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六日目① 唯一の探偵

「あ!!!!」

 忘れていたことを思い出したのは、朝食のトーストをむしゃむしゃやっているさなかのこと。

 洗い物をしていた母親が「どうしたの?」と尋ねてきたので、「ちょっとね」と答えて食事のペースを速めた。

 食べ終わるとただちに自室に戻り、電話をかける。平丘さんの携帯電話。今日の予定を、昨日の時点では一ミリも決めていなかったので、それについて話し合いたかったのだけど――不通。

「冷水摩擦中かな」

 そうだったらいいのだけど、一晩眠って気持ちがいくらかリフレッシュされても、昨日の平丘さんの意気消沈した姿は鮮明に脳髄に焼きついている。

 絶対になにかあったとしか思えない。

 何回かかけた。応答があるまでコール音を聞き続ける心意気でかけた。しかし、出てくれない。

「……どうしよう」

 真っ暗な画面のスマホを手に、途方に暮れたようにつぶやいてみたものの、方向性はすでに定まっている。

 会いに行こう。

 ただ熟睡していただけなら、笑い話にしよう。本当に冷水摩擦中だったなら、下着姿を心ゆくまで観賞してやれ。なにか困っていることがあるのなら、問答無用で助けよう。これまでさんざん振り回されたことは、今は脇にどけておけ。

 平丘さんのもとへ、一刻も早く駆けつけるんだ。

 卒然と立ち上がって部屋を出る。階段を下りながら考える。

 彼女の身になにが起きている? 犯人探しに躍起になったものの、分厚い壁に跳ね返された。現状、僕と平丘さんだけの力では、目的達成は絶望的。そんな現実を突きつけられて、彼女はどんな行動をとったんだ?

 大人しそうに見えて、ひとたび火が点くと突っ走る人だと、ニンゲン殺しの犯人探しをする中で僕は知った。

 その執念は、他者に向くのか、それとも自分自身に向くのか。

 どちらだとしても、平穏無事に終わるとは思えない。具体的に想像するのは難しいけど、走馬灯のように駆け巡る未来図の断片は、どれもこれもグロテスクで凄惨だ。

 とにかく急がないと――僕は足を速めた。

 玄関を出たところで、郵便受けの前に紙切れが落ちているのを見つけた。小石家は朝刊を購読しているから、取り出したさいにチラシが落下したのだろう。通り過ぎようとしたけど、ふと気になって拾い上げてみる。

「え……」

 絶句した。

 落ちていたのはルーズリーフで、文章が書かれていて、右下に記された差出人の名前は「美汐真雪」。全文はそう長くない。


『わたしにとってとし子は、そんなに大切な存在じゃなかった。時間と労力を費やしてまで、犯人を探す意味なんてない。

 わたしはわたしの家に帰る。小石くん、巻き込んでごめんね。

 さようなら。

 追伸 時間に余裕があるなら、わたしが演説をした広場に行ってみて。ささやかな「作品」を残してあるから。それが、今回の件についてのわたしの総括。』


 とし子は大切ではなかった。

 犯人を探す意味なんてなかった。

 だから、帰る。

 左右の手でルーズリーフを掴んだまま、僕は彫像と化した。目の前を走り抜けた軽トラが、屁のような間の抜けたクラクションを鳴らさなければ、我に返るまでに何時間かかったか分からない。

「帰る」と書いてはいるけど、実際にどのような行動をとったのかは、事実関係をこの目でたしかめるまで確定しない。空き地に残してあるという「作品」も気になったけど、まずは美汐家に行ってみることにした。

 美汐家のインターフォンを鳴らすと、彼女の母親が応対に出た。美汐さんは家にいますかと尋ねると、彼女は少し眉根を寄せ、

「ごめんね。真雪、今朝になって急用ができたって言い出して、帰っちゃったの。今ごろはバスの中じゃないかな。その様子だと、真雪から連絡はいっていないのね? 重ね重ね、ごめんなさいね。あの子、身勝手なところがあるから」

 存じております、と心の中でつぶやいた。


 平丘さんが演説を行った空き地に足を運ぶと、咲いていた一輪の向日葵の花が横倒しになっていた。根本から切断され、花が茎から切り離されている。さらには、茎に匕首が突き刺さっている。ハラキリ岬で僕の喉元に突きつけられた、あの匕首だ。

 凶器の柄には大きく「必勝」の二字が記されている。字の掠れ具合・薄れ具合を見るに、「作品」のために書き加えたわけではなく、ずっと前からその箇所に書いてあったらしい。

