三日目② 友だちと飼い主
「小石くんはわたしよりも二日早く島に帰ったんだよね。なにか興味深い話はあった?」
話題がひと段落したところで、美汐さんが話頭を転じた。
「あるよ。ハラキリ岬のUFO騒ぎよりもでかいのが。ニンゲン殺人事件っていうのがあってね」
「にんげん殺人? どういうこと?」
殺人という言葉の頭にわざわざ「にんげん」がつく不自然さに、聡明な美汐さんは瞬時に感づいたようだ。
僕は知っている情報の全てを明かした。もちろん、摩沙花さんに依頼されて犯人探しをしていることも。
いかに分かりやすく伝えるかに意識を注いだせいで、僕は異変に気づくのが遅れた。「あれ?」と最初に思ってからも、説明をやめなかった。これは明らかにおかしい、と認めざるを得なくなって口を閉ざしたのは、ニンゲン殺しとそれにまつわる諸情報を大方語り尽くしたあとのこと。
美汐さんの顔色が明らかに悪いのだ。
「美汐さん、どうかしたの?」
恐る恐る声をかけると、彼女はうつむけていた顔をこちらに向けた。真正面から見た顔は、斜め下を向いていたときよりも青白くて、僕は軽く息を呑む。
「小石くんが言ったニンゲン、人間だったころはとし子っていう名前だったそうだけど、それは本当?」
「本当だよ。フルネームは道宮とし子で、十代の女の子。そう聞いているよ」
「その子ならわたしの知り合いだよ。実はわたし、とし子とは家が近所で、わたしが高校進学を機に島を離れるまではけっこう親しくしていて」
「……そうだったんだ」
こんな偶然があるのかと、驚くと同時に疑わしく思った。だけど美汐さんは嘘をつくような人じゃないし、嘘をつく理由もない。子眉島という狭い世界だからこそ起きた偶然なのだろう。
「美汐さんに道宮とし子ちゃんっていう友だちがいたなんて、知らなかったよ」
「学年が違うからね。三つ下。とし子は極度の人見知りだったから、友だちと呼べる人間はわたしくらいだったみたいだし、小石くんが知らなかったのも無理はないよ」
「赤の他人だと思っていた犠牲者が、友だちの友だちだったと判明するっていうのは……。なんて言うか、心に来るものがあるね。もう無関係の他人とは思えないよ。もちろん、美汐さんが受けたショックには遠く及ばないし、比べちゃいけないのは分かっているけど」
フォローを入れなければという義務感にせっつかれて、しゃべる必要のないことまであれこれしゃべってしまった。逆に気まずくなって、沈黙。お互いに。
「……償わせたい」
美汐さんがおもむろにつぶやいた。彼女の平常時の話し声と比べるとずいぶん低い。
「わたし、とし子を殺した犯人が赦せない。ニンゲンだから殺人罪は適用されない? 仕方がないことなのかもしれないけど、だからといって、なんの償いもしないのはおかしいよ。絶対に間違ってる。わたし、犯人を見つけ出して、なんらかの形で償わせたい。そうじゃなきゃわたしの気がおさまらないし、とし子も浮かばれないよ」
言葉を重ねれば重ねるほど声の芯に、そして眉間に力がこもっていく。
僕はある意味では安堵感を抱く一方で、危うさを感じてもいる。
友人が殺されて、犯人が行方知れずになっているのだから、怒るのはごもっとも。赦せないのもごもっとも。それなのに、ごもっともではない方向に話が緩やかに転がり落ちていっているような。
「小石くんは、須田倉という人に依頼されて犯人探しをしているそうだけど、やっぱり許可をとっておくべきかな。勝手に協力するのはまずい?」
「とったほうがいい気がする。摩沙花さんは小さなことにはこだわらない人だけど、もしだめだった場合が怖いし。
ていうか、美汐さんも犯人探しをするつもりなんだね。僕と二人で、ということ?」
「そうだよ。じゃあさっそく、須田倉さんの家に行こうか。彼女からも事件のことを聞いてみたいし」
「えっ、今すぐに?」
「善は急げっていうでしょ」
急いては事を仕損じるよ、という反論の文言が浮かんだけど、美汐さんは僕に発言権を与えまいとするかのような迅速さで、
