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百年の誓い【最終章】

 日の当たることのない闇の中住んだその女の肌は良くできた白磁器のように青白く、元々長さのあった煌めくようなブロンドはさらに長くなり、前髪は顔の半分を隠し、豊かな胸元に垂らされている。

濁りのない蒼い瞳がまっすぐにユリウスに向けられる。それは最後に別れたあの日を思い出させた。

「エルヴィ、ずっとここに?」

 声が震えた。ユリウスは今すぐにも彼女に駆け寄り抱きしめたい衝動にかられた。

 しかし、その手にはすでに白銀の剣が抜かれている。

 その声と戸惑いながらも緩む頬に、レオは彼女がユリウスの特別な人なのだと察した。

 しかし、そんなユリウスとは裏腹に、エルヴィの言葉は冷たかった。

「ユリウス、今さらここに何をしに来た?」

 透き通るような凛とした美しい声は、張り上げたわけでもないのに射貫くような鋭さがある。

ユリウスの表情にも緊張の色が浮かぶ。

「エルヴィ、すまなかった。しかし、俺はグルダニアを救うを方法を探して来たんだ」

「グルダニアを救う方法?」

 エルヴィの眉が寄る。ユリウスは慌てて言葉を継ぎ足した。

「そうだ、あの日、異変が起きてから、俺は国中を歩きまわったんだ。もちろん、すぐにでも駆けつけたかった! だが、強力な結界のせいで城に入ることができなくて……」

 ユリウスは早口に言葉を並べる。

 城が結界に覆われていたこと、調査のために各地に出向いていたこと、仲間を探していたこと、それがレオであること……。

 それらを聞き終えたエルヴィは「それで……?」と変わらぬ調子で再度問う。

「それで……お前の後ろにある扉、その奥にいる、王に会いに来た」

「行ってどうする?」

「どうする……?」

 ユリウスが一歩前に出る。エルヴィは動じることなく冷たい視線をまっすぐに向けた。

「ユリウス、約束したわよね? この国を守ると、私に戦わせないと……」

「もちろんだ、そのためにこうして!」

「黙りなさい!」

 石壁は声を反響させる。

 すべてを打ち消すかのような彼女の声に、ユリウスは凍りついた。

「守るというのなら、なぜよそ者を連れて来た? なぜよそ者に助けを求める? それにその禍々しい剣はなんだ? それを持って王に会い、どうしようというのか?」

「それは……」

 ユリウスは言葉に詰まる。

 グルダニアの異変の原因、乙女の指輪をどうにかしなくてはならない。

事と次第によってはグルダニア王から指輪を奪うことになる。抵抗されれば、戦うことになるだろう。

「王家に仇をなすのか? 裏切るのかユリウス!」

「これは裏切りではない! グルダニアを救うためだ、今のグルダニアを変えるためならば王とて……!」

「王とて殺めるか? グルダニア王家なくして、どうしてグルダニアか!?」

 エルヴィはフワリと景色に溶け込むように静かに構えた。

「お前達は通せない。グルダニア宮廷騎士の剣は王家のためにある。グルダニアを守る最後の砦だ。ここを通せば、グルダニアは終わる。通せるはずがない」

 その言葉にレオも「どうしても通してもらえないか?」と訴える。

「……アステリアの剣士よ、このまま帰るならそれもいい、でも進むというなら死を覚悟しろ」

 レオはユリウスの顔を見た。

 彼女はユリウスの大切な人に違いない。できれば争いたくない。そう思った。しかし、ユリウスは首を振る。

「レオ、すまない。頼めるか?」 

 レオは黙ってうなずいた。

 右腕を失い、信頼を失うほどの時間を経た今、言葉だけでは彼女の心を動かせない。ユリウスは右腕になった甲冑を握りしめた。

 エルヴィは強い。構えから技量が、態度と言葉から信念がうかがえる。迷いのない剣は鋭く硬い。

「レオ=レクセルだ。エルヴィさん。俺が勝ったらここを通してほしい」

 レオは黒き剣を抜くと、エルヴィの前に足を進めた。戦いの気配に呼応する剣は唸りはじめる。

「勇気あるアステリアの剣士、レオ。その名を心に刻もう。しかし、ここはお前が来るべきところではない」

 レオとエルヴィが対峙すると、二人はそのまま動かなくなった。

 わずかにレオが足を進め、間合いを詰めていくが、エルヴィは少しも動じない。

 この人……強い……。

 ただ対峙しているだけなのに、レオは息が切れをしそうだった。

 昔、ダンやハッセに稽古をつけてもらった時、アランと対峙した時、圧倒的な体格差のあるクラウスを前にした時、剣が折れ黒騎士に迫られた時、そのどれとも違う。

 これ以上は危険……なのか?

