三日目④ 作戦会議
美汐さんが向かったのは僕とは反対方向。まさか監視されているとは思わなかったけど、なんとなく怖さがあって、制限時間いっぱいまで真面目に聞き込みをしてしまった。
案の定、なに一つ成果を得られなかった。
美汐さんが手柄を立ててくればいいんだけど、望み薄な気がする。
待ち合わせ場所の美汐家前に先に到着したのは、僕。十五分ほど待って、夕方というよりも夜の暗さになったところで、美汐さんが戻ってきた。
「だめだった。結構な人数に声をかけたんだけどな。五十人くらい」
美汐さんは悔しさと落胆が浮かぶ表情で、肩を落として大きくため息をついた。「僕のも成果なしだよ」と報告すると、今度は小さくため息。しかし、一秒後には穏やかさと凛々しさが同居した顔つきになり、
「わたしの家で作戦会議しない? その代わりといったらなんだけど、お母さんに夕食を作ってもらうから、食べていってよ。小石くんは何回か食べたこと、あったよね。小学生レベルのわたしと違って、お母さんが作る料理はクオリティ高いから、安心して」
「悪いよ。夕食をご馳走だなんて、そんな……」
夕食を食べていけっていうことはつまり、そのあとも作戦会議をやるということですよね? 違いますか。僕、そういう本格的なのは嫌なんですけど。
「遠慮しないで。さ、行こう」
美汐さんは有無を言わさずに僕の腕を引っ張って家の中に入った。
作戦会議はリビングで行われた。
美汐さんの部屋でやるものと思い込んでいたので、ほんの少しがっかりした。
両親は仕事に行っていて不在だ。空間からは生活臭がふんだんに漂っているのも相俟って、独特の緊張感がある。
肝心の作戦会議はというと、驚くほどはかどらない。
「もう少し有力な情報が手に入ったら、それを取っかかりにしてアクションを起こせそうなんだけどね」
小一時間ほどの話し合いの中で五・六回、美汐さんはそんな趣旨の発言をした。
それってようするに、もっと聞き込みをするということですよね? 成果はほぼ期待できないのに、このくそ暑い中……。
そう思いつつも、不満は心の中にとどめて、「そうだね」と答える。美汐さんのイメージからは外れた積極性に押し負けて、僕はすっかり受動的になってしまっていた。
作戦会議をはじめてから約半時間後、美汐さんの両親が二人揃って帰宅した。温和そうな中年夫婦という印象は五年前と変わらない。四人で少し話をしたけど、お母さんの夕食の準備の邪魔をしてはいけないので、僕と美汐さんは移動することに。
「じゃあ、わたしの部屋に行こう」
どくり、と僕の心臓が音を立てた。
美汐さんの自室。
小さいころに上がったことがニ・三回ある。その事実だけは覚えているけど、当時の詳細な記憶はもはや跡形もない。十年もの歳月が流れたのだから、内装は当然様変わりしているだろうし、あまり参考にはならないんだろうけど。
緊張も期待も大きかっただけに、ドアを開けた先の景色を見て愕然とした。最低限の家具が置かれているだけで、殺風景。僕はあろうことか、彼女が大学進学を機に県外で暮らし始めた事実を失念していたのだ。
「どうしたの? なにか困ったことでも?」
「あ、いや……。緊張するなぁ、と思って」
「もうここは使っていなくて、見てのとおり女の子の部屋感ないし、全然気にしなくていいよ。下に親もいるし、そもそも作戦会議が目的だし、緊張する理由ってなくない?」
僕は首肯する。幸先悪いスタートはこれで何度目なんだ、と思いながら。
予想していたとおり、場所を替えても作戦会議ははかどらない。
美汐ママが振る舞ってくれた夕食は、奇しくも帰省二日目に聡子が選んだのと同じ夏野菜のカレーライス。小石家のカレーよりも使われている野菜の種類が多く、しかもスパイスがほどよく効いていて、上位互換の感がある。
「いつも余るくらい作るから、遠慮なく」というお母さんの言葉に甘えておかわりするくらい美味しかったし、食事中の会話もなかなか愉快だったけど、残念ながら次に繋がるものはなにもなかった。
「明日も引き続き聞き込みかな。推理の材料が少なすぎるから、とにもかくにも集めるしかないよ」
それが、夕食後に行われた話し合いの場で僕たちが出した結論だ。
「明日もいっしょに探してくれるよね? とし子を殺した犯人を見つけ出すために、わたしに協力してくれるよね?」
玄関まで見送りに来てくれた美汐さんの念押しに、僕はせいっぱいさわやかな笑顔で「もちろん」と答えた。エクスクラメーションマークつきではないにせよ、なんとか合格点がもらえそうなはきはきした声で。
美汐さんを助けたい気持ちはもちろんある。しかし、それ以上に彼女を怒らせるのが怖かった。少々気に食わない発言をしたからといって、いきなり無言で殴りかかってくる人じゃないのは分かっていたけど、それでも怖い。
美汐さんが摩沙花さんについて少し語ったとき、「なにを考えているか分からないから怖い」と言っていたが、僕が美汐さんに感じている恐怖はまさにそれだ。
帰り道は疲労感から足取りが鈍く、まるでカレーライスなんてひと匙も食べなかったみたいだった。
僕にとっては珍しい長風呂を終えて、自室に入ったとたん、昨日おとといと、ちょうど今くらいの時間帯に美汐さんと通話したことを思い出した。その弾みで、意識的に封印していた明日の聞き込みのことを思い出してしまい、入浴後のすっきりした気分が帳消しになるくらいにテンションが下落した。
美汐さんはかわいい。大学生になったのを機に都会暮らしを始めたことにより、愛すべき心優しさはそのままに、垢抜けたルックスとキュートな積極性を獲得し、総合的な魅力度が格段に増した。
