二日目③ ちょっとした会話
サラミとコーンのピザを食べながらの会話は、摩沙花さんの島民に対する愚痴がメインになった。
「江戸時代の被差別民の気持ちがよく分かるよ。露骨に差別はされないけど、避けられているし、じろじろ見られるあの感じ、腹立たしいし不愉快なんだよな。だからといって怒りを表明しても無視されるし、腕力に訴えたら待ってましたとばかりに通報されるのは目に見えている。まったく、これだから排他的な田舎者は嫌いなんだよ」
最初はそのつもりはなかったけど、話しているうちに止まらなくなったという感じだ。特定の個人の名前を挙げて、言動を一つ一つピックアップしてやり玉に挙げるのではなくて、島民をひと括りにして憎悪をぶつけている。どろどろとしたものがとめどなく垂れ流されるような、そんな弁舌だ。
若者として、一年半弱都会で暮らしている人間として、田舎の特有の閉鎖性を不愉快に感じる気持ちは理解できる。ただ、僕としては食事中くらいは愉快な気分でいたいので、なんとかして話題を変えたい。熟考の末に選んだのは、
「摩沙花さんの旦那さんって、どんな方だったんですか?」
「どうしたんだ、藪から棒に」
「注文を決めるさいに手料理信仰を非難していたので、旦那さん、ジョージさんが健在だった時代の食事情はどうだったのか、少し気になって」
関係の深い故人についてわざわざ触れるなど、爆弾入りのくじ引きを引くようなものだと、発言したあとで気がついた。
ただ、賭けには勝ったようで、ピザにばかり向いていた顔が持ち上がって僕を見据えた。
「旦那の手料理は別格だったよ。身贔屓を抜きにしても巧かったし、美味かった。あたしはただ、なんでもかんでも手料理が一番、手作りの家庭料理が一番とほざく人間が気に食わないだけだ」
「あ……。旦那さんが作る側だったんですね」
「同棲していたころから食事作りはもっぱら旦那が担当で、あたしは食う専門だ。旦那はいかにもアメリカって感じの豪快な料理はもちろん、洋食和食中華エスニック、なにを作らせてもプロ顔負けだったし、食べに行くときは極上の店を選んだ。ようするに、食全般に関してセンスがあった。食欲睡眠欲性欲、三大欲のうちの一つをがっちり押さえていたんだから、そりゃ強いよ。惚れ込んだのも当たり前だ。あたしにはもったいない男だったよ」
旦那を失った事実を嘆き悲しみながらも、饒舌に思い出を語る。「性欲」という言葉が出たときはちょっと緊張したけど、そっち方面の話題に逸れて僕を弄ぶことはなかった。気まずい沈黙を生み出さないという意味では、理想の展開といってもいい。
「摩沙花さんがニンゲンを飼いはじめた動機は、旦那さんを亡くされた悲しみや喪失感がいつまで経っても癒えないからだ、という話は聞いています。それくらい素晴らしい旦那さんだったということですね」
「飼い始めた動機はそのとおりだよ。でも、まさかまさか、ニンゲンを飼ったことで得た一番の収穫が、旦那を失った傷を癒すことではなくて、旦那はあたしにとってかけがえのない存在だったと思い知ることだったとはね」
理想の展開になった――と、思ったのだけど。
「くり返しになるが、本当にあたしにはもったいない男だったよ。歳は一回り下なんだが、兄のようなところもあってね。あたしは家事全般が苦手なんだが、旦那はあたしが苦手とする仕事をこなす能力が高かったよ。その意味でも失ったものは大きかった。まったく、なにがうれしくてピザなんか食わなきゃいけないんだ? ……くそったれ。あいつの手料理と比べたら、こんなものは豚の餌も同然だろうに」
どうやら湿っぽい悲嘆からは逃れられない運命にあるらしい。
僕は相槌もあまり打たずに、摩沙花さんが評するところの豚の餌をぱくついた。
道を歩いていると急にめまいを感じた。
民家のフェンス際、庭木の陰になる領域まで退避して地べたに座り込む。症状はそう重くないようだけど、すぐには立ち上がれない。炎天下を長時間歩き回ったのがよくなかったみたいだ。
「これ以上は難しそうかな……」
日没までがっつり聞き込みをする予定のところを、打ち切って帰宅した。まだ十五時半だった。
帰ったとたんに症状は治まった。決まりが悪かったけど、さりとて再び外に出ていく気にはなれず、スマホをだらだらといじって時間をつぶす。
夏野菜のカレーライスがメインの夕食をとったあとは、日中にとりまくったメモを読み返した。不自然な供述、嘘が疑われる発言、意味深な一言――そういったものは一件も確認できなかった。
「……困ったなぁ」
