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初日④ 元同級生

 帰宅してからは自室でだらだらと過ごした。ソシャゲ、エックス、YouTube、アマゾンプライムビデオ。

 義務感のようなものに促されて、ニンゲン殺しの犯人についての考察もしてみたけど、スタートライン付近をうろちょろしただけだった。取りつく島がないのだ。

 けっきょくすぐに楽な時間つぶしに逆戻りし、時間を忘れて現を抜かし、父・総一郎が帰宅したので夕食をとる。聡子の得意料理の具だくさん豚汁に、生たまねぎがたっぷり使われたサラダ風の刺身、小松菜の胡麻和え。

「昴流、今日は摩沙花ちゃんと話をしてきたそうだけど、どうだった?」

 総一郎は食べるのとしゃべるのと、両方の目的から口を動かす。中年男の残念な悪癖だけど、高校進学を機に親元を離れるまで日常的に接してきたから、多少気になる程度。長年連れ添うとなると慣れたもので、聡子は歯牙にもかけずに胡麻和えを噛んでいる。

「いつもみたいな感じで話せたよ。なにがなんでも犯人を見つけ出してくれ、みたいに、見開いた目を顔面すれすれまで近づけて、震度四くらいの激しさで肩を揺さぶって懇願してくるのかと思っていたんだけど、そうじゃなかったね。理性的に会話できたと思う」

「人間ならともかくニンゲンだからなぁ。ニンゲンなら死なれてもそんなに悲しくないんだろ? 摩沙花ちゃんは」

「犯人を突き止めた暁には金一封を贈呈します! とかだったら僕も気合いを入れて取り組むんだけど、無報酬だからね。摩沙花さん、お金には余裕ありそうなのにお金をくれないということは、犯人探しに対する熱意はそこまででもないのかもしれないね」

 そう、勝者に報酬はない。「無報酬で働かせて申し訳ないけど」という意味の言葉を、総一郎は依頼されたさいに真っ先に言われたそうだ。

 ただ、「申し訳ない」はむしろ僕のセリフかもしれない。

 なぜって、ものすごく軽い気持ちで依頼を引き受けたのだから。

 それが、摩沙花さんに会って話を聞き、ニンゲンの写真を見せられて、ニンゲンは人間ではないとは言い条、「人間ではなくニンゲンである」と宣言した人間に他ならないと確かめるなどしたことで、認識の甘さを痛感した。

 無報酬だから本気ではないと考えていたけど、それとこれとは話が別なのでは? 考えていたよりも、僕の責任は重大なのでは? 真剣に取り組まなければならない依頼なのでは?

 徐々にではあるけど、そんなふうに僕の考えは変わりつつある。

「気負わずにやればいいさ。摩沙花ちゃんは無報酬だと言っているが、実はこっそり褒賞金を用意しているかもしれないぞ。お前のがんばりを見ているうちに考えが変わるかもしれないし」

「発言矛盾してない? がんばらなきゃいけないのか、がんばらなくてもいいのか」

「それなりにがんばれってことよ」

 夫に代わって聡子がそう答えて、白いたくあんをばりばりと噛み砕く。僕は冷えた麦茶を一気に半分ほど飲んでから、

「中途半端が一番気持ち悪いよ。僕、暇つぶし感覚で引き受けたんだけど、まずかったかな」

「摩沙花ちゃんはなにも言わなかったのか? だったら自分で考えろということだろう。がんばるべきなのか、肩の力を抜いて取り組むのかは、自分で判断して選ぶ。それが大人というものだぞ、昴流」

