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微笑む反映  作者: KageNoOto
6/22

第6話 嵐の前の静けさ

答えのない夜のあとに訪れる“日常”は、

時に――残酷なほど平然としている。


世界は、

見えない亀裂のために立ち止まらない。

予定は進み、

会議は始まり、

夢は何事もなかったかのように語られる。


だが、

一度“聞くこと”を覚えた存在にとって、

静けさは安らぎではない。


それは――

歌う前の、息継ぎだ。

翌日は、あまりにも普通に始まった。

それが、かえって腹立たしいほどに。


おはようのメッセージ。

壁に貼られたスケジュール。

紙コップのインスタントコーヒー。


昨夜、何かが壊れたなどとは――

世界は、まるで知らないかのようだった。


午前九時きっかり、

彼女たちは事務所のメイン会議室に集められた。

そこは唯一、鏡のない部屋だった。


滑らかな壁。

誰も映らないように。

――自分も、他人も。


マネージャーは遅れて入ってきた。


深い隈。

角が折れ曲がったファイルを、

長時間握りしめていたかのように。


挨拶はなかった。

過剰なほど丁寧にドアを閉めてから、口を開く。


「……オープニングの全データを確認した」


机に書類を並べる。


「マスター音源はクリーンだ。

隠しトラックも、重ねたレイヤーも存在しない」


さらに、数枚。


「問題は――

“現象”が、観客の録画にしか現れないことだ。

違う端末、違う角度……

まるで――

“見られた時だけ”存在するみたいに」


誰も、言葉を発しなかった。


最初に沈黙を破ったのは、京香だった。

身を乗り出し、指先をテーブルに置く。


「続ける前に、マネージャー。

一つ、はっきりさせておきたい」


視線が交わる。


「――私たちは、計画を変えません」


彼は顔を上げた。


「来年、ビニャ・デル・マル音楽祭に応募します。

それは、初日からの目標です。

説明できない“異常”のために、後退する気はありません」


キャラがすぐに頷く。

姿勢には、張り詰めた緊張があった。


「私たちは、

日本のアイドルとして、

あのステージに立ちたい」


「日本の名前を、誇りとして届けたい。

それは、ずっと変わりませんでした」


春菜が、マネージャーを見ずに続ける。


「もし“なぜそんなに早いのか”と聞かれたら、

答えは同じです。

Dialogue+が、私たちの原点だから」


「完璧じゃなくても、

“本当の声”で歌うことを教えてくれた。

それを、モンスターに届けたいんです」


マネージャーは口を開いたが、

言葉にはならなかった。


七海が、椅子の上で少し前に出る。

声は震えていたが、退かなかった。


「……怖くても。

こんなことが起きていても……

私たちは止まりません」


「ビニャは、私たちの夢です。

必ず、叶えます」


重たい沈黙が落ちた。

誰も、完全には呼吸していないようだった。


マネージャーは視線を落とし、

ファイルの力を緩めた。


一枚の紙が、机に滑り出る。


「……今朝方、公式アカウントに届いた」


そこには、

名前のないDM。


灰色の、何もないアバター。


――

「私の声を、生かし続けてくれてありがとう。

また一緒に歌える日も、近い」


「ビニャでは――

最初の音は、私のもの」


「忘れないで」


添付されていたのは、一枚の写真。


古い録音ブース。

中央のマイク。


そして奥に――

背中を向けた影。

長いツインテール。

長すぎるほどの。


美月が、誰も口にしたくなかった部分を読む。


「……日付」


マネージャーは、静かに頷いた。


「Kiyora+の正式デビューより、

二年と三か月前だ」


キャラの腹の奥が、冷たく抜け落ちる。


それは――

彼女がグループに加入した週だった。

急な交代。

穴埋めとして呼ばれた、あの時期。


沙耶香が、感情のない笑いを零す。


「……じゃあ、

それもビニャに行きたいってことね」


マネージャーは、勢いよく立ち上がった。


「会議は終了だ」


「いいか。

当面、オープニングは歌うな。

練習でも、イベントでも――

冗談でもだ」


ドアを開ける。


「……この件は、誰にも話すな」


彼女たちは、無言で廊下に出た。


その瞬間――

館内放送が、勝手に入った。


たった一音。


オープニングの、最初の音。


廊下が、闇に沈む。


そして、

もう誰もが知っている声が――

一度も、真正面から聞いたことのないはずの声が、

澄んで、確信に満ちて、空気に溶けた。


静けさは、音もなく砕けた。


何かが、境界を越えた。


――もう、戻れない。

嵐は、

必ずしも大きな音で始まるわけではない。


たった一音。

――正しすぎる音で、始まることもある。


その瞬間から、

**Kiyora+**は理解していた。


止めるかどうかの話ではない。


これは――

未来を、

誰が歌うのかという問題だ。

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