 相手の間合いに入っているのかどうか、それがどれほどの威力を持っているのか、どう対処すればいいのか想像がつかない。

 もしかしたら、すでに相手の必殺の間合いの中にいるかもしれない。そうなれば、いつ勝負が決してもおかしくはない。

 その時、ふと、エルヴィが剣を下した。

 今! 

 レオはほぼ反射的に動き出していた。重いはずの剣は一体となったように軽い。

 いける。

 このタイミングなら下げた剣を彼女が戻すよりも先に、レオの剣がエルヴィに到達する。

 もらった!

 そんな確信を抱く寸前で、レオは違和感を覚えた。

 これで勝ち? 決着?

 そんなはずがない。

 こんなに簡単に勝負がつくはずがない。

 彼女には何かがある。

 違和感が胸の中に渦巻き、動きを鈍らせる。

 自分は「斬りこんだ」のか? それとも「斬りこまされた」のか? 

 レオは寸前で剣を止めた。

 するとどうだろう、剣を振り下ろそうとした場所にエルヴィの姿はなく、同時に眼前に彼女の剣が迫っているではないか。

「くっ!?」

 レオは慌てて飛びのいた。

 ドッと汗が噴き出していた。

 動きを止めなければ、あと一歩でも前に出ていれば、自分から白銀の剣先に飛び込んでいるところだった。

 レオが離れると、エルヴィはまた同じように剣を下げて見せた。

 エルヴィに隙が出来たのではない、彼女は意図的に隙を見せたのだ。

 完全に誘われた。

 打ち込みたくなる状況、打ち込める場所を作られ、それを見せられた。張り詰めた空気の中で作られたそれを、レオは水中で酸素を求めるように本能的に求めてしまった。

 見れば、エルヴィは最初に構えた場所からほとんど動いていない。

 彼女は完全にレオの太刀筋を見切り、最小限で避け、反撃に転じたのだ。

 偶然その形になったのか? 

 その考えは希望的観測だと自分でもわかった。今のは彼女の技であり「意図」して出来た形だ。

 レオはシンッと降り積もる雪のように構えるエルヴィの姿に息をのむ。

 目の前にいて、見えているはずなのに、まるでそこに命のある者が存在しないかのように思える。威圧感も圧迫感もない。気迫も気勢もない。

 いける。そう思わせられる。

 エルヴィはフッと剣を下ろし、左足を一歩進め、左肩をレオに向けた。

 レオから見れば、彼女の右手に持つ剣が先ほど遠のき、左肩が先ほどよりも近くなった。

 左肩、左半身、が近い。

 咄嗟に出ようとして、レオは思いとどまる。

 自分の持つ剣の方がエルヴィの持つ剣よりも長いはずだ。どう考えても有利なはずだ。

 しかし、それはエルヴィもすでに「知っている」。

 これも誘いだ。

 左肩を出すことで、そこを狙わせようとしている。 

 罠だ。

 彼女が、隙を見せたことで逆にこちらの選択肢は狭められた。

 誘いに乗れば、踏み込めば……やられる。

「似ている……」

 訓練生時代に一度だけ見た、騎士団長ランヴォルトが見本として示したアステリア剣術の奥義守護六方にそれはよく似ていた。

 守護六方は、攻めて来る相手に対して、後の先を取ることを主眼とする守りを重視した必殺の剣だ。たった六つの型しか存在しないが、恐ろしく奥深く、実際に対峙すると奇妙としか言いようがなかった。

 攻め込んだ側が気がつくとやられている。思ってもみないような死角となるようなところから剣が出てくる、と言ったものだった。

 自分を捨て、相手からの攻撃の恐怖心を捨て、ギリギリで見切ることにより初めて技となるため、その習得は難しい。恐怖がその見切りを許さない。

しかし、その術中にある者は、気がつけば敵の影を斬りながら我が身を斬られ、自ら動いたはずが動かされていたのだと斬られながら知る。

 ランヴォルトに理論と技の内容を示されたあとであっても、レオはまるで何をされているのかわからなかった。

 レオが戸惑っていると、今度はエルヴィの方が動いた。

「!?」

 駆け出したにも関わらず足音もない。

一瞬、エルヴィのマントが白銀の剣の姿を隠した。レオの背にゾワリと冷や汗が流れた。

 まずい!

