第6章 ずっと貴方を見ていました
アッシュとの面談を終え、ギルドの外へ出ると、夕焼けのオレンジが街路を染めていた。昼から続いた怒涛の出来事のせいで頭が追いつかない。セラとレオも静かに歩いているが、きっと同じくらい疲れているだろう。
「マスター、今日は……すごい一日でしたね」
「……ああ。本当に、色々あったな」
セラは夕日を浴びて髪がきらきらしていた。レオは後ろからのろのろとついてきている。
宿屋を探しながら歩いていると――
「マスター……」
セラが袖を引っ張る。
「ん?」
「……お腹、すきました」
「……またか」
ダンジョンのボスより恐ろしい胃袋だ。
しかしセラは真剣な顔でぐぅぅぅと音を鳴らす。レオもつられて腹を鳴らした。
「……食べるか」
「やったぁ!」
ただの食事に喜びすぎだろと内心突っ込みつつ、適当に見つけた食堂へ入る。
⸻
結果。
――アッシュからもらったお金の大半が消えた。
「セラ……お前、よくそんなに食べられるな……」
「だって……おいしかったので……!」
セラはほっぺたを膨らませたまま満足げに胸を張る。かわいいけど、飯代が重い。
レオ用に大皿三枚分の肉盛りも頼んだせいで、財布はほぼ空っぽになった。
「宿代だけは残しておけたけど……ギリギリだな……」
「す、すみませんマスター……」
しゅんとするセラに弱いのだ。怒れない。
「いいよ。明日から依頼すればまた稼げるしな」
「はいっ!」
そんな感じで宿屋に入り――
⸻
泊まれる部屋はひとつだけだった。
「……一部屋か」
「え、えっと……マスター……!? ひ、一緒に……?」
「俺は床で寝るからな!?」
慌てて先に言ってしまう。セラが頬を染めるから余計に言いづらい。
「マスターと一緒でも……わたしは構いませんよ……?」
「構うんだよ俺が!」
これ以上は心臓がもたない。
そしてレオは――宿屋の受付から衝撃の通告を受けていた。
「その……大きい魔獣は部屋に入れないんだ……ごめんな」
「ワ、ワフ……」
しょんぼり肩を落とすレオ。デカい狼が“肩を落とす”ってなんだ。
「レオ……今日は我慢して……」
慰めようとした瞬間――レオの体がみるみる縮む。
「えっ!? レ、レオ!?」
もこもこもこ……!
最終的に、子犬サイズのレオが俺の足元にちょこんと座っていた。
「ワフ!」
「か、かわ……」
宿屋の受付の女性も口をぽかんと開けていた。
「い、今のどういう……?」
「わ、わかりません! でも……可愛いです!」
「ワフ!」
セラが抱き上げるとレオは満足げに喉を鳴らす。
「セラ、なんで小さくなったんだ?」
「たぶん……魔力を極端に抑えたからだと思います! 魔力によって身体の形状が左右されるタイプの契約獣もいますから!」
「そんな設定あったのか……」
初耳だが便利だから良し。
⸻
部屋に入ると、安宿らしい簡素なベッドとテーブルがあるだけの空間だった。だが疲れた身体には十分すぎる。
俺は床に毛布を敷き、レオを枕にして横になる。
「……はぁ。今日は……本当に長かったな……」
「マスター」
ベッドの端に座ったセラが、そっとこちらへ視線を向けた。
「ひとつ……聞いてもいいですか?」
「ん?」
「マスターも……聞きたいことがありますよね?」
図星だった。
俺は少し起き上がり、セラの方を向く。
「セラ……どうして俺の召喚に応じたんだ?」
「…………」
セラは一瞬ぽかんとした後、ふわりと優しい表情へ変わった。
「マスターは……本当に気づいてないんですね」
「え?」
セラは胸に手を当て、ゆっくりと言った。
「わたし……マスターを知っていましたよ。前の世界でのマスターのことを」
「……!」
「命懸けでわたしのカードを守ってくれたこと。
エルドラシアを何よりも愛してくれていたこと。
私たちのキャラに、たくさんの愛情を注いでくれたこと。
――全部、見ていました」
胸の奥がぎゅっと痛む。
俺はこの子に……見られていたのか。ずっと。
「そんな人の呼びかけを……拒否できるはずがありません」
セラはわずかに頬を染めながら、そっと微笑む。
