四日目③ 不幸
やる前から分かり切っていたことだけど、作戦会議ははかどらなかった。引き続き、粘り強く聞き込みを重ねていくしかない。そんな進歩のない結論を避けるためだけに、無益な堂々巡りをしている感が否めなかった。二人で犯人探しを始めて今日がまだ二日目なのに、なんというか、末期症状を呈していた。
平丘さんは着替えなどをとるためにいったん自宅に戻り、帰ってきたらまたはかどらない作戦会議だ。
総一郎が四回も部屋を覗きにきたり、聡子が頼んでもいないのに茶と茶請けを持ってきたりと、どことなく落ち着かない雰囲気の中で時間は過ぎていき、あっという間に入浴時間になった。
都会暮らしを経験したことで垢抜けた美人に変身した同級生が、入浴。
心拍数が上がってもおかしくないイベントだけど、僕、平丘さんの順番で普通に入って普通に出た。湯上りの姿にはさすがに目を奪われ、しばらくは頭の中がその映像一枚になったけど、それだけ。着替えを覗いてやろうとか、混浴の妄想だとか、そんな定番の想念を弄ぶことすらもなかった。
そして、唐突に気がつく。
僕も疲れているのだ。ここ二日間、尋常ならざるやる気と積極性を見せる平丘さんにさんざん振り回されたせいで。
小石家は広さだけはあるくせに、寝室に使えそうな部屋が僕の自室くらししかないので、互いの布団は部屋の対角に敷いた。僕たちは恋人同士ではないから、必然にそうなった。
作戦会議は思うようにいかなかったし、気まずいなぁ。
なんて思いながら、敷いたばかりの布団の上に胡坐をかいていた僕は、平丘さんが部屋の真ん中でなにかしているのに気がつく。予備のタオルケットを棒状に丸め、畳に置いた。室内を二等分する架空の直線の中央に当たる位置だ。
彼女は腰を伸ばしてこちらに向き直り、はにかむように表情を緩めた。
「小石くんのことを信用していないわけじゃないけど、一応やっておこうと思って。『三四郎』のあれを」
「サンシロー? 誰それ」
「知らない? 夏目漱石の『三四郎』っていう小説の中に、これと同じようなシーンがあるんだ。宿の人間の勘違いで、主人公の青年と人妻が同じ部屋に寝ることになるんだけど――」
平丘さんは滔々と説明する。聞きとりやすい声、はきはきしたしゃべり方だけど、あいにく僕の頭には三分の一も残らない。説明が分かりにくいわけじゃない。平丘憂国的ではない、美汐真雪的な普通の会話が生まれたのがうれしくて、古い小説の解説なんてどうでもよかったのだ。
ただ、その感情は長続きしない。
「『三四郎』は有名な作品だけど、小石くんは知らないんだね。夏目漱石だったら、なにを読んだことがあるの? 『吾輩は猫である』って長い作品だから、冒頭の一文が有名な割にちゃんと読んだ人は少ないと思うんだけど、小石くんはどうかな。『こころ』は? 『坊っちゃん』は?」
『こころ』はタイトルを聞いたことがある程度だけど、『坊っちゃん』は読んだことがある。正直にそう答えると、平丘さんは『坊っちゃん』の内容のディティールに言及し、意見を求めてきた。
あいにく、どのシーンも記憶になかった。教師が主人公で学校が舞台ということも、登場人物がなかなか個性的なことも、勧善懲悪の物語だったことも覚えている。でも、それ以上のこととなるとまったく分からない。名作ということで読みはじめて、難解なわけでも大長編というわけでもないから読み通せたけど、熟読しなかったせいで細かい部分はほとんど忘れてしまったのだ。
読書が趣味と申告したにもかかわらず、平丘さんの話についていけなかったバス停からの帰り道の空気を思い出してしまい、僕はろくに相槌も打てなくなる。それを見て、彼女もやがてしゃべるのをやめた。
僕たちが根本的に分かり合うのは不可能なのかもしれない。
そんな思いに押しつぶされて、他の話題を見つけられない。それは平丘さんも同じみたいだ。沈黙が重苦しい。
不幸中の幸いだったのは、時の流れが不可逆であることに助けられて、いつの間にか日付が変わるまで一時間を切っていたこと。
「平丘さん、もう寝る? 少し早いけど」
「そうだね」
僕の提案に、彼女はすんなりと同意した。
消灯し、布団に潜り込む。シーツと体がこすれ合う音がして、静寂。
平丘さんは話しかけてこない。話しかけたそうな気配も感じられない。
ただ無音ばかりが流れていく中で、この時間をこれで終わらせるのはちょっともったいないな、と思う。
僕はまだまだ余力充分。精も根も尽き果てるまで活動して、息絶えるように眠りにつく。そんな形ではないかぎり、この状況での就寝は難しそうだ。
余力――あり余っているわけではないけど、なにかちょっとしたことをするのは可能な程度の残量の、気力と体力。
それを活用してこの状況でできることって、なんなんだ?