 レオは黒き剣を盾にしつつ飛びのいた。それを読んでいたようにエルヴィが追う。その姿はまるでレオの足から伸びる影のように。

 次の瞬間、甲高い金属音が部屋に響き渡る。

 細身の女性から放たれた一撃とは思えぬほど重い一撃に手がしびれた。

 上手い、それに鋭い!

 体勢が崩れ、耐えきることのできない絶妙のタイミングで打ち込まれた。この剣でなければ、今の一撃で折られていたかもしれない。 

「アステリアの剣士」

「……?」

 彼女は言った。

「お前は、どんな覚悟を持ってここに来た? どれほどの強い信念と揺ぎ無い覚悟を持ってきたとしても、私はそれを上回る。そして、グルダニアを守る!」


   ★


 エルヴィ……。

 ユリウスはレオとエルヴィの戦いに冷や汗を流していた。

 あれがエルヴィの本気?

 目の前で戦う彼女は、自分が過去の彼女よりも遥かに強い。数段上、いやそれ以上に技は冴え、美しい。

 エルヴィは、レオの実力を間違いなく上回っている。

 周囲の魔力濃度が高く、右腕が完全に動く今であっても、この二人の戦いを援護することは難しい。

「あの剣の……」

 レオが、あの剣の力を使えば勝てるかもしれない。

 ユリウスはその言葉を口の中でとどめていた。

 剣に身を委ね、魔力を開放すれば、一時的に、身体能力をはじめ、あらゆる点で今以上の力が出せる。

 ユリウスは、あの剣の所持者であった時に何度かそれを体験していた。

身体は軽く、力が湧き、脳が加速するような感覚が身体を包む。周囲にいるものすべてが鈍く動いているように感じ、恐怖は退き、過剰な勇気が身体の感覚を狂わせる。

 俺の過去を見てきたはずだ。あれを知らないわけじゃないだろうが……。

 しかし、それを使えば、黒き剣に自分の魂の侵食を許すことになる。

 完全に侵食を許せば、それはレオがレオでなくなるということを意味する。

「ユリウス! 何とかならないの!?」

 ラウルがユリウスに訴えた。

「ああ、わかってる……」

 使わせたくない……。レオに、剣の力を使わせたらダメだ……!


   ★


 レオは、とある日のことを思い出していた。

 それはよく晴れた日。合同訓練の終わったあと。その日も摸擬戦で負けたレオは、宿舎の裏庭で一人素振りを繰り返していた。

 なぜ負けたのか? 

 どうして勝てないのか?

 小柄な体格のせいか? 

 才能のせいか?

 訓練が足りないからか……?

 現状変えられるものは訓練量しかない。

 才能も、体格も、自分ではどうしようもない。訓練だけは可能な限り増やしていける。そうすれば、体格の差や才能の差と言った変えようのない溝をいつか埋めることができる、と思っていた。

 そう信じていた。

 そう信じて、誰よりも多く剣を振り、休まず、弛まず、毎日毎日努力を重ねてきた。けれど、レオの気持ちに反して結果は伴わない。同期との差は広がるばかり、騎士団の先輩方は遥か遠い存在のまま、とても近づいているとは感じ難い。

 それでも、レオは練習を重ねた。そして、今日も負けたのだった。

 この方法で合っているのか? この方法で自分は強くなれるのか? 上達できるのか?  

