帰郷
肌に雪が降ったような冷たさがあった。
12月の空と1月の空の違いは何のだろうか。
吐く息の白さは変わらず、内の熱が失われる速度も変わらない。
浮かぶ雲の千切れる様は相も変わらず気ままで取り留めもない。
当然か。
12月31日と1月1日には大きな隔たりがあると思うのは人間の作り出した認識の故だ。
一日を24時間と決めたのは人間だ。
365日を一年と決めたのもまた人間だ。
その枠を外れてしまえば世界は思いの他に単純だ。
物と物を区切るものなど存在せず、全ては驚くほどにあっさりと繋がっている。
驚くほどに。
僕は歩み続ける。
幼い頃、冬休みの度に滞在していた祖父母の家。
祖父はもう居ない。
祖母も今は家にいるけれど、あと二年もすれば祖父の下へ行くだろう。
「何時に帰るの?」
家を出る前の祖母の言葉が蘇る。
僕は何と答えただろうか。
もしかしたら、何も答えていなかったかもしれない。
「故郷に帰る」
今更になり返事をする。
世界は繋がっているのだから、この声も祖母に届くだろう。
きっと。
記憶を頼りに歩く。
祖父母の住むこの町には昔から神隠しの伝説がある。
お侍さんが生きていた頃には多くの人間が消えたこの土地。
昭和や平成の世となっても時折、聞かれるほどだ。
ひょっとしたら、令和の今でも聞かれるようになるかもしれない。
歩き続ける。
たくさんあった田んぼや畑の数が随分と減っている。
それでもこの場所は自然豊かな土地だ。
「昔はもっと緑があったんだけどねぇ」
十数年も前の祖父の言葉が蘇る。
当時の僕には信じられなかった言葉が今は実感となっていた。
もし、僕があと十年この場所に居られるなら、きっと同じ言葉を漏らしていたことだろう。
歩き続ける。
足が向かうままに任せれば良かった。
森があった。
小さい頃には虫取りに行った場所だ。
だけど、そこは入口ではない。
小川があった。
小さい頃にはザリガニを捕まえた場所だ。
だけど、そこも入口ではない。
僕は歩き続けた。
何となく場所は分かっていたから。
やがて、一線を越えた。
空気が変わった。
入口を抜けたのだ。
だけど、そう思うのは全て幻想でしかないと思った。
立ち止まり、振り返る。
背後には歩いてきた世界が当然のように存在していた。
僕はこの場所を入口だと考えていた。
人間が区切っているだけで、本来、全てのものは繋がっていると確信めいたものさえあったのに。
それなのに僕はこれを区切りと思っている。
「おや」
声をかけられた。
前を向けば小さな女の子がいた。
「坊」
「お久しぶりです」
「そうさな。十数年は経ったか」
その女の子は人に似ていた。
だけど、人ではないのだ。
あえて言うのであれば、人間が区切った世界の先に居る者か。
尤も。
人間は区切ったつもりになっているだけで世界は区切られてなどいない。
現に僕はこの場所に戻って来られたのだから。
「二度目の神隠しか」
女の子は笑う。
「今じゃ、そんな言葉も聞かれなくなりましたね」
「あぁ。娯楽のない場所に留まる理由もない。今じゃ、この場所に来るのは坊のような輩ばかりだ」
「僕のような?」
「あぁ」
彼女は僕の目的を理解していた。
僕は身を一度小さく震わせ、咳を一つしていた。
「ここで暮らすつもりか」
「はい。もし許されるなら」
「娯楽は何もないぞ。退屈な日々が続くだけだ」
「今、住んでいる場所も同じです」
「そうか、そうか」
女の子は軽く手を何度か叩く。
十数年前と同じ光景。
あの頃と違いもう僕は大人だ。
だけど、あの時と今は確かに繋がっている。
「男手が欲しかったから丁度良かった。ついといで」
「はい」
歩き出した小さな背を追う。
入口が遠くなっていく気がした。
取り返しのつかない事をしている気もした。
「帰りたくなったら帰れば良い」
その声に安堵する。
当然か。
神隠しに遭った人間が二度と帰ってこないなんて人間の作った幻想だ。
実際の所は当人が帰らないのを選んでるだけだというのに。
「僕は」
歩きながら女の子へ言う。
「一瞬たりともこの場所を忘れたことがありませんでした」
「まるで故郷のようではないか」
「はい。そうだと思います」
「なら、相応しい言葉を言ってやろう」
踵を返して女の子は笑う。
「おかえり」
この土地では古くから神隠しがあるという。
だけど、僕はそれをおかしなことだと思う。
気に入った場所を見つけ、やがてそこで永住を選ぶ。
誰もがしていることだろう。
事実、僕もまたそうだ。
幼い頃に心を奪われた、いわば故郷へと帰っただけ。
本当にそれだけなんだ。
そう心から思えた。
「言葉が返って来んぞ」
女の子の言葉に僕は笑う。
「はい。ただいま」




