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五日目① 停滞・閉塞・枯渇

 僕史上、n回目の新しい朝。

 緊張感のかけらもないあくびをしながら布団から身を起こし、カーテンをしゃっと開いて窓越しに地上を見下ろす。小石家の無駄に広い庭。整備された家庭菜園。濃緑色の葉を広げた野菜の数々。

「……ん?」

 ミニトマトの木の横――窓から直線距離にして五・六メートル離れた地点に、なにかがいる。動いている。人間だ。

 親が野菜を収穫しているのかと思ったけど、挙動が少しおかしい。ミニトマトの木のすぐ近くにいるのに、木に向き合っていない。野菜泥棒にしては動きが緩慢すぎる。そもそも、平々凡々な一家庭の菜園にわざわざ盗みに入る動機が分からない。

 窓に顔を押しつけて目を凝らす。とたんに、ミサイルの直撃を食らったみたいに眠気が吹き飛んだ。

 平丘さんだ。上下ともに桜色の下着一枚という恰好で、白く細長いものを規則的な動きで背中に擦りつけている。

 白いものの正体がタオルだと判明した瞬間、分かった。乾布摩擦だ。

 行為に励む平丘さんは、僕が見た中ではもっとも肌の露出度が高い。ただ、心も体も熱くならない。むしろ、軽微ながらもおぞましさを感じている。

 予告もなく不可解な行動をとられるのが、こんなにも怖いものだとは思わなかった。半裸の威力でも相殺できないほど強烈というよりも、半裸だからこそおぞましさが強化されている。乾布摩擦が健康のための行為という知識はもちろんインプットされているのだけど、それを差し引いてもおぞましい。

 全ての行為はいずれ終わる。乾布摩擦も御多分に漏れない。頭ではそう理解していても、これ以上の傍観には耐えられない。

 思い切って窓を開けた。瞬間、タオルの動きが静止し、首がゆっくり回って僕を見上げた。きょとんとした顔。いや、それは僕が浮かべるべき表情じゃないの、というような。

「えっと……。平丘さんは、なにをされているのでしょうか」

「なんで敬語なの? 不自然だよ、それ」

 タオルでさり気なく胸元を隠す。声には若干の照れが混じっている。

「小石くんは乾布摩擦をしているって思ったんじゃない? わたしが先生ならおまけで△をあげるけど、〇はあげられないな。これはね、冷水摩擦。水で濡らしたタオルで体を擦っていたの。ひえっひえの水で濡らしたタオルでね」

「でも、どうして乾布、じゃなかった、冷水摩擦を?」

「心のもやもやを吹き飛ばすため。冷水摩擦と、わたしはやったことないけど、器械体操と。この二つは、気分が落ち込んでいるときの対処法としては最適で最上だからね」

 平丘さんは笑顔の見本みたいににっこりと笑う。

「庭で勝手な真似をして、ごめんなさい。でも、おかげすっかり気分はよくなったよ。心機一転、今日も犯人探しをがんばろうね!」

 ……まだがんばる気なんかい。


「おお、君たちか。元気だったかい」

 摩沙花さんは吹き口を咥えた姿で僕たちを歓待した。服装は平常運航で、タンクトップとホットパンツ。

 僕、平丘さん、ともに言下に「元気です」と答えた。被害者であると同時に依頼者でもある女性は、「それはなにより」というふうに首を縦に振り、

「用件は犯人探しについてかい? 残念ながら、あたしから話せる情報はもうないぜ」

「いえ、まだあります。道宮とし子のことです」

 平丘さんの口からその名前が出た瞬間、摩沙花さんは軽く息を呑んだらしい。説明役は平丘さんが受け持った。

「わたしは昔、とし子ととても仲がよかったんですけど、高校進学を機に島を出てからの五年間、いっさい連絡をとっていなくて。そのあいだにあの子の身になにがあったのかは把握していないので、それをぜひ須田倉さんに教えてほしいんです。ニンゲン宣言の前のこととか、あとのこととか」

 挑むような色をたたえた瞳で摩沙花さんを見据えながらの言葉。ただし口調は平板だ。

「須田倉さんは、犯人探しのことならなんでも協力すると約束してくれましたよね。今はこれまでで一番、あなたの力が必要なときなんです。ぜひ、わたしたちを助けてください。お願いします」

 美汐さんが頭を下げたので、僕も下げる。会釈に近い軽いものだったけど、気持ちは充分に伝わったはずだ。

 摩沙花さんは頬をかき、やおら吹き口を口から離して、

「まあ、いいだろう。二人とも、入りな。応接室で話そうぜ」


 飲み物は三人ともホットコーヒー。茶菓子として出されたのはひよこ饅頭。まだ食べきっていなかったらしい。

「死んでからもう二か月近くが経つから、記憶もかなり薄れているけど」

 茶と茶菓子を僕たちにすすめながら着席しての第一声がそれだった時点で、嫌な予感はしていた。経験上、悪い予感の的中率は高いものだけど、残念ながらそのとおりになった。

 摩沙花さんははぐらかすような供述を連発したのだ。

「ニンゲン宣言をする前の道宮とし子のことは、申し訳ないけどもうほとんど記憶していないんだ。ニンゲンとして飼っていたときの思い出が濃密すぎて、記憶がすっかり遠いところまで行ってしまったんだよ」