 もはや剣など投げ出してしまった方が、いっそのこと楽になるのではないか、そう思えてくる。

 同期のエリオットはここに来て急に身長が伸びた。手足の長い彼は、それを活かした戦い方に変わり、以前よりも結果が伴うようになった。それを邪道だという揶揄する者もいるが、そんなことはないとレオは思う。

 レオは、エリオットがどれほど基礎を積んでいたかを知っていた。基礎があっての今の戦法だ。きっと、もっと伸びる。

 それに引き換え自分はどうだ。

 何も成果が出せないじゃないか……。

 レオは自分の中から力が小さくなっていくのを感じた。

 騎士団員の持つ、高い身長、太い腕、厚みのある胸板、そのどれもがレオには足らない。

 アクセリナ様のお役に立ちたい、でも、俺では力不足か……?

 かと言って、今から別な物を目指せと言っても、何をすればよいのかわからない。

 アステリア剣術を完成させたと言われる剣聖ダナンは、それほど大柄な人物ではなかったと言われることが唯一の救いだった。

「……オ、レオ!」

 レオは自分が呼ばれていたことに振り返った。

「マルコ教官……!」

 すでに何度か呼ばれていたらしい。レオは姿勢を正した。レオを呼んでいた長身で細身のマルコは「やれやれ、相変わらずだな」と言って苦笑いをした。

 マルコはレオが養成所に入った当初から指導を受けている剣術教官だ。

 すでに全盛期を過ぎ、第一線から退いているとはいえ、その技の鋭さは現役の騎士団にも引けを取らない。先日も騎士団随一の剛力の持ち主ハッセと互角に摸擬戦を行っていた姿が脳裏に焼きついている。

「レオ、今日も負けたな……」

「はい」

 レオは肩を落とす。

 教官は体格、体力の上回る相手を前にしても決して押されるだけにならなかった……。

 どうすればあんな風に戦える?

 レオは今日の試合内容の反省点などを聞かれるかと思い、頭を巡らせたていたが、次のマルコの言葉は意外なものだった。彼は地面を指差し「レオ、足元を見ろ」と言った。 

 レオは言われるまま地面を見る。するとレオの足元には蟻が列をなしていた。

「レオ、その蟻の足音は聞こえるか?」

「蟻の足音……?」

 レオは目を閉じ、耳を澄ませた。

 汗ばんだ手の汗を拭う風の感触、風が揺らす木の葉の擦れる音、薔薇の匂い……。

 意識を研ぎ澄まし、さらに耳を澄ます。だが、

「聞こえません」

 いくら感覚を研ぎ澄ませてみても、蟻の足音など聞こえない。

「教官は聞こえるのですか!?」

「いや、俺も聞いたことはない」

 マルコはそう言って笑った。

「……」

「そんな顔をするな。昔な、俺も剣の師に同じことを言われたんだ。蟻の足音、蝶の羽ばたき、花の開く音が聞こえるか、とな」

「聞こえるものなのですか?」

「さあな、ただ、そんな境地に立てと言われた。俺は、その音を聞こうと修行に励んだが、ついに耳にすることなかった……」

「教官でも……?」

「ああ、もしかしたら、そんなもの初めからなかったのかもしれない。実現不可能な目標を与えて、高みを目指せとということだったのかもしれない」

 マルコは過去を懐かしむように微笑み「だが、もしかしたら……」と続ける。

「お前なら、いつか、その音を聞こえるかもしれないと、ふと思ってな」

「……俺なら?」

「ああ、何となくな」

 レオはマルコの言葉に目を丸くする。

「教官でも聞こえなかったのに、俺が?」

 そんなこととても信じられない。

 マルコはレオの問いには答えず「これから先、どんな過程を辿っても、決してその手を緩めるな。レオ、自分を信じろ」そう言った。

 それからレオはマルコの教えを守った。

 一日と休まず、毎日、剣を振った。

 晴れた日も、雨の日も、風吹く時も、負けた日も、悲しい日も、嬉しい日も、レオは剣を振り続けた。

 レオはただひた向きに教えを守り続けた。


   ★


 今の一撃を凌いだか……。

 エルヴィは自分の前に立つアステリアの剣士を見ながら灼けつくような想いを胸に感じていた。

 なぜ……。

 なぜユリウスは、あの剣士と一緒に現れ、私に牙を向けるの……? 

 私と一緒に、グルダニアを守るために戦ってはくれないの……?

 私は、私は、こんなに待っていたのに……!

