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三日目⑥ ハラキリ岬

 活動開始から小一時間が経ったころには、日陰の座れる場所で休憩がしたい、という思いで頭がいっぱいになっていた。

 田舎の盲点というべきか、ここ子眉島には、誰もが気軽に立ち寄ってひと休みできる公共の場がほとんどない。ばかでかい木が陰を作る空き地ならば山ほどあるけど、無断で利用するのははばかられる。

 ただ、摩沙花さんの家は気軽には足を運びづらい。

 でも、だからといって、こっそり自宅に帰るのもどうなんだ?

 困っていたところ、突如として念頭に浮上した候補地がある。

「――ハラキリ岬」

 UFOの目撃情報が多数寄せられ、島民が観光スポット化を目論んでいるものの現時点では上手くいっていない。摩沙花さんがそう話していたあの場所だ。

 岬には何度か足を運んだことがあるから、ルートは分かる。現在地からは徒歩十分足らずで着く。

 UFOを目撃できるとは思わないし、そもそも僕はUFOになんて興味がないのだけど、

「行ってみるかな、ハラキリ岬」


 ハラキリ岬。

 桐原という古来の地名が変化したとも、腹部に短刀を宛がった人間を連想させる形状をしているからだとも言われている、子眉島の北部から突き出したささやかなでっぱり。それが子眉島民のあいだでハラキリ岬という俗称で呼ばれている場所だ。

 岬にはもともと伝説伝承の類は残っていない。オカルトな噂話、スピリチュアルな意味づけ、どちらとも無縁だった。そんな場所になぜ、UFOが急に頻繁に出没するようになったんだ?

 移動中、暇を持て余している脳みそを活用して考えてみたけど、それらしい解釈は見つけられなかった。

 岬の突端では風が強く吹いていた。僕の腰くらいの高さの木製フェンスが張り巡らされていて、その先にはわずかばかりの足の踏み場があって、さらにその先は崖だ。十五メートルほど下にはごつごつした岩が掃いて捨てるほど転がっている地面があって、落下すれば死ぬと思われる。高さ的にも硬さ的にも、確実に。

 フェンス際には「危ない! フェンスの外側に行かないで」という文言が記された看板が立っている。ただ、赤い文字は掠れがひどく、判読しにくい。UFO関係の記述は一文字もなかった。

 まっさらな白いベンチが一脚だけ置かれていたので、そこに座って海を眺める。青い空、白い雲、青い海、白い砂浜。それらの眺め、色彩、コントラストは夏らしく、島育ちではない人間は写真の一葉でも撮りたくなるかもしれない。

 ひっきりなしに吹きつける風は湿度が低く、汗ばんだ肌に快い。ベンチの座り心地はなかなかで、試しに横になってみると寝心地もよかった。

 僕がホームレスで、縄張り内にこのベンチがあったとすれば、間違いなく拠点にしていただろう。仮に共有地に置かれていたなら、血しぶきが乱舞するすさまじい争奪戦がくり広げられたに違いない。とても勝ち抜く自信はないから、大学生になっておいてよかった。

 将来の夢は特にない。同じく、就きたい仕事も。だから、学びたいこともないのに大学に進学した。モラトリアムという言葉を知ったのは何歳のときだっただろう? 帰る家があるというだけで、僕もホームレスやニートとは大差ないのかもしれない。

「……ん?」

 なんとなくニートを同格の存在として挙げたけど、ホームレスだけど職に就いている人もいるのだろうか? 働いているけど家賃を払うだけの経済力はないから路上生活をしています、みたいな。ワーキングプア、とはまた違うのかな。子ども食堂や生活保護受給者増加なんかのニュースを見るたびに、「衣食住もままならない人間が、豊かなはずの現代日本にずいぶんたくさんいるんだなぁ」と思うけど、僕自身は該当しないし、周りにも該当者はいないから、しょせんは他人事。宇宙のどこかにたぶん存在しているはずの、知的生命体が暮らす惑星と同程度の価値でしかない。

「知的生命体……」

 美汐さんが唱えた説のとおり、ハラキリ岬に現れるUFOにエイリアンが乗っているのだとしたら、彼らには人間の言葉が通じるのだろうか。知的生命体の「知的」というのは、どう定義されているのだろう。そもそも、UFOを実用化し、操縦できるほどの知能の持ち主が、こんな極東の辺鄙な島になんの用なのか。フィクションの物語での描かれ方を見たかぎり、宇宙人というのはどうやら利己的な生き物みたいだ。具体的に想像するなら、子眉島で生まれた人間はみな超能力を操るポテンシャルを秘めているから、母星で活用するために拉致しに来たとか。

