぐにレオの顔が思い浮かび、この稽古の効果に疑問を抱いてしまうほどだった。
「この試合、何の選考会だか知らないわけじゃないだろう? みんな手を抜いてるって言うのによ」
レオの対戦相手、アルト=ユングレーンは、体格や筋力でレオに勝るだけなく、剣の才、勝負の駆け引きに関してみても一枚も二枚も上手であった。さきほどの試合結果が本物であるとは誰も思ってはいない。歓声の中に含まれた嘲笑の半分は、アルトの試合に対する姿勢に向けられたものだ。
新緑豊かな木に寄りかかるエリオットに「知っている」とレオは短く答えると、剣の握りを左右変える。左手で鍔元を掴み、右手で柄頭を握って今までと同じように剣を振り始めた。
そんな事は百も承知だった。
アルトは負けに来ていた。そしてレオは勝ちたかった。二人の思いが一致し、そして相応の結果が出たのだ。
アルトもレオもこの選考会が何を意味するのかを理解している。グルダニアへの調査団のメンバー選出。そのための試合だ。
アステリアとグルダニアとの国交が途絶えた時から、今までにも何度も調査団が編成されている。
しかし、彼の地よりまともに戻って来たものは一人としていなかった。
その多くは還る事なく、戻った僅かな者達は恐怖に心を囚われ、気がふれた状態で保護された。哀れな逃亡者は、安らぎを求めては自ら命を断っている。
グルダニアの異変についてその詳細を言葉にして語るものは誰一人としていなかった。ただ、狂人となった同朋の様が事の異常さを示すだけだった。
国交が途絶えただけで、グルダニアから侵略を受けたわけでもないとはいえ、精鋭ばかりで編成された部隊の惨状が深い心の傷としてアステリアに陰を落とした。そのためグルダニアの事は静観するというのが暗黙の了解となっていた。
時を経ての調査団再編成。ニルス王が難色を示さないわけがなかった。
「今まで閉鎖し、見ないふりをしてきた魔境グルダニアだ……誰だって行きたくない。誰だって負けを争うような試合をするさ」
「そのおかげで、騎士団長の雷が今にも落ちそうだったがな」とエリオットは言葉を続けようとしたが、レオが素振りをやめたので言葉を止めた。
レオはふと視線を上げ、アステリア城に目を向ける。
視線の先に見える王城の西に立つ塔。
そこには病に倒れたアクセリナの居室があるという。
「役に立ちたいんだ、アクセリナ様の……少しでもお力になりたいんだ」
エリオットはやれやれと肩をすくめた。
「俺は人の事を言えたもんじゃないが、俺達の実力じゃあ高々しれているってもんだろ? できる事とできない事があるんだ」
エリオットは普段からどれほどレオが努力をしているかを知っていた。アクセリナの役に立ちたいという想いがそれを後押ししている事、その感情が叶う事のない特別なものである事を理解していた。
しかし、願望は強い想いや努力だけはどうにもならない。生い立ち、家柄、才能、恵まれた奇跡のようなチャンスが必要だ。それらはごく限られた、ごく一部の人間達の手の中にある。少なくとも自分やレオの願いは叶わない。エリオットはそう思う。
「わかってるさ」
「あん?」
「たとえ力不足で、笑われたとしてもアクセリナ様のために、何かをしたいんだ。ただ、それだけなんだ」
「……」
★
「レオ=レクセル、最後はあの者だろう」
アステリア騎士団議会室。黒曜石で作られた二十四人掛けの円卓の東の席に腰かける議長シモンは十三人会と騎士団のメンバーを前にして同意を求めた。
「まだ若い」
「実力が足りていない」
「経験が浅い」
決定権を持つ者達のざわつきがあとを絶たない。しかし、各々の胸に浮かぶ思いとは裏腹に、選考試合での他の者の戦いぶりが完全な否定の言葉に歯止めをかける。
「他に適当な者は?」
場は一瞬言葉を失い、間が生まれた。
生まれた間は沈黙を育て、沈黙は肯定の手を引く。
「うむ……」
シモンはうなずく。
騎士団長ランヴァルトは各部隊隊長、および十三人会長を前にして宣言した。
「グルダニア調査団のメンバーは……」
アステリア騎士団第三部隊隊長ダン=オリアンを筆頭に新制調査団が選抜された。
そのメンバーは騎士団きっての剛力の持ち主ハッセ=ブラント、魔道学の知識を持つ剣士シェル=カッセル、星詠み士カイ=フリーデン。
アステリアでは音に聞こえた実力者達のなか、騎士団ではほぼ無名とも言えるレオ=レクセルの名が加えられていた。
★
一週間前――