 あの異変が起きた日。

 城内にいたエルヴィは声を聞いた。

 この世のものとは思えない、地の底から響く声。声というにはあまりに巨大なものだが、それは決して単なる音ではない。明らかに意思を持つことを感じさせる。

 地響きのようなその声は、盤石な大地に立つ堅牢な石の城を、揺らし、崩さんさんばかりに鳴り響く。

 エルヴィはもちろん城内にいる者はすべてが、耳を抑え、頭を抱え戦慄を覚えた。あまりのことにその場にしゃがみ込み、下着を濡らす者をいた。

「なんだ、何が起きた?」

 宮廷騎士団長アマリアは声に、騎士数名がは城外を確認するためバルコニーに向かう。他の者は城内を走った。

 それによりわかったことは、この謎の声の発生源はこの城にあるということ。

 そして、ここで起きたことは、少なからず城下町まで影響を及ぼし、ここ以上の混乱が広がっているということだった。

 この音の発生源が城にあると言っても、アマリア達には、それを詳しくするほどの時間もすべもない。

 やがて地を揺るがすような声は、明瞭な声となって聞こえてきた。。

 明瞭で明確。恐ろしく不気味な声で、頭の中に直接話しかけてきたのだ。

『汝、何を望む……?』

 エルヴィは得体の知れないその声に震え上がった。

 誰? 誰なの?

 問いかけに答えはない。声は止まらない。

 エルヴィは気がおかしくなってしまったのではないか思った。しかし、辺りを見回すと、その声を聞いているのは自分だけではないことを知った。

 みな頭を抱え、震え、祈りを上げている。

 自分の頭の中に聞こえてくる自分以外の声に戸惑い、恐怖し、発狂した。

 大変なことが起きている!

「こんなことが……?」

 魔法による敵襲? こんな大規模な?

 でも、もしも敵襲だとしたら……!

「エルヴィ! セシリア様の元へ!」

「はいっ!」

 アマリアの声が飛ぶ。

 エルヴィは居室で眠るセシリアの元に急いだ。王城を狙ったのだとすれば、王家の者を狙うはず。

 もし、セシリア様に何かあれば……自分の使命を守らなくては……!

 城内に、季節にそぐわない冷たい風が嵐ように吹き込む。その場で倒れこむ兵士や侍女達をしり目に、エルヴィは走った。

 声は鳴りやまない。頭の中にある声は望みを要求し続ける。

「うるさい、うるさい! 黙れ!」

 声は一方通行だ。こちらの拒絶に、声は少しも答えない。

「セシリア様!」

 やっとの思いでエルヴィが王女の部屋にたどり着いた。

 そこで彼女はその光景に茫然とした。

「セシリア、様……?」

 ここのところ常に寝台に横たわり、死んだように眠っていたはずのセシリアが、目覚め、起き上がっている。

 背に怒号と混乱。目の前に奇跡のような歓喜の光景に、エルヴィはただ言葉を失い立ち尽くした。いや、エルヴィが立ち尽くしたのはそれだけではない。

「エルヴィ……」

 セシリアが泣いていたのだ。

 透けるような輝きを持つ銀髪に白い肌、アメジストのような紫色の瞳と長いまつげが震えている。

 エルヴィよりも若く、馬術もこなす活発な一面を持つセシリアの張りのあるしなやかな肢体は、病に倒れ眠っている間に幾分細身になったように感じられた。

「エルヴィ……」

 セシリアはエルヴィの胸に飛び込んだ。

 元々、歳の近いエルヴィをセシリアは姉のように慕っていた。セシリアは駆けつけてくれたエルヴィの姿に少女のように素直に喜びを表した。

「セシリア様……」

 薄くなった肩が、長く病を患っていたことを物語る。それでもその魅力は少しも失われいない。それどころか不思議なほどの生命力を感じさせる。

「よく来てくれました、エルヴィ」

「セシリア様、お身体はもう、それに外が大変なことに……」

「……はい、わかっています」

 セシリアが顔を上げた。その表情にエルヴィはドキリとする。

 自分の胸に飛び込んだ少女のセシリアは影を潜め、毅然とした王家の姫がそこにいた。

 まるですべてを悟ったかのように、強い瞳を持って。

「大変なことが起きてしまいました……すべては私のため……」

「一体何が……?」

「エルヴィ、私は行かなくてはなりません。このままでは闇がグルダニアの外にまで達してしまう。グルダニアで起きた災厄を隣国まで広げるわけにはいきません」

 早口に言うセシリアの言葉を、エルヴィは理解することができなかった。

 頭が混乱している。声が邪魔をする。

 一体何が起きているというのか? 

