第一話 絶対領域 その3
相坂孝太、それがこいつの名前だ。篠原と同じく2年1組の男子生徒だ。
容姿は、黒髪の短髪で人並みの体格の好青年。しかし、その実態は休日になればアイドルの劇場に通い詰め、バイトで得た給料のほとんどをアイドルグッズにつぎ込み、平日にどうしても行きたいアイドルのライブがあるときは、仮病を使ってでも行くほどのアイドルオタだ。その熱狂ぶりは、高校生のそれを遙かに凌駕している。
無論、そんな奴が絶対領域について語れないわけがない。それどころか、アイドルに関する萌え要素のすべてに精通していると言っても過言では無いだろう。まさに、主力兵器。3次元チームを勝利へと導くメインウエポンが、今ここに、その姿を現した。
「やっときたか相棒」
「待たせたな相棒!」
相棒、前田と相坂はお互いのことをそう呼び合う。その由来は俺の知るところではないが、こいつらは、そう呼び合うほど仲が良い。
「……いいですねー」
ちょっと篠原さん、口元が緩んでますよ大丈夫ですか?
さっき篠原は、自分の趣味のことを秘密だと言ってたけど、勘づいてるんですよ私。敢えて言いませんけど。
「あ、篠原!」
「あ、は、はい! なんでしょう?」
不意に呼ばれて慌てて返事をする篠原。八重塚のトランスモードに通ずるものがあるな。
「なんだよ水くさいな、僕が来るまで討論を始めないように言ってくれれば良かったのに!」
「ええ? だって相坂くん、ホームルームが終わったらすぐに教室出て行っちゃったでしょ?」
「男には、急がなければならない時もあるのだよ」
「知りませんよ……」
こいつら、同じクラスにいるのにいつも情報伝達ができないんだよな。相坂の行動が自由すぎるのが原因なのだろうけれど。
「何にしろ、これで全員揃ったな。ここまで篠原が話したことを相坂に教えて続けるぞ」
「お、珍しいな篠原が話すなんて」
「だってやえちゃんが」
「またか八重塚! がんばれよな!」
「な! 今来たばかりなのにえらそうに!」
「ふふふ、見てなくてもわかるぜ! どうせまたうまく語れなかったんだろ?」
「さすが相棒。よくわかってるな」
「ふっ、だろ?」
「うぐぐぐぐ……」
「あー、お前らそろそろいいか?」
また収拾が付かなくなりそうだったので、討論を再開することにしよう。
「ふむふむ、なるほど」
相坂は、今までの流れを頷きながら聞き終えると、鞄の中からある物を取り出した。
「ん? なんだそれ」
「ラブストのDVDっすよ!」
「ラブスト?」
「先生テレビ見ないんですか? 今大人気のラブリーストレートですよ!」
詰まるところ、アイドルグループのことだった。ふと、相坂の鞄のほうに目を向けると、他にも大量のDVDが入っているのに気がついた。どう考えても今日のためだけに用意した量とは思えない。
「なあ、お前いつもDVD持ち歩いてるのか?」
「当たり前じゃないっすか! アイドルと僕は一心同体、一時も離れることは許されないっすよ!」
「あ、もちろんこれは持ち歩き用っすよ? 家には、ちゃんと保存用、観賞用、布教用が数枚あるっす!」
いや、そこまでは聞いていないんだが。私には理解できないが、いくつもDVDを所有していて、それぞれに目的があるらしい。アニメオタでも同じ事をしている人もいるようだが、私はまだその域には達していない。
後、どうしても気になるのが、この「っす」という口調だ。アイドルの話をし始めるといつもこんな調子になるんだが、オタクというのは、テンションが上がると人が変わる呪い、のようなものがかかっているのだろうか。
「先生も十分変ですよ?」
「う……」
返す言葉もありません。
「それで、そのラブストのDVDがどうしたんだ?」
「ラブストは、メンバー全員が絶対領域! をウリにしているアイドルグループなんすよ!」
「なるほど、2次元チームのイラスト集に対抗するのにはふさわしいな」
「そういうことです!」
こういうこともあろうかと、同好会の部室には、プロジェクターとスクリーンが用意されている。といっても、これは学校の備品ではない。備品のプロジェクターとスクリーンは、何かと使われる機会が多いため、いつでも借りられるというわけではないので、私が自前で用意したものだ。同好会ゆえ、部費も出ないから相当の痛手だったが。
「よし、準備できたぞ。相坂、後は任せた」
「ふふふ、絶対ハマるっすよ!」
「いや、そういう目的で見るんじゃ無いだろう……」
相坂が、DVDをプレイヤーに入れると、映像が再生される。どうやらオープニングがあるようだ。やたら演出に力が入っているようだが、肝心の絶対領域はまだ出ていない。
再生を始めてから約5分、やっとオープニングが終わり、今はステージ上でアイドルたちがトークをしている。この場面でも、まだ絶対領域は見られない。敢えて隠しているのか、一般人が着るような長い丈のスカートを全員履いている。
さらに5分が経過、以前トークは続いており、飽きてきたのか八重塚が大きくあくびをした。仮にも女の子なのに、なんてはしたない。
「相坂、これいつになったら始まるんだ?」
「え? もう始まってるじゃないっすか」
「言い方が悪かったな、いつになったら絶対領域が見られるんだ?」
そう尋ねると、相坂は、ふうと息をついて、思い切り息を吸い、一気にぶちまかした。
「わかってないですね、彼女たちには、奥ゆかしさがあるんですよ。他のアイドルグループのように、最初からフリフリの衣装で登場するわけではなく、ライブの流れの中で、徐々に大胆になっていくんです。一般人だった彼女たちがアイドルになっていく過程を表しているんです。テレビでの紹介だと、時間がないから絶対領域を最初から出しているんですけど。正直許せないですよ、あれは。彼女たちの本当の魅力を伝え切れていません。初々しい彼女たちが、照れ笑いをしながら、生足をさらけ出す。あの姿が素晴らしいというのに!」
はあはあはあ……。
いや、そんな息を切らせるほど語らなくてもいいのに。
「相坂、お前のアイドルに対する情熱はよくわかった。でも、今回は討論のために見ているんだ。つらいのは分かる。でも、飛ばしてくれないか?」
「……わかりました。」
渋々とリモコンに手を伸ばす相坂。お前は間違いなく、学校一のアイドルオタだよ。