第一話 絶対領域 その7
「お前、よくこんなものを持っていたな」
ちなみに、OVAはオリジナルビデオアニメーションの略である。テレビ等で放映されることなく、DVD等のソフト媒体で販売されるアニメを指す言葉だ。
「ふふん、絶対領域が描けないなら、死ぬ。で有名なアニメーターたちが作り出した渾身の力作。同人即売会限定品よ!」
同人即売会。簡単に言えば、同じ趣味を持つもの同士が共同で作り上げた同人作品を、販売するために催されている販売会のことだ。有名なアニメーターが参加する即売会と言えば、有明で行われている大型即売会くらいしか思い浮かばないが、あれは即売会というより、戦場と言った方が正しいくらい過酷なハードなものだ。そんなところに足を運んでまで入手するとは。八重塚恐るべし。
「ま! これで2次元の大勝利でしょ!」
ふふーん!
………………。
「いや、自分で話せよ」
前田の冷静な突っ込みに、一同、同意。
「あ、う。い、今から話そうとしてたところよ!」
眉をひくひくさせながら、八重塚は引きつり気味に豪語した。しかし、それに続く言葉は出てこない。
もしかしたら、こいつ、あがり症なんじゃないか? 普段は、ああなのに。人は見かけに寄らないものだな。
「八重塚、ちょっと落ち着け」
「お、お、落ち着いてるわよ!」
いや、全然そうは見えないが。
「……やっぱり俺は、アイドルのほうがいいわ」
前田は、そうつぶやいて、席を立ちながら八重塚のほうを向いた。
八重塚は、その視線に気が付いて、前田の方をじっと睨む。
「所詮、アニメなんて絵だし、現実の女のほうがよっぽど魅力があるしな」
「あ、あんた。あれを見ておいてまだそんなこと言えるわけ!?」
「俺にはぜーんぜん、わからなかったしな。あんなもののどこがいいのか」
「……あんなもの、ですって?」
「ああ、あんなものだ。同人だかなんだか知らんけど、金になるものでもないんだろ? 何がしたくて作ったものなのか全く理解できん。いい年したおっさんたちが、あんなものに必死になっていると思うと笑えてくる」
「おい前田、その辺にしとけよ」
前田の暴言の前に、八重塚はまた俯いていた。
「だってよ先生。アニメって作るの大変なんだろ? それなのに、はした金で売ってるわけだろ? それを買ったこいつが何も言えないなんてさ、大した価値があるものでもないんじゃねーのか?」
「……る……って……のよ」
「おう、言いたいことがあるなら言えよ、チビ塚」
「あんたに何がわかるってのよ!」
八重塚が怒声を挙げ、机に手を強く叩きつけた。そして、機関銃の如く、ありったけの気持ちをぶちまける。
「さっきから黙って聞いてれば、金にならないだの、何がしたかったのかわからないだの、いい年したおっさんだの、中身に関係ないことばっかりじゃない! 見てたの? ねえ? ちゃんと見てたの!? アニメーターたちの絶対領域に対する想いが全く伝わらなかったっていうの!? 彼らは、言ってたわ。絶対領域は青春の代名詞であると。私も同感よ。でも、現実の絶対領域では、彼らの欲望を抑えきることはできなかったわ。だから、彼らはこれを作った。現実ではできない、キャラの溢れんばかりの高揚感を表現するかのような豊かな表情、アクションアニメの技術を応用した躍動感溢れる演出の数々、そして、それらに圧倒されることのない絶対領域を最大限に魅せるカメラワーク! 自身が見せたい絶対領域があったからこそ、労働力を惜しむこと無く、見返りを求めること無く、世にその姿を現すことができたのよ!」
息を切らす八重塚、その姿に、その場にいる誰もが圧倒されていた。だが、八重塚の機関銃は、まだ撃ち方をやめる様子は無い。
「確かに、さっきノノちゃんが言ったように、絶対領域は、キャラを魅力的にするための要素の一つに過ぎないのかもしれない。でも、彼らの作品は違うわ。どんなに個性的なキャラが出てきても、あくまでメインは、絶対領域なのよ! 愛は溢れているけれど、正直言って、マニアックすぎて一般では売れるような代物ではないわ。でも、こういうものに全力を尽くす人たちがいるからこそ、2次元は素晴らしいのよ! 2次元は人類の桃源郷なのよ!」
やっと、全ての気持ちを出し切ったのか、机に身を任せる八重塚。
一同、まだ突然の事態に動揺して言葉が出せずにいたが、前田だけが口を開いた。
「それは、彼らの気持ちを代弁したのか? それとも、お前自身の気持ちか?」
その言葉に、八重塚は、前田の方を見据えて言い放った。
「両方に、決まってるじゃない!」
「……そうか」
前田は、軽く頷いて、今度は私のほうに顔を向けた。
「なら、2次元側の主張は、そういうことでいいんじゃないか?」
「……え?」
前田の発言を理解できないようで、呆けたような顔をする八重塚。
「ああ、そうだな。八重塚の気持ちは十分伝わったよ」
そう言うと、前田は、足を投げ出して席に身を委ね、顔を伏した。
もしかしたらこいつ。……いや、考えすぎか。
未だ理解できていないような表情を、八重塚が浮かべていたので、労いの言葉のひとつでもかけることにした。
「やればできるじゃないか、おつかれさん」
ポンと、肩を叩くとようやく理解できたのか、ほう。と息をついて、八重塚はいつもの調子に戻った。
「ど、どうよ! これで文句ないでしょ!」
えへへ、と八重塚のほうを見て微笑む篠原。それに対して、予想外の事態に困惑しているように見える相坂。まるで、決着がついたかのような空気が部室を満たしている。……だが。
「まだ、決着はついてないけどな」
私の一言に、両チームのメンバーが、え? という表情しながらこちらを向いた。ただし、前田を除く。
「八重塚の主張は、気持ちが伝わってきて大変よかった。でも討論の結果は別だ。両チームの意見をまとめて冷静に決めさせてもらう」
「そんな!」
「そんなもなにも、前やったときも同じようにやっただろ。まとめるのにちょっと時間がかかるからお前らは休憩行ってこい」
思い思いの表情を浮かべる4人を部室の外に追い出して、結果をまとめ始める。
両者とも、気合いが入っていたからなんとも決めづらいな……。