 植物を傷つけるのが、作品。

 植物を傷つけるために使った得物の柄に、必勝。

 こんなの、悲しい。悲しすぎるよ、美汐さん。

 情け容赦ない日射しに焙られ、朝っぱらからかしましいセミの合唱にあざけられながら、向日葵の花を眺めた。いつまでも、いつまでも眺め続けた。


 空き地から帰宅した僕は、今後の捜査方針について考えた。

 というか、考えようとした。

 考えようとしたのだけど、寿命を迎えつつある白熱電球のようにちらつく文言が邪魔をして、思案が一ミリも前に進まない。

『わたしにとってとし子は、そんなに大切な存在じゃなかった』

 事件を詳しく知るにつれて、僕は道宮とし子に感情移入するようになった。殺されたのに、人間らしく弔ってもらえず、犯人の正体すらまだ明らかになっていないのはかわいそうだ、と。

 ただ、しょせんは他人、友だちの友だちの関係。誰かに殺されようが、友だちから「大切じゃない」と突き放されようが、僕には関係のない話だ。

 関係のない話――の、はずなのに。

「……どうして」

 僕はこんなにもショックを受けているんだ? こんなにも気持ちが落ち込んでいるんだ?

 いつの間にか、とし子殺しの犯人についてではなく、美汐さんの「大切じゃない」発言について考えていた。

 道宮とし子が斬り捨てられたのが、どうしてこんなにもショックなんだ? 受け入れがたいんだ?

 考え始めた当初は、とし子殺しの犯人を突き止めるのに匹敵する難問に思えた。うらはらに、足踏みらしい足踏みもなく「これだ」という解答にたどり着けた。

 ――とし子はあらゆる人間から見捨てられている。

 両親には、不幸な交通事故で先立たれた。

 大好きだった祖母は、本土の施設に入れられた。

 数少ない友だちだった美汐さんからは「大切じゃない」と斬って捨てられたうえ、捜査を放棄された。

 摩沙花さんからはニンゲンと称してペットのように飼われて、文字どおり人間扱いをされなかった。

 最終的には、何者かに刃物でめった刺しにされて殺された。

 そんなとし子を、僕は哀れに思っている。不憫に思っている。同情している。いつの間にか、記号としての加害者でも、ペットとしてのニンゲンでもなく、血が通った人間の少女としか見られなくなっていた。

 感情移入の度合いはどうやらそれなりに深いようだ。やむを得ない事情があって疎遠になってしまったけど、かつては親友のように仲睦まじく付き合っていた相手、くらいの感覚だろうか。写真で顔を見て、人づてに話を聞いただけ。どんな食べものが好きなのか、子どものころはなにをしてよく遊んだのか、初恋はいつで相手は誰なのか。そういったパーソナルな情報はなに一つ知らないというのに。

 なんとかして、とし子を殺した犯人を見つけ出したい。

 心の中でくっきりとそうつぶやいたあとで、「でも」という一言がこぼれる。

 さんざん聞き込みをしても手がかり一つ得られず、摩沙花さんは依頼者なのに非協力的で、美汐さんは帰ってしまった。

 状況を考えると、もう無理なのでは? 可能性がゼロではないだけで、実質的に解決は不可能なのでは?

 可能性はゼロではない。なんとかして気持ちを前向きにしたかったけど、状況の困難さを噛みしめれば噛みしめるほど、テンションはずるずると下降していく。挙げ句の果てに、まだ期限の一週間にはなっていないけど、解決は無理だから捜査はもう諦めますと摩沙花さんに言ってしまったほうがいいのでは、という弱気に心が蝕まれ始める始末。

「――摩沙花さんに」

 会いに行こう。そして美汐さんが去ったことを報告して、捜査を続行するべきか否か、依頼者である彼女に意見をうかがおう。その意見を参考に、今後の活動方針を決めるべきだ。


「バルじゃないか。これは驚いた」

 摩沙花さんは眉を上げて目を正円にした。わざと驚いてみせているとも、本気で驚いているともつかない、彼女らしいと言えば彼女らしい表情だ。

「まさか、まさかの訪問だけど、なにがあったんだ? そういえば、君の友だちの眼鏡ちゃんがいないけど」

「そのことで話がしたくて。もし迷惑でなければ」

「旦那が遺した金で食っている暇人に迷惑もくそもあるか。入れよ、バル。菓子の用意ができていないからコーヒーだけになるけど」

 応接室に案内され、二杯のコーヒーを持ってきた摩沙花さんが向かいのソファに腰を下ろす。前のめりの姿勢になった彼女に向かって、僕は話し始める。脳内原稿を用意していたわけじゃないけど、理路整然と必要な情報を伝えられたと思う。