「それは分かってるけど……。なんか、めんどくさいなぁ」

 ニンゲンのこと、摩沙花さんのこと、事件当日のこと、事件に対する島民のリアクション。

 両親に訊いてみたいことはいろいろあったけど、行動に移るよりも先に夕食が片づいたので、自室に引きとった。


 夕食前にしたよりも真面目に、集中して、いかにすればニンゲン殺しの犯人を突き止められるのかについて考えてみる。

 僕は残念ながら頭がよくない。直観力が優れているとか、そういったちょっとした長所すらも持ち合わせていない。

 高校進学後にちょこちょこと読書をするようになったけど、推理小説はあまり読まない。推理小説というよりも青春小説ですよね、レベルのライトミステリーなら読むけど、重厚で難解な作品や古典的な名作とは無縁。江戸川乱歩やアガサ・クリスティーですらも一作も読んだことがない。推理もの自体は嫌いじゃないんだけど、読み進めるさいの頭の中はほとんど空っぽ、散りばめられた謎を解き明かそうとする努力はろくにせずに、張り巡らされた伏線は見逃しまくり、最終盤の推理パートでは口をぽかんと開けて感嘆するばかり、作者の力量にただただ感服しながら本を閉じている。

 そんな凡庸な人間が、多少腰を入れて思案を巡らせたところで、冴えたアイディアが転がり出てくるはずもない。

 うんうんと唸っているうちに、トートバッグにしまったままの一葉の存在を思い出した。アナログの手触りがどこか懐かしい、摩沙花さんとニンゲンのツーショット写真。

 眺めれば眺めるほど気分は沈む。摩沙花さんはともかく、ニンゲンがまとっている雰囲気が暗澹としすぎていて、正視するのはちょっとしんどい。筋肉のこわばりがありありと伝わってくる気をつけの姿勢、感情が抹消された顔、死んだ魚のような目……。

 ニンゲンはどんな心境で撮影に臨んだのだろう? 自分が人間ではなく、ニンゲンとして扱われることをどう思っていたんだ? ニンゲン宣言を受け入れたいきさつは?

 人間時代の彼女についての情報はゼロに等しいので、推理するのは難しい。ただ、切り取られた表情を見たかぎり、心から望んでニンゲンになったとはとても思えない。

 写真を眺めているだけでは犯人は突き止められない。せめて犯行現場を撮影した一葉でもあればよかったのだけど、その話が出なかったということは、今僕が手にしている一葉以外のニンゲンの写真はないんだと思う。

 手がかりを求めて墓を掘り起こしたとしても、埋葬してもう一か月半が経つのだから、遺体は骨になっている。全身を刃物でめった刺しにされて殺害されたそうだけど、刃物なんて簡単に調達できるし、誰にでも扱える。「凶器は刃物」という事実から犯人を絞り込むのは無理だ。

 見込みがありそうなのは犯行動機だけど、現時点で事件当日や前後について得ている情報は少なすぎる。ないに等しいと言ってもいい。

「まずは聞き込み、かな。とにかく情報を集めないと」

 島民の一人一人への聞き込み。地道で、地味で、消費するものに比べてリターンが少なそうで、率直に言って気乗りがしない。

 でも、代替案はまったく浮かばない。

「やるしかないのかなぁ、聞き込み」

 九十五パーセントくらいは覚悟を固めている。ただ、残る五パーセントが口うるさく文句を垂れるせいで、「いっちょやったるか」という気分にはなかなかなれない。

 どうしようかな、とスマホを手に畳に寝ころがったとたん、握っているものが震え出した。

 間違い電話の可能性を念頭に置きつつ画面を確認する。表示された名前を見た瞬間、僕はあっと小さく叫んで弾かれたように上体を起こし、電話に出た。

「小石くん?」

 恐る恐る、といった調子の若い女性の声。懐かしさと喜びがこんこんと湧出し、あっという間に胸がいっぱいになった。

「ごめんなさい。夜も遅いから、本当はラインのほうがよかったんだろうけど、電話で話がしたくて。もしかして、今通話しちゃいけない状況?」

「ううん、平気だよ。少し前に夕食が終わって、今は自分の部屋でくつろいでいるところ。むしろ暇かも」

「ほんとに? 安心した」

 あちらの世界から安堵の吐息が聞こえた。緊張を芯に残したままながらも、表情を大きく緩めたのが目に見えるようだ。

 小学校中学校と僕の同級生だった、美汐真雪さんだ。

 別々の高校に入学したあとも、毎日のようにラインでやりとりしていたけど、夏ごろには早くもその習慣は途絶えた。復活するには、大学一年生になる年の春に、近況が気になったらしい美汐さんが連絡してくるまで待たなければならなかった。慣れない本土での暮らしで、互いに目の前のことをこなすので精いっぱいだったからでもあるし、もともと仲睦まじいといえるほど親密な関係ではなかったからでもある。