「昨日と今日と、平丘さんといっしょに過ごせてよかったよ。島で七日間も過ごすと途中で絶対に退屈になるし、犯人探しの依頼は僕には重荷だったから。がんばらなくてもいいとは言われていたけど、人から依頼されたことだし、どうしても気負ってしまって。だから、平丘さんが協力してくれて助かったよ。本当に心から救われた。ありがとう」
なにをするにせよ、平丘さんにとって不愉快なものであってはならない。その前提をもとに考えるうちに、記憶を遡行していた。そして必然のように、僕にとっての平丘さんの重要さに気がついた。
感謝の気持ちを伝えよう。そうするべきだ。互いに顔が見えないこの状況なら、普段は言いにくいことでも言えそうだし。
犯人探しに熱を上げたり、平丘憂国に改名したりと、平丘さんは僕の予想を裏切る行動をとり続けている。そのせいでさんざん振り回されたし、精神的な苦痛も味わわされた。きっと明日以降も同じような目に遭うだろう。
でも、それはそれとして、感謝の気持ちを伝えることが必要だ。
そう思って実行したのだが、いくら待っても返事はない。返事どころか、微かな物音さえも立たない。
無自覚のまま、ひどく恥ずべき行為をしでかしてしまった気がして、だんだん頬が熱くなる。
居たたまれないほどではない。ただ、誰か僕を楽にしてくれとは思う。なんでもいいから、なんなら否定的なものでも構わないから、言葉を返してほしい。
でも現実は、無言・無音・無反応。
平丘さんに僕を苦しめようという意図がないのは分かる。とはいえ、この状況はなかなかつらい。
下手なことを言うものじゃないな。悔悟の念が込み上げ、どうやら僕の口角は弱々しく笑ったらしい。
しかし、他人から糾弾されるようなことは言っていないと客観的に評価できたことで、「平丘さんが黙り込んだ責任は僕にはない」と開き直れた。
「救われた」という表現は少々大げさで、若干の気持ち悪さがあるのは認める。言い出したタイミングが不自然だったのもたしかだ。
でも、だからといって、非難されるいわれはないわけで。
恥じることはない。むしろ、感謝の気持ちを伝えられたのはよかった。
正直、できれば一言だけでも返事がほしかったけど、でもまあ、今日のところはこれでよしとするかな。
そう結論し、掛け布団を顎まで引き上げる。
誤算があったとすれば、考えごとをしたせいで神経が変に昂ってしまって、眠りが遠のいてしまったこと。
平丘さんと同じ部屋で、二人きりで眠る。そんな状況下で長々と意識を保っていると、間違いを起こしそうで怖い。
さっさと眠ってしまおう。それがいい。
頭の中を空の空にしようと意識したけど、あろうことか、禁止事項だと分かっていてもつい犯してしまう過ち――すなわち「頭を空にしよう」と強く願うあまり、その欲求一色で頭の中を満たすという過ちを犯してしまった。
煩悩を捨てろ。煩悩を捨てたいという煩悩を捨てろ。煩悩を捨てたいという煩悩を捨てたいという煩悩を――泥沼にはまり込んで抜け出せなくなった。
平丘さんに感謝の気持ちを伝えて、積極性を発揮できた自分に満足して、快い気分で一日を閉じられそうだったのに――。
なんだよ。なんなんだよ、このざまは。
世界は、未来は、他人は、必ずしも自分の思いどおりにはならない。思いどおりになることのほうが圧倒的に少ない。そんなことは百も承知だ。
思いどおりにならないからこそ面白いし、挑戦し甲斐がある。その意見にも、まあ賛成する。
だけど、それにしても、いくらなんでも思いどおりにならなさすぎじゃないか。
帰省してからはその傾向が特に顕著だ。
帰省する動機の一つだった摩沙花さんの依頼自体、心から納得したうえで引き受けたわけではなかった。必ずしも犯人を見つけ出さなくても構わない。がんばりすぎなくてもいい。そんな摩沙花さんの言葉を、美汐さんが台無しにした。
彼女と再会できたのはうれしいし、彼女の存在が救いになったことまで否定するつもりはない。しかし、まさか、殺されたニンゲンと友だちだとは思わなかった。あんなにも犯人探しに熱を上げるとは想像していなかった。
この四日間でいえば、地球全体を見渡しても、僕が一番期待を裏切られた人間なのでは?
今までこの単語が浮かばなかったのが不思議なくらいだけど――僕は不幸だ。
不幸。
ふこう。
フコウ。
言葉の力はおぞましい。その単語を念頭に浮かべたのを境に、自分が不幸な人間だとしか思えなくなった。
この四日間で体験した、大きなものから些末なものまで、己が不幸であることを証明する数々の過去が、矢継ぎ早に脳裏を駆け抜けていく。
小石家では焼肉をするさいはいつもウインナーを用意するのだけど、食材全体に占める割合が高すぎて、平丘さんに貧乏くさいと思われたかもしれない。
バス停のベンチで寝ころがって平丘さんの到着を待っていたとき、僕は車の走行音が聞こえるたびに上体を起こして、彼女の乗っているバスかどうかを確認したけど、あれは実は、通行する車の乗客に寝ている姿を見られて、「あんなところに寝ころがって、あの人はなにをやっているの」的な、蔑みの目で見られるのが嫌だという、ちっぽけな感情にもとづく行動だったんじゃないか。
聞き込みをしている最中に喉が渇いて、自販機で飲み物を選ぶさいに、ペットボトル一本分意識を変えたくらいでは根本的な解決にはならないのに、カロリーや糖分を気にして、コーラではなく麦茶を買ったことがあったけど、なぜあんな無意味に等しい見栄を張ったのだろう。
くだらない。
くだらない過去に懊悩している今の僕は、もっとくだらないし、なにより不幸だ。
不幸が多発している。常識と照らし合わせると明らかに多い。世界中で僕一人だけが不幸な目に遭い続けている気さえする。
そんなはずはない。飼っていたペットを殺された摩沙花さんだって、友人を殺された平丘さんだって、まぎれもなく不幸だ。
頭では分かっているのに、なぜだろう、「世界で僕一人だけが不幸だ」という思いを振り払えない。
だんだん頭が回らなくなってきた。考えることに疲れたせいだ。
こういう形でも苦しみから逃れられるのか。
そう思うと、笑えてきた。
疲れが運んできた睡魔が、今日のところはひとまず僕を救済してくれた。