「急に押しかけるのはまずい?」
「うーん、どうだろう。いつでも誰でも歓迎っていうタイプではないけど、僕に対しては寛大だから、少なくとも激怒はされないんじゃないかな」
「じゃあ、行動しない理由はないね」
美汐さんは僕の手を握りしめ、歩く速度を少し上げた。
僕にとっては大変貴重な、若い女の子の手の柔らかさと温かみを堪能する心のゆとりはない。ひとえに、僕たちを包む空気がそこはかとなく不穏なせいで。
隣を歩く人の横顔を見たかぎり、そう感じているのはどうやら僕一人だけみたいだけど。
美汐さん、なんていうか、吉良邸へと討ち入りに赴く赤穂浪士みたいな顔をしているんだよ。
「美汐さんって、摩沙花さんとは知り合いなの?」
話しかけがたいオーラを醸していたけど、黙ったままだと気まずいので、思い切って疑問をぶつけてみる。美汐さんはこちらを向いて頭を振った。
「ううん、話したことは一度も。ただ、存在は知っている。島ではちょっとした有名人みたいなものだし、小石くんから何度も話を聞いているし。小石くんのご両親と仲がよかったんだっけ」
「正確には、うちの親と摩沙花さんの旦那さんが、だね。旦那さんは二年前に亡くなって、それからは互いの家の交流はほとんどないみたいだけど。摩沙花さんは昔からよく僕に話しかけてくれて、優しくしてくれて。だから個人的には、摩沙花さんに対する好感度はけっこう高いかな。あくまでも個人的には、だけどね」
家に上がって茶と茶菓子をいただいたことが何度かある、という情報は開示しないでおく。とし子を巡る会話を交わしていたさいの感触から、美汐さんが摩沙花さんによくない感情を抱いているのは明らかだからだ。
「そうなんだ。優しくて気さくな知り合いのお姉さんって感じ?」
「そんな感じかな。僕からも一つ訊くけど、美汐さんは摩沙花さんにどんなイメージを持っていたの? とし子ちゃんの話を聞く前は」
「変な人であり、怖い人でもあるって感じかな。
あたしは経験ないけど、あの人、大人よりも子どもによく話しかけていたよね。悪人ではないと思うけど、なにか他の大人とはちょっと違うなって感じていたよ。それが変な人の意味。
怖い人っていうのは、なにを考えているのかが全然読めないの。子どもにいたずらをしたとか、暴言を吐いたとか。そういう噂はなかったし、悪意や悪事を胸に秘めているわけではないのかな、とは思っていたよ。でも、考えが読めないというだけでなんとなく怖い、みたいな。
下手くそな説明になっちゃったけど、言いたいことは分かってくれた?」
僕は首を縦に振った。当時の僕は、正直怖さはまったく感じなかったのだけど、たいていの子どもはそう感じて当然だと納得できた、という意味での首肯だ。
「だからこそ、分からないの。変な人ではあるけど悪い人じゃなかったのに、どうして一人の人間をニンゲン扱いしたのかが」
美汐さんは言葉をいったん止め、少しぎこちなく口元を綻ばせる。
「まあ、分からないからこそ、こうしてあの人の家に行っているわけだけど」
須田倉家に着くまでのあいだに彼女が笑みをこぼしたのは、その一回だけだった。
「おやおや。バル一人かと思ったら、連れがいたとはね。なかなかかわいい子じゃないか。恋人?」
僕の隣に立つ女の子を認めた摩沙花さんは、彼女にしてはひどく凡庸な質問をした。
「中学まで同級生だった美汐真雪さんです」と紹介すると、美汐さんは恭しく頭を下げた。礼儀正しい挙動だけど、眼鏡の奥の瞳が異様な輝きを放っているのを僕は見逃さなかった。
元同級生を同伴した理由を摩沙花さんから問われたので、説明する。僕がしゃべっていたのは滑り出しだけで、途中からは美汐さんばかりが口を動かした。
摩沙花さんは、「道宮とし子とは昔からの友だちで、高校進学を機にわたしが島を離れるまではよくいっしょに遊んでいて」という言葉には無言で何度もうなずき、「犯人探しに協力したい」という表明には「ほう」と声をもらした。感情がこもっていない「ほう」だった。
