表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/26

四日目① 大演説

 役場の場所は把握している。同じく、建築事務所風の外観なことも。ただし、中に入ったことは一度もない。用がないからだ。

 そもそも存在意義自体、いまいちよく分からない。転出届などを出すさいには本土の市役所に足を運んだし、両親が「ちょっと役場まで行ってくる」と言ったとき、両親の車は役場ではなく子眉橋の方角、つまり本土の市役所へ向かっていた。

 僕にとっては未知であり未踏の施設である役場に、平丘さんは臆することなく足を踏み入れた。まとうオーラは好戦的ですらあった。

 あとには続けなかった。自動ドアの前に突っ立っても出入りの邪魔になるだけなので、柱が作る日陰まで退く。もう一本の柱のように佇みながら、なぜ思い切って中に入ってしまわなかったのかと、ちっぽけなことを悔やんだ。自動ドア越しの屋内は薄暗く、停電しているようにも見える。

「許可が下りたよ」

 平丘さんは十分足らずで薄闇の中から現れてそう報告した。当然の結果になったと言わんばかりの口ぶりだ。

「島内放送で呼びかけてくれることになったから、島民が集まるまで少し待たなくちゃいけない。『中で待っていてもいいよ』って言われたけど、『先に現場まで行っておきます』って答えた。クーラーが効いた部屋で安楽していたら、せっかく高ぶった気持ちが萎えちゃいそうで」

「島民を集めるって、どうして? なにをするつもりなの?」

 彼女は歩き出そうとしかけた足を止めた。肩越しに僕を振り向き、少し面倒くさそうにこう答えた。

「決まってるでしょ。改名披露を兼ねた演説をするんだよ」


 ぶつり、と二つの世界が繋がる音がした。平丘さんの後ろについて道を移動しているさなかのことだ。

『子眉島民のみなさまにお知らせがあります。本日午後二時より、教会跡の東にある木戸さん所有の空き地にて、夏季休暇を利用して帰省中の美汐真雪さんより、島民のみなさまに大切な報告があります。参加は義務ではございませんが、美汐さんは多くの島民に聞いてほしいとのご希望ですので、みなさま友人知人隣人をお誘いのうえ、ぜひとも空き地までお越しください。くり返します。本日午後二時より――』

 日本道路交通情報センターという言葉をなぜか連想してしまう、二十代にも六十代にも聞こえる女性の声が、用意された原稿を機械的に読み上げる。平丘さんが言及していた島内放送だ。

 僕は少し足を速め、真横から平丘さんの横顔を見た。視線を受け止めたのが合図だったとでもいうように、彼女はつぶやく。

「『ぜひとも』じゃなくて、もっと強い表現を使えって言ったのに。……まあ、いいや」

 それからはずっと黙っていた。僕も黙っていた。

 だから、とある民家の裏口に差しかかったとき、地面に無造作に転がっていた、一辺が五十センチくらいの立方体の木箱を、おもむろに胸に抱え、検査でもするようにあちこちを撫で回したあと、納得したようにうなずき、胸に抱えて歩き出しても、僕は無言を貫いた。他人の家の敷地内にあったもの勝手にとっていいのか。なにに使うつもりなのか。気になったけど黙っていた。


 子眉島は小さな島だけど、千人が暮らすには広すぎるようで、いたるところに使われていない土地がある。その中の一つ、テニスコートを二面合わせたくらいの広さの空き地に僕たちはやって来た。

 周囲には田畑が広がり、古びた木造の民家が点々と建っているという、子眉のどこにでも見られる風景。雑草が刈りとられたばかりらしく、剥き出しになった焦げ茶色の大地は低く平坦で、土の香りの主張が強い。敷地の入口から見て右手のフェンス際に、なぜか一輪だけ向日葵が咲いている。花びらは鮮やかできれいだけど、佇まいはどこかさびしげだ。

 平丘さんはいつの間にか一枚のルーズリーフを手にしている。見開いた双眸で、まばたきをほとんどせずに紙面を凝視しながら、なにやらぶつぶつとつぶやいている。

 恐る恐る紙を盗み見ると、原稿用紙のマス目の四分の一くらいの大きさの文字がびっしりと書き込まれていたので、「ひっ」と声をもらして後ずさりをしてしまった。内容までは掴めなかったけど、十中八九演説の原稿だろう。

 引っかかったのは、つづられていた文章の膨大さ。原稿用紙換算十枚に届きそうなあの文章量は、役場の中に消えていた約十分間では、とてもではないけど書き上げられるものではない。

 つまり、事前に演説を想定して原稿を用意していた……?