「マスターが……大好きなものを、大切にしてくれる人だから。
そんな人に召喚されたなら……わたしは喜んで力になります」
その瞬間、込み上げるものがあった。
涙が出そうになるのをぐっと堪える。
(……俺、カードゲーマーでよかった)
どれだけ金をつぎ込んだかなんて、どうでもよかった。
(エルドラシアを……好きでよかった)
心からそう思った。
「…………ま、す……」
「ん? セラ、今なんて?」
「な、なんでもありません!!」
セラは真っ赤になってベッドへ倒れ込んだ。
「さあ! そろそろ寝ましょう! 寝不足は明日の冒険に響きます!」
「は、はぁ……」
本当に聞き取れないほど小さくて、でも確かに――
「大好きです」 と聞こえた気がした。
セラが同じベッドに入ろうとしたが、俺は慌てて断った。
「俺は床で寝る! 本当に無理だから!」
「むぅ……マスターの意気地なし……」
「気を遣ってるんだよ!」
そのやり取りを見ていたレオが、小型の体で俺の横に丸くなり、ふかふかの毛を広げてくれた。
「……ありがとうな、レオ」
「ワフ」
柔らかい毛に包まれながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
こうして、異世界での最初の夜が静かに更けていった――。
場所は変わり――
白銀色に輝く雲海の上、天へと伸びる巨大な柱に支えられた神域。
天界中央に位置する《主神殿》は、光を纏う白大理石で作られ、天井には金と蒼の流線が描かれ、星々の鼓動さえ感じられる荘厳な空間だった。
空気は澄み切り、全てが神々しい。
しかし――その中心で、壮絶に疲れ切った天使がひとり、机に突っ伏していた。
「……終わらん……マジで終わらん……」
長い金髪を乱し、白い外套を脱ぎ捨て、机に積まれた書類の山を前にしているのは――
天界序列第5位 第2天使ミカエリス。
眩い光輪を持ちながら、目の下には深いクマを作っていた。
まさに「神の国でもブラック職場は存在する」と言いたくなるほどの疲労っぷりである。
「第4天使セラフィエルが不在だと……?あいつ何考えてんだよ……これ全部俺に回ってきてんだぞ……?」
机の上には、神託処理、祈祷受付、奇跡の申請書類など、到底一晩で終わらない量の書類が積み上がっている。
天界は神聖だが、業務は地獄だ。
その時――
バタタタッ!
「み、ミカエリス様ーっ! し、至急の報告です!!」
息を切らした下級天使が駆け込んできた。
「……今めちゃくちゃ忙しいんだけど?第4天使の穴埋めで死にそうなんだけど??」
「ですが……! セラフィエル様の所在が判明しました!!」
「…………は?」
ミカエリスの羽が逆立つ。
「どこだ!? あのトンチキ天使はどこで油売ってんだ!?」
「……下界です!」
「――――下界ぁぁぁぁぁ!?!?」
次の瞬間。
バリバリバリバリィィィィン!!!
雷がミカエリスの周囲に炸裂した。
天井から落ちるはずのない雷光が空間に走り、
机の横に置かれていた神聖な壺(高価)を――
ドガァァァン!!!
粉々に砕いた。
「ひ、ひぃっ!? み、ミカエリス様、落ち着いて……!」
「落ち着けるかァァァァァァ!!!なんで天界の天使が下界旅行してんだよ!?仕事は!? 手続きは!? 法定報告義務は!?!?」
主神殿の空気が震え、下級天使たちは床にへたり込む。
それでも報告は続いた。
「あ、あの……さらに続報が……」
「言ってみろ!!!」
「セラフィエル様を召喚したのは……一人の人間、とのことです」
「……は???」
ミカエリスの手が止まり、雷もピタリと止まる。
「い、いち……人……?」
「ひとりです……! “カードゲーマー”なるスキルで召喚したようで……」
「カード……ゲーマー……?」
ミカエリスは呆然とした。
「……転生者か?」
「確証はありませんが……その可能性は高いかと」
ミカエリスは額に手を当てた。
「……なるほど。転生者であれば、大天使級を召喚可能な理屈は一応通る……問題は――」
ガンッ!!!
