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六日目② エイリアンばばあ

「あっ、そうか」

 帰省して三度目となる霊園に足を踏み入れて早々、僕は阿呆のような勘違いをしていることに気がつき、足を止めた。

 僕が霊園に言ってみることにしたのは、母親の「墓参りに行くといいことがあるよ」説にすがってみる気になったのが、一つ。もう一つは、捜査を仕切り直すに先立って、被害者であるとし子の墓前で手を合わせておきたいと思ったから。いわば二種類のスピリチュアルな理由からだったわけだけど、

「とし子ちゃんの墓、ここにはないんだった」

 あの子の墓があるのは、須田倉家の庭の松の木のそば。人間なのにペットのような墓というインパクトは強烈だったにもかかわらず、人間の墓はちゃんとした墓地にあるものだという先入観にまんまと騙されたらしい。

「さて、どうしようかな」

 ひとりごち、思案モードに入る。持続時間は一分にも満たなかった。

「造るか」

 この霊園にもう一か所、とし子の墓を。

 それがいい。摩沙花さんだって勝手に庭に造ったのだから、僕だって勝手に造って構うものか。

 さっそく、まずは墓石探しから。拳くらいの大きさの鼠色の石が通路に転がっていたので、それにした。ちゃんと「道宮とし子の墓」と記銘してあげたかったけど、あいにく書くものが手元にない。

「無名の墓というのも悪くないかな。僕一人が分かればいいわけだし」

 そう二秒で考えを変えた。

 盲点だったのは墓を建てる場所だ。敷地には隙間なく墓が建てられていて、空きがない。あったとしても、今後新たに墓を建てる余地があるなら無意味だ。墓は建てられないが石ころは置ける、くらいのスペースがあればちょうどいいのだけど、どこにもない。

 石を片手に血眼であたりを見回す不審者となって、中途半端な迷路のような通路を歩き回っているうちに、小石家の墓の前に流れ着いた。そして、背後から始まる山の緑に目が吸い寄せられる。

「山の中に建てればいいんじゃね?」

 口に出してみたのは、名案だと思ったからだ。

 口に出したことで、ますます名案に思えた。

 山に少し入った場所に墓を造る。他の人間は「ああ、山がありますね」としか思わない。だけど僕だけは、その中に道宮とし子の墓があると知っている。だから小石家の墓で手を合わせたあとで、緑の中へと足を踏み入れる。すると、地面に拳大の鼠色の石ころが転がっている。もしかしたら百人に一人くらい、僕と同じように山の中に入る奇特な人間がいるかもしれないけど、文字もなにも記されていない、一般的な墓石を連想しにくい形状のその石が、人間の墓だとはよもや思うまい。盆を迎えるたびに僕だけがその墓の前で瞑目し合掌し、死者の冥福を祈るのだ。なんまいだ、なんまいだ……。

 僕は「よし」と小さくつぶやき、山の中に入っていく。

 どこに墓を建てよう。摩沙花さんのところの墓みたいに木の根本がいいかな。いや、逆に、なにもない平坦な地面に作るのはどうだろう。「できるだけ墓っぽくない墓にする」というテーマで造ってみるのもいい。というか、それでいこう。その方針で造ってみよう。

 などと考えながら踏み出した二歩目、左足が大きく滑った。

 夜道を歩いていて、物陰から急に黒猫が飛び出してきたときのような声が僕の口から飛び出した。

 その場に尻もちをついた。その姿勢のまま下方へと滑っていく。鳥肌が立つくらいに高速での滑走だ。

 植物の枝なり幹なりを掴むとか、脚を踏ん張るとか、斜面に指なり爪なりを立てるとか、手段なら複数思いつく。それなのに、選べない。パニックに陥ってしまったから。

 やばいやばいやばいやばいやばい――。

 その三文字一色だった心に待ったをかけたのは、滑走の終焉。

 全身が熱く、摩擦熱によって臀部はひときわ熱い。その尻は、朽ち葉と黒土から成る柔らかなクッションの上にある。地面についた両の掌から伝わってくる感触は、同じく優しい。

 後ろを振り向くと、僕が滑り落ちてきた斜面がそびえている。薄暗い現在地からは、山の出口は円形の光として表示されている。滑落しているさなかは、長い滑り台を滑り落ちている感覚だったのだけど、存外遠くない。