 もしそれが真実なら、残念でした。僕は超能力どころかなんの長所も持たない、宇宙人から見てなんの価値もない、平々凡々な十九歳だ。才能がある人間は、朝でも昼でもないこんな中途半端な時間帯に、観光地でもなんでもない場所のベンチに寝ころがってなんかいない。

「……それにしても、暇だなぁ」

 UFOは時間帯を問わずに出没するらしいし、今このタイミングで現れてくれれば、いい暇つぶしになりそうなんだけど。

「まあ、そう都合のいい話はないよな」

 あくびを一つして、仰向けになって瞼を閉じた。


 初めに言葉があった、と新約聖書にはある。

 まったく別の本に、死にゆく者が最後まで保持する五感は聴覚である、と書いてあった。その逆も然りで、目覚めゆく者が最初に取り戻す五感も聴覚。したがって、揺さぶられていることに気がつかないのに、「朝だよ、起きて」といった声・言葉が聞こえるなんていう、ギャルゲも顔負けの展開は日常において普通に発生する。

 つまり、初めに声があった、と訂正するべきなのだろう。

 束の間のうたた寝から目覚めようとしている僕が耳にしたのは、不愉快極まる息づかい。

 犬のそれのようでもあるけど、違う気もする。いずれにせよ僕からすれば不愉快なのはたしかで、初めにあったのはもしかすると言葉でも声でもなくて、不愉快だったのかもしれない。寝ぼけた頭でそんなことを思う。

 なぜ不愉快なのかを分析するに、音源が僕の耳に、体に近いからだ。パーソナルスペースががっつり侵犯されているのだ。吐息をダイレクトに肌に感じるわけではないのだけど、聞こえ方が、音色が、大ざっぱな表現を使うならば音の感じが、なんだかとても近い。

 出し抜けに、右の頬に微弱な風圧を感じた。

 微弱だがしっかりと不愉快なその風は、規則的に僕の頬に刺激を与えてくる。生物の呼吸だ。

 嗅覚はまだ機能していないにもかかわらず、垢にも似た微かな臭気を孕んでいるように感じられて、不快感は指数関数的に膨らんでいく。意識が目覚めたがっている。

 考察しているあいだにすっかり頭は冴えた。体を意のままに動かせるまでに調子を取り戻してもいる。

 開・眼。

 視界にドアップで映し出されたのは、極端に吊り上がった大きな目を持った、皺だらけの醜悪な老婆の顔。

 意味不明な絶叫が僕の口から飛び出した。本能が肉体に逃走を命じた。立ち上がろうとベンチの座面を突いたはずの掌は、虚空を押した。体勢が大きく崩れ、浮遊感。真っ逆さまに落ちていく己の姿が脳裏に映し出される。なす術はない。頭部に衝撃が走り、星屑が弾け、意識は再び闇の中へ。


 我に返ったり、失ったり、慌ただしいことこの上ない僕の意識は、再び目覚めつつあった。

「さっさと目覚めろ」と本能がせっつく。命か、それに比肩する価値のものが現在進行形でおびやかされているから、ただちに防御なり回避なりの態勢をとるんだ。そう言って危機感を猛烈に煽ってくる。

 思い出されるのは、気を失うきっかけとなった老婆。

 僕が老婆を老婆と認識したのは、目撃した人物ともっとも姿形が近いのが、僕の辞書に登録されている中では「老婆」だったからだ。

 ……でも。

 あの人物は、というよりも「あれ」は、果たして本当に老婆だったのか?

 ここはハラキリ岬だから、ひょっとすると老婆は老婆ではなくて――。

 などと悠長に考えごとをしている僕を本能が急かす。危機感は追いついていないものの、視覚は機能するようにしておくべきだ。瞼を開くと、

 いた。

 人間が。

 女性だ。

 といっても老婆ではない。柳眉を逆立てて、傲然と腕組みをして、ベンチから四・五メートル離れた地点に佇んでいるその人物は、美汐真雪。

 真夏なのに木枯らしが吹き抜けた。

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