隣にいてくれるだけで、幸せ。
そんな人がこの世に存在するなんて、彼女と再会を果たすまでは夢にも思わなかった。
青春だ、と思った。
高校生活もそれなりに充実していたし、大学生活もこれまでのところまあ順調だけど、でも決して完璧ではない。
花より団子ということわざがあるけど、やはり花は必要だ。
美汐真雪さん。真夏に咲いた雪のように白い花。
ただ、純然たる意味での幸せな時間が続いたのは、美汐さんがニンゲン殺し事件を知るまでだった。
ニンゲンこと道宮とし子は、美汐さんの友人だった。友人が殺されことを、美汐さんは悲しんだ。赦しがたい凶行を起こしておきながら行方を眩ました犯人に、憤った。僕が摩沙花さんから犯人探しを依頼されていると知って、「わたしも協力する」と申し出た。
協力というと対等か、もしくは補佐的な役割を演じるイメージだけど、参加するや否や、美汐さんはたちまち捜査を主導する立場に躍り出た。摩沙花さんの「がんばりすぎない程度にがんばる」という言葉をこれまで実践してきたし、今後も実践していきたいと願っている僕の意向など、清々しいまでに完璧に無視して、目的を果たすべく驀進した。
瞳をぎらつかせた美汐真雪は、僕が心に保存していた美汐真雪のイメージからは決定的に逸脱している。逸脱した彼女に付き合わされる時間は、はっきり言って楽しくなかった。
これが明日も、明後日も続いていく。
そう考えただけで暗澹たる気持ちになる。
同時に、美汐さんを別人にさせてしまうほどの影響力を発揮した、道宮とし子という人物への興味もじわじわと高まる。
美汐さんととし子は三歳違いで、自宅が近く、よく二人で遊んでいたという。
島に住む子どもが少ない中での同級生という関係もあって、美汐さんとは学校の内外を問わずある程度の交流があった。学校にいるあいだはよく話をしたし、思春期に入るまでは放課後に何度もいっしょに遊んだ。でも、道宮とし子という年下の女の子と仲がいい、という話は一度も聞いたことがない。
友だちの友だちというのは、しょせんはその程度の関係なのだろうか? それとも、仲よくしている事実を他人には隠したくなるような子だった?
聞き込みをする中で、人間だったころのニンゲンは特異な人物だったという趣旨の発言は、島民の口からは出なかった。
僕が尋ねたのは、人間・道宮とし子の生前のあれやこれやについてではなく、ニンゲンの死とそれにまつわるあれやこれや。尋ねられなかったから答えなかっただけの可能性もあるけど、とし子が突き抜けて風変わりな人物だったなら、総じて話し好きの島民のことだ、「ニンゲンが人間だったころは――」というふうに問わず語りをしていたはず。
つまり、美汐さんにとって道宮とし子は、友だちであることを恥じるような存在ではなかった。
ただ、とし子がニンゲンになったこと自体が、とし子の特異性を示している気もする。
とし子はどんないきさつがあって、ニンゲンとして摩沙花さんに飼われることになったんだ?
摩沙花さんの事情は聞いたけど、とし子の事情は?
やむを得ない事情があってニンゲンになることにしたのか。それとも、自らニンゲンになりたいと志願したのか。ツーショット写真の中のとし子は、死んだ魚のような目をして、全身から負のオーラを発散していたけど……。
ニンゲンになってからのことも、なる前のことも。道宮とし子という一個人について知らないことが多すぎると、今さらのように気がつく。
僕はこれまで、とし子を事件の被害者として、推理に必要不可欠なパーツとして、一種の記号としてしか見てこなかった。
でもこれからは、もっと積極的に彼女のことを知る努力をしよう。そうすれば、なにか見えてくるものがあるかもしれない。
明日は美汐さんにとし子のことを訊いてみよう。
そう方針を固め、スマホをテーブルに置いたところで、着信。美汐さんだ。
「小石くん、こんばんは。今日はお疲れさま」
「美汐さんこそ、お疲れさまです」
「今日は早起きしたし、疲れちゃったからもう寝ようと思う。ごめんね、夜のお話ができなくて」
「いや、無理にはいいよ。話なら明日にだってできるし」
「それもそうだね。じゃあ小石くん、最後に一言だけ」
「どうしたの?」
美汐さんがいる世界は沈黙に包まれた。僕は唇をぴたりと閉じ、聴覚に意識を全集中させる。沈黙がはじまって約三秒後、「どうしたの?」と再び問おうとすると、
「小石くん、今日はごくろうさま。明日もがんばろうね」
甘ったるさを前面に押し出した声がそんなセリフを言って、通話が切られた。
かわいい声だった。
ちょっとだけ、作った声だった。
それって、つまり。
「僕にサービスしてくれたってこと、だよな……?」
理解すると同時、あたたかい、でも少しくすぐったい、そんな感覚が全身をむずむずさせた。
その労いと激励の言葉は、笑い出したくなるくらいに劇的に僕を癒した。
男なんてちょろいものだな、と思う。それでいて、自己嫌悪やその他のネガティブな感情はいっさいなくて、ただただ幸福感。踊り出したくなるような激しさがない分、逆に意識をがっちりと捉えられたような感覚がある。体が少し熱っぽい。真っ暗なスマホを手にしたまま、一分も二分もその場から動けなかった。
「まあ、あと一日だけがんばってみようかな」
一人きりの状況でこぼれたひとり言なのだから、本音に決まっている。
最後の最後でポジティブな気持ちになれたことに感謝しながら、ベッドに体を横たえた。