第二章 ステージに映る反映
ステージは、真実と虚構を区別しない。
照明の下では、すべてが正しく、
すべてが制御されているように見える――
そこに“あってはいけないもの”さえも。
デビューとは、未来への第一歩であると同時に、
隠れていた何かが姿を現す瞬間でもある。
**Kiyora+**にとって、
観客の前で歌うことは“存在する”という証だった。
だが、拍手を必要としない存在も、確かにいる。
生の声が放たれるとき――
必ず、もう一つの声が
寄り添うように響き始める。
ついに、イベント当日を迎えた。
それは新人アイドルのための“ショーケース”として告知された舞台だった。
ひとつのステージを複数のグループで共有し、詰め込まれたタイムテーブル、入れ替わり立ち替わりの観客。
グループは部品のように出入りし、同じように覚えた笑顔と振り付けで、足を止めた誰かに「輝く未来」を約束する。
――Kiyora+は、主役ではない。
名前の入った横断幕もなく、揃ったコールも聞こえなかった。
出番はブロックの中盤。
デビューしたばかりのデュオと、すでに小さなステージを回っているユニットの間に配置されている。
プロダクションにとっては、ちょうどいい順番。
彼女たちにとっては――すべてが、初めてだった。
幕の裏では、ステージライトの光が不規則に漏れ、
観客のざわめきが、他の声、他のリズム、他の曲と混ざり合って届いてくる。
それらはまだ、彼女たちのものではない音。
これまでは、影の中で鍛えられるだけだった。
規律を守り、姿を隠し続けてきた。
そして今、初めて――人前に立つ。
九人が闇の中から姿を現す。
身にまとっているのは、カワイイ系のメイド衣装。
あまりにも整いすぎていて、その内側に抱えた重さには不釣り合いだった。
蜘蛛の巣のように張りつめたレース、硬さの残るフリルのスカート、色の差し込まれたエプロン。
それは飾りではない。
――彼女たち自身だった。
ピンク、グリーン、レッド……
人工的な幸福を並べたような色の帯が、スポットライトの下で眩しく輝く。
センターに進み出るのは伽羅。
首元の赤が際立つ中、彼女は静かに息を吸った。
音が流れ出す。
――だが、今回は違う。
バックトラックはない。
生歌だった。
一音一音が、剥き出しのまま放たれる。
ごまかしの効かない、現実の声。
オープニングが会場を満たし、
観客は一斉に沸き立った。
問題は、何も起きていないはずだった。
巨大スクリーンが、ちらりと瞬く。
ほんの一瞬、伽羅の映像が歪んだ。
そこに映ったのは、ツインテールが不自然に長く、感情の抜け落ちた目をした“彼女”。
数日前、鏡の中で見たのと同じ、歪んだ笑み。
伽羅の声が、かすかに揺れた。
その歌声の下から、別の層が滲み出す。
腐ったようなエコー。
まるで、曲そのものが内側に抱え込んでいた何かを引きずり出しているかのように。
再生音じゃない。
機材のトラブルでもない。
隣の七海は、胸元の水色が急に重くなるのを感じた。
「伽羅……」
歌の合間に、声を落とす。
「生で歌ってるよね……じゃあ、今のはどこから……?」
伽羅は、歌い続けた。
止まることだけは、選ばなかった。
スカートが舞い、ステップは寸分違わない。
積み重ねてきた年月が、舞台を支えている。
だが、スクリーンが再び乱れた。
九人の中に、灰色のシルエットが紛れ込む。
色を持たないそれは、すべての動きを不気味なほど正確になぞっていた。
顔は定まらない。
あるのは、雑に描かれたような笑みだけ。
客席に、不安のざわめきが広がる。
「画面……おかしくないか?」
「しかも、生歌だぞ……!」
京香は拳を握りしめ、フォーメーションを崩さなかった。
「続けて」
春菜にだけ聞こえる声で言う。
「止まったら、向こうの思うつぼ」
春菜のうなじを、氷のような感触がかすめた。
灰色の影は伽羅へと身を傾け、
オープニングは、ほんのわずかに歪む。
一語、また一音――
招かれざる何かが、無理やり入り込もうとしているかのように。
曲は、唐突な暗転とともに終わった。
照明が戻ったとき、影は消えていた。
観客は戸惑いながらも拍手を送り、
すでに掲げられたスマートフォンが、
“本物の声”の間に紛れ込んだ、誰のものでもないエコーを記録していく。
バックステージで、七海は震えながら伽羅に近づいた。
「あの声……」
「まるで、曲がこの瞬間を待ってたみたい」
伽羅は、強く拳を握りしめる。
頭の中では、あの囁きがまだ消えずに残っていた。
――私の居場所を、返して。
その夜、
ステージが空になったあとも、拍手はネットの中で鳴り続けていた。
切り取られた映像。
揺れた画面。
重なり合うコメント。
何が起きたのか、誰も断言できない。
ただ一つだけ、
すべての視聴者が感じていた。
――歌が、違う。
サビに差しかかる瞬間、
主旋律の下に、何かが忍び込む。
それはノイズではない。
反響でもない。
意志だった。
**Kiyora+**の名前が、初めて広がり始めた頃、
見えない場所で、
“それ”は確かに微笑んでいた。
もう、鏡の前で待つ必要はない。
今度は――
観客がいるのだから。