「なるほどねぇ。真雪ちゃん、帰っちゃったか。そっか、そっか」

 摩沙花さんはひとり言のようにつぶやきながら何度も首を縦に振る。表情は無表情に近く、なにを考えているのかは読めない。ただ、怒りや落胆や失望などの強いネガティブな感情は抱いていないみたいだ。感情を無理やり抑え込んでいる人間特有の、あと一歩足を踏み外すと貧乏ゆすりを始めそうな気配が、彼女からは感じられない。

「あの子はもともと途中参加で、あの子からあたしにお願いしたから許可しただけで、あたしからお願いしたわけじゃないからね。残念なことではあるけど、まあしょうがないって感じかな。そんなことよりも、問題はバルだよ。バルのモチベーションの問題」

「はい……。

 一人で同じことばかりやっていても、犯人は絶対に見つけられないなって思ってしまって。ひとたびそう思ってしまうと、なにをやってもその考えを消せなくて、行動する気力が萎えてしまって。摩沙花さんが『がんばらなくていい』と言ってくれたことはもちろん覚えていますけど、こんな心の状態で捜査に臨むのは失礼に思えて。それならいっそ、あと残り二日だけど、『捜査には協力できません、ごめんなさい』って伝えて、潔く打ち切ってしまったほうがいい気がして。でも、残り二日だからこそ、その道を選ぶのは悔いが残る気もするし。だから、迷ったんですけど、依頼者である摩沙花さんの意見を聞いて、それに従うのが一番だと思ってここに来ました」

「なるほど。相変わらず真面目ちゃんだね、バルは。もっと楽に考えればいいと思うけど――まあ、性格を責めたってどうしようもないから」

 摩沙花さんは余裕たっぷりに微笑んでコーヒーを一口だけ飲み、前傾させていた上体を真っ直ぐにした。腕組みをしたので長考に入るのかとも思ったけど、すぐにほどいて僕に視線を合わせ、

「答え、もう出てんじゃん。バルは『捜査から下りてもいいですか』じゃなくて、『捜査から下りることも検討しています』って言っただろ。それってようするに、未練があるってことだよね」

「あ……」

「もう少し続けてみればいい。最初、バルに依頼したときにも言ったように、別に犯人が見つからなくてもいいんだから。あたしのためじゃなくて、自分自身が悔いの残らないように一生懸命やる。それでよくないかい? 事件を解決に導いてほしいのが本音だから、言葉巧みに続行するほうに話を誘導しようとしているって邪推するなら、あたしはそれでも構わないけどね」

 肩にこもっていた力が抜けた。楽なったのは体だけではなく、心もだ。

 そうだ。やってみればいいんだ。ミッションに失敗したところで罰則はないのだから。残すところ、今日も含めてあと二日間、全力投球で臨めばいい。

「アドバイスありがとうございます。じゃあ、もう少しがんばってみようかな」

「いいね、若者がやる気になっている姿というのは。見ていて気持ちいいよ。うちの旦那も草葉の陰で喜んでいるんじゃないか」

 摩沙花さんは大輪の花を咲かせてコーヒーカップに唇をつける。まるで、僕が捜査続行を決意した時点で、近い未来に犯人が明らかになるのが確定したかのような態度だった。


 摩沙花さんはコーヒーを賞味しながらのんびりと無駄話に耽りたかったみたいだけど、僕は「試したいことがあるので」と断って須田倉家を辞した。

 でも、摩沙花さんも薄々感づいているようだったけど、これというアイディアがあるわけではない。

 摩沙花さんは僕を励ましてくれたけど――それも協力といえば協力なのだろうけど、でも、捜査に直接力を貸してくれるわけではない。

 この事実の重さに今さら気がついて、僕は愕然とした。そして、絶望した。

 たった一人で、どうすれば答えにたどり着けるんだ?

 人も車も通らない閑散とした田舎道なので、移動しながらでも思案に集中できるのはありがたい。ただ、なけなしの水分を絞り出すために雑巾を絞る作業はつらいし、なにより虚しい。考えても、考えても、手がかりさえ見つからない絶望。

 これまでさんざん考えてきたにもかかわらず、なに一つ見えてこなかったのに、今さら腰を据えて頭を捻ったところで……。

 そんな冷ややかな思いが断続的に脳裏を過ぎり、思うように集中力を保てない。

 ふと違和感を覚えて足を止めた。原因は秒で分かった。小石家に帰っていたはずが、あろうことか曲がる角を一つ間違えたらしく、いつの間にか霊園に通じる道にいるのだ。

「せっかくだし、お参りしていこうかな」

 ひとりごちたとたん、思い出した。聡子が過去に「墓参りに行けば道は拓ける」という趣旨の発言をしていたことを。

 不確かでも、いい加減でも、暗闇の中をさ迷い歩いている人間にとっては立派な光だ。

「行ってみよう」

 僕は歩き出した。

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