 美汐さん相手なら、ためらわずに疑問をぶつけていただろう。だけど平丘憂国に改名した今となっては、声をかけるどころか物理的に近づくことさえもはばかられる。

 直射日光を遮る術がなく、しかも無風だから、ただ突っ立っているだけでも冗談みたいに汗をかく。それでいて、蒸し暑さに対する不快感は影が薄くて、事態がこのまま推移すれば確実に訪れる未来に対する不安、それが胃腸をきりきりと責め苛む。

 逃げ出したいとは思わない。でも、それは選択肢が用意されていないから。この状況下で時間を消費することに、僕はしっかりと嫌気が差している。

 やがて島民たちが集い始めた。

 僕は彼らからことごとく話しかけられた。「大切な報告があると聞いて集合場所まで来たのですが、ところで『大切な報告』とはなんなのですか?」というわけだ。

 僕は正直に「いやぁ、分からないですねぇ」と答えた。「美汐さんから説明があると思うので、時間が来るのを大人しく待ったらどうですか」と苦言を呈するのはさすがに控えたけど、とにかく「いやぁ、分からないですねぇ」と。好き勝手に憶測を述べ立てる島民に対しては、同意を示すのでも否定するのでもなく、ただ相槌を打つ。ようするに、当たり障りのない対応に終始したわけだ。

 空き地に集まった島民が総勢五十名ほどに膨れ上がり、窮屈さを感じ始めたころ、ようやく動きがあった。

 くしゃっ、と紙が鳴った。平丘さんがルーズリーフを握りつぶしたのだ。場は水を打ったように静まり返った。「水を打ったように静まり返る」と表現するにふさわしい瞬間に出会ったのは、人生でこれが初めてかもしれない。

 失われた音声を埋め合わせるように、緊張感が場全体に爆発的に波及した。独特で、なおかつ異様な雰囲気に絡めとられて、僕は心も体も磔にされる。

 そんな中、唯一自由な平丘さんは、空き地の中央最奥に木箱を据えた。利き足で何度か踏みつけて安定性を確認し、上に上がってこちらを向く。ねっとりとした夏風が空き地を横切り、長い黒髪と水色のワンピースの裾をなびかせる。

 平丘さんは聴衆を軽く見回した。ステレオタイプのロボットを連想させる首の動きで、無表情。顔の向きが正面に固定される。右手を胸に宛がったかと思うと、虚空を切り裂くように右腕を斜めに突き上げ、

「FOOOOOOOOOOOOOOOO!」

 出し抜けの大音声に、僕は不可視のパンチを顔面に食らったみたいに後方へと吹っ飛び、尻もちをついた。

 狐につままれたような気持ちで周囲を見回すと、空き地にいる島民全員が地面に座り込んでいる。唖然としているといえばいいのか、呆然としているといえばいいのか、状況を掴めていない顔ばかりだ。ある者は弱々しい首の動きで両隣をうかがい、ある者は視線を一点に据えて微動だにしない。

 固定された視線の先には、木箱の上に立った平丘さんがいる。紙を持つ指先に力がこもっているのが遠目からも見てとれる。紙面に注がれた眼差しはぞっとするくらい真剣だ。

 おもむろに彼女の顔が持ち上がったかと思うと、小毬さんのものとは思えない野太い声が空き地に響き始めた。

 演説が始まったのだ。


 肝心の内容は、熱弁してくれたにもかかわらず大変申し訳ないのだけど、残念ながら十分の一も記憶に残らなかった。小難しい単語や捻った言い回しを多用したこと、長広舌、どうやらこのあたりに原因がありそうだ。

