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骸のうた【後】

 何かが焦げる匂い。身体の右半身に熱気を感じながら意識を取り戻した。

 ここは? どこだ?

 今までいた王都グルダニアではない。

 混沌の最中。

 暗雲立ち込めるグルダニアだが、争いの火が町を照らし、逃げ惑う人の悲鳴と怒声が聞こえる。焦げた匂い、血の匂いが砂埃の中に混じり、思わず顔をしかめる。

 よく見れば、右手にはしっかりと黒き剣が握られていた。しかし、剣を握り、この混沌とした町を歩いているのが自分ではない、ということにレオは少ししてから気がついた。

 誰かの身体。

 誰かの心の中にいる。

 レオは何ができるわけでもなく、自分が宿った男を通して、見るものを見て、感じるものを感じた。

 男は力を求めている。

 それがわかる。

 空腹が肉を求めるように、組織の中にいるものが地位や権力や求めるように、芸術家が名声や金を求めるように、男が女を求めるように、男は力を求めている。

 理由はわからない。

 強い使命感のようなものが男を突き動かしている。

 男は必死だった。

 そして偶然にも、火の手の上がる混沌の中でこの剣を手にしたのだった。

 剣は男に囁いた。

 力がほしいか……。

 男は答える。

 ほしい! どうしても力がほしい! 力がなくてはならないんだ!

 剣はまた囁いた。

 斬れ。斬った分だけ力をやろう。

「斬った分だけ? 力を?」

 斬れ。命を断った分だけ力をやろう。

「命を断った分だけ? 力を?」

 斬れ。まだ足らない! 斬りつくせ!

「まだ、足らない……ああ、そうだ、まだ足らない! これっぽちの力では何もできない。もっと、もっと力がほしい……!」

 それがまるで本能かのように渇望する。

 男は走り、斬り、殺し、また走った。

 疲れを知らず……いや、疲労が身体に根を下ろし、足の筋肉が苦痛を訴え、腕が悲鳴を上げても男は止まらなかった。

 斬り、刺し、薙ぎ払った。

 最初こそ、この混乱に乗じて蛮行を働く者を斬り伏せ、逃げ遅れた者、力なき者を救っていた男だったが、やがてそれは見境を失っていく。

 略奪する男も、奪われる女も、歩くこともままならない老人も、泣き叫ぶ子どもも、見える命はすべて斬った。

 レオはその容赦のない光景に目を背けようとしたが、それはムダだった。男の経験が流れ込んできてしまう。

 目に見える人間をすべて狩りつくしても、男の心は少しも満たされなかった。焦燥感が常に彼の心を支配している。

 一方で、剣の言うことは正しかった。

 黒き剣は、命を吸えば吸うほど魔力を増した。斬った人の命の数が、剣の強さであると言わんばかりに。

 男は剣の力に酔う。

 今までの日々、薄皮を一枚一枚重ねるように積み上げた鍛錬の日々がウソのようだ。この成長を見れば、それが如何に馬鹿げていたものだったかがわかる。

 休むことよりも、食べることよりも、寝ることよりも、糧がほしい。

 斬りたい。一人でも多くの人間を。

 男は力に憑りつかれていったのだった。

 しかし、勢いのある炎が長く燃え続けることができないように、興奮に充ちた黒き剣っとの密月は長くなかった。

 その日、剣にたっぷりと血を吸わせ、もう一人、もう一人と求め歩いたある日のこと。

「いた……!」

 わずかな物音に耳を立てた。

 瓦礫に吸い込まれるように消えた影。

 彼は空腹の肉食獣のように反応し、走り出した。

 追う。男が追うと影は逃げた。

 気づかれていたとしても気にしない。逃げられるわけがない。すべてこちらの手の内だ。

 追う。影はスルリスルリと逃げていく。なかなかその正体を見せない。

 くそっ! 早く、早く! 

 追う。なかなか尻尾を見せない獲物に男は意地になった。

 早く斬りたい!