 ただ、傾斜がきつい。六十度から七十度くらいはあるように見える。印象としては、斜面というよりも壁。一目見た瞬間に、登るのは無理だと悟ってしまった。威圧的で、象徴的で、絶望的な障壁。

 絶望的だからといって、絶望していても状況はなにも変わらない。

「――よしっ」

 なにが「よし」なのかは分からないけど、とにかく自分で自分に気合いを注入して、助走をつけて斜面に突撃した。しかし、一・五メートルほど駆け上ったところで両手をついてしまう。道のりはまだ二十分の十九くらい残っている。指の力も使って上ろうと試みたものの、上っても、上っても、上れない。むしろ徐々に下がっている。四肢を動かせば動かすほど後退の幅が拡大している。

 これは無理だと判断し、膝をこすりながら滑り落ちるのに任せて平地まで戻った。泥だらけの指先を見て、特大のため息があふれた。

 何回か挑戦した。愚直に同じやり方をくり返したり、新しい方法を試したり。しかし、ことごとく跳ね返された。

 八回で諦めた。十回までがんばろうと思っていたのだけど、泥に汚れながら失敗をくり返すみじめさに心が萎えた。炎天下のフィールドを九十分間フルで走り回ったみたいにへとへとだ。

 横になりたかった。斜面に寝そべろうと、足元をほのかにふらつかせながら体の向きを転換させて、

 子眉山全体を揺るがすような絶叫。

 叫んだのは、僕。

 老婆。

 ハラキリ岬のベンチで居眠りをしていたさいに目撃した、あの醜悪な顔貌の老婆らしき生物が、いつの間にか僕の背後に立っていたのだ。

 恐怖。

 それ以上に、生理的嫌悪。

 逃げたかったけど、腰を抜かしてしまったので無理だ。

 近い距離から直視した老婆の顔は、どことなくエイリアンめいている。顔が細長くて、体も細長くて、吊り上がった目は異様に大きくて。顔も、青白いと言えばいいのか鈍色と言えばいいのか、とにかく健康な人間のそれではない。

 ただ、ネガティブな感情に苛まれながらも対象を観察した結果、老婆はまぎれもなく老婆だと判明した。醜悪な、エイリアンを思わせる風貌ではあるけど、歴とした人間だと。

 夏の盛りだというのにモンペを連想させる、地味で野暮ったくて露出の少ない服を着ていること。背筋がぴんとしていて足腰もしっかりしているけど、顔面の皺などを判断材料にすれば、還暦よりも百歳に近い年齢と見受けられること。

 ハラキリ岬で遭遇したさいに見逃していた情報を取得すればするほど、「老婆は人間」という認識は強化されていく。

 恐怖は駆け足で薄れていき、ほどなくないに等しい水準にまで低下した。生理的嫌悪感も、恐怖ほどではないものの勢力を弱め、鼻をつまめば口に運べるくらいになった。エイリアンの目でじっと見つめてくるのは不気味の一言だけど、どうやら僕に危害を加える意思はないらしい。立ち上がって尻を払う。

「あんたはハラキリ岬で仮眠をとっていたね」

 僕の肩は思わず小さく跳ねた。ワレワレハウチュウジンダ、的な音声ではなくて、己の顔面よりも少しまし程度にしわがれた、老婆らしい声。僕は軽く身構えながらも、「そうですが……」と人間向けの声音で応じる。

「とし子を殺した犯人を探し回っているんだろう。ハラキリ岬では、単に小休止をしに来たようにしか見えなかったが」

「知っているんですか? 僕が摩沙花さんに依頼されたことを」

「知っているさ。九十年も子眉一筋で暮らしていれば、ささいな変化にも敏感になるからね。あんたの情報は仕入れている。東町二丁目の小石のところの一人息子で、須田倉摩沙花の依頼を受けてとし子殺しの犯人を追っていて、協力者である元同級生の美汐真雪とは昨日袂を分かったばかり。そうだろう?」

「……まさか、僕を尾行していた?」

「それに近い真似をしたこともあるが、四六時中あとをつけ回したわけではないよ。なにせ私は九十歳で、あんたみたいな若いのを追い回すだけの体力がもうないからね。ハラキリ岬で出会ったのは偶然だし、この場所にはあんたが勝手に転がり落ちてきただけだ」