 社交的というほどではないにせよ、学年が違う子どもとも積極的に遊んでいた僕と、内向的で非社交的、趣味は読書、学校の図書室にこもっている時間が長かった美汐さんは、本来正反対の人間だ。冷めた言い方をするなら、希少な同級生だから親しくしていただけ。

 ただ、気質に重なる部分が少なかったのだとしても、付き合いが長引けば自ずと距離は縮まる。

 約五年ぶりに声を聞いて、あっという間に胸を満たした懐かしさ、そして喜び。

 ようするに、それが僕にとっての美汐さんだ。

「確認なんだけど、小石くんは今実家に帰っているんだよね」

「そうだよ。前にラインで話したとおり、一週間の予定で神戸から島に帰っていて、今日が七日目の初日」

「光あれ、だね」

「なにそれ。……ああ、もしかして聖書?」

「そう、よく知ってるね。旧約聖書にある有名なフレーズ。神さまが世界を創造するんだけど、もともと世界は暗くて混沌としていたから、手始めに光をもたらすというわけ」

「そんな言葉がぱっと出てくるなんて、さすが美汐さんは博識だね。でも、神さまが世界を創る前から暗い世界があったの? それって矛盾してない?」

「こまかいことはいいの。わたしだって聖書を一言一句暗記してるわけじゃないし。

 話が逸れたから戻すけど、小石くんが帰省しているんだったら、明後日からいっしょに遊んだりしようよ」

「え! 明後日からということは、まさか……?」

「うん、無事に予定に空きができて、子眉に帰れることになったから。いつまでいるかは未定だけど、明後日に子眉に行くつもり」

「よかった。それはマジでうれしいね。五年ぶりかな? 久々に会えるのもそうだけど、島って娯楽がなにもなくて、暇だからさ。気心の知れた相手といっしょに遊べるの、めちゃくちゃうれしいよ。めちゃくちゃ助かる」

「じゃあ、遊ぼうよ。二人でいっしょに」

「ぜひぜひ。つもる話もあるだろうしね」

 ニンゲン殺しの犯人探しを忘れたわけじゃない。むしろ、美汐さんと再会を果たせることが決まった時点で、「島民の一人にこんなことを頼まれていたんだけど、いっしょにどう?」と提案をしてみようかと考えた。実際、あとひと息のところで口にしかけた。

 でも、思いとどまった。仮に難色を示されたとしたら、遊ぶ約束まで「それはちょっと……」となってしまいそうだったから。

 摩沙花さんの件は摩沙花さんの件。美汐さんの件は美汐さんの件。そういうことでいこう。

「あ、いけない。もう半時間近く経ってる」

 美汐さんが少し上擦った声で言った。

「ほんとだ。長時間話をしちゃって、まずかったかな?」

「ううん。小石くんに迷惑をかけちゃったからどうしようっていう意味」

「僕は平気だよ。本当に暇で、なんなら夜通し通話してもいいくらい。でもそうすると美汐さんに迷惑がかかるから、今日はこのへんにしておこうかな」

「それがよさそうだね。また明日、同じくらいの時間に電話したいんだけど」

「もちろんいいよ。明後日の打合せ的なことはそのときにする?」

「そうだね。またね、小石くん」

 こうして長かった通話は終わりを迎えた。時間にして実に三十二分。

「とりあえず」

 美汐さんが島に帰ってくるまで、探偵役、がんばってみるかな。

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