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四日目② 道宮とし子

 氷入りのカルピスで喉を潤し、作戦会議をはじめたとたん、平丘さんの瞳は妖しげな輝きを放ち始めた。早口に捲し立てる鬼気迫る姿は、正気に戻ってと懇願する意欲を萎えさせるには充分すぎた。

 平丘さんにつける薬がないなら、いっそのこと、とし子を殺した犯人を見つけ出すのに全力を注いだほうが、この苦役から解放される時期が早まるのでは? そんな気さえしてくる。

 ならば協力的にふるまうのが最善の道だと、開き直ってこちらからも積極的に意見を出した。それに触発されたかのように、平丘さんの口調にはいっそう熱がこもる。

 しかし、うらはらに「これは」という案はなかなか出ず、たまに「これは!」というものに出くわしたとしても、よくよく検討してみると役立たずだと判明する。飛び交う言葉の量の割に収穫は乏しい。失笑ものの非効率性であり非生産性だ。

「うーん、難しい。一筋縄ではいかないね。分かり切っていたことなんだけど、でもなぁ……」

 平丘憂国に改名してからの彼女には珍しく、少し疲れたような、弱気がうかがえる表情を何度も見せたのが印象的だった。


「夕食を奢るよ」と平丘さんに持ちかけたのは、作戦会議中に思いがけず弱音を吐いた彼女を慰めてあげたかったからでもあるし、昨日夕食をご馳走になったお返しがしたかったからでもある。

 うちの両親は賑やかなのは嫌いではない。ラインで用件を伝えるとあっさり許可が下りた。焼肉をする予定だったからちょうどよかった、だそうだ。

「改名かぁ。大人しそうな顔に似合わず、思い切ったことをするんだね、真雪ちゃん、じゃなかった、憂国ちゃんも」

 総一郎は茶碗と箸を手に感心したように言う。隣の聡子もトングを操りながら熱心に何度もうなずいている。本日はホットプレートで焼肉という、いくつになってもテンションが上がる形式での夕食だ。

 両親は最初、僕が平丘さんを家に連れてきたことを冷やかしていたけど、彼女の口から改名と演説についての報告を受けたことで、美汐真雪らしからぬ思い切った行動に引き込まれたみたいで、その感想ばかり話している。

 会話の絶えない賑やかな夕食時間となっていた。

 平丘さんの両親はともに物静か。特にお父さんは、誰かが話を振ってこないかぎり黙々と食事に専念し、話を振られたとしてもただ相槌を打つだけの寡黙さだった。

 それと比べて、うちの両親はまあよくしゃべる。聡子は誰相手にも滑稽なことを言おうとするし、総一郎は女子大生が同席していることで明らかにテンションが高い。普段よりも六割増しくらいに顔を弛緩させ、「憂国ちゃん、〇〇を焼こうか?」などと、うっとうしい気配りを平丘さんに対してだけ連発している。

 父さんの気づかいにも、母さんのボケにも、平丘さんは苦い顔一つ見せずに対応している。常にリラックスした表情をたたえて、もてなす側からすればうれしくなる積極性を発揮して、肉も野菜も分け隔てなく取り皿に装っては口に運んでいる。

 ニンゲンのことから離れた平丘さんは美汐さんでしかないな、と僕は思う。同時に、彼女を慰めるという第一の目的をどうやら果たせたらしいことに、半生のキャベツを噛みながら胸を撫で下ろしてもいた。

「それにしても、犯人探しは昴流の仕事なのに、手伝ってもらって申し訳ないわね。摩沙花ちゃんから直接頼まれたわけでもないのに」

 聡子はそう言って、牛カルビ肉をニンニクの風味香るタレにたっぷりとつけて口に入れる。

「申し訳なくないですよ。小石くんのためでも、須田倉さんのためでもなくて、とし子の弔い合戦のつもりでやっていることだから。それが結果的に小石くんの助けになるのなら、それはもちろんいいことだと思うし」

