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五日目③ 友だちじゃなかった

 道宮家までの道のりを平丘さんが先導する。

 僕は場所を知らなくて、平丘さんは知っている。だからこの隊列が組まれるのは必然なのだけど、僕は平丘さんがやる気を取り戻した表れとしての一面を強く意識した。

 ニンゲン殺しの犯人=エイリアン説を熱弁したときのような激しさはない。歩行の様態や速度はむしろ穏やかだし、無駄口は叩かない。だからこそ、かえってやる気が感じられる。道宮家を訪問したことで得られるものに大いに期待し、事態に大いなる進展があると信じているのがひしひしと伝わってくる。

 その雰囲気に引きずられて、僕の期待感は膨らんでいく。とし子を知ることが、必ずしも犯人を突き止めることに繋がるわけではない。そうちゃんと理解はしているのに。

「ここだよ」

 一軒の民家の前で平丘さんが立ち止まった。僕は彼女の隣で足を止めて建物を見やる。

 真新しいわけではないが古びてもいない、デザインやカラーリングに奇抜なところは見受けられない、どうってことのない二階建ての洋風の住宅だ。庭はそれほど広くなく、背の高い木が過密気味に植えられている。手入れが行き届いていないらしく、どの木も葉をつけすぎているようなのが少し気になる。

「とりあえず、インターフォンを鳴らしてみようか」

 平丘さんが言って、僕がうなずいて合意が交わされた。鳴らしたのは平丘さん。緊張感を孕んだ静寂。

 十秒待ったが応答はなく、僕たちは顔を見合わせる。平丘さんが軽く顎をしゃくったので、今度は僕が押す。十秒。やはり応答はない。

「留守なのかな。敷地内の駐車スペースっぽい場所に車は――」

 ドアが開いた。道宮家ではなく、右隣に建つ民家の玄関ドアが。

 現れたのは、六十代だろうか。おばあさんとおばさんの中間くらいの年齢の、白黒つけるならまあおばさんかな、といった見た目のふくよかな女性。

 予想外の事態と、不信感がみなぎった目とのダブルパンチに、僕は気圧された。助けを求めるように隣に眼差しを送ると、平丘さんは女性との間合いを一歩詰め、

「平丘、じゃなかった、美汐です。昔仲よくしていた道宮とし子さんが亡くなったと聞いて、ご家族の方にお話を聞きにきました。インターフォンを鳴らしたけど応答がないので、今は不在だと思うのですが、行き先をご存じありませんか?」

 女性は痛ましげに眉根を寄せた。目の中の不信感は跡形もなく消えた。聞き込みのときに学習したことだけど、「わたしはその人と近しい人間です」という申告は、驚くほど簡単に第三者の頑なな心を解きほぐす。

 ただ、なぜ眉をひそめたのか。

 じっと見つめて答えを求めると、さっそく種明かしがされた。

「道宮さん夫妻なら去年亡くなられて、同居していたおばあさんも本土の施設に入所したから、今は誰も住んでいないですよ」

 衝撃的だった。平丘さんと顔を見合わせられないくらい衝撃的だった。

 隣人女性は僕たちのリアクションを見て、同情の念が湧くとともに、事情を知る者として説明責任があると思ったらしい。「詳しくは知らないんだけど」と前置きしながらも、知り得る限りの情報を余すことなく語ってくれた。

 まず、道宮家が空き家になったいきさつ。

 道宮家はもともと、とし子の両親、とし子、とし子の母方の祖父母の四人で暮らしていた。両親が亡くなったのは去年の秋で、事故が起きたのは本土の県道の交差点。信号無視のワゴン車と正面衝突し、運転していた父親、助手席に乗っていた母親、ともに即死。両親が亡くなったあと、とし子は祖母と二人暮らしをしていたが、今年の一月一日にニンゲン宣言が行われ、須田倉摩沙花のもとでペットのニンゲンとして飼われることになった。隣人はニンゲン宣言を聴きに行ったが、とし子がニンゲンになったいきさつは把握していない。時期ははっきりと覚えていないが、少なくともニンゲン宣言のあと、祖母は本土の施設に入所した。

 続いて、道宮一家の人となり。

 とし子の父親は本土の商社に勤めていて、母親は同じく本土のスーパーマーケットでパートタイマーとして働いていた。顔を合わせるとにこやかに挨拶をしてくれて、夫婦はともに気さくな印象。夫婦仲は良好で、休日になるたびによく車で出かけていたが、家族四人ではなく夫婦二人だけのことが多かった。家族の仲が悪いわけではなく、とし子が外出したがらないことと、祖母の脚が悪いのが要因としては大きかったようだ。