摩沙花さんは話を聞いているあいだずっと、ヘアゴムをいじったり、腕を組んだりほどいたりしたりと、体をよく動かしている印象だけど、そわそわしているという感じではない。頭の中で情報を整理しながら聞いているのかな、という態度だ。
「なるほど、事情はよく分かった。まあ、入りな」
美汐さんを協力者として認めた、ということでいいのだろうか? 僕は「おじゃまします」と言ったけど、美汐さんは無言だった。
不穏な空気を孕んだスタートだ。
僕にとっては三日連続、美汐さんにとっては人生初となる応接室で、摩沙花さんは飼い主として、被害者として、遺族として、ニンゲン殺し事件について語った。いずれも僕にとっては既知で、耳新しい情報は特にない。
本来ならリラックスしてソファに座っていられるはずなのに、僕は気持ちがどうしても落ち着かなくて、ずっとそわそわしている。女性二人がそれぞれ話すこと・聞くことに集中していなければ、間違いなく彼女たちから心配されていたレベルのそわそわだ。
原因は、玄関先で目撃した美汐さんのぎらついた双眸にある。摩沙花さんのささいな発言にも食ってかかり、なにかとても殺伐とした展開に雪崩れ込みそうな、そんな臭気をふんぷんと漂わせた瞳。それに僕は緊張を強いられ、怯えている。
ニンゲン=道宮とし子の死を知ってからの美汐さんは、控えめに言って尋常じゃない。
中学生時代までの彼女からは想像もつかない、今現在の美汐真雪の姿に、僕は戸惑い、当惑し、成り行きをただ見守ることしかできない。
「――そんなわけで、バルにがんばってもらっているんだけど、今のところ進展はなしという状況なんだ」
摩沙花さんは長広舌を終えると、彼女らしい、優雅さと粗雑さが同居した手つきでコーヒーカップの取っ手を掴み、唇をつけた。
カップがテーブルに戻されると同時、美汐さんが挙手をした。その眼差しは、天へと伸ばした腕に負けず劣らず真っ直ぐに摩沙花さんを捉えている。
摩沙花さんはカップから離したばかりの手で美汐さんを指して発言を促した。
「須田倉さんはとし子が死んでも悲しくないと言っておきながら、小石くんに犯人探しを命じましたよね。『自分の所有物を壊されて、壊した犯人になんのお咎めもないのが承服しがたいから』ということでしたが、小石くんには『必ずしも犯人を突き止めなくても構わない』『肩肘を張らずにがんばってくれ』と言っている。
心情、発言、指示。なにもかもちぐはぐで、曖昧で、不安定で。須田倉さんの中で、とし子の死への受け止め方が一定していない印象を受けるのですが、どういうことか説明していただけませんか」
美汐さんの眼差しは供述の矛盾を追求する検察官じみている。
「ちぐはぐ? 曖昧? 不安定? 本当にそうかな。あたしはいつだって自分の気持ちに正直に振る舞っているけどね」
対する摩沙花さんの顔に浮かぶのは、余裕綽々といった薄ら笑い。折に触れて美汐さんを指し示す吹き口は、まるで「君が言っていることはなにもかも的外れだよ」とあざけるかのようだ。
「ニンゲンを殺されても総合的にはそう悲しくはないけど、壊されたという意味では悔しいし、犯人には腹が立つ。腹が立つからこそバルに犯人探しを依頼したが、ニンゲンを殺された悲しみはさほどでもなくて、犯人に対する恨みもそれほど激しいものではないから、がんばりすぎない程度にがんばれと言った。どこにも矛盾はないと思うけど、なにか問題でも?」
発言の締めくくりに、摩沙花さんは芝居がかった挙動で肩をすくめた。
美汐さんの顔色をうかがった僕は、危うく声をもらすところだった。いっときよりも瞳の輝きが増し、狂気と殺意が高い濃度で表示されていたからだ。
遅まきながら気がつく。
美汐さんが気に食わないのは、摩沙花さんの言動の矛盾じゃない。摩沙花さんがニンゲン=道宮とし子の死に同情的ではないことだ。とし子の友人代表として、それが許しがたいのだ。