机を叩くと同時に、再び周囲の空気が震えた。
「なんであのバカ天使がホイホイついて行ってんだよ!!!」
バリバリバリィィィィン!!!
また雷が落ちる。
今度は高級神聖燭台(非売品)が真っ二つになった。
「ひぃっ!! ミ、ミカエリス様、天界財務局から苦情が……」
「うるせえ!!! こっちはそれどころじゃねぇ!!!」
大理石の床に焦げ跡ができるが、誰もツッコめない。
「セラフィエルは第4天使だぞ!?神殿にも石像が祀られてるレベルの“大戦級英雄”だぞ!?そんな存在が下界で……人間一人に従ってるだと!?常識的に考えておかしいだろ!!」
ミカエリスは髪をぐしゃぐしゃにかき乱した。
「くそ……なんで俺がこんなストレス抱えなきゃいけねぇんだ……」
しかし次の瞬間、瞳の奥が鋭く光る。
「……下界に降りた理由。その“カードゲーマー”とやらが何者なのか。必ず調べる必要がある」
「は、はい! 至急情報収集します!」
下級天使が慌てて退室した。
ミカエリスは深い息を吐き、砕け散った壺を見下ろす。
「……はぁ。あのダメ天使……何をしでかす気だ……」
その声は怒りに満ちつつも、どこか本気で心配しているようでもあった。
ミカエリスが頭を抱えたその瞬間――
主神殿の巨大な窓がふわりと揺れ、風が吹き込んだ。
羽根のように柔らかい風の粒が舞い、窓辺に誰かが降り立つ。
「セラちゃん、見つかったみたいねぇ」
現れたのは――
髪が“緑から青”へ美しくグラデーションする長髪をポニーテールにした天使。
青白い風のドレスが揺れ、豊かな胸元が柔らかく揺れる。
序列第8位 第6天使――風の権能を持つ大天使。
穏やかで静かな性格ながら、セラフィエルを“妹のように扱う”存在でもある。
「マリエル……。なんで窓から来るんだお前は……正面から来いよ……」
「だって風のほうが早いでしょう?」
「そういう問題じゃねぇ!」
ミカエリスのツッコミをよそに、マリエルはくすりと笑う。
「セラちゃん、嬉しそうだったのよ? あの転生者の子を見ていて」
「…………は?」
「え……ミカちゃんには言ってなかったの?」
マリエルは指先を唇に当て、首をかしげた。
「セラちゃんねぇ、あの子のこと、ずっと天界モニターで観察してたの。業務サボってまで、ず~っと地球の様子を」
「地球……? あの“魔法ゼロ”で化学文明だけ異様に発達した世界の?」
「そう、その地球。どうもあの世界では私たち、カードとして戦わせられてるみたいでねぇ。理由はよくわからないけれど」
「カードぉ……?」
ミカエリスの表情から完全に理解が消える。
「つまりなんだ?何らかの理由で俺達天使がそのカードととやらに描かれていると?で、そのセラフィエルをよく使っていたその転生者に会いたくなって会いに行ったと?」
「まあ、厳密には絵柄が少し違ったりしてるけど、そういう感じだと思うわよぉ」
「…………」
ミカエリスはそっと天井を見上げ、大きなため息を吐いた。
「……あのド天然バカ天使……本当に何してんだよ……」
マリエルは優しく微笑む。
「でも……セラちゃん、幸せそうよ?」
「幸せでも仕事しろぉぉぉ!!」
バリバリバリィィィン!!
雷がまた弾け、天界全体がわずかに震えた――。