 一体何がそれほど切迫しているのか?

 セシリアはどうして目覚めたのか?

 エルヴィにはわからなかった。思考がついていかない。だが、セシリアの願いだけは理解できた。

「エルヴィ、お父様を、グルダニア王家を頼めますか?」

 セシリアの願い。

 その言葉をエルヴィは胸に刻んだ。

「セシリア様はどこへ?」

「私は闇を追います。私が戻るまで、私の帰る場所を守って」

「しかし!」

 エルヴィの言葉を待たず、狂乱の城内をセシリアは駆けていった。

 アマリアの判断により、エルヴィはセシリアの言葉を守り、城に残ることを命じられた。アマリアをはじめ、数名の宮廷騎士団がセシリアのあとを追った。

 セシリアがいなくなったあともグルダニア城の混乱が落ち着くことはなく、多くの人が城を捨て、逃げ出していくのをエルヴィは止めることができなかった。。

 やがて、城は人の匂いを失った。

 わずかに忠義に厚い者達が城に残ったが、それもほんの一時のこと。一人、二人と姿を消し、気がつけばエルヴィただ一人となっていた。セシリアの言葉が、エルヴィをその場に留まらせることになった。。

 きっと、セシリア様は帰ってくる。

 きっと、ユリウスが駆けつけてくれる。

 ユリウスが来てくれさえすれば、状況はきっと変わる。それが彼女の希望だった。

 ユリウスを待つ、再会する。それがいつしか彼女の願いになった。

 エルヴィは待ち続けた。

 人のいなくなった王城の一角でただ一人。王の間に居続ける王を守りながらただ一人。 

「それなのに……」 

 ユリウス……。あなたはなぜ私と戦ってくれないの……?


   ★


 剣を構え、足元に蠢く焦燥感を懸命に落ち着かせていた。

 焦るな。落ち着け……。

 レオはすでに覚悟を決めていた。しかし、エルヴィへの恐怖心が動きを求めている。

 この闘いは長くなればなるほど不利。

 決まる時は、一撃で決まる。そんな戦いだ。

 レオは意識を研ぎ澄ませた。

「打ち合いになれば勝てない……」

 エルヴィは信じられないほどギリギリで剣を見切っている。それはランヴォルト以上だ。

 手数が増えればミスも増える。見落としも多くなる。その中で自分がエルヴィを上回れるとは到底思えない。

「それでも……」

 この剣の力を使えば、もしかしたら……

 そんな考えが頭を過る。

 黒き剣の記憶の中で見たあの光景。ユリウスはこの力に溺れていた。

 その気持ち……わかる。

 力がほしい。今すぐに。

 渇望する。

 エルヴィに届く一撃がほしい。ここを突破する力が。

 力を使えば……自分を失うかもしれない。

 剣は囁く。

 一度だけなら……。

 いや……。

 ユリウスは何度も使っていた、一度だけなら問題ない……。

 いや……。

 黙ってやられるつもりか? 

 ダメだ!

「俺は……」

 この戦いに勝つためだけに戦っているんじゃない。この先に行くために戦っているんだ。そしてアステリアに帰るために!

「アクセリナ様……」

 その名を口にすると恐れが消える。アクセリナのためならば、死んでもいいと思えるほど勇気が湧いてくる。

 剣の力は使わない……。

 ギリギリまで。使わない!

 その時だった。

 レオの研ぎ澄まされた意識は、周囲の景色と音を遠ざけた。

 冷たい石の壁、床に敷かれた荒れて温もりを失った絨毯、淀んだ空気に混じる王城の匂い……。

 すべてが遠くに感じる。手に握られた黒き剣の不気味の鳴動すら、今は大人しく鳴りやんでいるようだ。

 レオはその場所でエルヴィと二人だけになった気がした。

 聞こえる……。

 その静寂の中でレオはその音を耳にした。

 ピタリと止まっているように見えるエルヴィが、バランスをとる時に出るわずかな衣擦れの音。彼女の呼吸、鼓動、瞬きの音。

 これは……?