 男は執拗にその影を追い続けた。

 土地勘のあるヤツだ。この町で自分からこれほど逃げることできるなんて。

 男はこの町で生まれ、育った。普通のならば見過ごしてしまいそうな小さな通りも、ここに住む者でも知ることのない近道も、猫や犬などが使うような抜け道も知っている。

 ここは俺の庭だ。

 逃げられるはずがないんだ。

 ふと、影が判断を誤った。

「馬鹿め、そっちは行き止まりだ」

 男は笑みを浮かべ、剣を握る手に力をこめる。ようやくありつける……禁断症状にも似た渇きが男の脳をかき乱した。

 影の逃げ込んだ建物のドアを蹴破り、無作法に部屋の中に飛び込む。

 いた!

「……!」

 少女。

 男が追い詰めたのは一人の少女だった。

 上玉だ。

 男はまた笑みを浮かべた。 

 子どもの命の価値は大きい。

 大きな力を得ることができる。

 少女は怯えた目で男を見たあと、その表情に驚きと歓喜の色が浮かぶ。

「あ、あなたは、グルダニア騎士団の……?」

 彼女はそう言った。

 騎士団……グルダニア騎士団……。

 ドクンッと心臓が跳ね上がった。

 彼女の瞳にあった絶望は希望へと変わっていた。「助かった、助けてもらえる」声に出さずとも顔はそう言っている。

 男はその瞳に眩暈がした。

 彼女の希望に満ちた目が、男の四肢と心に楔を打った。

 俺は何をしている?

 興奮が覚めていく。急速に熱が引き、汗が冷えていくのを感じる。

 走馬燈のように自分が何者でだったのか頭の中を駆け巡った。。

 俺はグルダニア騎士団の……誇り高きグルダニア騎士団の一員であるはずの俺が……? 今まで何を? 何をしていた!?

 罪のない人たちを斬り、突き、薙ぎ払った。本来、守るべきはずの人たちを。

 その上、俺はこんな子どもまで斬ろうと言うのか?

 そう思った瞬間、男は夢から覚めた。

 この剣を手にしてから今まで過ごしてきた行為すべてが一度に脳裏に甦り、頭の中に血の匂いが広がった。堅い石畳の上に立っているとは思えないほど、眩暈と後悔に襲われ、グラリグラリと視界が揺れる。

 震えが止まらない。

「……!」

 少女が何かを訴えている。

 その声がひどく遠い。

 彼女の声も、姿も、周囲を囲んでいるはずの建物も、どこか遠くに行ってしまったかのようだ。ここにあるのは、後悔と嘆き、そして一振りに黒い剣。

 彼は黒き剣を見てゾッとした。

「ああ……ああっ!」

 俺は、俺は……なんてことを? 

 なぜ、こんなことを? 

 どうして、こんな剣を持っているんだ!?

 思わず剣を投げ捨てようとした。しかし、彼の想いとは裏腹に手から剣は離れなかった。

「……っ!?」

 剣からにじみ出る黒い靄がじわりと腕を登りつつみ、黒き剣はすでに手と同化していた。

 剣と腕が一体化していっていることに、男は全く気がついていなかった。たった今、この瞬間まで。

「ああ、ああっ!」

 剣を手放そうと懸命に腕を振った。だが手から離れない。気が狂ったようにさらに剣を振った。

 剣は周囲にあるものを次々に砕き、壊した。椅子、机、樽、棚を粉砕し、木片が飛び散る。

 男の悲鳴と轟音が混じる。

 少女が何かを言った。

 聞こえない。何も聞こえない。

 剣は囁く。

 何を拒む?

 黒い靄はなおも男の腕を登る。闇雲に暴れる剣は、彼を止めようとした少女の柔らかな肉を容易に裂き乱した。彼女は痛みに悶える様子もなく、力なく膝を折り天に召された。

 少女が自分の足に絡みつくように倒れても、男はその事に気がつかなかった。

 聞こえるのは、剣の声と己の声のみ。

 俺は何をしていた!?

 お前は力を求めた。

 バカな! こんなもの、求めていない!

 今より、もっと、もっと力が必要だろう?

 こんなことをしてまで……こんなことをしてまで欲しくはなかった!

 興奮していたのに? 

 違う!

 喜んでいたのに?