調査団はアステリア騎士団と僅かに集まった民衆に見送られながら、アステリア王都を旅立った。
「頼みますよ、隊長!」
石畳の道の脇に騎士団員達と一般市民が列をなし、馬にまたがる調査団員達に声をかける。先頭を行く黒い鎧から褐色の肌を見せている長身の男は調子よく右手を挙げてこれに応えた。
この隊を率いるダン=オリアンだ。ダンの逞しい右腕は希望を感じさせる。その颯爽とした姿に彼を見送りに来ていた女性の一団から悲鳴にも似た黄色い声援があがる。
「おいカイ、聞いたかよ、今の歓声。俺の人気も相当なものだろう?」
「……ハッセさん、どう考えてもハッセさんに向けてじゃなくてダン隊長に向けられたものですよ」
「はっはっはっ! まあ、見てろよ!」
大ぶりな戦斧を背に担ぐハッセは豪快に笑いながら丸太のような両腕を挙げる。すると今度は周囲から野太い歓声が上がり、思わず肩を落とす。
「おいおい、俺への声援は野郎だけか?」
「ダン隊長が隣にいるんですから無理ですよ」
肩を落とすハッセに、夜空を思わせる濃紺のローブを羽織るカイは呆れたように言った。星詠み士が好んで着る濃紺のローブは夜空をイメージし、左の袖口には太陽、右の袖口には月の意匠がほどこされ、ローブの内側には北極星を中心とした天体が銀糸で刺繍されている。
「ダンがいるんだ、俺達は引き立て役を全うすべきだろ?」
カイの後ろにいた銀細工のように美しい細身の剣を腰に差したシェルは肩をすくめ、ハッセの期待と落胆を鼻で笑う。
そんなシェルも、夜香を感じさせる女達から花を贈られている。
「お前もそんなに気張るなよ。気楽に行こうぜ、本番はまだ先なんだから」
「あ、はい」
最後尾を歩いていたレオはシェルに声を掛けられて思わず顔を上げる。
「それとも、お前さんも女の声援がなくて淋しい口かい?」
シェルが口数の少ないレオを茶化す。
この中ではダンが一番人気、二番目が冷ややかな印象を与えるシェルだった。
「おい、今、お前に話しかけて来た子、可愛かったな! どんな関係だ?」
「学院の後輩達ですよ」
三番目が中性的な魅力を持つカイ。
「学院のか、いいよな。学院の女は可憐でよ。酒場のケツのデカい女とはわけがちがうわな」
ハッセが言った瞬間、通りの横で恰幅のいい中年の女が張りのある声で言った。
「ハッセ! そのケツのデカい女の店でツケで飲んでいるのはどこの誰だい!?」
「おおぅ女将!? 帰ったらこの任務の手当で払うさ!」
「本当かい!?」
「ああ、もちろんだ、ついでにいい女を店に入れておいてくれよ」
「飲み逃げは許さないからね!」
女将の言葉にハッセはまた豪快に笑う。その笑いは一行の見送りに花を添えた。
レオは一行のあとを追いながら腰に差した自分の剣を見た。
凄い編成だ……ダン隊長、ハッセさん、シェルさんと任務を一緒にするなんて……。
層の厚いアステリア騎士団の中で、ダン、ハッセ、シェルと言えば指折りの実力者だ。騎士団だけでなく、隣国にまで名が知れるような強者である。
特にダンはこの中でも群を抜いている。その指導を仰ぎたい者は多くいる。レオもその一人であった。レオとの試合にわざと負けたアルトもこの時ばかりはダンと列を共にするレオに羨望の眼差しを向けしまうほどだった。
この隊に選ばれる事を望んでいたとはいえ、レオは恐縮せずにはいられない。
「おい……オ……レオ!」
「えっ?」
いつの間にかレオが乗る馬のすぐ脇を、エリオットが近づき歩いていた。
「エリオット?」
「これを持って行けよ」
エリオットは早足で歩きながら、レオに鮮やかな紅のスカーフを握らせる。
「アステリアルベル……?」
それはアステリア南西部でしかとれない花を使って作られる美しい染物のスカーフだった。独特の風合いを持ち、深みのある紅色は一目でそれとわかる。
「これ……」
レオが生まれた村の特産品でり、都とはいえ手に入りにくい貴重なものだ。
「絶対、戻ってこいよ」
エリオットはそれだけ言うと行進していく調査団の見送りの列から離れて行った。
レオはエリオットに向け右手を挙げて、これに応える。それからそのスカーフを首に巻いた。スカーフからは故郷の匂いがするような気がした。
ダン達一行は騎士団とアステリア市民の見送りを受け、アステリアの北部へと向かった。そこにある両国を隔絶する門をくぐるため、蒼穹を前に横になる女性のような凹凸ある山を目指して長い山林を行く。
グリダニアへの道は標高も高く道のりのほとんどを登って行く事になる。