 ただし、「十分の一も記憶に残らなかった」というのは一言一句正確には覚えていないという意味であって、大まかな内容であればちゃんと把握できた。箇条書きにすれば以下のようになる。


・わたし美汐真雪は、本日をもって平丘憂国に改名することをここに宣言する。

・改名したのは、わたしの親友である道宮とし子を殺害した犯人を突き止めるにあたり、決意のほどを島民に示すとともに、自らに気合いを入れ直すためだ。

・改名の期間は、とし子殺しの犯人が明らかになるまでとする。

・とし子はニンゲン宣言後に殺されたため殺人事件として扱われなかったが、わたしはこの判断を不当だと考えている。

・なぜならば、ニンゲン宣言はそもそも須田倉摩沙花が一方的に実行したものであり、したがって法的拘束力は発生しないからだ。

・ニンゲン殺しは人間殺しとして捜査が行われて然るべき事案であり、捜査を行わなかった警察の対応には大いに問題がある。

・ニンゲン宣言に効力ありという警察側の認識が変わらない以上、捜査を求めても聞き入れられないと考えられるため、その方法での解決は断念し、あくまでも独自に犯人を突き止めることを目指す。

・目的を達成したあかつきには、犯人に謝罪を要求する。

・暴力的制裁や財産の没収などの手段を講じることは検討していない。

・この演説を聞いた者の中に犯人がいるなら、ただちに名乗り出てほしい。

・犯人を突き止めるまで、わたしは絶対に諦めない。


 演説が幕を下ろした直後、僕のすぐ後ろで聴いていた初老の男性が時計を確認したらしく、「もう四時を過ぎている」と呆気にとられたようにつぶやいた。

 僕は自分のスマホを確認した。液晶画面に表示されていた現在時刻は、十六時十分。長広舌は実に二時間以上にわたって続いた計算になる。

 格調高い口調での演説は、かなりのインパクトがあった。用意していたにもかかわらずカンペにはろくに視線を落とさずに、二時間十分にもわたってしゃべり続けたのだから当然だけど、理路整然とした弁舌とは言いがたかった。しかし、それを差し引いてもインパクト大だった。なんというか、すさまじかった。

 平丘さんは木箱から下り、気持ちよさそうに手の甲で顎を拭った。スポーツでひと汗かいたあとのような、憑き物が落ちたかのような。

 不意に視線を感じた。

 振り向くと、一輪だけ咲いた向日葵の陰に隠れ佇み、こちらを見ている人物がいる。パステルピンクの吹き口を煙草のように咥え、にやついている。

「摩沙花さん……?」

 摩沙花さんは僕から視線を切り、大股だが落ち着き払った足取りで空き地を去った。まだ残っている島民は、親しい同士で演説についての感想を言い合うのに夢中で、彼女が出て行ったことには誰一人として気がついていないようだ。

「小石くん」

 声に振り向くと、平丘さんがこちらに駆け寄ってきている。揺れる黒髪、ワンピースの裾。

「聴いていてくれたんだね。途中で姿を見失ったから、てっきり帰っちゃったのかと思ったよ。わたしの演説、どうだった? 予行演習をする時間がとれなかったから不安だったけど」

「熱弁だったね。熱すぎて、くらくらしたよ」

「それ、熱中症じゃないの」

 くすり、としとやかに笑う。平丘憂国に改名したばかりだというのに、これ以上ないくらいに美汐真雪らしい笑い方だ。

「わたしも疲れちゃったから、いったん家に帰らない? 冷たいものを食べたり飲んだりして、心と体をリフレッシュして、また次の作戦を考えよう。聞き込み一辺倒はそろそろ限界だと思うし」

 ……まだがんばるつもりなんかい。

「みんなも帰っているし、わたしたちも移動しよう。どっちの家にする?」

「僕の家にしよう。昨日は平丘さんの家で食事をご馳走になったし、今朝は待たせちゃったしね」

「じゃあ、そうしよう」

 平丘さんは即答した。美汐家に行くと彼女のペースに巻き込まれそうだから、相対的に影響力が少なくて済みそうな小石家を提案したことには、どうやら気がついていないらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