 一瞬呆気にとられた。

 離れているはずなのに、一体となったように相手を感じる。

 しかし、それでもなおエルヴィには一分の隙もない。その技は人の物とは思えない。レオは、より彼女の完璧さを知ることになった。

 俺は、まだ彼女の域に達していない……。剣の力を使わなくては勝てない……。

「……ユリウス!?」

 ふと、レオの背後で動きがあった。

 ユリウスがエルヴィに向かい矢を放ったのだ。彼女はそれをこともなく払い落す。

 隙を生むほどのことではなかったが、エルヴィの気持ちが炎のように揺らめき立った。彼女の意識がわずかにレオから逸れ、ユリウスに向けられる。

 レオはその一瞬を逃さず踏み込んだ。

 エルヴィの反応がわずかに遅れた。

 剣が届く!

 エルヴィが身をひるがえす。

 絶妙とも言える一太刀であったが、レオの剣は彼女の前髪をわずかに切り落とすだけに過ぎなかった。

「……!?」

 美しいブロンドが散り、髪に隠れていた彼女の顔の半分が露わになる。

 ラウルは思わず息を飲んだ。

 その顔は麗しい半身とは対照的に、樹木が枯れたように醜くただれている。

 エルヴィは慌てて手で覆ったが、それはすでに隠せるものではなかった。

 その一瞬を立ち止まったレオにエルヴィの剣が走る。

「見るなっ!」

 しかし、その攻撃に先ほどの重厚さはない。怒りに任せた凡庸な剣は、エルヴィの精彩を欠いた。

「ユリウスっ!」

 エルヴィの目が憎悪に燃える。怒りの矛先は、この戦いに水を差し、自分ではなく、レオを味方したユリウスに向いた。

「エルヴィ……」

 ユリウスは思わず言葉に詰まる。

「見たのか!? ユリウス!」

「……」

 ユリウスは答えなかった。

 未踏の雪原のように冷たく静かな気配を漂わせていたエルヴィの心が乱れる。

 その美しい顔に刻まれた醜い半面は、黒霧の森で見た獣の姿を思い出させる。エルヴィはすでに終わりに向かっていたのだ。

 黒霧の森にいた獣は人間のなれの果て。ユリウスも旅の途中で何体もの獣を狩った。エルヴィのように気枯れ(けがれ)が始まれば、もはや止めるすべはない。

「なぜ、もっと早く来てくれなかった!? 私はずっとお前を待っていたのに! ずっとここで待っていたのに!」

 エルヴィは片手で顔を隠したまま、白銀の剣を振りかざし、ユリウスに斬りかかった。

 右腕の甲冑がエルヴィの剣を弾く。それでも、エルヴィの剣は止まらない。

「お前は、お前は……!」

「……」

「誓いを忘れてしまったのか!?」

「ユリウス!」

 レオが助太刀しようとしたが、ユリウスは首を振る。

「答えろ、ユリウス!」

 ユリウスはエルヴィの一太刀を受けた。彼女の剣をユリウスは少しも避けなかった。

 ユリウスの脇腹は抉られ、白銀を赤く濡らす。彼は「すまない」と言った。そのあとの言葉が喉をつかえて出てこない。ユリウスは自分を刺すエルヴィの肩を抱きしめた。剣はさらにユリウスの腹に深く刺さる。

「……遅くなった、遅すぎたかもしれない、それでも、俺はお前との誓いを守りたい……」

 エルヴィは泣いた。うつむいたまま、ユリウスの言葉に小さくうなずいた。

「レオ、終わらせてやってくれ」

 ユリウスの

 エルヴィはそれを拒まなった。

 レオの剣がエルヴィを解放した。彼女はユリウスの腕の中ですべてを終えた。

 ユリウスは力を失っていくエルヴィを愛おしく抱きしめた。

「エルヴィ、エルヴィ……すまなかった。あとは俺達に任せてくれ……」

 エルヴィの亡骸を抱いたまま、ユリウスは涙をこぼした。

 命を終えたはずのエルヴィがふと微笑んだ。いや、そう見えただけかもしれない。

 エルヴィの亡骸は大量の時に飲まれるように風化し、サラリサラリと崩れ去る。

 レオ達は、エルヴィのすべてがなくなってしまうまで見送り続けた。

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