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二日目① 聞き込み

 新しい朝が来た。

 期待と希望に満ちあふれた朝だ。

 まだ八時を回ったばかりなのにセミが鳴き喚いている。名前の由来のとおり、油で食材を揚げているようなアブラゼミの大合唱。今日も暑くなりそうだ。

「今日はやけに気合い入ってるじゃない。まあ、そりゃそうよね。あんたは犯人探しをしなきゃいけないんだから」

 指先に付着したパンくずを皿の上に揉み落としながら聡子が言う。

 久々に家族いっしょにとる朝食。父は出勤の時間が迫っているらしくて、僕が着席したころには食器をシンクに持っていくところだった。

「で、本気でやるか適当にやるか問題、あなたの結論はどっちなの? その気合いの入り方は、本気?」

「一応ね。やってみて、成果を上げるのが難しそうだったらやめるつもり」

「ある意味凡庸ね」

「凡庸上等だよ」

 さらりと言葉を返して、きつね色のトーストをさくりとかじる。


 メモ帳とボールペンを手に家を出たのは午前十時過ぎのこと。

 熱烈な日射しに顔をしかめながら、舗装道路を西へと進む。第一島民に遭遇したのは、須田倉家の瓦屋根が遠くに見えたときのこと。

「ああ、小石さんのところの子か。どこの誰かと思ったら」

 泥のにおいがする。これから農作業にでも出かけるのかという身なりの老婆だ。七十過ぎくらいだろうか。僕のことを知っているみたいだけど、僕はまったく見覚えがない。なにせ老婆は、日本全国全ての集落に一人ずつ暮らしていそうな顔なのだ。

「お盆だから帰ってきたの?」

「はい。大学がある神戸から、七日間の予定で」

「ああ、そう。神戸だったらすぐに帰ってこられるね」

「はい、比較的楽ですね。その気になれば日帰りもできますし」

「もうお墓参りはした?」

「すませました。昨日帰ったので、昨日のうちに」

「それは、それは。ところで、その紙はなに? 風景を写生でもしてるの?」

「いえ、絵ではないです」

 あれっ、これ、半永久的に続くパターン? そう危惧しはじめたところだったので、ほっとした。

「須田倉さんが飼っていたニンゲンが殺される事件、あったじゃないですか。あの犯人がいまだに不明なので、殺したのは誰だったのかを知りたくて。情報を持っている人がどこかにいないかと思って、みなさんに訊いて回っているんです。ようは聞き込みですね」

「ああ、ニンゲン殺し。あれは不気味で恐ろしい事件よねぇ。ニンゲンといっても形は人間なわけだから」

 老婆は白くなった眉を大きくひそめる。聞き込みという行動に対してなにも言われなかったのにはほっとした。追求されたさいの言い訳は一応考えてきているけど、避けられるに越したことはない。

「ニンゲンは六月下旬、たしか二十四日でしたかね。その日の朝に殺されたと聞いています。僕はその事件のことはよく知らないので、いろいろ教えてくださると助かります。事件が起きたとき、おばあさんはどこでなにをされてました?」

「畑で農作業。お昼になって家の者から聞かされて。昼食もほったらかしにして須田倉さんのところに飛んでいったら、家の前にパトカーが二台停まっていてね。野次馬も二・三十人はいたけど、みんな要領を得ないことを口々に言っていて、状況がよく分からなくて。

 お昼に仕事を切り上げたときにもう一度足を運んでみたんだけど、そのときにはもうパトカーはいなくなっていたね。なにがどうなったのか、気にはなったけど、私は須田倉さんとはまともにしゃべったことがないから。

 日にちが経つにつれて、近所の人の口からぽつぽつと情報が私の耳に入ってきて、ニンゲンがむごい殺され方をしたことは分かったけど、みんなが知っている以上の情報は持っていないですねぇ」

「なるほど」

 うんうんとうなずきながらメモ用紙にペンを走らせてみたものの、要約すると「このおばあさんは、事件に関してなにも知らない」ということが分かっただけだから、なんとも言えない気持ちだ。

「ニンゲンが殺されたとき、あなたは農作業をしていた。つまり、ニンゲンを殺したのはあなたではない」

「えっ、私が? ないない、ないですよ、殺しなんて。犬や猫でも恐ろしいのに、人間サイズのペットを殺すなんて、とんでもない」

「あっ、すみません。確認をとっただけで、おばあさんが殺したなんて微塵も疑っていませんから。ニンゲンのこと、ニンゲンを飼う須田倉さんのこと、どう思っていました?」

「そうねぇ。さっきも言ったように、須田倉さんとは全然親しくないから。ニンゲン宣言の話を聞いたときは、風変わりなことをする人がいたものだと思ったけど、他人様がやることだし、飼うのは人間じゃなくてニンゲンなわけだから」

