第30話(梓宸視点)ただ一つの願い
「梓宸、父上のことだが」
飛龍を幽閉し、皇帝が倒れたことで生じた仕事をこなした頃には、完全に日が沈んでからかなりの時が経っていた。
佩芳が話を始めたのは、そんな、真夜中のことである。
「……回復する術はあるのか?」
梓宸を責めることも、真実を確認することもなく、佩芳はそう尋ねてきた。
きっと彼には、梓宸がやったことなど全てお見通しなのだ。
「……それは」
「ないのか?」
はい、と答えるべきなのか、それとも、いいえ、と答えるべきなのか。
少しの間悩み、結果、梓宸は首を横に振った。
「申し訳ありません」
「そうか」
ゆっくりと佩芳は息を吐き、そっと梓宸の肩に触れた。
「悪かった」
「……どうして、貴方が謝るんです」
「お前が、俺のためにやったことだからだ」
「私が勝手にやっただけです」
「それでも」
そう断言した佩芳に、力強く抱き締められる。慌てて彼を押し返そうとして、自分の身体が震えていることに気がついた。
「こんなことをさせてすまなかった」
佩芳の顔は見えない。けれど、冷たい雫が首を濡らした。
「梓宸。お前にこんなことを言うのは間違っているのかもしれない。だが、父上を助ける術を探してほしい」
「……はい。本当に、申し訳ありません」
ゆっくりと佩芳が離れていく。ごめんなさい、と梓宸はもう一度心の中で謝った。
ごめんなさい。佩芳様。
本当は、術がないわけじゃないんです。
でも私は……。
「梓宸」
小窓から差し込む月光が、薄っすらと佩芳の瞳を照らした。眩しい瞳の輝きは種類を変えてしまったけれど、失われてはいない。
「だが俺も、覚悟は決めた」
ああ、違う。本当に違う。
貴方にそんな顔をさせたかったわけじゃない。
「俺は必ず、皇帝になる」
「……はい。佩芳様以外に、相応しい方などおりません」
◆
目覚めると、寝汗をびっしょりとかいていた。布団から飛び出て、枕元においていた水を一気に飲む。
温い水でも、飲まないよりはましだ。
「……朝か」
目を閉じて、過去をそっと思い出す。蓋をして記憶の底に沈めてしまえたら、と何度思ったかも分からない過去だ。
けれど、そうすることはできない。してはいけない。
佩芳様を即位させるためなら、なんだってやる。その気持ちは今も変わっていない。けれど、そんなことを佩芳様に知られたくはなかった。
佩芳様に、罪を背負ってほしくなどなかった。
「梓宸」
扉が開き、佩芳が中に入ってくる。昔から佩芳は朝が早い。
「顔色が悪いようだが、大丈夫か。それに、ずいぶんとうなされていたようだが」
「……申し訳ございません」
「いや、俺のことは気にするな」
梓宸の部屋は、佩芳の部屋の真横にある。なにかあった時にすぐ駆けつけられるように、という配慮だ。
「腹が空いているなら、飯にしよう。お前は放っておくとすぐに飯を抜くからな」
「ありがとうございます、佩芳様」
「ああ」
目が合うと、佩芳は笑った。昔に近い笑顔は、きっと梓宸を安心させようとしてくれているのだろう。
佩芳様は、私の嘘に気づいているのかもしれない。
本当は私が、陛下の病を回復させるつもりがないことを知っているのかもしれない。
それでも佩芳が何も言ってこないのは、本心では皇帝がこのまま死ぬことを望んでいるからか。それとも、梓宸の嘘を見て見ぬふりをしてくれているだけなのか。
『陛下が亡くなってしまったら、もう、取り返しがつきません』
また、あの小娘の言葉が頭の中に流れる。いっそ早く、取り返しがつかなくなってくれたらいいのに。
◆
「梓宸さん」
部屋を出てすぐのところで、小娘に声をかけられた。警戒しているのか、近づいてはこない。それに、人目のある場所だ。
「私に何か用でも?」
じっと見つめただけで、小鈴は怯えたように一歩後ろへ下がる。それでも逃げ出そうとはしない。
「用はないようだな」
梓宸が背を向けて歩き出すと、待ってください! と小鈴が駆け寄ってきた。そして、梓宸の腕をぎゅっと掴む。
「……何のつもりだ?」
睨みつけると、小鈴はすぐに苦しそうな顔をした。このまま続ければ、小鈴の変化の術を解くことだってできる。
それが分かっているだろうに、なぜ小鈴はここまで近づいてきたのか。
「わ、私……その……ええっと……」
馬鹿な娘だ。どうせ、考えを整理もせずにここまでやってきたのだろう。
「その……えっと、話がしたくて」
「私はしたくない」
「……でも」
泣きそうな目で見つめられる。幼くて純粋な眼差しが憎らしい。
小鈴は飛龍のことを大切に思い、飛龍のために飛龍と佩芳を仲直りさせようとしている。そして飛龍のために、皇帝の命を救おうとしている。
全部真っ当で、正しいことだ。
私とは、全然違う。
「梓宸!」
佩芳の声だった。
すぐに佩芳が駆け寄ってきて、小鈴から引き離すように梓宸の腕を引く。
「行くぞ、梓宸」
「……はい」
待ってください、と叫んだ小鈴を佩芳は無視した。そのまましばらく歩いて、人気がないところで立ち止まる。
「……怪しまれているのか」
小さい声で問われ、梓宸は首を横に振った。真実を告げて、これ以上佩芳の心を疲弊させたくはない。
「ただ、佩芳様と飛龍様を仲直りさせようとしているだけです」
「本当に?」
「はい」
そうか、と呟いた佩芳が、本当に納得しているのかは分からない。
「なにかあれば、すぐに言え。お前は先走り過ぎる」
「申し訳ありません」
「それから……」
はあ、と佩芳は溜息を吐いた。
「あの娘のことは、見逃してやれ」
それだけ言うと、佩芳は去っていった。
背中を見るだけで、佩芳の考えが分かってしまう。
……佩芳様。
貴方もずっと、飛龍様と昔のように戻りたいと思っているのでしょう。後継者争いが生じて、昔のように接することができなくなった自分を、貴方はずっと恥じていた。
知っているんです。私は、全部。
「……佩芳様」
私はただ、昔のように貴方に笑ってほしいだけなんです。