 違う! 

 これ以上を望んでいるのに?

 許してくれ!

 黒き剣は魔力の靄をさらに伸ばし、男の右腕を飲み込んでいく。

「うわああっ!」

 男は我慢できずその場を飛び出した。

 何とかしないと! 何とか……!

 男がいくら懸命に剣を手放そうとしても手は頑なに剣を握りしめたまま。もはや、その感覚は自分のものではない。

 このままでは、腕はおろか、自分自身すべてを奪われてしまう。

 自分が自分でなくなる。

 剣に乗っ取られる! 

 どうすればいい? 

 どうすればこの剣を手放させる? 

 どうすれば俺の罪は償える? 

「誰か! 誰か!」

 誰か教えてくれ!

 男の問いに答える者はいない。

 この地区すべての人間を斬ったのだ。

 答える者などいるはずがない。

 彼を助けるために手を差し伸べる人間がいるはずがない。

 それでも男は声を上げて助けを求め走った。

 黒い靄はさらに男の腕にまとわりつく。

「はあ、はあ……」

 黒き剣は男への侵食をさらに早めていく。剣は完全な身体を得るつもりだ。

 もう考えている余裕はない。

 考えられる方法は一つしかない。

 男は意を決して自分の所属していたグルダニア騎士団兵舎に転がり込んだ。

 グルダニアの紋章が刺繍された国旗が掲げられたその部屋には、やはり誰もいない。

 武器の略奪があったのか、本来規律にうるさいグルダニア騎士団兵舎とは思えないほどの乱雑ぶりだ。

「残っていたか……」

 大人数人でなければ持つことも危うい儀礼用の巨大な武器。

 槍の先端に斧がつけられたハルバード。

 本来は騎士団の威厳を表すための飾りに過ぎないものだが、鍛冶職人の手によって造られた本物だ。

 今の状態を脱する方法は一つしかない。

「これを使うしかない」

 剣に侵食される前に、自分の腕を切り離す。

 そう願っても男の腕を斬り落としてくれる者はいない。しかし、このハルバードを自分の腕に落とせば間違いなく腕は両断される。

 男はゴクリと唾を飲んだ。

 腕を落とす。

 剣に身体を乗っ取られるのとはまた違った恐怖が脳を痺れさせた。

 自分の身体の一部を失う?

 利き腕である右腕を失うということは、騎士としてはもはや死に等しい。

 今は自由の利かない右腕であっても、繰り返し繰り返し槍を繰り、身体に馴染ませてきた記憶が蘇る。

 その腕を失う?

 今まで自分が積み上げてきた時間や経験を捨てようとしているものだ。

「くそぉ、こえぇじゃねぇか」

 数えきれないほどの人を手にかけておきながら、自分の腕を一本失うことにこれほど恐怖しているとは、情けなかった。

 先ほどまでの後悔は何だったのか、決意は何だったのか、と思えてくる。ハルバードまでのたった数歩の足がでない。 

 足がすくむ。躊躇が、黒き剣の侵食を許している。

 黒き靄は手首を絡み、肘を伝い、肩までも飲み込もうとしていた。

 それでも男は恐怖のあまり涙する。その時男はそれを偶然に男の前に姿を見せた。

 床に転がる小瓶。

 ドロリとした紫紺色。液体が瓶の中で傾けるたびにゆっくりと重心を移動させている。

「ダルガ……」

 その液体の名前。

 元々は独特のクセを持つ濃紺色の果実だが、そのまま食べれば特に問題はない。しかし、果汁を絞り、濃縮させ、ある種のハーブと混ぜると強烈な幻覚作用を引き起こす薬物となる。一度口にすれば、精神は幻覚の海に溺れ、痛みも、恐怖心を忘れるという。しかし、その作用の強さから中毒性も強く、人の心と身体を蝕む物としてグルダニアでは使用を禁止されている。

 おそらくその小瓶は、闇商人によって違法に売買をされていた物を騎士団が押収したものだろう。

 男は左手でダルガの瓶を取った。

「これを飲めば……」

 何を言ってるんだ? 

 飲む? 俺が? この俺が……?