 とし子は極度の人見知りで、道ですれ違っても挨拶をしないし目も合わせない。友だちと遊んでいる姿を見かけたことはほとんどない。両親は「人とおしゃべりするのが苦手だけど、悪いことをする子ではないから」とよく言っていた。だからとし子については、「人見知りで、無口で、大人しい子」以上の情報は把握していない。ただ、祖母には心を許していたようで、脚が悪い彼女を助けながら近所を散歩する姿は何度も見かけた。休日にあまり出かけたがらなかったのは、自宅に一人残される祖母を思うゆえだったのだろう。

 祖母は車椅子も杖も利用していなかったが、脚が不自由なのはたしからしく、外出するさいには必ず家族の誰かが付き添った。立ち話をしたさいには、脚を含めた体の不調をしきりに訴えた。辻褄の合わない発言をすることも多く、認知症を発症していたと思われる。施設に入所したのは、認知症が進行したからなのか、体の不調のせいなのかは分からない。「本土の施設で暮らしはじめたらしい」と風の噂に聞いて、その事実を初めて知った。祖母は急に道宮家から姿を消し、道宮家は急に空き家になったという印象だ。

「道宮さん一家とは、お隣さん以上に親しい付き合いをしてきたわけじゃないし、ご両親が亡くなってからはほとんど交流がなかったから、これ以上のことは分からないわ。特にとし子ちゃんは、もともとめったにしゃべらない子だったから、なにも知らないのも同然で。ごめんなさいね、力になれなくて」

「いえ、とんでもないです。お話を聞けて、参考になりました。ありがとうございます」

 僕は頭を下げた。平丘さんは、下げない。

 さり気なく顔を覗き込んでみると、真顔だった。まばたきはしているものの、表情に動きがないという印象を受ける。まるで電池が切れたかのようだ。

 隣人女性がもたらした情報は。ニンゲン殺しの犯人=エイリアン説を唱えた己を恥じ、動揺する平丘さんの心にとどめを刺したのだ。

「他の方にも話を訊いてみます。ありがとうございました」


 道宮家に近い家から順番にインターフォンを鳴らし、とし子やその家族について尋ねてみた。

 合計十人から話を聞いたものの、最初の女性と代わり映えがしない情報がもたらされただけだった。


 期待が肩すかしに終わる回数が募れば募るほど、平丘さんが意気消沈していくのには気がついていた。

 二人目に話を聞き終えた時点で気がついていたけど、変化量が少なかったのであまり気にとめなかった。

 五人目を終えたあたりから「あれ、これ、やばくね?」と思い始めたものの、なにも手を打たなかった。気のせいだとか、持ち直してくれるだろうといった、根拠に乏しい期待があったから。

「いや、これはさすがに」と見て見ぬふりできなくなったのが、ちょうど十人目だったというわけだ。

「これ以上訊いても無駄っぽいね。歩き回って疲れたし、家に帰って休憩しよう」

 平丘さんはうなずいた。うなずくだけの気力もないけど、意思表示をしなければ話が先に進まないから、気力を振り絞ってそうしたという感じだった。眼鏡のずれを是正しようともしない。そんなところからも症状の深刻さがうかがえる。

 どちらの家へ行くにも五分も差はなかったけど、平丘さんの現状を見ればより近いほうが望ましい。

「じゃあ、平丘さんの家ね」

 こちらで勝手にそう決めて、彼女を促して歩き始めた。


「わたし、とし子とは友だちだって思ってた」

 美汐家のダイニング。勝手に麦茶を用意していたところ、うつむいて椅子に座っている彼女がつぶやいた。

 僕はピッチャーを手にしたまま硬直する。平丘さんはテーブルの天板に視線を落としたまま、懸命に絞り出すように言葉を紡いでいく。

「とし子のご両親とは何度も話をしたことがある。とし子がおばあちゃんのことが大好きなのも、おばあちゃんの脚が悪いのも知っていた。でも、ご両親が交通事故で亡くなったことも、おばあちゃんが本土の施設に入所したことも、初耳だった。お隣のおばさんに教えられて初めて知った。……とし子と連絡をとっていなかったせいで。とし子にとって大切な人が大変なことになっていたのに、そんなことも知らなかったなんて。そんなの、友だちとは言えないよ。犯人探しを始めてもう三日目なのに、手がかり一つ見つけられていないし。わたし、あの子の友だち失格だよ……」