メモを机の上に放り投げて寝ころがり、ため息混じりにひとりごちる。
収穫、なし。
帰島二日目、聞き込み開始初日にして、早くも行き詰まった感がある。須田倉家の近所の住民への聞き込みは、すでにあらかた済ませてしまったというのに。
「なにかないかなぁ」
薄汚れた天井とにらめっこしながら考えてみたものの、これという案は浮かばない。二度目の「困ったなぁ」がこぼれた直後、着信。
画面を見た瞬間、約束のことを思い出した。美汐真雪さんだ。
「小石くん、昨日ぶり。元気にしてた?」
昨日もちらっと思ったけど、成人した美汐さんの声は、僕がこれまで持っていた美汐真雪のイメージよりも快活な印象を受ける。電話越しに聞くからなのかもしれないし、四年という歳月が、彼女の人格性格を少々大きめに変えたのかもしれない。
「暑すぎて午後からは寝てたけど、元気だよ」
この返答に、美汐さんは素っ頓狂な大声を発して驚きを露わにしたので、こちらまで驚いてしまった。どうやら僕が体調不良でダウンしていたと勘違いしたらしい。
「心配かけてごめん。熱中症にやられて寝込んでいたわけじゃなくて、暑い中を出歩いて体がだるくなったから、帰ってからずっとだらだらと過ごしていただけ。広い意味での熱中症なのは確かかもしれないけど、だとしても軽傷だよ。夕食のカレーなんておかわりしたし」
慌ててそう説明すると、美汐さんは大げさなくらい大きな息を吐いていた。そういえば心配性な子だったな、と、会わないあいだに失念していた一面を思い出した。
美汐さんは明朝十時に網々海岸停留所に到着するという。荷物があり、なおかつ僕が暇ということで、「迎えに行ってもいい?」と確認をとると、二つ返事で快諾してくれた。合流後はいっしょに昼食。島にはろくな飲食店がないので、美汐家でお母さんに手料理を振る舞ってもらうことになった。
とんとん拍子で予定が決まっている。ちょっと怖いけど、でも心地いい。語法としては微妙にずれているかもだけど、すがすがしいという表現を使いたくなるような。
「食事のあとはどこかに遊びに行きたいよね。小石くんはどこか行きたいところとかはある?」
「そうだなぁ。この島、飲食店と同じでろくな遊び場がないから、難しい問題だね」
苦笑をこぼしたところで、思い出した。
「そういえば美汐さんは、ハラキリ岬にUFOが出る噂を知ってる?」
「えっ、なにそれ。教えて、教えて」
むちゃくちゃ食いついてきた。意外なリアクション――いや、美汐さんは文学少女だったから、超常現象の類にはもともと興味があるのかも。
「知り合いから聞いたんだけど、ハラキリ岬でUFOの目撃情報が多発していて、島民は観光地化しようと画策しているんだけど、今のところパッとしないんだって。目撃情報、どうも一件や二件じゃないみたいだよ」
「へえ、そんなことになっていたんだ。まさか故郷にUFOが現れるなんて」
「美汐さんはUFOの実在は信じる派? 信じない派?」
「うーん、どうだろう。実際にこの目で見たら信じる、かな。宇宙人の目撃情報はある?」
「宇宙人?」
「UFOは乗り物なんだから、操縦者がいるはずでしょ。だったら宇宙人が目撃されてもおかしくないとは思わない?」
「ああ、たしかに。目撃されたのはUFOだけっていう話だったから、下船するかどうか迷っているのかな。あるいは、船内だけで調査を済ませているのかも」
「調査が終わり次第、地上に降り立つ予定なのかな? 地球を侵略するために」
「どうだろう。そういう過激な目的を持っているんだったら、目撃者に気づいた時点で排除していると思うんだけど」
「偵察が目的で開発製造された機体だから、攻撃能力がないだけとか?」
「そうだったら嫌だなぁ」
UFOに関する知識は美汐さんのほうが上みたいで、アダムスキーだとかロズウェルだとか、僕には耳なじみのない横文字を次から次へと出してくる。
ただ、そもそも美汐さんと言葉をやりとりすること自体が快い。それに、ミステリーサークルって絶対に人の手で作られているよねとか、UFOの目撃映像って作り込みが雑すぎてジョークなのか本気で騙すつもりなのか分からないものもあるよねとか、知っている範囲内の話題については普通に話せる。
僕たちは小一時間ほどもその話題で盛り上がって、大満足のうちに通話を終えた。
久しぶりにがっつり会話したけど、学生時代よりも話が弾んだまである。
「楽しみだな」
明日に大いに期待が持てた。自惚れも多少は入っているかもだけど、それを差し引いても充分に。