 小皿に散らかったもやしを箸でていねいに集めながら、平丘さんはこともなげに答える。

 助けどころか、苦労させられているんだけど。

 そんな声を心に押しとどめたのは、平丘さんのリアクションを恐れたからでもあるけど、尋ねたかったことの存在を思い出したからでもある。

「平丘さん、質問なんだけどね、とし子ちゃんってどんな子だったの?」

 三人が動きを止めていっせいに僕を見た。

「そういえば、被害者についてまだよく知らないな、と思って。情報を仕入れておいたほうが、仕入れていないよりも犯人に近づけるだろうし。平丘さんはとし子ちゃんとは仲がよかったんだよね? 友だちだったんだよね? 心に残っているエピソードかなんかがあれば、この機会に聞きたいな」

「エピソード、か」

 過去を追憶しているのだろう。懐かしそうな、切なそうな顔つきでしばし押し黙ったあと、

「とし子はとても大人しい子で、人付き合いが苦手で、人見知りで。それこそ、病的にと言ってもいいくらいに。だから、『これぞまさに友だち!』みたいな、密度の高い交流はしてこなかったの。親しく付き合うようになったのだって、いつも一人でいるとし子にわたしが声をかけて、なかば無理やりいっしょに遊ぶようにしたのがきっかけだったから」

「そうだったんだ。だんだん心を開いて、だんだん仲よくなって、みたいな?」

「そんな感じ。きっかけはたしかに強引で、褒められたものではなかったかもしれないけど、とし子は仲よくなりたいっていうわたしの気持ちをちゃんと理解してくれたから、すぐに打ち解けたよ。感情表現が乏しい子だから、ふとした瞬間に笑ってくれるのがすごくうれしくて。

 うれしいといえば他には、会話中にふと、言葉のやりとりが長く続いているのに気がついたときかな。それから、いっしょにバスに乗って本土まで遊びに行って、お店の中を見て回るときとか。年端のいかない子どもみたいに目を輝かせて商品を見るから、わたしは商品じゃなくてとし子の横顔ばかり眺めて、一人でにやにやしてた。友だち同士という関係にしては、二人きりで過ごす時間はそう長くなかったし、交わした言葉もさほど多くはなかったかもしれない。だけど、わたしの中では楽しくて、充実していて、かけがえのないひとときだったよ。

 ……あのころはよかったなぁ。大学生の今が青春の第二章だとすれば、とし子と過ごしたあのころが第一章だったのかもね」

 両親は口を挟まずに聞き入っている。いい意味で年齢以上に老けた穏やかな微笑をたたえて、必要最小限の相槌だけを打って。

「あの子は緊張しやすい性格で、人前に出ると声が出にくくなるみたいで、口だけが酸欠の金魚みたいにぱくぱく動くことがよくあって。それがかわいくて、わたし、ぱくちゃん、ぱくちゃんってよく呼んでいたの。あの子はそう呼ばれるのを嫌がったから、心の中限定だったけどね」

「金魚で思い出したけど、なんかね、魚の研究? みたいなことをしていたよ。子どもがやることだから本格的ではないんだけど、なにかの数字をノートにメモしたりして。凝り性なんだよね、あの子」

「お父さんが心の病気で大変な時期もあったらしいけど、あの子は健気にがんばっていたよ。子は鎹っていうことわざがあるけど、道宮さん一家を見ると本当にそうだなって思う。とし子は同居していたおばあちゃんとも仲がよくて」

 弾んだ滑らかな口ぶりからは、今は亡き友人対する愛情と理解のほどがひしひしと伝わってくる。とにかくとし子のことを褒めまくって、大げさに言えば神格化しているような節もなくはなかったけど、それが逆に微笑ましくもある。