 では、ニンゲンになってからの記憶はどうかと、平丘さんがすかさず問い質すと、

「ペットを飼うというのは、ある意味単調な毎日のくり返しだからね。特に、いったん飼うのに慣れてしまったあとは。細かなところまではもう覚えていないよ」

 などと、鮮明に記憶していないという主張をくり返す。

 嘘だ。

 摩沙花さんは失念してしまったとか、記憶に残るような出来事はなかったなどと主張しているけど、そんなことはあり得ない。

 ニンゲンになる前だと――とし子との出会い、ニンゲンとして飼育する契約を交わしたこと、そしてニンゲン宣言。

 ニンゲンになってからだと――人間であり人間ではない特殊な存在との共同生活、近隣住民とのトラブル、そして殺人。

 僕が思いつく限りでも、摩沙花さんが体験した印象的な出来事は数多くある。それに、とし子をニンゲンとして飼い始めたのは今年の一月からだから、記憶が薄れるほどの大昔ではない。

 摩沙花さんはとし子について話したくないのだ。だから話す代わりに、記憶にない、覚えていないなどと、政治家のような醜悪で見え透いた嘘をついている。

 僕でも看破できたくらいだから、平丘さんも当然見抜いている。質問の言い回しを替え、角度を替え、ときに機械的に、ときに感情を込めて攻め立てるが、摩沙花さんはそれをのらりくらりとかわす。飄々としていて掴みどころがない。

 平丘さんはだんだんいらいらしてきたらしい。

 自制心を懸命に働かせて踏みとどまってはいる。ただ、個人的な感情を抑え込むのに精いっぱいなようでは、流れをこちらに引き寄せるなど夢のまた夢。一進一退どころか漣らしい漣すら立たないまま、無情にも時間ばかりが過ぎていく。

 平丘さんはコーヒーにもひよこ饅頭にもいっさい手をつけない。会話に集中するためだと最初は思っていたのだけど、はぐらかし続ける対応に憤り、抗議の意味から口をつけないでいるのでは、という気がしてきた。その姿勢に賛同するとともに、応援するべく、僕も出された飲食物はこれ以上飲み食いしないようにした。

 しかし、そんな子どもじみた心がけ一つで情勢が変わるはずもない。なす術もなく時間だけが過ぎていき、

「おやおや、いつの間にかもう正午が近いね。光陰矢の如しだ」

 どこか素っ頓狂な摩沙花さんの声。彼女の視線を追うと、柱時計の針はまさに申告どおりの時刻を指している。彼女は残り少なくなった熱い液体をわざとのように音を立ててすすってから、

「三人で昼食でもどうだい? あたしは料理が作れないから宅配になるけど、どうだろう?」

「結構です」

 平丘さんは食い気味に答えて起立する。故意か偶然か、膝がテーブルの端に当たり、コーヒーカップの中身がこぼれそうになるくらい揺れた。

「わたしたちはもうお暇します。お話を聞けて参考になりました。ありがとうございました」

 起立した平丘さんを見て、僕も慌てて腰を上げる。

 平丘さんは頭を下げない。摩沙花さんは見送りに立たない。コーヒーの香りが遠ざかった。


「のらりくらりって感じだったね、須田倉さん。とし子に関する情報を話したくないの、見え見えだった」

 とし子の墓の前を通り過ぎた直後、平丘さんは会見の感想を述べた。案の定、摩沙花さんの態度対応を非難する内容だったけど、口調はいたって冷静だ。摩沙花さんと対話しているあいだもそうだったけど、理性的であることを心がけて行動している印象がある。

「そうだね、明らかに非協力的だった。犯人を見つけてほしいって言ったのは、他ならぬ摩沙花さんなのに。たしかに『必ずしも解決しなくても構わない』とか『がんばりすぎるな』と言ってはいるけど、協力できないならはっきりとそう言ってくれればいいのにね」

「すっきりしないよね、中途半端なのは」

「だね。はっきり言って迷惑だよ」

 あえて強い言葉を使ったのは、摩沙花さんが場に不在という状況を利用して、平丘さんの機嫌をとっておきたかったからだ。しかし、試みはプラスにもマイナスにも働かなかったようで、彼女は疲れがにじみ出たような横顔で押し黙っている。