 摩沙花さんとの交流はなく、ニンゲンという存在に対してちゃんとした見解を持っているわけでもない。つまり、このおばあさんとこれ以上話をする意味はない。

「暑い中、ありがとうございました。またなにかあれば、お話を聞かせてもらうかもしれないので、そのときはよろしくお願いします」

 一礼してその場をあとにした。


 不安を感じさせる出だしだったけど、須田倉家の近所に住む人間からの情報はさすがに詳細だった。

「ニンゲンはとにかくうるさくて、四六時中喚いていたね。吠えるとか叫ぶとかじゃなくて、喚くだな、あれは。真っ昼間だろうと真夜中だろうとお構いなしに喚くんだ。

 私や家内は我慢したけども、クレームを入れに行った人は何人もいたよ。須田倉さんは『善処します』と言っていたそうだけど、残念ながら改善はされなかったね。努力したがどうにもならなかったのか、その場しのぎでそう言っただけなのか……。動物は成長するとしつけが難しいと言われているけど、毎日のように聞かされるこっちはたまったものじゃないよ。

 ニンゲンが殺されたときは、正直ほっとしたね。不謹慎なようだけど、こっちは多大なる迷惑をこうむっていたから。でもまあ、さすがに残酷だとは思ったよ。死体をこの目で見たわけではないけど、全身に刺し傷をこしらえて、あたりには大量の血が飛び散って、それはもう酷い死にざまだったと聞いたから。

 須田倉さんがちゃんとしつけをして、顔なじみのない訪問者が来たときに少し吠えるくらいになっていれば、それが一番よかったんだろうけど」

「警察の世話にはならなかったという意味では事件ではないのかもしれないけど、狭い意味での事件が実はあったのよ。今年の五月だったかしら。

 須田倉さんがニンゲンを散歩させていたときに、ニンゲンがいきなりリードごと須田倉さんを振り切って、たまたま近くを歩いていた小学生の女の子に飛びかかったの。幸い、転んだ拍子に掌を擦りむいただけですんで、噛まれるとか引っかかれるとかはなかったんだけど、大惨事になっていた可能性もあるわけでしょう。女の子だから、もし顔に傷がついていたらって考えると、ぞっとするどころの騒ぎじゃないわ。

 親御さんは当然、須田倉さんに抗議したんだけど、対応がよくなくてね。どんな対応だったと思う? なんと、ポテトチップスひと袋! ポテトチップスの大きな袋一つを親御さんに渡して、『娘さんにお見舞い申し上げます』だなんて、ふざけていると思いません? 女の子の両親もかんかんに怒って、あと一歩で警察に相談するところだったみたいですよ。被害が軽い擦り傷だけということで、けっきょくは引き下がったんだけど、さすがに誠意がなさすぎるでしょう」

「ニンゲンは裸で飼われていたんだけど、須田倉さんはニンゲンをその恰好のままであちこちに連れ回していたから、それを問題視する人はいましたよ。なにを隠そう、私もその一人でね。

 ペットは裸なのが普通。私なんかは服を着せられている犬猫を見ると、『ペットのためを思って着せているのだとしても、ペットの意向を無視しているんだから動物虐待だろう』って思うけど、ニンゲンは姿が人間なわけだから、犬や猫とは話が違うと思うんですよ。目に毒だし、子どもの教育にもよくないし。

 それと、もう一つ困ったことがあって、須田倉さんはニンゲンが散歩中に糞をしても持ち帰らないんです。他人様の家の前でしたものでも平気で放置して。持ち帰るのを億劫がるんじゃなくて、そもそも袋やスコップを持ち歩いていないんだから、悪質の一言ですよ。私も被害にあった一人で、三回ほどクレームを入れたことがあるんだけど、『生理現象なんだから、あたしに文句を言われても困る』だなんて開き直るようなことを言って、取り合ってくれなくて。中にはかなり強く抗議した人もいたようだけど、のらりくらりとかわされて、残念ながら問題に真剣に対処はしてくれなかったみたいですね。