 平丘さんはもともと頭がおかしいわけじゃなくて、友人の死によって一時的に目が眩んでいるだけだ。

 僕は過去にそう考えたことがあるけど、その自説を信じてみたいと改めて思った。

「真雪ちゃん――じゃなかった、憂国ちゃんととし子ちゃんか。今日話してくれるまで、二人が仲がよかったことは知らなかったけど、なんていうか、いいわね。自分の知らないところで自分の知っている人たちが、心が温かくなるような友情を育んでいたというのは」

 総括するように聡子が言う。僕も総一郎もうなずいて同意を示す。平丘さんは少し照れくさそうだ。

「その友情は、憂国ちゃんが中学卒業後に島を出てからも続いたのよね。どの程度の頻度で連絡を取り合っていたの? いっしょに遊ぶとかはした?」

「えっと、それは……」

 平丘さんの声のトーンが落ち、顔がわずかにうつむいた。

 少し、場の空気が変わった。

 彼女は首の角度はそのままにこう答えた。

「とし子とは、島を出てからはまったく連絡をとっていませんでした。会ったことも一度もないです」

 しぃ――――――――――ん、という冷たい音が虚空に線を引いた。平丘さんと、僕たち小石の人間とのあいだに、稲光のような鋭くもいびつな軌道で。

 沈黙が僕たち四人を包む。

 プレートの上で肉や野菜がじゅうじゅうと音を立てている。

 焦げ臭さに僕は我に返った。プレート上を素早く見回すと、平丘さんの近くの豚トロが危険水域に片足を突っ込んでいる。僕は菜箸でそれを自分の取り皿に入れ、努めて明るく一同に呼びかける。

「みんな、食べよう。せっかくの焼肉なんだから。ね?」

 まず我に返ったのは聡子で、皿の中のウインナーを自らの口の中へと運んだ。それを見た総一郎も己を取り戻し、小皿に辛口の焼肉のたれを追加する。

「どうぞ」

 僕は平丘さんに菜箸を差し出した。従わなければならない空気を感じたらしく、素直に受けとり、その流れのまにまにプレート上の食材へと伸ばす。それを機に自然発生的に会話が起こり、気まずい緊張状態は駆け足で雪融けへと向かう。

 両親持ち前の能天気な明るさにも助けられて、場は食事をはじめた当初の雰囲気を速やかに回復した。

 だけど復活前と比べて、言葉数は明らかに少なかった。


「今日は泊まらせてもらってもいいですか? 夕食をご馳走になったのに続いて、ご迷惑をかけることになりますが」

 僕は仰天した。食事が済み、聡子はホットプレートを片づけ、総一郎は「なにかデザートはなかったかな」と冷蔵庫を漁っているさなかに、平丘さんがおもむろにそう切り出したからだ。

「いいとも、いいとも。ぜひ泊まっていきなさい」

 冷蔵庫の中から平丘さんへと視線を転じて総一郎が言った。このおっさん、秒で快諾しやがった。

「それは全然構わないけど、急にどうして? それとも、最初からお泊りの予定だったのかしら。昴流からはなにも聞いていないけど」

 台所でホットプレートを箱に片づけながらの聡子の発言だ。

 僕もその話は聞いていなかったので、平丘さんに視線を注ぐ。彼女は小石一家三人の顔を順番に見返しながら、

「たった今、わたしが独断で決めました。とし子のためにも犯人を絶対に見つけ出したいので、みっちりと作戦会議をしたいんです。許可してくださいますか」

「もちろん。昴流の返事がまだだけど、拒む理由はないわよね?」

 まあね、とうなずく。

 みっちりとって、勘弁してよ。

 本来ならそう心の中で吐き捨てるところだけど、今の僕は平丘さんを気の毒に思う気持ちのほうが強かった。島を出てからとし子ちゃんと連絡をとっていないことがばれて、気まずくて、後ろめたくて、それらの感情を払拭したくて、無理にがんばろうとしているとしか思えないのだ。

 本当に、どうしてしまったのだろう。

 改名。演説。

 全てはとし子殺しの犯人を見つけ出すためにしたことなのに、平丘さんが手を打てば打つほど、平丘さんは平丘憂国らしくなくなっていく。

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