 少し前まで取り締まる側にいたのに。

 こんなものを使う人間を軽蔑すらしていた。

 飲めば痛みも恐怖も消える……。痛みも恐怖も消えるのなら、消えるのなら……!

 闇が迫る。肩まであとわずか。

「俺は……俺は……!」

 男はダルガの瓶をあおった。ドロリとした紫紺色の液体が男の体内に流れ込む。

「くっ……!?」

 ダルガの幻覚が押し寄せる。

 彼は思わず倒れこむ。

 飲まれる、飲み込まれる……!!

 紫紺色の甘く優しい抱擁を、懸命に拒む。

 現実とはかけ離れた多幸感が津波のように押し寄せる。

「くそぉ……!」

 意識を持っていかれる。

 もしこのまま自分を失えば、すべては剣の思いのまま。身体は乗っ取られる。

「終えてからだ、すべて終えてから……じゃないと行けない」

 男は立てかけられていたハルバードの柄を持てる力のすべてを使って蹴った。

 巨大な槍斧はグラリとバランスを崩し、鋭い刃を向けて倒れた。重量のある衝撃がドスンと男の身体に走り、男は自分の身体が跳ねるのを感じた。

 自分でも成功したのかどうか、しばらくの間わからなかった。やがて、身体が濡れていく感触でことを成したのだと知った。

 彼は黒き剣と右腕を失った。

「はあ、はあ……血を止めるんだ、血を……」

 彼はそう言って懸命に身体を起こした。

 レオの意識はすでに男の元にはなく、黒き剣の中にあった。

 レオは、腕と剣を残して去っていくユリウスの背中を見つめていた。


   ★


 黒き剣と右腕は主を失った。

 どれほどの時をそこで過ごしたか、新たな宿主を剣は待った。しかし、手に取るどころか、訪れる人そのものがない。

 多くは自分の糧となり、逃がした者はすでにこの町を後にしていた。

 どこへ逃げようというのか、逃げられるわけでもないのに。

 あの男が力を求めたように、黒き剣もまた力を欲していた。それはあの男よりも純粋で貪欲なものだった。

 時間の制約を受けない無機物である剣であっても、ただそこで待ち続けることにしびれを切らす。 黒き剣は行動を起こした。

 残された腕とこれまでため込んだ力を使い、混沌のグルダニアの中を彷徨ったのだ。

 身体……身体が必要だ……。

 まずは自分を運ぶ身体がいる。足がいる。力を得るために腕がいる。

 黒き剣は身体を欲した。

 黒き剣と一つになった男の右腕は、自分の元の身体を欲していた。腕は還りたがっている。元の身体に。その想いが腕の元の場所である、ユリウスの存在を見えない糸でつながっているかのように感じ取っている。

 今追うか? いや、今はダメだ。

 今は追えば消耗するばかりだ。あの身体を奪うのはあとで構わない。

 今は仮の身体がほしい。

 黒き剣はすでにこと切れた兵士の身体から鎧の一部を奪う。

 一つ、また一つ……とやがてそれは黒き剣の足になり、腹になり、腕となった。

 誰のものともともわからぬ鉄仮面を見つけた頃には、魔力でつなぎあわせた、身体を作り上げていた。

 右腕が元の身体の記憶を持っていたおかげで空洞の中身でも人間がしっくりとする。

 ただ風が吹けば、鎧の隙間を風が抜けた。抜けた風が口笛でも吹いているかのように騎士を歌わせる。

 空洞の騎士は、新しい糧を求めてグルダニアを旅した。

 自分の体に相応しい良いパーツが見つかるとそれに応じて身体を交換する。そして旅を繰り返す。ただ、命を求めて。

 空洞の騎士は視力を持たなかった。しかしやがて光を見るようになった。

 光。命の光が見えている。

 灯台の明かりを目印に船が行くように、空洞の騎士は光に向かい歩いた。

 今よりも、もっと強い力。

 もっと強い魔力。

 もっと、もっと……今よりも!