 ほどなく僕からの視線を察知したらしく、どことなくすっきりしない薄笑いをこちらに向け、

「どうする? 須田倉さんがあてにならないとなら、わたしたち二人でなんとかするか、他に頼れる人を見つけるか、この二つしかないよ。小石くんはどうすればいいと思う?」

「うーん、そうだね」

 今後とるべき行動についての意見の交換会が始まった。

 平丘さんはもはや摩沙花さんを見放していた。日時を改めて再び摩沙花さんにとし子のことを尋ねに行くという選択肢を、彼女は話し合いを始める前から排除しているのだ。

 本当にそれでいいのかな、とは思ったものの、口にはしない。摩沙花さんの態度に失望したのは僕も同じだし、それに、「なんであの人から真実を引き出そうとすることにこだわるの?」と反問されたとしたら、どう答えればいいかが分からなかったから。

 夕焼け色に染まる遊歩道を、仲睦まじく手を繋いで散歩する老夫婦のような速度で歩きながら、僕たちはひたすら話し合う。

 作戦会議の機会はこれまでに何度も設けてきた。そのいずれの機会でも同じことばかり言っている気がする。

 認めざるを得ない。

 いや、認めてはいるけど、口に出していないだけだ。

 アイディアはもはや枯渇しつつある、と。

 僕たちは限界という名の壁にぶち当たっている、と。

 閉塞を打破するには、どうやら外部の人間の力が必要なようだ。

 だからこそ、摩沙花さんの話を聞きに行ったものの、あえなく肩すかしを食らって道はついえた。

 それでは、摩沙花さんに代わる人間は誰がふさわしいのか、という話の流れに今なっているわけだけど、

「誰を頼ればいいんだろね」

「分からない。一人も思いつかないよ」

 僕も自分が情けなかったし、平丘さんも悔しさを口元ににじませているけど、浮かばないものは浮かばない。

 停滞していた。閉塞していた。

「だらだら話し合っていても仕方ないし、聞き込みでもする?」

 やおら平丘さんがそう告げ、僕は無言でうなずく。

 犯人に繋がる情報を得るためではなく、時間を無駄に消費するのが嫌だから聞き込みをする――。

 この瞬間だ。

 道宮とし子を殺した犯人は永久に謎のまま終わる、と僕が確信したのは。


 聞き込みは昨日までと同じく二手に分かれて行った。指定時間に指定し場所で合流を果たして顔を見合わせた瞬間、二時間にわたって炎天下を歩き回った成果がいかばかりかを知った。

 悲しみも失望もない。ただただ疲労感だけを僕は覚えている。平丘さんも右に同じらしい。

「昼食にする?」

 提案したのは僕。平丘さんはポケットから取り出したスマホを見てうなずいた。僕も自分のものを見ると、正午まで半時間を切っている。

「気分を変えて外で食べない?」

 暗い雰囲気をどうにかしたい一心で、僕はそう提案してみる。

「今日は怖いくらい天気がいいしね。暑いのが難点だけど、日陰になる場所を選んで。どうだろう?」

「いいね! 賛成」

 平丘さんにとっても心躍る案だったらしく、表情から陰りが大幅に薄れたので、僕は胸を撫で下ろした。

 話題の焦点はメニューに移った。持ち運びしやすく、外でも食べやすく、すぐに調達可能。以上の制約を考慮しつつ意見を出し合う中で平丘さんが提案したのが、

「いっそのこと、わたしたちで作るのはどうかな」

 彼女は「料理は小学生レベルの腕前だ」と申告していたけど、裏返せば、小学生でも作れるレベルの料理なら作れるということ。爪チャーハンを作ったときも、包丁さばきなどはそれなりに様になっているように見えた。僕は明らかにそれ以下、小学生からも笑われそうな技術しか持ち合わせていないけど、手伝いくらいならできる。

 家庭菜園で栽培している野菜を使いたいので、調理をするのは小石家だ。

 在庫を確認すると、食パンがたくさんあったのでサンドウィッチを作ることになった。チーズ、ハム、収穫したての野菜。ランダムに組み合わせてマヨネーズをかけるだけなので、僕にでもできる。ピーナツバターといちごジャムがあったのでそれも使った。ひと切れずつラップで包み、戸棚の奥から引っ張り出してきた水筒に冷たい茶を入れると、一気にピクニック感が出てきてテンションが上がった。

「サンドウィッチに合うから、できれば紅茶がよかったんだけどね」

「飲み物だけでも平丘さんの家までとりに行く?」

「ううん、やめておこう。あるものだけで準備するのもそれはそれで楽しいし」

 平丘さんは少し首をかしげて微笑む。テンションが戻ってきたのかな、と感じさせるしぐさであり表情だ。僕は笑みをこぼして「平丘さんの言うとおりだよ」と返した。

 食料を手に出発して早々、肝心の行先を決めていないことに僕たちは気がついた。真っ先に候補に挙がったのは網々海岸だけど、レジャーシートは持参していない。適当な漂着物をベンチ代わりにしてもいいけど、汚そうだし。

 などと、あれこれ考えているうちに、僕は妙案を閃いた。

「ハラキリ岬に行こうよ。UFOの目撃情報が多発しているっていう、あの岬に。あそこなら真新しいベンチがあるし、眺めもいいし、ピクニックをする場所としては最高だと思う。どうかな?」

 平丘さんは「いいね!」と即諾してくれた。



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