なだらかな部分は馬に乗り進み、険しい所では道を蛇行しながら進む。時には馬を降りて引きながら歩かなくてはならない。
「ここが最後の関所か」
シェルが左右に見える高さが十数メートルにも及ぶ城壁と門を目に思わず汗を拭う。
両国を隔てる門は、この門を作った王の名からドグラスの門と呼ばれていた。
城壁や門にも幾重にも鎖が掛けられている。その鎖には星詠み士達のまじないの言葉が、芸術品のように装飾されていた。
「ここから先は立ち入り禁止区域。ここが実質上の国境みたいなものさ」
ダンは前を見たまま、一行の雰囲気を察して努めて明るい口調で言う。
「アステリア人に会えるのもここまでだ、この先は馬もきついしな」
一年だけ門の監視役で赴任したことのあるハッセが言った。
「馬、きついんですか?」
「ああ、なかは薄気味悪いんで行ったことはないが、門の上に立てばわかる。急な斜面に途中からは常に霧がかかっているんだ」
カイの問いに答えるハッセも珍しく神妙な顔をする。
一行は、ドグラス門の監視役の兵に馬を預け、ハッセの言葉に従い自分達の足で進む事を決意した。
早朝にドグラス門を抜けて出発して数時間ほど経った時の事だった。昼間だと言うのに、しだいに足元に霧のようなものが漂い始めたのだ。
その異変に気づいてから一時間も歩かない内に、レオ達は深い霧のなかを歩かされる事になった。
「この霧、何かおかしいな……」
口火を切ったのはシェルだった。
シェルはもともと山岳地方出身のため、気候の変化、霧や靄などの類にはなれている。その彼が違和感を唱えた事に自然と全員の緊張感が高まった。
「この霧、魔力を含んでいます。かなり濃度が高い……」
カイは咽るように口をおおいながら、息苦しそうに分析した。
「その上視界が悪いな……みんなはぐれるな!」
先頭を行くダンの声に、全員が声を上げ応えた。しかし、霧は執拗に足に絡み、腕を引く。毒花のような甘い匂いと首を絞められるような息苦しさに一行は自然と口数が減り、荒い呼吸の音が、お互いを確認する唯一の手段となっていく。
一行の一番後ろで背後を警戒しながら歩いていたレオはふと気がついた。
自分の前を歩いていたはずのハッセの姿が見当たらない。
まさか! 見失った?
さっきまで聞こえていた足音が聞こえない、荒い呼吸の音も。
「ハッセさん!」
足を止め、息苦しいのも忘れて叫んだ。
しかし声は霧に吸い込まれるばかり。
レオは慌てて全員の名を呼んだ。
「カイさん! シェルさん! ダン隊長! どこですか!?」
それは虚しい作業となった。
視界の効かない霧の中、レオはすっかり方向を見失った事に気がついた。方位もわからず、足元の斜面だけが知覚できる唯一のものとなってしまった。
視界を奪う枯れた森と濃い霧。
周囲の暗さに不自然さを覚えながら、時間の感覚まで奪われたような気分になる。
「日が落ちる時間ではないはず……」
胸が騒ぐ。このまま夜になった危険だ。
その想いとは裏腹に、周囲の明かりは闇に押れていく。レオは見失った仲間達に自分の存在を主張するためにランタンに火を灯した。
すると、不思議な事にはじめは温もりのある橙色の炎を灯したランタンだったが、ぼんやりと炎が瑠璃色に染まり始める。揺らめくほどに橙と瑠璃色とを行き来する。瑠璃色の炎の勢いは強いらしく、今にも炎のすべてが瑠璃色に飲み込まれてしまいそうだ。そんなことも気にする余裕もなく、レオは揺れる炎によりひらけた視界を頼りに歩き出す。
もしかしたら、隊長達は自分がはぐれた事にすら気が付いていないかもしれない。
一行の一番後ろを歩いていたのだ。この環境で歩き、後ろを見ている余裕もなかった可能性もある。
レオは冷静さを取り戻すために、頭の中で一つ一つ整理をしながら、不安が覗きこもうとする己の心の窓を閉めつづけた。
「……?」
草を踏みしめる音。
誰かいる?
「ハッセさん?」
いや、それにしては草を踏む音が軽い。
「カイさん?」
応えはない。
仲間の内で一番小柄なのは星詠み士のカイだ。ダンでも、ハッセでも、シェルでもない。おそらくカイほどの体格に違いない。
そこにいるのが仲間ならば……。
「カイさん……?」
レオは訝しみ、無意識のうちに剣に手をかけていた。
レオの警戒心が研ぎ澄まされた瞬間、 突然、その獣はレオの視界に姿を現した。
「!?」
むき出しの殺気がレオを襲う。その気迫にレオの体は反射的に剣を抜き放ち、駆け出していた。