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私はあの人のことが好きでした。

作者: aaa_rabit

誰が悪かったのでもない。運が悪かった、ただそれだけのこと。


……なんて割り切れれば良かったのに。


たった今飲み干したばかりのカップの縁を指でなぞり、ふと自嘲する。幸せだった彼との結婚生活、お腹には我が子が宿り、早く生まれておいで。名前はどうしようか?なんてたわいない会話を交わした日々は国王の勅令で呆気なく崩れ去った。


あの人は“王の剣”と呼ばれる武門の家柄で、数多の優れた武人を有していた。完全な実力主義の中、若くして当主を継いだ彼は、実質国一番の剣豪と言える。世界中に広がりつつあった暗雲を退けるべく、国の代表として選ばれた彼は私に家を託し旅立っていった。


1年が経ち、2年が経ち。あの人のいない間に生まれた息子が喋るようになった。世界の果てに向かっているあの人からの手紙は、数ヶ月の時を置いて手元に届き、だいぶ遅れて息子の成長を喜ぶ言葉が遠くにいるのだと知らされる。


どうかご無事で。


来る日も来る日もそう願った。その願いが叶ったのは、あの人が旅立ってから4年後のある日のこと。遥か遠くで一条の光が闇に覆われた空を切り裂いた。その報せは瞬く間に各地を駆け巡り、私達の元へも辿り着いた。


漸くあの人が帰ってくる!


世間は歓喜に沸き立ち、英雄の帰還を今かと待ち望む中、喜びに涙を流していた私の元へやって来たのは国王陛下の密使。迎えに寄越された騎士と共に登城した私を待っていた、今は国王となったあの人の親友である陛下の硬い表情に、嫌な予感を覚えた。


「落ち着いて聞いて欲しい」


その言葉を皮切りとして齎された報せは、喜びを一変させるには十分だった。あの場にいた全員が強大な力のぶつかり合いによって起こった凄まじい衝撃で吹き飛ばされたこと、大半は重傷ながらも発見されたこと、その僅かな行方不明者の中にあの人の名前があること。


あいつは必ず見つけ出すと陛下は仰ってくれた。それまでは他国の英雄たちと同じく重傷だと公表するとも。


箝口令が敷かれ、事実を知るのは国の上層部と義父母のみだ。帰国は当分先だという御触れに民衆は随分と落胆したようだが、回復祈願の声や見舞いの品が連日邸へ届いた。


あの人は必ず生きて帰ってくる。


そう信じるしかなかった。


それから1年と半年後、待ち望んでいた報せが遂にやってきた。あの人が見つかったのは戦いの地からだいぶ南の方で、恐らく衝撃で海に投げ出されたのだろうと簡単に記されていた。あの人の元へ迎えを出したので、半年もすれば帰ってくるだろうと。


何度も何度も読み返し、間違いがないことを確かめて私は漸く泣くことを自分に許した。それまで無理に作っていた笑顔が自然に溢れるまで時間は掛からなかった。けれども運命はとても残酷だ。


帰国の日程は予め知らされている。あの人が王都へ帰るのを待てず、私は息子と共に国境沿いへ迎えに行った。私はあの人との再会に浮かれていて、英雄を迎えるには不自然な時間帯での迎えだったことにも、砦というには人が少なすぎることにもまるで気付いていなかったのだ。


「お帰りなさい!フレディ」


砦内の一室で私達は再会した。駆け寄れば、いつものようにあの人は私を抱き上げて過剰なくらいの愛情を向けてくれると疑わず。


それなのに。


「あ……ああ。ただいま、エレノア」


抱き寄せられるどころかどこか困惑した瞳とかち合った。いつものように私を愛称で呼ばない他人行儀な態度に思わず周囲を見回すと、同行していた、顔見知りの騎士がゆっくりと首を横に振る。


「どうなさったの、フレッド?フレディ。私の愛しい旦那様?」

「ごめん。俺はあんたのフレデリクじゃない」

「嘘よ。こんな時に冗談なんてやめてちょうだい」

「全然、記憶がないんだ。あんたが誰なのかも俺自身のことも分からないんだ!」


愕然として私は彼を見た。こんな時でも真っ直ぐに見つめる瞳だけは変わらなくて泣きたくなる。


「本当にごめん」

「待っ「ジン!待って」」


そこで漸く、見知らぬ女性の姿に気付いた。彼女は遠ざかる背中を別の名で呼びながら追いかけていく。空虚な沈黙が室内を満たした。


その後の事はあまり覚えていない。気付けば陛下が前に座っていて、詳しい情報を教えてくれた。


見つけた時には既にあの人は記憶を失っていたこと。傍らにいた女性は海辺で倒れていた彼を介抱した命の恩人だということ。国へ帰るにあたり、彼女も一緒でなければ帰らないと言ったため止む無く連れて来たこと。


「……今の彼が愛しているのは彼女なのですね」


去り際に偶然見てしまった2人の姿から分かってしまった。胸が苦しくていっそ泣き叫びたいのに、周囲がそれを許さない。


彼の愛妻ぶりは周知の事実だった。そして彼が時の人となったことで、世間にもそれが広く知られている。そんな中で醜聞ともなり兼ねない事態が国としても家としても許されない。


私は離婚も許されず、あの人の怪我の後遺症を理由にこれまで通り領主代理として振舞うことを余儀なくされた。私達は表向き良き夫婦でなければならないので、彼には邸に部屋を与え、また例の女性も奥向きの侍女という形で邸の一室を与えた。


幸い邸は広いので、両翼に住まいを分ければ関わることはない。それでも2人が庭で散策しているのを見かければ心が痛み、己の虚しさを感じられずにはいられなかった。いっそ嫌いになれれば良かったのに、行事の同伴で接する度にあの人の残り香を追わずにはいられない。段々とあの人に似てくる息子の存在も拍車を掛けた。愛されて生まれてきた子供、でもあの人は愛してはくれない。苦しみに溺れながらも、毎日が必死だった。


息子が大きくなり、正式に爵位を継いだ。愛する人を迎えた。


私の役割はもう終わったのだ。


「ごめんなさい」


もう心が疲れてしまった。期待してしまう毎日にも顧みられない日々にも。ここまで耐えてきたのに、今更醜聞を息子に負わせたくはない。だからわざわざ薬を用意したのだ。病死に見えるよう、緩やかに衰弱していく特別なものを。



今でもあの人を愛しているのです。辛いのです。悲しいのです。憎いのです。


不甲斐ない母親でごめんなさい。お父様を与えてやれなくてごめんなさい。お父様をお父様と呼ばせてやれなくてごめんなさい。


幸せになってください。


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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。活動報告とあわせて読みました。 悲しいですね。いくら一途で訳有りでも正式な妻と子供がいるのに愛人と別れないとは酷い夫と愛人です。しかも世間体の為別れず女を愛人にして一緒にに暮ら…
[一言] 本編を読んでから、活動報告を読んで、ちょっとスッキリしました。 どっちにしても悲しいお話に涙(:_;)
[一言] 切なくやりきれないお話でしたが。 子供は立派に成長したようですし、彼女の苦しみが終わったのでほっとしました。いいお話をありがとうございました。 ただ……彼の記憶が戻ればいいのになぁと、ちら…
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