 光を探し、それを斬り、力を得る。そして次の光を探す。その繰り返し。

 王都グルダニアにはもう光と呼べるものはなかった。

 空洞の騎士は、多くの者が逃げた方向に進路を決める。

 その方角にはパルフットがあった。

 空洞の騎士がたどり着いた時、パルフットはまだ混乱の中にあった。空洞の騎士はこの町で多くの収穫を得た。この町には、異形に身を堕とした者もいたようだが、それには興味を示さなかった。あれにはすでに命がない。

 空洞の騎士は、パルフットからさらに光を追った。多くの人間がアステリアに向かったように、空洞の騎士もまたその方向に歩んだ。

 旅に疲れた者、体調の優れない者、それを救おうとする者、それに付け入ろうとする者、すべてを斬った。昼夜を問わずに。

 騎士がギュルムに到達する頃には、かなりの力を蓄えていた。空洞の騎士はギュルムでさらなる光を得ようとした。

 しかし、それは叶わなかった。

 自分の力を退けようとする力が働いている。ここでの狩りは得策ではない。

 そして空洞の騎士は、森に身を潜めたのだった。騎士は森を彷徨った。この森はグルダニア側から入ることはできても、アステリアに出ることはできない。

 ギュルムで感じた力がここでも働いている。

 その力により張られた霧が、グルダニアから漏れ出るすべてを閉じ込めとようとしている。そして、森は外からの侵入も嫌っていた。

 アステリア側から森に旅人が入りこめば、グルダニアには出られず、迷ううちにアステリア側に出てしまうのだ。

 騎士は、時折森の中で迷い込んでくる旅人を霧の中で斬った。

 純度の高い、新鮮な命だった。

 もうこんな命はグルダニアにはない。

 ここは好都合だ。

 ここで待っていれば、誰かがやってくる。

 黒き剣にとって時間の経過は関係がない。時間の感覚などとうにないのだから。

 今以上の力。

 今よりも強くなる。

 その想いだけが騎士を動かしている。

 どうしてそれほど力を求めていたのか、黒き剣の中に答えはなかった。得た力を如何様に使うのか、それすらもわからない。

 どれほどの時をそこで過ごしたか。 

 時には獣を斬ることもあったが、少し足しにもならない。

 ヤツらは欲望は持つが命を持たないからだ。

 ヤツらもこちらが自分達の食欲をを満たす存在ではないことがわかると、お互いに干渉することはなくなった。

 騎士は暗い森の中でひたすら待ち続けた。

 森を抜ける風に歌いながら。

 レオは騎士の中でその光景を見続けていた。

 なんて孤独な。

 幾重にも塗り重ねられた血が、恐ろしいほど剣の力を強靭なものにしているのにも関わらず、騎士はなおも力を求めている。 

 本来の目的は忘れ、力を得ることが目的となってしまっている。叶うことのない、終わりのない渇望の中で彷徨い続ける黒騎士に、レオは哀れみすら感じた。

 ふと黒騎士は顔を上げた。

 ……来た?

 レオも騎士の中で感じ取った。

 光だ。命が来た!

 それも五つも……。

 周囲で獣達もざわつき始めた。

 騎士は一番大きな光を見定め動き始めた。

 この魔力を含んだ霧は人の感覚を狂わせる。五人が隊列を組んで歩いていてもすぐにはぐれるはずだ。

 黒騎士は走った。

 一番強い光。一番輝きを持つ者。これを獣どもにやるわけにはいかない。

 黒騎士がその場に駆け付けた時にはすでに二体の獣の亡骸があった。

 強い!

 わずかな間に凶暴な獣を二体も倒し、さらに三体目がまさに今襲いかかろうとしている。

 足場も悪く視界の晴れないこの場所で、突然襲い掛かった獣二匹を瞬時に倒す、余程の腕が無ければ不可能だ。

 黒き剣はしばしその戦いに魅入った。

 あれは、ダン隊長!?

 レオは黒騎士の中で思わず声を上げる。

 嬉しさの反面、不安が胸を過った。これは自分達がグルダニアへ来た時の黒騎士、黒き剣の記憶。だとすれば、ダンと黒騎士は戦っている。そして、黒騎士が王都グルダニアに現れたということは……。

 ダンは戸惑った様子で騎士に気がつくとまるで気配をしまい込むように静かに構えた。 

ほしい……!