 須田倉さんは悪人ではないんだけど、ニンゲンの飼育に関しては目に余るというか、かなり無責任だったと思いますよ」

 ニンゲンは鳴き声や排泄や裸で散歩をするなどの行為で、近隣の住人に迷惑をかけていたこと。

 近隣住人たちは摩沙花さんのしつけが不充分だと考え、ニンゲンに対してだけではなく、飼い主である彼女自身にも怒りと不満を抱いていること。

 摩沙花さんは以前から風変わりな性格だと認識されていて、ニンゲンを飼い始めたのを機に、その変人ぶりに磨きがかかったこと。

 その三点は、須田倉家の近所に住む人間の証言ではほぼ共通していた。

 僕だって、人間をニンゲンとして飼い始めた時点で、摩沙花さんはちょっと普通じゃないと思っていた。昨日彼女の口から直接話を聞いたあとも、その認識は変わっていない。

 ただ、ニンゲンを飼い始める前から摩沙花さんは変人扱いされていた、という住人たちからの指摘にははっとさせられた。

 たしかに、風変わりな人だという印象は僕も持っていた。でも、まさか、島民から白眼視までされていたなんて。

 聞き込みをした島民の中には、摩沙花さんに対してはともかく、ニンゲンに対してはかなり激しい感情を抱いている者も一定数いた。

「もう何回、あの憎たらしい雌畜生を殺してやろうかと思ったか分からないね。ニンゲンが殺されたと聞いたときは、思わず小躍りしたよ。うちの娘が初潮を迎えたとき以来じゃないの、赤飯を炊いたのは。須田倉さんが気の毒になったかって? そんなことを思うわけがない。逆にざまあみろって吐き捨てたよ」

 その手の発言をした者には、必ず深く探りを入れるようにした。アリバイを追求したし、ニンゲンや摩沙花さんに対してなにか行動は起こさなかったのかと詰問した。

 その結果、殺意を抱くほどニンゲンを憎悪していても、自らの手でニンゲンを抹消しようと本気で考えていた人間は皆無、ということが判明した。具体的な殺害計画を立てた者や、「これ以上ニンゲンを野放しにするようならニンゲンを殺す」といった類の警告を摩沙花さんにした者は、話を聞いたかぎりでは一人もいなかった。もっとも、「誰かがニンゲンを殺してくれればいいと密かに願っていた」と告白した、他力本願な者は何人かいたけど。

「たしかにニンゲンは元人間です。でも、須田倉さんがニンゲン宣言して人間からニンゲンになったのだから、殺しても人間を殺したことにはならないですよね。それなのに、殺そうとは考えなかったんですか?」

 そう疑問を呈したところ、

「人間ではないと頭では分かっているんだけど、そうはいっても、やっぱり人間の姿形をした元人間だからね。須田倉さんのことだから、『ニンゲン宣言は嘘でした』とか、『勝手に宣言しただけだから効力はありません、道宮とし子はニンゲンではなく人間です、だから殺した場合は殺人罪が適用されます』なんて、いけしゃあしゃあと言いそうな気もするし」

 との返答。島民はどうやらニンゲンのことを、僕が考えていた以上に人間として意識していたらしい。

「ニンゲンを殺した犯人に関する情報を集めています」と馬鹿正直に申告すると、警戒されるんじゃないか?

 そう危惧していたのだけど、島民はおおむね友好的で、愛想がよくて、あけっぴろげだった。話をしてみた感じ、僕が生まれも育ちも子眉島というのが大きいらしい。

 予想どおり、おしゃべり好きの島民が多かった。暇を持て余していると言い換えてもいい。無造作に本筋から脱線し、どうでもいい世間話に巻き込んでくるのには閉口したけど、情報をくれる見返りだと思えば耐えられた。田舎の人間らしいもてなしの精神を発揮して、冷たい茶や甘い菓子などを振る舞ってくれるのもありがたかった。

 聞き込みをしている動機を尋ねられたときは、「大学で出された課題なんです」と答えた。よく考えるとなんの説明にもなっていないのだけど、質問者はことごとく「ああ、大学の」というリアクションをした。納得はしていないけど、とにもかくにも理由が聞けたので満足することにしたらしい。

 依頼者が摩沙花さんだと明かす羽目になっていたとすれば、彼らは彼女によい感情は持っていないのだから、僕への協力を拒んだかもしれない。僕は人間という生き物のいい加減さに敬礼するべきなのだろう。

 島民、特に須田倉家の近所に住む人間が、摩沙花さんやニンゲンに対して、日ごろどのような感情や考えを持っていたのかは、ある程度詳しく知ることができた。

 ただ、肝心のニンゲン殺しの犯人に繋がる情報は、誰にどれだけ話を聞いてもなに一つ得られなかった。

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