「おばあさんはいったい何者なんですか。僕に関する情報をこんなにも知っていて、尾行までして……。いったいなにが目的なんですか」

「そう質問を重ねないでくれ。年寄りはただでさえ頭の回転が鈍いのだから、一度に複数の疑問を投げかけられてもまごつくだけだ。まったく、上手くやればあと八十年は生きられるのに、体に時限爆弾でも括りつけられたように生き急いでいる」

 老婆は両手を腰に当て、湿った息を吐いた。

「私の名前は道宮きみ江。とし子の父方の祖母だ」

「とし子のおばあちゃん? あなたがそうだったんですね」

 驚きのあまり、頭頂からつま先にかけて、無遠慮に三往復ほど視線を這わせてしまった。きみ江が言葉を返してくる気配を口元ににじませたので、それを制するように、

「質問、いいですか?」

「あまりにもくだらないもの以外ならね」

「脚が悪いと聞いたんですけど、大丈夫なんですか?」

「なんともないよ。治ったからね。気合いという薬を塗ったら一発だ」

「ええ……」

「なにをドン引きしてるんだい。ほれ、このとおりだ。ほれ。ほれ」

 きみ江はその場でスクワットをしてみせる。スピードとキレには欠けるけど、壊れかけの機械のぎこちなさはない。信じがたいけど、本当に治ったのだ。

「あと一つだけ、いいですか。きみ江さんはたしか、本土の施設に入所したと聞きましたが」

「とっくの昔に脱走して、今はこの子眉山でひっそり暮らしているよ。どんなに手厚い介護を受けられるのだとしても、住み慣れた故郷に勝る環境はないからね」

「ええ……。脱走って、大丈夫なんですか?」

「スクワット、もう一回見せようか?」

「違いますよ。騒ぎになってないのかという意味です」

「そういう話は聞いていないから、失踪して息絶えたと見なされているんじゃないかな。認知症になって徘徊し、自宅や施設に戻らないままの高齢者は多いと聞くし、きっと私もその一人としてカウントされているんだろうね。この隠れ家にたどり着いたのはあんたが初めてだ。私自身は、表面的には実に穏やかに暮らしているよ。表面的にはね」

「食料とか、大丈夫なんですか。病気になったらどうするんですか」

「果物や山菜や昆虫を食えばしのげる。墓の供え物にも大分世話になったよ。病気については、もともと死ぬ覚悟はできているから、恐れもなにもない。若すぎるあんたには理解できないだろうが、そう開き直れるのが年寄りだからね」

「もしかして、うちの墓に供えた団子を食べました?」

「小石の墓がどこにあるのかは知らないが、団子は好物だから、見かけたら必ず賞味させてもらっているよ。いつの日だったかな、殺鼠剤の味がする白い団子を食ったが、あれは美味かったのう。苦味がなんとも言えなくて」

 ……むちゃくちゃだ。脚の故障を気合いで直したことといい、毒を食らってもピンピンしていることといい、施設から脱走して山の中で暮らしていることといい、なにもかもがむちゃくちゃだ。

 ニンゲン宣言を受け入れたとし子もそうだけど、道宮の人間は常識に囚われない人間揃いなのだろうか? 話を聞いたかぎり、とし子の両親は平凡な人だったみたいだけど。

 ニンゲン宣言、という言葉がヒントとなって、話をどう展開させればいいかが見えた。

「そうそう、とし子ちゃん。さっききみ江さんが指摘したとおり、僕はとし子ちゃんを殺した犯人を探しています。そのために、とし子ちゃんがどんな子だったのかを知りたくて。きみ江さんはとし子ちゃんが須田倉摩沙花さんに飼われるまで――いや、きみ江さんが施設に入所するまでだったかな? とにかく、きみ江さんはとし子ちゃんといっしょに暮らしていた期間が長いみたいなので、とし子ちゃんのことを教えてほしいのですが」

「もちろん構わないよ。あんたには頼まれなくても話すつもりだった。そうすることは、ある意味ではあの子の冥福を祈るのと同じなのだからね。ついてきなさい」

 きみ江は僕に背を向けて歩き出した。齢九十にしてはしっかりとした足取りだけど、速度は九十歳らしくしっかりと遅い。

 僕は黙って後ろに従った。

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