 初めて騎士の中に力を欲する意外の欲求が生まれた。騎士はこの男、ダン=オリアンから「学ぶ」ことにした。

「ちっ、どうなっていやがる」

 ダンは言った。

 黒騎士は悠然と歩いた。すでに間合い。互いに飛び込めば、お互いの剣が触れあう。 

「こんな奴、他にもいたりしないだろうな?」

 ダンが投げかけるように言う。黒騎士は答えない。軽い調子で言っているが、ダンには絶望の色が見える。

 どんな攻撃をする? どんな風に受ける? さあ、見せてくれ! お前の力を!

 黒騎士が地を蹴った。ギシッと錆の擦れる音と血の匂いがムワリと森の中に広がった。

 ダンは強い。予想以上だ。

 間合いの取り方、咄嗟の判断、剣の操作、すべてが新鮮ですべてが冴えている。

 ほしい! その技! その戦術! その思考! ほしい!

 戦いは数時間にも及んだ。その中で黒騎士は疲弊していくダンに剛剣アステリア剣術を学び続けた。

 実力で言えば、ダンの方が遥かに上手。ダンが勝る。

 しかし、黒騎士は不死身だった。無尽蔵の体力がやがてダンを追い詰めていく。

 レオは二人の戦いに手に汗握った。ダンは間合いを取ると手早く汗をぬぐい、息を整えている。黒騎士はじっくりとそれを待つ。

「グルダニアは、お前みたいな化け物がわんさかいるのか?」

 ダンが問う。

「答えはなし、か。だが、お前さんを足止めできたのはよかった」

「……」

「お前は普通じゃない……お前みたいな奴がいるってことは、普通じゃないことがグルダニアでは起きているんだろう?」

 ダンの言葉に黒騎士は反応を示さない。彼はそれでも言葉を続けた。

「こうしている間にも、この森を俺の仲間が抜けている。シェル、ハッセ、カイ、レオ……誰かは抜けている。俺達はアステリアの精鋭だ、必ずグルダニアの真実に辿り着く!」

 ダンは息を吐いて踏み込んだ。

 黒騎士もそれに合わせる。両者のアステリア剣術がぶつかり合う。

 一瞬、ダンの剣が早かった。

 黒騎士の首を剣が貫いていた。それは奇しくもレオのと同じ選択であった。鉄仮面がカランと落ちただけだった。

 黒騎士はダンの剣を受けきるのと同時に、ダンの命を糧としていた。

 ダン隊長……!

 レオはダンが森で死んだことを知った。

 黒騎士に見たダンの影はこの戦いによって黒騎士が得たものだったということを知った。

 そして、ダンの最後の言葉を心に刻む。

 必ずグルダニアの真実に辿り着く!

 黒騎士は倒れたダンの身体からマントをはぎ取ると、それを自分の背に巻いた。

 黒騎士は新たな光を求めて森を出た。 

 もう森に光は存在しなかった。


   ★


 指輪は完成した。乙女の指輪。

「さあ、王よ、指輪を……」

 まとわりつくように囁くシュキに促され、王は二つの指輪を、我々の前で手に取った。

 王の手は震えていた。

 歓喜か? 畏怖か?

 私にはわからない。

 ただ、私は震えが止まらなかった。

「さあ、王よ、願うのです。あなたの願いを」

 なぜだ? なぜ、あの女はあんなにも平然としていられる?

 シュキ、お前は何者だ?

 どこから来た? 何を知っている? 何を企んでいるんだ?

 王は女に言われるままに願った。

 セシリア様の病の治癒を「死を退けよ」と。

 次の瞬間だった。我々はその声を聞いた。

 地中奥深くから響くような不気味なあの声。指輪の声を聞いたのだ。

 魔力は放たれた。

 空気が変わった。

 灯されていた炎は瑠璃色に色を変えた。

 我々はハッとした。

 笑い声。

 シュキ。

 長い黒髪の奥で、シュキは声を上げて笑っていた。 


 聖暦864年5月 書記官グスタフの日記より


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