「平丘さんがショックを受けるのも分かるよ」

 僕はすかさずフォローを入れた。ただでさえ空気が陰鬱なのに、沈黙が下りたらどうなるのか。それが怖くて、危機感にせっつかれて。

「痛いくらいに分かるんだけど、でも仕方なくない? とし子ちゃんが殺されたことも含めて、平丘さんが知らなかった事実は全て、平丘さんが本土に引っ越してから起きた出来事なんだから。島で暮らしていればあっという間に情報が伝わったんだろうけど、外で暮らしているとそうはいかないから。残念なことかもしれないけど、でも、しょうがないことでもあるんじゃないかな。うん、しょうがないよ」

 想定していなかった展開が急に訪れた割には自然体に、なおかつ整然と言葉を並べられたと思う。

 だけど、「無理して明るい声出しているな」と自覚したとたん、声が上擦り、多少なりとも早口になった。傷口に塩をすり込んでしまった気がした。

 不自然だろうが不格好だろうがなんだろうが、平丘さんが少しでも元気を取り戻してくれれば万々歳だったのだけど、下を向いたままだ。これ以上言葉を重ねる意欲と勇気は、残念ながら湧かない。

「どうして連絡をとらなかったんだろう。電話番号は知っているのに。ラインIDだって把握しているのに。連絡手段があるのに連絡しなかったのは、本当はとし子のことが大切じゃないからなんだ。その程度の関係に過ぎなかったんだ。もし一度でも連絡を入れていれば、とし子はどこかの誰かに殺されずに済んだかもしれないのに……」

 たらればの話をしても仕方がないよ――反論の言葉であればすぐに浮かんでくる。

 自分で自分を苦しめちゃだめだ、とし子ちゃんは平丘さんが苦しむのを望んでいないよ――慰めの言葉であれば無限にでも用意できそうだ。

 僕の喉を塞いだのは、彼女が漂わせる暗鬱な雰囲気。声をかけるのもはばかられる暗鬱な雰囲気に他ならなかった。

 五百ミリリットルほど中身が残ったピッチャー、それを冷蔵庫の中に戻すことも、テーブルの上に置くこともできずにいるうちに、どれくらいの時間が経っただろう。

「今日はもう、犯人探しは終わりにしよう。来てもらってごめんだけど、帰って」

 平丘さんが俯いたままおもむろに命じた。

 異論はなかった。残念ながらなかった。

 平丘さんにお茶を出して、自分の分は飲み干して、「さようなら」と言って美汐家を辞した。僕が一連の行動をとっているあいだ、僕たちは一言も言葉を交わさなかった。

 玄関ドアを閉めたあとで、なぜ「さようなら」という言葉を選んだのだろうと思った。

「またね」のほうが圧倒的に適切なのに……。


 実に久しぶりに、ひょっとするとはじめて、摩沙花さんの依頼について、義務感からではなく、自らの意思で向き合ってみる。

 今日一日で、平丘さんは心にかなりのダメージを負った。僕を強引に引っ張り回し、改名までして臨んだニンゲン殺しの犯人探しへの熱意は、すっかり萎んでしまったようだ。巧みに誘導すれば、その意思を完全に放棄させられる気がする。

 ――ただ。

「……なんかなぁ。なんか違う気がするんだよなぁ」

 このまま捜査を打ち切りにしてしまうのは間違っている気がする。悔いが残りそうだ。

 ただ、どういう意味での間違いなのか。後悔なのか。

 あと一枚か二枚皮を剥けば、正解が白日の下にさらされる気もする。しかし、剥くための物理的な取っかかり、いわばトイレットペーパーの端は、どんなに熱心に探しても見つけられない。

 どっちつかずなら現状維持を選ぶのが一番無難で楽だから、明日も僕は犯人探しに取り組むことになるのだろう。絶対に見つからない犯人を探して炎天下を歩き回るのだろう。

「……しんどいなぁ、それは」

 いっそのこと、平丘さんが一時的にしたようにエイリアンのせいにして、「相手が地球外生命体ならば裁きようがないので、犯人に償わせるのは断念することにしました、納得はいかない結末ですが区切りはつきました」としてしまったほうが、僕も彼女も楽になれる気もする。

 ただ、平丘さんが我に返ってエイリアン犯人説を捨てた時点で、残念ながらその選択肢は消滅した。

 だから、やはり、残された道としては現状維持。

「……でもなぁ。なんかなぁ……」

 予想どおり、平丘さんから電話はかかってこなかった。

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